【MYMICHI コラム②】ぬかびら自然散策の楽しみ方をテスト体験!
今回は三国峠ダウンヒルサイクリングで一気に駆け抜けた自然を、ゆったりと散策しながら楽しむガイドツアーの様子をお伝えします。
写真:土門史幸
まずは自然浴を楽しむように7月17日(土)OPEN予定の湖畔スポット「ヒグマ珈琲」へ。MYMICHIではカフェで飲み物などをテイクアウトして話題のチェアリングする予定です。サイクリングで疲れた身体を癒すには最高の環境ですね♪
チェアリングを楽しんだあとはガイドによる森林散策です!森林散策は学芸員の資格を持っている上士幌町役場、商工観光課・観光担当主任の松岡佑昌さんに案内をしてもらいました!
糠平川橋梁といった糠平の歴史に触れ合いながら、松岡さんと一緒にバードウォッチングを楽しみます!
ぬかびら源泉郷には様々な野鳥が生息していて種別ごとに生態も教えてくれます。話を聞いていると生態の連鎖がわかってくるのですごく面白くて誰かに伝えたくなっちゃいます(笑)
最後は旧国鉄士幌線の旧糠平駅と廃線を歩いて散策は終了!駐車場までアフタートークに花を咲かせながら戻ります♪約1時間のガイドツアーだけどたくさんのことが知ることができて大満足!
MYMICHIに参加すると体験できるので移住やまちづくりに興味のある方はぜひチェックしてみてください!!
【MYMICHIコラム①】三国峠ダウンヒルサイクリングをテスト体験!
まちづくり会社では、MYMICHIプロジェクトという全国の20~30歳代の若者を対象に上士幌町の資源を活用し、仲間とともに「遊ぶ・学ぶ・働く」ことを通して「自分らしく生きる」ことを感じる1か月間の体験プログラムを実施します。
写真:土門史幸
今回は6月12日の十勝毎日新聞で紹介された「三国峠ダウンヒルサイクリング」を、上士幌の雄大な自然を味わう遊ぶプログラムとしてテスト体験してきました。
三国峠ダウンヒルサイクリングはどなたでも参加できる上士幌町のアクティビティなので気になる方はチェックしてください!
三国峠は北海道初のナショナルサイクルルート「トカプチ400」の一部に含まれていて、絶景を楽しみながらサイクリングができます!
スタートは三国峠カフェがある山頂からで14kmほど下ります。
まずは上士幌町役場、商工観光課で町の魅力を伝えている観光振興専門員の鈴木宏さんからダウンヒルサイクリングにおける注意事項や自転車の操作の仕方などのレクチャーをしていただきました!
レクチャーを受けたらいよいよダウンヒルサイクリングのスタートです!!
途中で自転車を降り、写真を撮ったり休憩しながら下ることができて自分のペースでゆっくりと自然を楽しむことができました♪ 道中は間近に野鳥のさえずりやキタキツネも見れ、雄大な土地とのコラボに癒されます。
ゴールは三股にある天狗の滝。下るだけなので全長14kmはあっという間に終了!
最後は滝を見ながらダウンヒルサイクリングの感想を一緒に体験した仲間と語り合いました!!この日の天狗の滝は水量が少なかったけど、雨の降ったあとなどは水量も多く迫力のある滝を見ることもできます。 三国峠ダウンヒルサイクリングは体験した人にしかわからない高揚感があるので、ぜひ体験してみてください!!
みんなで耕し、みんなで創るコミュニティガーデンを始めます!
写真:土門史幸
まちづくり会社では、町の人たちが家庭菜園の知識・技術を習得する場として、また町民の方々が気軽にふれあえるコミュニティの場として、コミュニティガーデンを始めます!
今年はまちづくり会社のメンバーが中心となって、野菜や果物の畑や休憩スペースを作り、来年(2022年)から町民の皆さんに参加して頂きたいと思っています♪
これからもガーデンができる様子をお伝えしていきます! ただ、まちづくり会社のメンバーは農業の経験もなくド素人なのでガーデンができるまで温かく見守っていてください(笑)
また、コミュニティガーデンを一緒に作ってくれる仲間を募集しています! 畑を作ってみたい、すでに作っている、誰かと話をするのが好きなど、どなたでも参加できるのでお気軽にお問い合わせください。お待ちしてます!
お問い合わせ先
まちジョブハレタ(人材センター)担当:木原
TEL:01564-7-7630
移住体験おすすめ!上士幌町の「人」に触れ合うコンテンツを紹介します。
本日はちょっと変わった移住体験記事を書いてみます!2020年に約5カ月を過ごしてきた上士幌町。このページを閲覧いただいている皆さんには、せっかくホロロジーという「上士幌町の人」を紹介している本サイトに訪れてもらいましたので、サイトで紹介している記事を通して、私たちが上士幌町でどんな人と出会えたか、どんな遊びができたか、などをご紹介していきます!とっても実践的でリアルな内容ですので、ぜひご期待ください!
WRITER
田中 亮 (たなか りょう)
JICA訓練生。1982年生まれ。茨城県出身。JICA訓練生として、2020年8月末に上士幌町にきて、約5ヶ月間上士幌町に滞在していました。基本的には、ハレタかみしほろの2階にあるシェアハウスに滞在していたのですが、ご縁あって、1ヶ月だけ旧教員住宅の「体験住宅」に住んでいました。
実際に上士幌町に移住やUターンした人に話を聞きました!!
自宅にバスケットコートを作ってしまったご家族の移住話です!家でバスケできるなんて憧れます。関連記事はこちら↓(この流れでこのページは進んでいきます!)
2016年に家族4人で移住してきた瀬野夫婦。小さな子どもを育てながら、夫婦2人で移住前とは異なる仕事で活躍されています!
農家さんの生活って?ということで、上士幌町外からやってきた農家の奥様がた。しかも子育て真っ盛りの30歳前後の女性3名に集まっていただきました!
上士幌町に育ってみてどうだった?上士幌町に戻ってきた同級生3人で座談会をしてもらいました。どんな想いで上士幌町で育ったのか、ぜひご覧ください。
おせっかいが好きだという北上さんは20年以上前に兵庫県から移住してきた大先輩。上士幌町の惚れ込んだ理由を語っていただきました。
飲食店もご飯も充実!
滞在しているとご飯もとっても大切!品揃え充実のスーパーに、個性的な飲食店がズラリ!
スーパー「ルピナ」の星代表のインタビュー!83歳の代表が今日も元気に営業中。こんな社長がいる職場の元で働きたい!
ルピナのおすすめは上士幌ポーク!ということで、上士幌ポークを使って豚丼作りをしました。十勝といえば、豚丼!豚丼って簡単に作れる家庭料理なんです。今回は十勝の家庭ではあまり見られなくなったタレ作りを教えてもらいました!ぜひ参考に!
春から秋にかけては、野菜市もやってます!80歳を超えるおばあちゃんたちが元気に営業しています!
お腹いっぱい食べたい!そんな時はフォーシーズンがおすすめ!そして素敵なご夫婦のお話を!
廃校を利用した上士幌町で人気でお洒落なハンバーグを食べたい!そんな時はtobachiへ!町民ライターの先輩が運営しているとのことで会ってきました。
自然を満喫するぞ
国立公園に接しているのも上士幌町の特徴の一つ。ぜひ大自然も満喫していただきたい!ということでいくつか記事をピックアップ!
周辺環境について
体験移住!と名売ってこの記事を作成していますので、街中にある周辺環境についても簡単に紹介します!
街中には上士幌町スポーツセンターがあります。上士幌町に住んでいれば、無料で備え付けのマシンを使ってトレーニングをすることができ、しかも、夜の9時30分まで営業!
温泉施設ふれあいプラザでお風呂とサウナも入れます!しかも温泉に300円で入ることができ、サウナまでついているのでとてもお得です。
お出かけ足編
車はなかったのですが、体験移住住宅から徒歩圏内に商店やコンビニがあります。遠出をしたい時などは、バスやカーシェアリングを利用することも可能です!
