〜同級生と、あのころに戻る〜1994年生まれの3人・後編

同級生同士でざっくばらんに語り合い、当時へとタイムスリップしようという本企画。前編では、学生時代の印象深い出来事についての話に花を咲かせました。後編ではそれぞれの進路から、今の仕事に就いたきっかけへと話は進みます。当時は聞くことがなかった、それぞれの想いを改めて語り合います。

WRITER
竹中 勇輔(たけなか ゆうすけ)
1994年生まれ。上士幌町出身。理学療法士。ホロロジーライターというチャンスを生かして会いたい人に会いに行きます。上士幌に帰ってきてけん玉にハマっています。よく聞かれますが町長と親族関係ではありません。
登場人物
記念すべき第1回目に登場するのは1994年生まれの同級生3人。1994年というと「PlayStation」が発売された年。約10年前に上士幌中学校を卒業した3人は、どのころの、どんな話で盛り上がるんでしょうか。前編と後編の2本でお届けします。

出席番号元9番
竹中 勇輔(たけなか ゆうすけ)
ホロロジー広報チームメンバー、理学療法士。上士幌に帰ってきてけん玉にハマる。よく聞かれるが町長と親族関係ではありません。この記事を書きました。

出席番号元24番
伊藤 玲菜(いとう れいな)
上士幌町認定こども園の保育士。ステイホーム期間で断捨離にハマる。意識していることは、痩せたら着れそうな服は問答無用で捨てること。

出席番号元29番
成田 やよい(なりた やよい)
上士幌町認定こども園の保育士。新型コロナウイルスの影響でマスク作り、登山、バーベキューにハマる。健康づくりのための運動仲間を募集中。
みんな進路の話には気を使っていた

毎日勉強してた?

テスト前くらいかな。

えー、嘘でしょ? 頭良かったよね。

確かに、勉強できてたよね。

テストで良い点を取るためのモチベーションはあったよ。勉強できる人たちって塾に行ってたけど、その人たちに負けたくなかった。

そういえば塾にいなかったもんね。

運動部で、塾も行ってなくて、でもテストの順位は上だったイメージ。

そのイメージ強い。

でも負けたくないって気持ちはあまり表に出してなかったと思う。

うん、いつもしれっと上にいた。

そういうイメージだね。

2人とも塾行ってたよね。

行ってたけど全然やる気なかったよね。

行ってるだけ(笑)。

塾のメンバーでは、高校どこに行くか相談とかしてた?

そういう話はしてないね。

逆に友だちとそういう話した?

したような気もするし、しなかったような気もするし。

当時はみんなナイーブな話題だったのかな? でも受験が近くなると、志望校でクラス分けがあったよね。

柏三緑とその他みたいな。

その他って言い方(笑)。

その他は基本問題をやってるんだけど、柏三緑は応用問題をやってた。

そうなんだね。

実は塾行ってたのに高校のことってあまり考えてなかったな。

俺は行きたい高校だいたい決まってたな。

高校どこを受けようみたいな悩みはなかったな。
実習を乗り越えた先にあったやりがい

勇輔は中学校のときから理学療法士になろうって気持ちはあったの?

全くなかったよ。中学校のときは学校の先生になろうかなって思ってた。

そんなこと言ってた記憶がある。

たぶん身近で関わりのあった職業がそのくらいだったんだと思う。

そうだよね。中学校のときは職業のことを見据えて進路選びしてなかったな。

私は高校に入ってもそこまで考えてなかったけど、焦り出す時期が来るよね。

自分、どうするよってね(笑)。

今は2人とも保育士として働いてるけど、そこに進もうと思ったきっかけは? お互いに知ってる?

知らない。

知らないね。

こんな話しないだろうから、いいタイミングだね。

私の行ってた高校は、介護とか保育の専門学校に行く人が多かったんだよね。それで、子どもが好きだから保育士いいなと思って、オープンキャンパスに行って、こども園の職場体験も行ったんだよね。結局迷ったんだけど、保育士以外にやりたいと思える仕事が思い浮かばなかったから、保育の短大に進学した。

身近に保育士の人がいたりした?

