【同級生と、あの頃に戻る】1996年生まれの2人・前編〜介護を仕事にした理由〜
同級生対談シリーズ・第2回目に登場するのは1996年生まれの2人。1996年というと「たまごっち」が発売された年。上士幌町で小・中・高と一緒だった私たちは、(前編)では二人の出会いのきっかけと、それぞれの進路について。(後編)では進路の話の続きと、学生生活についての話で盛り上がりました。
小学校出席番号元29番
宮部 純香
|みやべ・あやか|ホロロジー広報チームメンバー。運動不足を解消するため、筋トレをすることにハマっている。この記事を書きました。
小学校出席番号元23番
門馬 愛梨
|もんま・いとり|上士幌町任用職員。医療系ドラマを観ることにハマっている。笑ったときにちらっと見える八重歯がステキ。
まずは思い出を振り返る
いやー、卒業アルバムとか何年も見てないよね。
そう思って、小中高の卒業アルバム全部持ってきたんだ。
ほんとに!?私は探したけどなかったんだよね。
見ながら話したら、いろいろと思い出すでしょ。
嫌だなー、見るの。
わーやだ!絶対いまと違うよねー。
当たり前じゃん、一緒だったらこわいよ(笑)。
うわーこれは見たくないなー。
いつから一緒にいたんだっけ?
そういえばさ、私たちって、仲良くなったのっていつだっけ?
小学校3年生とかだったかな。
え?違うんじゃない?
陸上クラブだっけ?
あー、そこらへんからだよね。
でも、小学1、2年のときに親子レクとかで一緒の班になることが多かったよね。
親同士も仲が良かったからね。
仲良くなったきっかけが分からないよね。
いつからだろう・・・あ!違うよ!!
なに(笑)!?
稚児舞(ちごまい)だよ!稚児舞!小学校1年生のとき。
そうだ、だいぶ昔からだった!
神社で小学校1年生の女の子だけが8人、舞を踊るっていうのがあったんだよね。
保育所別で分かれたよね、西保育所と常設保育所(現在の認定こども園ほろん)で4人ずつでね。
それからじゃない?
それだ!
よかったね、思い出して(笑)。
昔は仲が良くなかった!?
私たちってさ、小学校の運動会で一緒の組になったことあったっけ?
全部反対じゃない?
そうだよね!
全部相手だったもん(笑)。
中学校は?
私は、青→赤→青だったよ。
え、私は青→赤→青(笑)?
それじゃ一緒じゃん(笑)。
全部反対だったはずなんだけどな・・・。脱線したね・・・。私たちさ、仲悪かったわけじゃないのに敵対視してたよね(笑)。
そうそう!ライバルだからね、ずっと。
そうそう、仲間なのにね。
今考えたら馬鹿じゃないのって思うけどね(笑)。
陸上クラブも一緒だったのに。なのになんか、ね(笑)。
嫌いっていうか、なんかね(笑)。
仲良く、ないの?みたいなね(笑)。
あったね、そんな時期(笑)。
それでも、一緒に遊んだりとかしてたし友だちの付き合いは途切れなかったんだよねー。
ほんと!不思議だよね。中学も高校も、遊んだもんね (笑)。
“戦友”みたいな感じだったのかな?
競い合うときだけ”敵”みたいなね?
なぜ、上士幌高校を選んだの?
こんなときにしかできないからさ、進路の話してもいい?意外と知らないよね、お互いどうしてこの進路を選んだのかとか。
いいよ!
なんで上士幌高校(以下、上高)にしたの?
ほんとは私立の高校に行こうとしてたんだけど、授業料が高いから。
そうだよねー。
それと、学力にもあんまり自信がなかったから、かな。それに普通科だし、近いから通いやすいしね。
うんうん。
でも、もともとは中学1年生の時に看護学校に行こうと思ってて、看護師を目指そうと思っててさ。でも、行こうと思ったときには介護のコースしかなくなっちゃって、それで諦めたんだけど。
そういえばそんなこと言ってたね。
そうそう、上高だと給食も出るし、両親からしたらお金の面でも助かるじゃない?