上士幌町交通ターミナルがあり、帯広方面や糠平方面行きのバスの停留所があります。待合室は、Wi-Fiと電源があるのも嬉しいポイント!
上士幌町内にカーシェアのサービスもあるのでとっても便利!
ということで、いかがでしたでしょうか?
たくさんの素敵な人がいるのも上士幌町の特徴の一つ。何より、地方移住が当たり前ではなかった20年以上前から移住者を受け入れる土壌があったということがとても素敵なポイントでもあります。ぜひぜひ、上士幌町に移住体験をして、この記事を参考にたくさんの人と出会っていただければと思います。
【中高生が取材体験!Part4】取材体験をしてみた∞ゼミメンバーの感想
ホロロジーの取材体験 Par4!上士幌町の中高生が所属する「∞ゼミ(マルマルゼミ)」の協力のもと、上士幌町を盛り上げていきたい!という思いをもって活動されている有志団体「フリーフライト」の皆さんにお話を伺ってきました。これまでのPart3までで取材を終えた∞ゼミのメンバーに感想を聞いてみました。「取材する」ことと「記事にする」という体験を初めて経験した生徒の皆さんはどんな感想を持ったのでしょうか?
過去の記事はリンクから↓
Part1 フリーフライトってどんなことしてるんですか?
Part2 フリーフライトのやりがいって?
Part3 用意していた質問が尽きてしまった??
∞ゼミメンバー
ゼミのメンバーには、取材準備・取材・文字起こしまでをお願いしました。メンバー紹介とともに、ゼミ内での役割分担を説明します。
・原口龍煌さん:取材リーダー、インタビュアー(取材準備・取材)
・齊藤香暖さん:質問の考案、リーダーのサポート役(取材準備・取材)
・梅津千尋さん:質問の考案、リーダーのサポート役(取材準備・取材・文字起こし)
・戸枝綺音さん:取材当日の写真撮影担当(取材準備・取材・文字起こし)
・戸枝琴音さん:取材当日の写真撮影担当(取材準備・取材・文字起こし)
・堀江大智さん:質問の考案、文字起こし担当(取材準備・文字起こし)
・西丸知那さん:質問の考案、文字起こし担当(取材準備・文字起こし)
それぞれの感想
齊藤:今回初めてゼミとして取材を経験でき、とても貴重な体験になりました。取材後の活動にあまり参加できなかったため、中途半端で終わってしまったことが少し後悔です。今回の取材の経験を生かし今後の自分の糧にしていきたいと思います。
原口:初めての取材でしたので緊張しました。ですがそれ以上に良い経験をさせていただきましたこの経験は忘れません。いつも来なかったのはこっちでいろいろあったので、次回からちゃんとゼミ行きます、すいません。
戸枝絢:最初は「写真撮るだけだし楽だろう」と軽い気持ちだったけど、実際にやってみるとすごい大変だったし、文字起こしするときもいちいち聞いては書いてとするのが大変でした。写真を撮るのは楽しかった。ただ文字起こしが大変すぎた。やめたいと思った?という質問に対し、やめたいと思ったことはないという答えが出てきたのはびっくりしました。楽しかったのでまたやりたい!とは思ったのですがちょっと大変だ。
戸枝琴:最初は特に難しくないだろうと思っていた。でもやってみるとどの角度から取ろうか迷って、なかなか難しいなと思った。どんな角度から撮ればうまくいくか試行錯誤が大変だった。クロワッサンドのくだりと辞めたいと思ったことはあるかという質問に対する答えが印象に残っている。自分にはあまり向いて と思った。
梅津:取材前は全体的に難しそうだと思ってたけど、やってみると意外と楽しかった。一番大変だったのは文字起こしです。節分の日にこども園に行って鬼役をやる話が印象に残っている。どの質問に対しても笑って答えてくれたから面白かった。取材のすべてじゃなく文字起こしとかならやってみたいと思った。
一番多く聞こえた声は、「文字起こしが大変だった」という意見。聞いては書いてを繰り返す作業は、今までやったことのない経験で、みんな苦戦していたようです。他には、「どの角度から撮ろうか迷ってしまい試行錯誤した」「いい経験になったので忘れない」などの意見をもらいました。その中で僕自身が関われてよかったなと思えたのは「またやってみたい」という意見があったことです。
そして皆さんはこの取材や生徒たちの感想を読んでみて、どう思われましたか?
私は中高生にもっともっと様々な挑戦をして欲しいと思いました。そして、年齢の垣根を越えて、上士幌町で暮らす人たちとたくさん話をして欲しいなと思いました。私自身もホロロジーのライターを経験して、上士幌町のことをまだまだ知らなかったことに気づき、かっこいい、おもしろい町民がたくさんいることを知りました。今後、ホロロジーは世代を越えて人と人とを繋ぐプラットホームになる可能性を秘め、町民にとって素晴らしい機会を創出できるのではないかと感じました。
また∞ゼミとのコラボができるかな?と期待をしつつ、協力してくれた7人に大きな拍手を送りたいです。本当にありがとうございました!
【中高生が取材体験!Part3】用意していた質問が尽きてしまった??
ホロロジーの取材体験 Par3!上士幌町の中高生が所属する「∞ゼミ(マルマルゼミ)」の協力のもと、上士幌町を盛り上げていきたい!という思いをもって活動されている有志団体「フリーフライト」の皆さんにお話を伺ってきました。
過去の記事はリンクから↓
Part1 フリーフライトってどんなことしてるんですか?
Part2 フリーフライトのやりがいって?
「∞ゼミ」は上士幌町教育委員会主催事業で、中高生の視点から地域課題を考え、解決を目指しながら自らの”やりたい”を見つけ、その実現を目指す中高生団体です。ゼミのメンバーには、取材準備、取材、文字起こしまでをお願いしました。
最終回Part3は、質問し切った中高生にまだまだ物足りないと、フリーフライトメンバーから質問のおかわりが!この窮地に中高生はどんな対応を見せるのか、ご覧ください!
∞ゼミメンバー
ゼミのメンバーには、取材準備・取材・文字起こしまでをお願いしました。メンバー紹介とともに、ゼミ内での役割分担を説明します。
・原口龍煌さん:取材リーダー、インタビュアー(取材準備・取材)
・齊藤香暖さん:質問の考案、リーダーのサポート役(取材準備・取材)
・梅津千尋さん:質問の考案、リーダーのサポート役(取材準備・取材・文字起こし)
・戸枝綺音さん:取材当日の写真撮影担当(取材準備・取材・文字起こし)
・戸枝琴音さん:取材当日の写真撮影担当(取材準備・取材・文字起こし)
・堀江大智さん:質問の考案、文字起こし担当(取材準備・文字起こし)
・西丸知那さん:質問の考案、文字起こし担当(取材準備・文字起こし)
フリーフライトメンバー
・嘉藤貴之さん:フリーフライトリーダー、ルピナ勤務
・四戸智昭さん:こども園の先生、薪割りの取材でお世話になりました
・北西莉乃さん:小中学校の栄養教諭、上士幌産の食材レシピでお世話になりました
質問が尽き、大人のむちゃぶりと闘う
あれ、もう終わり?なんでもいいよ。今、何か今ぱっと思いついた質問でも。
うーん・・・
ちょうだいちょうだい。
おかわり欲しくなっちゃってる(笑)。
じゃあ、企業理念は?
一同:(笑)
企業理念!?僕ら企業じゃないけど(笑)、理念は、「楽しく・みんなで・笑顔で、助け合う」だっけ?
「だれでも・笑顔・つなげる」だったかな(笑)。
ぼやっとしてるなぁ(笑)
一同:(笑)
あとは?質問ちょうだいちょうだい。
好きな食べ物は?
一同:(笑)
振り絞ったね。
これが終わりの合図だな(笑)。それはもちろんナイタイ和牛でしょ!毎朝食べてるよ。
朝(笑)。
食べ方は?
ご飯の上にドンっとステーキをのせて。それを見ながらパンを食べてる。
一同:(笑)
もっともっと。
対象年齢は?
対象年齢は決めてないよね。地域の活動に興味があれば、何歳でもウェルカムです。
趣味は?