いないね、親は介護系の仕事だったし。

同級生の子も保育士目指してたな。やっぱり上高の人は保育の学校に行く人が多かったっていう印象。でも短大で保育実習に行ったときは無理だなぁと思ったこともあったけど、せっかく頑張って勉強してきたからと踏みとどまって就職して、それからもう6年。

6年か、就職したときの年長さんは小学校卒業だね。その6年間で保育士の仕事に対する気持ちって変わってる?

変わってるね。ある実習のときは、もう保育士にならなくていいや、とまで思って、一般事務のような仕事を探したんだ。でも就職試験の前に最後の実習があって、そのときに乗り越えられて、保育士としての自信がついたんだよね。実際に働いたら実習よりも全然大変なことがあるけど、1年間同じクラスで子どもたちを見てて、毎日一緒にいるとその子たちの成長がすごく分かるの。そういうときにやりがいを感じるな。そう思ってたら6年経ってた。


同級生の仕事のやりがいを聞く機会なんてなかなかないけど、たまにこういうことを話すのもいいね。れいなのきっかけは?

私は親戚のお姉ちゃんが保育士で、私が小さいときから幼稚園で働いてたんだ。そのお姉ちゃんのことはすごい大好きだったから、保育士に対してずっと良いイメージがあったね。それで、わたしもお姉ちゃんのようになりたいなと思ってたけど、将来夢が保育士ですって明確なものではなかった。
でも中学校のときに保育所に職業体験に行く授業があったのもよく覚えてるし、高校の職業体験でも幼稚園を選んだ。で、進路を決めるときに、進学か就職かを選ぶわけだけど、わたしが行ってた高校は7~8割が就職だったの。就職するか進学するかみんなはだいたい決まってるのに、わたしはめちゃくちゃギリギリまで決められなかったの。

すごく真剣に考えてたんだね。

夏休みも先生のところ行ったりして。でも進学するなら保育士とは思ってて、それ以外は考えてなかったな。結局、高校を卒業してすぐにやりたい仕事はなくって、それなら保育士がやりたいのかなと思って、保育士の短大を選んだ。

やよいが話してくれたけど、れいなは実習での挫折ってあった?

あったよ。小さいときの優しい先生のイメージ、中高の職業体験で行ったかわいい子どものイメージが見事に崩て、かわいいと思う気持ちだけじゃやっていけないんだなって実感した。保育士という仕事の大変さを理解した。

今まではキラキラしてた部分しか見えてなかったってことだよね。

そうそう。私も実習は本当に大変で、私には厳しいなって思ったときもあったけど、実際働いてみたら、仕事の大変さよりも日々関わっていく中で感じるられる子どもたちの成長がすごい大きいから、働いてると毎日に新鮮さがあるなとは思うよね。

やりがいはすごいあるね。

今日はうまくいかなかった、とか悩むことはすごいあるけど、1年間同じ子どもたちと一緒に過ごして得るものはすごく大きいから続けられてるのかな。

子どもたちとの関係でうまくいかないこともいっぱいあって、泣けてくる日もあるけど、クラス替えでお別れになる3月は、そのクラスの1年間を思い返して、すごく成長したなって感じるときはやっぱりやりがいを感じるね。

いいね。
こども園の求人が2人を呼んでいた?

いろんな職場がある中で、上士幌のこども園を選んだ理由ってある?

たまたま実習先だったし、家から通えるっていうところかな。あとは、ちょうどいい時期に求人も出てたんだよね。

タイミングがすごく良い年だったよね。

れいなも上士幌のこども園が実習先だったの?