そうだね。
あやかは?あやかこそほかの高校も行けたでしょ。
そんなことないよ(笑)。
あやかのお父さんの母校にだって行けたでしょ(笑)。
よくお父さんの母校知ってるね(笑)。まあ、確かに頑張ればここの学校にも行けるよっていう選択肢はもらってたけど。高卒出て就職するつもりはなかったから。
そっか、大学には行こうと思ってたんだ。なら、上高でもいいよね。
金銭面を考えて上高かなって思ったのと、親元を離れてまで高校に通いたくないなって思ったからかな(笑)。
そうなんだよね、結局そうなんだよ。
そう、バスで通っても朝は早いし帰りも遅いし。
帯広に通う時間は、上高なら寝てられるもんね(笑)。ほんと、親孝行な学校だよね。
そうだね。
自分が親だったら、上高は普通科だしその先の進路の視野も広いしさ。商業系とか工業系とかに行って、後から違う進路にすればよかったって思うよりも、普通科に通ってその中で自分の進路を決めて行きたい道に進めばいいと思うからさ。
道はあるよね、その先のね。
うんうん。あやかみたいに教育大にも行けるしさ。
介護の道に進んだのは高校時代の経験?
いっと(愛梨)はさ、高校卒業後、介護の道に進んだじゃない?なんで、介護をやろうと思ったの?
それがね、最初は保育士を目指してたの。
それは、高校に入ってから?
そう。でも担任の先生と話しているうちに、子どもが可愛いだけじゃできないのかなとか、自分が本当にやりたいことは何なのかなって考えるようになって。
進路面談もあったもんね。
1日職業体験もあって、学童に行ってみないかって言われたんだよね。でも、私が気になってたのは保育だから、認定こども園に行けないなら違うところでいいかなって。それで行ったのが特別養護老人ホームだったんだよね。
そこがきっかけで。
なんかわかんないんだけど、介護士もいいなって思うようになったんだよね。お年寄りを見ていて、なんか素敵だなって思うようになったの。
介護士になろうと思ったきっかけって覚えてる?
知り合いの人が上士幌町の特別養護老人ホームで働いていて、その職場の良いところを教えてもらっていてさ。職場体験の前に3者面談があったのかな。そのときに親には自衛隊か看護師になってほしいって言われて。親としては安定してほしいって想いがあったんだと思うけど。じゃあ、看護に似た仕事って何だろうって考えたときに、ちょっと仕事は違うけど介護士!って思って。介護士もいいかなって思ったんだよね。
うんうん。
それで、親と話したときに、介護士もいいと思ってるんだよねって言ったら、「じゃあワークキャンプに参加してみるか」ってなったのがきっかけかな。
そうだったんだ。
行った後に渡されるフィードバック評価が良くて、ぜひ来てほしいって言われて、それで自信がついたの。あ、この仕事楽しいかもって。そのときにすずらん荘にいた職員さんが、利用者さんたちを笑顔に生き生きさせていて、ありがとうとか言われてたし。すごい楽しそうって思って。利用者さんも職員も、かっこいいなって思って。私もここが良いなって思って。
すごいね!いいきっかけだったんだね!
そこで、お父さんとお母さんにすずらん荘で働きたいんだけどって。そしたら「いいんじゃない?あなたのやりたい道だし。やっと見つかったんじゃない」って応援してくれて。
そうだったんだね。クラスも3年間違ったし、就職と進学で分かれていたし、ほんとになにも知らなかった。
わざわざ話すことないもんね、こうやってさ。
だよね。今日話せてよかったよ、本当に。
こういう機会でもないと、あまり切り出せない話を取材ということもあって、話題にしてみました。
そうすると、友人の知らなかったこれまでの決断や葛藤を知ることができ、私も頑張らないとなと思いつつ、ライターとして、上士幌町に住んでいる皆さんに若者がどのように進路の選択をしたのかを伝えたいなという想いも湧いてきました。
皆さん、楽しんでいただけたでしょうか?(後編)では、進路の話の続きと、学校生活についての話をしました。お楽しみに!