趣味ないんだよなぁ。たつき(原口さん)は?
けん玉と、ドリフトラジコン。
ドリフトラジコン?
ラジコンでドリフトやってる。
ラジコンね。いいよね、趣味あるって。
けん玉やりましょう!
けん玉やっちゃう?
だめよ、膝曲がらないから(笑)。
一同:(笑)
そうそう。膝は曲がらないし、みんなに下手だって言われるの嫌だもんな(笑)。
つづいては∞ゼミへ逆質問
逆に質問してもいい?どんなイベントがあったら、上士幌町は楽しくなると思う?
ほかのところにないようなお祭りとか、奇抜な屋台とか・・・
去年は全然なかったけど、やっぱり祭りって楽しいよね。昔いっぱいあったよね。(原口さんに同意を求める)
いや同年代じゃないから。
一同:(笑)
たかさん(嘉藤さん)の時代は、どのぐらい祭りあったの?今は4つくらいしかないけど。
今とそんなに変わらないけど、秋祭りが2日間だったよ。当時は神社祭って呼んでいて、祭りの日は小中学校は3時間授業だったから学校が終わったら、みんなで「祭り行こう!」ってなってた。
そんな時代があったんだね。
経験ない?
ないなぁ。でもいいね、そういうの。
やっぱり祭りも含め、新しいことができれば町は盛り上がるし、自分たちがあったらいいなぁということを考えていきたいね。
フリーフライトの今後の活動、そしてついに取材終了!
あとは?何か質問ある?
今後の活動って決まっていますか?
まだ具体的には決まってないです。ちなみに、去年はコロナの影響でほとんど活動できなかったんだ。2021年もまだコロナの影響は続きそうだから、人を集めたり、密になるようなことは避けていかないといけないよね。それでもできることはあると思うので、しっかり対策をしつつ、自分たちでやれること、世の中に許されることを考えて、今年はかたちにしていきたいなと思ってます。
難しそうですね。でも何か一緒にできたら楽しそう!
一同:(しばしの沈黙)
一回休憩にするか?
続くの?終わらせようよ(笑)
一同:(笑)
今日はいろんな質問をさせていただきありがとうございます。ホロロジーの記事掲載に向けて頑張ります。
一同:ありがとうございました。
いかがでしたでしょうか?
こうしてみんなで書き上げた取材は終了しました。
次回のPart4は∞ゼミのメンバーに今回の取材の取り組みを行ってみた感想をまとめています。ぜひご覧ください!
【中高生が取材体験!Part2】フリーフライトのやりがいって?
ホロロジーの取材体験 Part2!上士幌町の中高生が所属する「∞ゼミ(マルマルゼミ)」の協力のもと、上士幌町を盛り上げていきたい!という思いをもって活動されている有志団体「フリーフライト」の皆さんにお話を伺ってきました。Part1はこちらから
「∞ゼミ」は上士幌町教育委員会主催事業で、中高生の視点から地域課題を考え、解決を目指しながら自らの”やりたい”を見つけ、その実現を目指す中高生団体です。ゼミのメンバーには、取材準備、取材、文字起こしまでをお願いしました。
Part2はフリーフライトの活動の内部事情やどんなところから活動の依頼が来るかなど、少し掘り下げた内容を伺っていきます、ご覧ください!
∞ゼミメンバー
ゼミのメンバーには、取材準備・取材・文字起こしまでをお願いしました。メンバー紹介とともに、ゼミ内での役割分担を説明します。
・原口龍煌さん:取材リーダー、インタビュアー(取材準備・取材)
・齊藤香暖さん:質問の考案、リーダーのサポート役(取材準備・取材)
・梅津千尋さん:質問の考案、リーダーのサポート役(取材準備・取材・文字起こし)
・戸枝綺音さん:取材当日の写真撮影担当(取材準備・取材・文字起こし)
・戸枝琴音さん:取材当日の写真撮影担当(取材準備・取材・文字起こし)
・堀江大智さん:質問の考案、文字起こし担当(取材準備・文字起こし)
・西丸知那さん:質問の考案、文字起こし担当(取材準備・文字起こし)
フリーフライトメンバー
・嘉藤貴之さん:フリーフライトリーダー、ルピナ勤務
・四戸智昭さん:こども園の先生、薪割りの取材でお世話になりました
・北西莉乃さん:小中学校の栄養教諭、上士幌産の食材レシピでお世話になりました
活動のやりがいと原口が聞いてみたかったこと
活動をしていてやりがいを感じるときってどんなときですか?
やりがいといえば、クリスマス大作戦のときに子どもたちが「すごいサンタさんだ~やった~!きた~!」と喜んでくれたのがまずうれしい!あとはいろんな人との出会い。イベントに参加することでメンバーだけじゃなく、町内に住んでるけど、少し遠い存在だった人もつながることができて、そういうところが面白いなと思っています。
楽しかったこと、辛かったことはありますか?
ナイタイテラスでクロワッサンドを販売して、特に町外の人と触れ合う機会が多かったのは、楽しかったな。あとは初代の兼子さんがやっていた気球焼き。「受け継いでくれる人できたんだね」「若い人やってくれてよかったな」っていう声が聞けたときはうれしかったね。
辛かったことは?
辛かったのは、冬のバルーンミーティングの焼きマシュマロだったかな。寒すぎて、自分は一体何をしているんだろうと思うときがありました(笑)。
次は僕が個人的に聞きたいことなんですが、辞めたいと思ったことはありますか
みんなの前では言えないこともあるから、後で2人きりで話そうか(笑)。
一同:(爆笑)
と言うのは冗談で自分はないよ、辞めようと思ったことはないね。
やりたくないときはやらなくていいかなって思ってるからね。例えばたかさん(嘉藤さん)が何かやろうって言ったときに、自分はやりたくないなと思ったら、参加はしなくてもいいと思っているからね。
やりたいことをやりたい人たちでやればいいってスタンスだから。
フリーフライトのまとまりの秘訣
僕らから見たらフリーフライトはまとまりがあると思っているんですが、なぜそんなにまとまりがあるんですか?
1人でいられないから。
一同:(爆笑)
やっぱり嘉藤さんのおかげじゃないですかね。リーダーが大事。
あとでお小遣いあげないといけないね(笑)。
実のところを言うと、そもそもまとまろうとはしていないよね。フリーフライトの活動は答えがあるわけじゃないから、自然と目標に向かいながらまとまっていってる感じかもしれないね。
あとは、誰のためにやるかがはっきりしてるからかな。私たちの場合は町や町民の人たち。
フリーフライトのワーク手法
ずっと気になっていたんですけど、その後ろの紙ってなんですか?(ワークシートを指差して)
これはね、フリーフライトが活動するときにいろいろと企画を練るわけだけど、みんなで考えたアイデアをこうやって模造紙に書いていくんだ。
楽しそう。
さっき言わなかったんだけど、フリーフライトの活動で熱気球のカードを作ってるんだよね。「モンゴルフィエカード」って知ってる?
全部揃えました。
ほんとに!?メンバーも全部持ってないのに(笑)。あのカードは、子どもたちが気球に興味を持ってくれるものを作りたいねっていう話から、みんなで話し合った結果、ついつい集めたくなるようなカードを作ろうと企画したんだ。それから製作はどう分担するか、どう宣伝するか、実際にカードを配るときはどうするかを、ここにある企画書にまとめていったんだ。学校でもこういうことはやる?
あまり慣れてないけど、たまにやったりはするかな。
物事を整理して決めるときは、こんな手法を使うと意見がまとまりやすくなるからおすすめだよ。
そうなんですね、頭に入れておきます。
フリーフライトへの依頼とロゴについて
フリーフライトにはどんな依頼がきますか?