そうそう。でも私は地元に戻って働きたいっていう気持ちがそんなになくて、十勝に戻ってくるとしても帯広かなって感じだった。それから実習で上士幌に戻ってきて、上士幌は土地が広いし、札幌の保育園も行ったけど、環境によってできることは違うんだなと思ったし、自然と触れられるところは大きく違うなって思ったから、実習中に上士幌に戻ってこれたら良いなと思うようになった。あとはやよいちゃんも言ってたけど、就職活動が始まると同時に求人が出て、もし上士幌が駄目だったらまだ次の面接を受けられる時期だったのも良かった。


そうだね。もし求人が1月~2月みたいにちょっと遅めだったら、違うところに行ってたかもしれないよね。

そうしたら本当に求人が出された時期が良かったんだね。

れいなちゃんとは試験会場で会ったよね。

そうだったね。でもやよいちゃん受けることは知ってたから驚きはしなかった気がする。

知ってたのか。

夏休みに遊んだときに話したのかな?

なっちゃんとドラえもん見たときだよね!

あれ見て泣いたな。

わたしもめっちゃ泣いた。

同じ職業ってのもあったから、たまに会って情報交換はしてたね。
クラス替えがないって、意外と幸せなことかもしれない

働いてなかったら気づかなかったけど、こんな身近にいろんな自然があるのかと就職してからわかった。

上士幌だけにしか住んだことなかったときはわからなかったけど、少し離れたところで生活をして戻ってくると気づくことってたくさんあるよね。

たくさんあるね。

今帰ってきてどう?

このホロロジーの取材を通して、上士幌に住んでる人たちに会いに行って、話を聞くことが増えたんだけど、自分が知らなかっただけで面白い人たちがたくさんいるなと感じているところ。

今思えば、小学校も中学校もみんな同じクラスだったことは良かったかなと思う。

そっか、帯広みたいに人数が多いところはクラス替えがあるもんね。

わたしもそれはすごく良いと思う。

中学校であまり話した記憶のない勇輔とも今こうやって話ができてるは、クラスが1つしかなかったからだと思うんだよね。

それはあるある、幼なじみの距離感っていうのかな。

小中合わせると9年間一緒だったんだもんね。

だから、何年ぶりに再会したかわからないのに自然な感じで話せる。

考えてみれば、クラスメイトみんなと普通に話せるって貴重なことだね。

3人で北海道マーク(K3club 高橋さん考案)。こうして集まって写真が撮れたのもクラスが1つだったからなのかもしれない。
あなたも同級生と話しませんか?
僕は、この同級生企画が出てきたとき、面白そう! と思ったのと同時に、これを記事にして面白いと思ってくれる人はどのくらいいるんだろうか? という疑問もありました。
僕の中学校のクラスメイトは34人、それぞれの親を足しても100人ほど。そんな少ない人たちしか楽しめない内容を記事にしちゃって良いのだろうか!? そんな葛藤と向き合いながら、今もこうして書いています。これはいくら考えたって公開してみないと分からないこと。そんな疑問よりもこの企画をやってみて良かったことがありました。それは、月並みな言葉で恥ずかしいんですが、「中学校時代にタイムスリップできたこと」です。
記事のために誇張してるわけではなくて、僕は一瞬、中学校の教室で過ごした休み時間に戻ったんです。2人が作る雰囲気や話す声が、僕を中学校に戻してくれたんだと思います。すごく不思議で心地良い感覚でした。
対談企画〜同級生と、あのころに戻る〜は、社会人となり頻繁に会うことがなくなった同級生と、仕事のことや今ハマっていること、これまでの人生やこれからのことなど、少し踏み込んだことも改めて話ができる、対談をした人たちにとっていろんな意味でおいしい企画だと思います。今後この企画は、上士幌町出身の同級生だけでなく、このまちで育った同窓生たちが、年齢の垣根を越え話ができる場にしていけたらと構想しているところです。あなたもホロロジー取材をきっかけにして、同級生と話をしてみませんか? 少しでも気になった方がいましたら、ご連絡お待ちしています。