節分の仮装はこども園から。老人ホームのすずらん荘からは、年に一度の夏祭りで売店の手伝いをして欲しいとお願いされたことがありました。ナイタイテラスのクロワッサンドの販売も、テラスを運営してる会社の人たちから、オープン記念に手伝ってほしいというかたちで依頼がきました。
幅広いですね。
そういう声がもっともっと増えていくように、フリーフライトでどんどん活動していきたいし、町民の人たちにこの団体を知ってもらいたいです。そうすれば、町民の中で何かをやりたいとなったときに、声をかけてもらえることが増えると思うし、町の中でいい循環が起こるような活動を自分たちも考えていきたいです。
最後なんですが、インスタグラムを見たときにフリーフライトのロゴがかっこいいなと思ったんですけど、あのロゴって誰が作っているんですか?
このロゴは、フリーフライトのメンバーで元上士幌町役場勤務の高野さんという方がいて、その人は絵を描くのが上手なのでお願いしたんです。まずは団体名がフリーフライトだから気球の絵がほしいねということになって。「上士幌といえばタウシュベツ川橋梁もデザインに合わせたらいいね」という意見だったり、「大雪山もあったらいいね」という感じでメンバーで意見を出し合って、高野さんがロゴにしてくれました。
すごいかっこいいです。
いいしょ。かっこいいしょ!
と今日はここまで、次回のPart3は、質問が尽きてしまう,,,そんなところから始まります!
【中高生が取材体験!Part1】フリーフライトってどんなことしてるんですか?
今回はホロロジーを活用して町民が活躍できる場づくりをしていきたいということで、上士幌町の中高生が所属する「∞ゼミ(マルマルゼミ)」の協力のもと、ホロロジーの取材体験をしていただきました。∞ゼミは上士幌町教育委員会主催事業で、中高生の視点から地域課題を考え、解決を目指しながら自らの”やりたい”を見つけ、その実現を目指す中高生団体です。
取材に行かせていただいたのは、上士幌町を盛り上げていきたい!という熱い思いをもった方々で構成された有志団体「フリーフライト」です。結成のきっかけや活動のことを中高生が根掘り葉掘り質問していきます。記事は3部構成でお届けします、ご覧ください!
∞ゼミメンバー
ゼミのメンバーには、取材準備・取材・文字起こしまでをお願いしました。メンバー紹介とともに、ゼミ内での役割分担を説明します。
・原口龍煌さん:取材リーダー、インタビュアー(取材準備・取材)
・齊藤香暖さん:質問の考案、リーダーのサポート役(取材準備・取材)
・梅津千尋さん:質問の考案、リーダーのサポート役(取材準備・取材・文字起こし)
・戸枝綺音さん:取材当日の写真撮影担当(取材準備・取材・文字起こし)
・戸枝琴音さん:取材当日の写真撮影担当(取材準備・取材・文字起こし)
・堀江大智さん:質問の考案、文字起こし担当(取材準備・文字起こし)
・西丸知那さん:質問の考案、文字起こし担当(取材準備・文字起こし)
フリーフライトメンバー
・嘉藤貴之さん:フリーフライトリーダー、ルピナ勤務
・四戸智昭さん:こども園の先生、薪割りの取材でお世話になりました
・北西莉乃さん:小中学校の栄養教諭、上士幌産の食材レシピでお世話になりました
大人の緊張とともに取材がスタート
フリーフライトの代表を務めてます、嘉藤と申します。
副代表の四戸です。
メンバーの北西です。
よろしくお願いします。ではさっそく質問します。一つ目が活動を始めるきっかけはなんでしたか?
はい。若者が・・・。
急に緊張してない?
本番となると緊張してくるな。もう一回聞いて(笑)。
活動を始めるきっかけって何ですか?
はい、若者が自由に上士幌町を盛り上げるために、若い世代が集まって活動できる場があったらいいな、と思って立ち上げました。
固いねー。
一同:(笑)
もっとフランクな感じでいかないの(笑)?
フリーフライトの始まりとメンバーのこと
フリーフライトって誰がやろうと言い始めたんですか?
言い始めたのは、僕とかつまくん(高橋克磨さん)と代表のたかさん(嘉藤さん)。みんなでやってみようかという感じでメンバーを集めました。
そうなんですね、ではフリーフライトの由来ってなんですか?
由来は若者が自由に活動できる集まりがあったらいいなと思っていたことと、風に流されて気持ち良く気球が飛ぶことをフリーフライトっていうんですけど、上士幌町が気球の町なのでそこにかけてフリーフライトという名前にしました。
メンバーはどうやって集めましたか?
メンバーは、若い人たちで「この町で楽しいことやろうよ」っていうことをまずテーマに持って、発起人の繋がりがある友達や職場の仲間、いろんな人たちに話をして、それに賛同を得てくれた人たちを集めました。
いまどれくらいメンバーがいるんですか?
14人ですね。
どんな仕事をしている人がいるのか知りたいです。
まず僕は、Aコープルピナに勤めています。あとはトカトカの運営にも携わっています。ほかには保育士さんだったり、北西さんは給食センターの栄養士さん?
栄養教諭です。
あとは教育委員会のかつまくん、役場で勤めてるのが3〜4人、スポーツジムが1人、銀行1人。
あと歯科衛生士さん。
消防士の方もいますね。
ちなみに歯科衛生士の方は住んでるところも、勤めてるところも上士幌じゃないんです。北西先生の地元の同級生で、活動に興味があるということで参加してくれています。ということもあって、メンバーの決まりが何もなくて、町民じゃなくてもいいんです。住んでる場所での縛りは一切ないので、帯広の人でもいいし、札幌の人でもいい。このフリーフライトっていう団体を知ってくれて、興味があるという人は誰でもウェルカムです!
今までの活動と大切にしていること
今までの活動の内容を知りたいです。
フリーフライトは2017年に活動をスタートして、一番最初にやったことがクリスマス大作戦。サンタに扮して子供たちにプレゼントを届けよう!ということが最初の活動です。その後は、節分の日にメンバーが鬼に仮装してこども園に行って、こどもたちに豆を投げられたり。
豆を投げてもらえる。
ちょっとドMチック(笑)
一同:(爆笑)
あとはフリーフライトの名前を少しでも定着させるために、お祭りなどのイベントで気球焼を売ってます。食べたことはある?
はい。
もともと兼子さんという方が長く気球焼きを販売されていたんだけど、この方に焼き方や売り方を教えてもらって、冬のバルーンミーティングで売ったり。それから・・・
楽楽市?
そうそう。フリーマーケットの楽楽市でも販売させてもらったりしてます。あとは、ナイタイテラスがオープンしたときも、クロワッサンドというトカトカのパンにお肉を挟めたサンドを作って販売しました。
クロワッサンドってどれくらい売れたんですか。
一同:(笑)
3日間で400個〜500個くらい売れたはず。あれ、そんなに売れた?
オジサンたち、記憶がすぐなくなっちゃうから(笑)。まぁでも400個ぐらいは売れたかな。
では次の質問です。活動する上で大切にしてることって何ですか。
一番は楽しくやるということ。みんなは放課後や休みのときみたいにプライベートの時間に集まって∞ゼミの活動をしてるよね。別に学校の先生に∞ゼミに行きなさいって言われないでしょ?
はい。
みんなが∞ゼミで活動しているのと同じで、自分たちがやりたいからやるって感じが良いと思っていて。このフリーフライトも、みんな仕事はしているんだけど、仕事が終わった後や休みの日に集まって、「こんなことしたいね」って、活動についての話をしているんだ。だから強制的なものではないし、みんな自主的に参加している。だから∞ゼミと一緒。大人が地域のために活動していくのがフリーフライト。中高生が地域のために活動するのが∞ゼミという考えで僕はいるかな。みんなと想いは変わらないよ。
と今日はここまで、次回のPart2は、活動におけるやりがいなどをお聞きしました。
【同級生と、あの頃に戻る】1996年生まれの2人・後編〜学生時代の○○な話〜
同級生対談シリーズ・第2回目に登場するのは1996年生まれの2人。1996年というと「たまごっち」が発売された年。上士幌町で小・中・高と一緒だった私たちは、(前編)では、二人の出会いの話で盛り上がった二人。(後編)は進路の話の続きから始まり、話の舞台は学校生活へと移ります。二人の話はどんな方向へ進んでいくのでしょうか?
小学校出席番号元29番
宮部 純香
|みやべ・あやか|ホロロジー広報チームメンバー。運動不足を解消するため、筋トレをすることにハマっている。この記事を書きました。
小学校出席番号元23番
門馬 愛梨
|もんま・いとり|上士幌町任用職員。医療系ドラマを観ることにハマっている。笑ったときにちらっと見える八重歯がステキ。
やりたいことがわからない
あやかの進路の話は?
そうだね、私もだよね。
学校の先生の免許は取ったんだよね。
取ったよ。中学生のときに小学校の先生になりたいって思っててさ。
覚えてるよ。
そう思ったまま高校に入って。最初は進路の面談とかでも学校の先生になりたいって言ってたんだけど、途中でなんか違うなって思ったんだよね。
やっぱり見えてくるんだね。
なんか違うなっていうのはあったんだけど、でも、だからって何になりたいのかはわからなくて。
わかる。
2年生のときも3年生のときも。どこに行きたいんだろうって。でも、就職はしたくなくて(笑)。
わかる(笑)。
何をしたいのかわからなかったから、どの大学に行けばいいのかもわからなくて。でも、とりあえず大学はいかなきゃって。私立だとお金かかるから国公立かなって。でも、国公立で行きたいとこってどこだろうってなって。
探すしかないもんね。
そうそう。でもやっぱり見つけられないから、自分の将来。
どこに行くのかで道は変わってくるもんね。
だから、最初から思ってた教育大に行こうと思って。でも、勉強は大っ嫌いだから(笑)。
それは、みんな一緒だよ(笑)。
筆記試験を受けたくなくて、センターとか。だから、推薦でどうにか行こうと思ってて。それで、生徒会やったりとかし始めて。
大事だよね、内申点ね(笑)。
そうそう(笑)。最初はそんな動機から生徒会に入ったんだよね。
でも、いいしょ。そのときは、もう、そういう動機があって生徒会やってて。私は、生徒会とかはやってなかったから部活に没頭してたし。
うんうん。でも、1年間で生徒会は辞めようと思ってて。
だめでしょ。
いや、大変すぎてね。。。
そうだね、あれは大変そうだったもん。仕事量もけっこうあったでしょ。
そうだね。だから辞めようと思ったんだけど、一緒にやってた友だちが、「辞めないで?一緒にやろう?」って。
言ってくれたんだ。心強いね。
うん。そうやって言ってくれて、じゃあやるか!ってなって。でも、生徒会長になるつもりはなかったんだよね。
なるしかないでしょー(笑)。
いや!違うよー、私より適任者はいたって!
いないよ!
そんなこと言ってくれるのは、いっとぐらいよ(笑)。
あやかだからさ、生徒会長っていう立ち位置でめげずに続けてやっていけてたじゃん。
んー・・・。
そりゃあ、ズタボロにやられてたかもしれないけど。
そっかー、そんな風に見えてたか・・・。
信頼できる友だちがいたから余計だろうけどさ、そうやって背中を押してくれる人もいるしね。だから、良かったんだよ。
うん・・・そう言ってくれると嬉しいわ。本当に。報われる。
私なんて中途半端だよ。
そんなことないよ!いっとは、めげないもんね。それがすごいよ。その、めげないっていう芯があるからさ、ずっといっとのままだもん。伝わるのかな、これ。なんていうの、ぶれないじゃん。
ぶれてるよ、もうこんなんだよ(笑)。
そのさ、ぶれているところを見せてないじゃん、周りに。
ほんとに?
ずっと芯がある人だなって思ってたよ。
そっか(笑)。
中学生のときとかもさ、いろいろあったじゃない。それでも、めげてなくて。私なら折れてるもん、心が。
いや、折れてたよ。ズタボロだったもん。家ではね。
そうでしょ!?家ではでしょ?だから、学校では“いっと”だったんだもん。かっこよかったな。
それで?生徒会やって(笑)?
(笑)。それで、進路指導の先生いたじゃん。その先生とも話したんだけど、「いいんじゃない?4大に行って」って言われて。私がお世話になった英語の先生にも相談して、「その先どこに行きたいか決めるのは大学行ってからでも遅くないんじゃない?」って。
大学行ってから決めなって?
そうそう、とりあえず行ってみなって言われて。
そっか、そうだったんだね。ほんと、こういう機会がなかったら聞けない話だなー。
地元にいるからこそ見えること
同級生はさ、みんな町外に出てるじゃん。しかも道外に行った人が多いじゃん。
そうだね。
この町にいて良いなって思うことは、やっぱり親と近いから?
うん・・・なんだろう。
住みやすいよねこの町。確かに、買い物に行くとかは不便だけど。
車使えばいいだけだからね。静かでいいよね。のどかだよね。
それにさ、地元にいるとね、人との距離が近いよね。それが良くもあり、悪くもあり。
そうなんだよね。
その情報なんで知ってるの?みたいなときもあるじゃん。
どこかで広まるんだよね。それが嫌なんだよね。あることないことさ。
うんうん。
ほんとにそれがね、なければいいんだけどね。そういうことばかりがあると、住みづらくなっちゃうからね。
そうだね。
いま、こうやってさ、あやかが上士幌に帰って来てくれて外で会えて元気になったけど、そうじゃなかったら仕事しててもさ、なんか落ち着かないんだよね。無理だなって、上士幌にいたくないって思っちゃうんだよね。
うんうん。
周りに自分がどういう風に言われているのかなとかさ。ときどき、自分の気分が下がったりすることもあってさ。
うん、そう思うことが増えていくよね。職場内で仲の良い人とかいるの?
いるよ。良くしてもらってる。それでも、たまにね。
そっか。
疲れることもあるんだよね。楽しいけどね。
前より近くなったし、たくさん遊べるよ(笑)。
そうだね!
女子会といえばこれでしょ!
全然違う話しになるんだけどさ、小学校のときに駅伝大会ってあったじゃん。1~6年生の縦割り班で競う大会。
あったね!
あのときさ、私、かっこいいなと思ってた先輩2人(恥ずかしいので名前は出せません)と一緒の班で。めっちゃかっこよくて(笑)。
あの2人ね。最高じゃん、足も速いし(笑)。
で、わたしが中学1年生のときの体育祭で団長やってくれてたりして。
やってたね・・・え、私もその人が団長だった。
え、同じ組じゃん!さっきまで散々違う組だったよねとか話してたのに(笑)。
そうじゃん。
かっこよかったなー。
素敵だったよね。
でもさ、彼女いたしねー・・・。
懐かしい・・・。
同級生の男子はかっこいいって思わなかったけど、先輩のことはめっちゃかっこいいって思うよね(笑)。
わかる、同級生にかっこいいって思う人がいなかった(笑)。
だよね!ただの友だち、クラスメイトとしか思えなかったよね。
そうそう。
うちのクラスで、結構いけてたなって人は・・・いたじゃん(笑)?
うんうん、いたよ、名前は出せないけど(笑)。
小学校の頃からモテてたじゃん、あの人たちは(笑)。
スポーツ万能だったからね。
そうそう。なんで運動できるとかっこいいってなるんだろうね。
やっぱり見た目じゃない?スポーツしている姿がかっこいいみたいな。
なるほどね。
でもさ、人による、よね?
それは・・・うん、ごめん、確かに。
スポーツだけじゃなくて、優しい人もモテるよね。
あーたしかに!あとさ、同窓会とかで会ったときに、え、背が伸びてめっちゃかっこよくなってるじゃん!って人もいたよね。
そうそう、この人誰!?ってね。
成人式あるあるなのかな。
あとほかは・・・いないね。
なんか、同級生と付き合う気になれなかったかもしれない。
無理だね。
なれないよね!
でも、高校は違うよね。
高校は違う。高校はだって全然違ったじゃん、集まった人たちが。
だけどさ、小学校中学校って保育所から知っている人たちじゃん。
そう!
いいなって思う人はいるよ、幼馴染とかさ。でも、付き合いたいとはならないな。
なんないね。高校はね、高校は私たちの学年イケメンいたじゃん(笑)。
いたね。
あの人と、この人と・・・けっこういるよね(笑)。可愛い子も多かったよね。高校のときはさ、付き合う人多くなかった?クラス内もそうだし、先輩とか後輩と付き合うとか。
先輩だったらバスケ部の先輩とかかっこよかったけどな(笑)。
え、私、1年生のときの2個上の先輩のバドミントン部だった。
〇〇先輩?
そう!かっこよかった!いっとの言ってたバスケ部の先輩は、私がテニス部の大会のときに応援しに来てくれたことがあって。バスケ部のみんなでね。そのときに、その先輩に名前呼ばれて応援されたときは、うわ、かっこいい・・・!ってなった(笑)。
あの人は、かっこいいよね。
テニス部の〇〇先輩もかっこよかったな・・・(笑)。
(笑)。
めちゃくちゃ懐かしいんだけど、いろいろ。
黒歴史が・・・(笑)。
いっと、これ記事になるからね(笑)。
そうだったー(笑)。
今日はありがとね、急なお誘いにもかかわらず来てくれて。
こっちこそ、ありがとう!
どんな記事になるのかは、お楽しみに(笑)。
書かれてまずいことは言ってないから、大丈夫(笑)。
今日はありがとうございました。めちゃくちゃ楽しかったわ。
また、人数増やして集まろうよ。
そうだね、そしてまた恋バナしよう(笑)。
うん。今日はありがとう!
さいごに。
小学1年生から高校3年生までの付き合いがある私たちも、なぜこの進路を選んだのか。学生時代にどんな悩みを抱えていたのか。地元“上士幌”についてどう思っているのか。など、今回の企画がなかったら話していなかっただろなと思う話題がありました。
「実は・・・」という深いところまで話せたのは、この年齢になったからなのではないでしょうか。幼いころから一緒に成長してきた同級生だからこそ、話せること、話してこなかったことがあるように思います。
この記事を読み終えたときに、久しぶりに会いたいな、話したいなと思う同級生の顔が思い浮かんでいたら嬉しいです。
【同級生と、あの頃に戻る】1996年生まれの2人・前編〜介護を仕事にした理由〜
同級生対談シリーズ・第2回目に登場するのは1996年生まれの2人。1996年というと「たまごっち」が発売された年。上士幌町で小・中・高と一緒だった私たちは、(前編)では二人の出会いのきっかけと、それぞれの進路について。(後編)では進路の話の続きと、学生生活についての話で盛り上がりました。
小学校出席番号元29番
宮部 純香
|みやべ・あやか|ホロロジー広報チームメンバー。運動不足を解消するため、筋トレをすることにハマっている。この記事を書きました。
小学校出席番号元23番
門馬 愛梨
|もんま・いとり|上士幌町任用職員。医療系ドラマを観ることにハマっている。笑ったときにちらっと見える八重歯がステキ。
まずは思い出を振り返る
いやー、卒業アルバムとか何年も見てないよね。
そう思って、小中高の卒業アルバム全部持ってきたんだ。
ほんとに!?私は探したけどなかったんだよね。
見ながら話したら、いろいろと思い出すでしょ。
嫌だなー、見るの。
わーやだ!絶対いまと違うよねー。
当たり前じゃん、一緒だったらこわいよ(笑)。
うわーこれは見たくないなー。
いつから一緒にいたんだっけ?
そういえばさ、私たちって、仲良くなったのっていつだっけ?
小学校3年生とかだったかな。
え?違うんじゃない?
陸上クラブだっけ?
あー、そこらへんからだよね。
でも、小学1、2年のときに親子レクとかで一緒の班になることが多かったよね。
親同士も仲が良かったからね。
仲良くなったきっかけが分からないよね。
いつからだろう・・・あ!違うよ!!
なに(笑)!?
稚児舞(ちごまい)だよ!稚児舞!小学校1年生のとき。
そうだ、だいぶ昔からだった!
神社で小学校1年生の女の子だけが8人、舞を踊るっていうのがあったんだよね。
保育所別で分かれたよね、西保育所と常設保育所(現在の認定こども園ほろん)で4人ずつでね。
それからじゃない?
それだ!
よかったね、思い出して(笑)。
昔は仲が良くなかった!?
私たちってさ、小学校の運動会で一緒の組になったことあったっけ?
全部反対じゃない?
そうだよね!
全部相手だったもん(笑)。
中学校は?
私は、青→赤→青だったよ。
え、私は青→赤→青(笑)?
それじゃ一緒じゃん(笑)。
全部反対だったはずなんだけどな・・・。脱線したね・・・。私たちさ、仲悪かったわけじゃないのに敵対視してたよね(笑)。
そうそう!ライバルだからね、ずっと。
そうそう、仲間なのにね。
今考えたら馬鹿じゃないのって思うけどね(笑)。
陸上クラブも一緒だったのに。なのになんか、ね(笑)。
嫌いっていうか、なんかね(笑)。
仲良く、ないの?みたいなね(笑)。
あったね、そんな時期(笑)。
それでも、一緒に遊んだりとかしてたし友だちの付き合いは途切れなかったんだよねー。
ほんと!不思議だよね。中学も高校も、遊んだもんね (笑)。
“戦友”みたいな感じだったのかな?
競い合うときだけ”敵”みたいなね?
なぜ、上士幌高校を選んだの?
こんなときにしかできないからさ、進路の話してもいい?意外と知らないよね、お互いどうしてこの進路を選んだのかとか。
いいよ!
なんで上士幌高校(以下、上高)にしたの?
ほんとは私立の高校に行こうとしてたんだけど、授業料が高いから。
そうだよねー。
それと、学力にもあんまり自信がなかったから、かな。それに普通科だし、近いから通いやすいしね。
うんうん。
でも、もともとは中学1年生の時に看護学校に行こうと思ってて、看護師を目指そうと思っててさ。でも、行こうと思ったときには介護のコースしかなくなっちゃって、それで諦めたんだけど。
そういえばそんなこと言ってたね。
そうそう、上高だと給食も出るし、両親からしたらお金の面でも助かるじゃない?
そうだね。
あやかは?あやかこそほかの高校も行けたでしょ。
そんなことないよ(笑)。
あやかのお父さんの母校にだって行けたでしょ(笑)。
よくお父さんの母校知ってるね(笑)。まあ、確かに頑張ればここの学校にも行けるよっていう選択肢はもらってたけど。高卒出て就職するつもりはなかったから。
そっか、大学には行こうと思ってたんだ。なら、上高でもいいよね。
金銭面を考えて上高かなって思ったのと、親元を離れてまで高校に通いたくないなって思ったからかな(笑)。
そうなんだよね、結局そうなんだよ。
そう、バスで通っても朝は早いし帰りも遅いし。
帯広に通う時間は、上高なら寝てられるもんね(笑)。ほんと、親孝行な学校だよね。
そうだね。
自分が親だったら、上高は普通科だしその先の進路の視野も広いしさ。商業系とか工業系とかに行って、後から違う進路にすればよかったって思うよりも、普通科に通ってその中で自分の進路を決めて行きたい道に進めばいいと思うからさ。
道はあるよね、その先のね。
うんうん。あやかみたいに教育大にも行けるしさ。
介護の道に進んだのは高校時代の経験?
いっと(愛梨)はさ、高校卒業後、介護の道に進んだじゃない?なんで、介護をやろうと思ったの?
それがね、最初は保育士を目指してたの。
それは、高校に入ってから?
そう。でも担任の先生と話しているうちに、子どもが可愛いだけじゃできないのかなとか、自分が本当にやりたいことは何なのかなって考えるようになって。
進路面談もあったもんね。
1日職業体験もあって、学童に行ってみないかって言われたんだよね。でも、私が気になってたのは保育だから、認定こども園に行けないなら違うところでいいかなって。それで行ったのが特別養護老人ホームだったんだよね。
そこがきっかけで。
なんかわかんないんだけど、介護士もいいなって思うようになったんだよね。お年寄りを見ていて、なんか素敵だなって思うようになったの。
介護士になろうと思ったきっかけって覚えてる?
知り合いの人が上士幌町の特別養護老人ホームで働いていて、その職場の良いところを教えてもらっていてさ。職場体験の前に3者面談があったのかな。そのときに親には自衛隊か看護師になってほしいって言われて。親としては安定してほしいって想いがあったんだと思うけど。じゃあ、看護に似た仕事って何だろうって考えたときに、ちょっと仕事は違うけど介護士!って思って。介護士もいいかなって思ったんだよね。
うんうん。
それで、親と話したときに、介護士もいいと思ってるんだよねって言ったら、「じゃあワークキャンプに参加してみるか」ってなったのがきっかけかな。
そうだったんだ。
行った後に渡されるフィードバック評価が良くて、ぜひ来てほしいって言われて、それで自信がついたの。あ、この仕事楽しいかもって。そのときにすずらん荘にいた職員さんが、利用者さんたちを笑顔に生き生きさせていて、ありがとうとか言われてたし。すごい楽しそうって思って。利用者さんも職員も、かっこいいなって思って。私もここが良いなって思って。
すごいね!いいきっかけだったんだね!
そこで、お父さんとお母さんにすずらん荘で働きたいんだけどって。そしたら「いいんじゃない?あなたのやりたい道だし。やっと見つかったんじゃない」って応援してくれて。
そうだったんだね。クラスも3年間違ったし、就職と進学で分かれていたし、ほんとになにも知らなかった。
わざわざ話すことないもんね、こうやってさ。
だよね。今日話せてよかったよ、本当に。
こういう機会でもないと、あまり切り出せない話を取材ということもあって、話題にしてみました。
そうすると、友人の知らなかったこれまでの決断や葛藤を知ることができ、私も頑張らないとなと思いつつ、ライターとして、上士幌町に住んでいる皆さんに若者がどのように進路の選択をしたのかを伝えたいなという想いも湧いてきました。
皆さん、楽しんでいただけたでしょうか?(後編)では、進路の話の続きと、学校生活についての話をしました。お楽しみに!
陶守さんのものづくりへの原動力や姿勢。十勝工芸社・後編
上士幌市街地から国道273号線を糠平方面に向かって進んでいくと、白樺の木々に囲まれた白い建物が見えてきます。そこは「十勝工芸社」という工房で、黒曜石(十勝地方では十勝石とも呼ばれます)を加工し、石の魅力を引き出す工芸品を製作されています。今回はそんな十勝工芸社の店主 陶守統一さんのもとを訪ねたお話・後編をお届けします。
WRITER
竹中 勇輔(たけなか ゆうすけ)
1994年生まれ。上士幌町出身。理学療法士。ホロロジーライターというチャンスを生かして会いたい人に会いに行きます。上士幌に帰ってきてけん玉にハマっています。よく聞かれますが町長と親族関係ではありません。
中編では黒曜石との出会い、弟子入り時代のこと、引き継いだ技術の伝達についてのお話をまとめました。黒曜石との出会いのお話では、少年時代の通学路で偶然黒曜石の鏃(やじり)を見つけ、そこから興味を広げていき、今に至るというストーリーを伺いました。後編では、ものづくりに対する姿勢や考え方をもう少し深堀りすべく、アイデアの源泉、ものづくりをする中でのバランスの取り方などのお話をまとめました、ご覧ください。
アイデアの源泉、そして枯渇との向き合い方
少し話が変わりますが、新しい作品を作るときはどういうものから着想を得ていますか?
今考えるとだけど、子供時代に興味を持っていたものなんですよね。私は自作の天体望遠鏡で星を見るのが好きだったんです。もちろん畑で黒曜石を見つけたのが僕の原点ですけれど、あるとき天体を観察していたら、黒曜石の光沢は宇宙なんだということに気づいたんです。 それで黒曜石に星をどうやって彫るかを考えて形にしたのが宇宙シリーズです。
黒曜石と宇宙が見事にかけ合わさったんですね。
そうですね。興味と黒曜石とが上手い具合にかけ合うって作品作りに生きているなと感じます。あとは青年時代を都会で過ごしたことで、楽しいことはいっぱいあるんだけれども、それ以上に多くのものを失ってることにも気付いたんですよね。例えば、都会は星空が見えないでしょ。それから石がないよね。
アスファルトばかりですもんね。土もほとんどないし。
そういうところで20年以上暮らすと、人間は本能的に自然物を求めるんだなということを感じて。それを感じられたからこそ、子供時代の興味をよりはっきりと思い出したのかもしれないですね。
今のお話を聞いて、生き物など自然物の作品が多くあることに納得です。アイデアに関してもう一つ質問があります。アイデアを形にしていくことで、逆にそれが枯渇するような感覚は今までにありましたか?
それはね、10年ぐらいで枯渇しますよ。 だから良いものを見たり、聞いたり、学んだりする経験を作り続けていかないとね。
陶守さん自身はそうなったとき、どのように対処していますか?
焦らない、ジタバタしない。アイデアが出てこないときは一旦諦めて、作らなきゃいけないものに専念する。商売をやってるから、販売するための作品を作らなければいけない。それでも、1年に1回か2回くらいはこんなものを作ってみたいなというアイデアが出てきますね。 でもそれをやり始めると、販売品が作れなくなるんですよ。この滝だって一つ作るのに何日もかかりますから。そうすると販売品が止まっちゃうわけ。
製作の中で時間のバランスを取らなきゃいけないわけですね。
そう、このバランスが非常に難しいんですよね。ただ、作りたいものを作らないと自分の中で納得できないし、精神のバランスを取るためにもどこかで時間は作っていますね。
今見せていただいている滝(秘奥の滝:新得町)は、旅行先で着想を得たんですか?
滝の場合はそうではなかったね。でも見ていると非常にリラックスできるし、変化に富んでいるし、面白いでしょ?
水の流れによって、形も絶えず変化していきますもんね。
そういうことをふと思いつくことが多いかな。でも作ってみると、実際の滝と同じように煙も流したくなるし、結構大変なんですよ(笑)。片方にばかり煙が流れれば、どうしたら反対側にも煙が行くだろうとか、どこに滝の流れるジャンプを作るとか。ある程度出来上がっても、思うように流れなければ、何回も削り直します。でもその工程が非常に面白いですよね。
僕も陶器を作るんですが、その気持ちすごく共感します。
作家性と商業性、製作と生活のバランス
ものづくりを仕事にするということは、作家性と商業性のバランスをどう取るかがとても大事だと思うんですが、陶守さんはどのようにそのバランス取っていますか?
同じパターンの品を作ることは、同じ工程で作ることができます。でもそれだけでは黒曜石の新しい魅力を発見できないから、いかに新たな作品に自分の能力をつぎ込んでいけるか。そういうことを27年間繰り返してきました。
品作りと新たな魅力を引き出すための作品作りを行ったり来たりしているわけですね。
そうです。これ以上やったら疲れちゃうなとか、上手くいかないなというときは、途中で止める場合もあります 。商業的な面をいえば、2001年からインターネットで通販を始めました。
ちなみに作品を卸しているところはあるんですか?
今卸しているのは糠平にある「ひがし大雪自然館」だけです。過去には16軒ものお店に卸していたこともありましたが、結構大変でした。そういった面でもインターネット通販は始めて良かったなと思っています。
もう少しお話を伺いたいです。僕の話になるんですが、集中しすぎてご飯も食べずにそのまま製作を続けることがよくあって。陶守さんは生活と製作のバランスはどういうふうにとってますか?
僕も集中したら食べたくないですね。食べる必要性を感じなかったりするし、作り始めると休みたくないんですよね。ただそれをずっと続けるとどこかで倒れちゃうけれど(笑)。
そうですよね(笑)。
ただ食事はしっかり食べないとね、体力も必要ですし。でもそこは非常にジレンマはあります。今は集中してやりたいなというときもあるし、そこは身体と相談ですね。
その時々で折り合いをつけているんですね。
そうです。
バランスを取るためにやっていることはありますか?
そうですね。自分にとってお酒はむしろ精神面を安定させてくれています。もちろん、適量ですよ(笑)。
お酒を飲むのは仕事の後ですよね。
もちろんです(笑)。でもさっき見せた滝を、お酒を飲みながら煙の流れを確認したりします。それでここは流れがおかしいから、あとで直そうと印をつけたりして。そうすると次の日に修正できますから。
お酒が陶守さんにおいて欠かせないものというのは意外でした(笑)。
ものづくりの原動力、作る上で大切にしていること
同じものづくりをする者として聞いてみたいんですが、陶守さんにとってものづくりの原動力は何かありますか?
一つは生活をしなければいけないこと。そのためには仕事をして収入を得なければいけないでしょう。せっかく仕事をするなら自分が納得できる仕事、好きな仕事をしたい思いはあります。それと、自然環境に悪影響を及ぼさないという意味でも、この仕事は気に入っています。黒曜石って削っても絶対量は変わらないんですよ。地球が大きな窯だとしたら、黒曜石は地球が生み出した焼き物なんですよね。本当に見事な焼き物ですよ。
そう言われるとまさにそうですね。では、ものづくりをする上で大切にしていることはありますか?
何を作るにも一番に考えるのは、この石で作れるものは何なのか、この石の魅力をどうやったら引き出せるか。そういうことを考えます。
目の前にある石と対峙して、最大限の魅力を引き出すためにどうすればよいかを常に考えているんですね。ほかに何か大切にしていることってありますか?
石器作りでいうと、集中することですね。さっき話したように同じ作業を繰り返していると失敗も多いけど、絶対に懲りないでやる。
しぶとく集中することも作り手には必要なことなんですね。
石器作りを本格的に始めたころ、富良野に住む父の友人のお坊さんが鏃(やじり)を1カ月後までに100本作ってくださいと注文してくれたんです。その当時、1カ月に100本なんて作ったこともなかったので、今思えばその方は私に石器づくりの技術を習得させるために、あえて注文したと思うんです。
1カ月に100本はかなり大変そうな注文ですね。
注文をもらったときは、初めてだったから嬉しくて仕方がなくてね。でも作業に取り掛かるとすごく困難な注文だってことに気づいて。最初の50本を作るまで終わりが見えなくて、どうなってしまうのかと思っていました。でも100本作りますと約束したから作るしかない。強制的に集中せざるを得ない状況でしたよ。
作り手として初めての苦境、結局どうなったんですか?
全部作り終えました。それから納品に行ったけどお金はいただけませんでした。集中して作ることを学ばせてくれた気がしたから。
陶守さんは自身の成長に一役買ってくれたと捉えたわけですね。それでもお金をもらわなかったのはなかなかできることじゃないと思います。
でもね、こういうことがなければこんなに集中できなかったと思うんです。今は良い方に巡り会えたなと思っています。
その方のおかげで今の陶守さんの石器づくりの技術があると言っても過言ではないわけですね。
そうですね。それからわかったことは、集中すると手の動きが変わるんです。最初は意識して手を動かすんだけど、徐々に手が動きを勝手に覚えてくれる。機械を使った加工も同様ですね。
手仕事を生業にするには、その境地まで達しないと、本物とはいえないのかもしれませんね 。
あとはものづくりでいえば、黒曜石を加工するための専用の道具はないんですよ。
先ほど鹿の角で加工されているという話もありましたね。
そう、専用の道具がないので、黒曜石の加工に合う道具を自分で作っています。だから工具を買って、工夫して道具を作ることも、制作時間の中では結構ありますね。
そんな裏話が。でも陶芸も似たようなところがあります。
だから、お客さんにこれを作るのにどのくらい時間がかかるんですか?と聞かれると、返答が難しいんです。
そこも共感します(笑)。
新しいことに挑戦するときの心構え
新しいことに挑戦するとき、陶守さんはどんな心構えで挑戦していますか?
心構えというのはないけど、作りたくて仕方がなくなったら作ります。作りたい衝動が止められなくなったらね。
ものづくりへの根源的な欲求で手が動くということですね。ちなみに、頭の中で完成するイメージができていなくても、作りたいという気持ちが勝っていたら取り掛かってしまいますか?
うん、その衝動がなかったら作れません。作りたいという衝動がなくなったらこの仕事は終わりだと思っています。
おわりに
今回の十勝工芸社の取材には僕なりの裏のテーマがありました。それは4月から陶芸の道へ進む僕が、ものづくりを生業にされている先人に、ものづくりとどう出会い、何を楽しんだり、何に苦しんで、ここまで辿り着いたのか。何を想い、何を考え、ものづくりと向き合っているのか。そんなお話を伺うことで「人生を楽しくする仕事、ものづくりの教え」をいただくというものでした。取材を通してわかったことは、陶守さんは少年の頃の記憶を辿り、人との出会いを大切にし、歴史を面白がり、黒曜石を愛していました。
そして取材を終え、記事を作成しながらふと気がついたことがあります。それは「『人生を楽しくする仕事・ものづくりの教え』は一つではない」ということです。陶守さんは、陶守さんの周りで起きた出来事や環境のなかで、人に出会い、壁にぶつかり、自分なりの方法を見つけ、壁を乗り越えていました。それは、陶守さんがさまざまな成功や失敗のなかで見出したものであり、それはそのまま僕自身の教えにはならないはずです。だからこそ、前に進みながら、手を動かしながら、自分の信念を見つけていくしかない。陶守さんも黒曜石を研磨しながら、きっとそう言っているのではないでしょうか。
少年時代の記憶を黒曜石に込めるものづくり。十勝工芸社・中編
上士幌市街地から国道273号線を糠平方面に向かって進んでいくと、白樺の木々に囲まれた白い建物が見えてきます。そこは「十勝工芸社」という工房で、黒曜石(十勝地方では十勝石とも呼ばれます)を加工し、石の魅力を引き出す工芸品を製作されています。今回はそんな十勝工芸社の店主 陶守統一さんのもとを訪ねたお話「その2」をお届けします。
WRITER
竹中 勇輔(たけなか ゆうすけ)
1994年生まれ。上士幌町出身。理学療法士。ホロロジーライターというチャンスを生かして会いたい人に会いに行きます。上士幌に帰ってきてけん玉にハマっています。よく聞かれますが町長と親族関係ではありません。
前編では「十勝工芸社」の陶守統一さんと工芸品の紹介、そして上士幌町で工房を開いた理由や製作についてのお話をまとめました。製作のお話では、エゾシカの角を利用して黒曜石を加工していることなどを伺い、とても興味深い内容でした。「その2」では黒曜石との出会い、弟子入り時代のこと、引き継いだ技術の伝達についてのお話をまとめました、ご覧ください。
黒曜石との出会い
次は黒曜石との出会いのお話を聞きたいです。どんなきっかけがあって、黒曜石に興味を持ったんですか?
最初に黒曜石に興味を持ったのは小学生の頃。私は足寄町の上利別というところで生まれたんですけど、家から学校まで20~30分くらいかけて歩いて通っていました。その通学路の両側は畑なんですが、雨が降るとその畑の中に、キラキラした黒曜石の鏃(やじり)が見えるんですよ。
黒曜石がそのままあったわけではなくて、鏃があったんですね。
これは何だろう?と興味を持って、それが鏃だということが分かってからは、どうやって作ったものなのかと興味が深まっていきました。
好奇心が広がったんですね。
実際に拾ったものを見せましょうか。(工房の方へ鏃を取りに行く)
私が見つけたものは縄文時代の石器なんですよ。
おぉ!
この石って、地中にあると水和層(すいわそう)という、電子顕微鏡で見ないとわからないような膜ができるんです。その膜の厚さを図ることで、石の年代がわかるんです。
木でいうと年輪みたいなものですか?
そうですね。それで昔は顕微鏡で膜の厚さを調べてたらしいんです。今は放射線で調べるから、かなり詳しい年代までわかるみたいですよ。
放射線で石の年代を調べる方法があるのは知りませんでした。
それで、こういう鏃が畑に落ちていて、雨が降るとキラキラ光るんです。拾ってからは、これをどうやって作ったのかということが気になって仕方がなくてね。
見ていて驚いたんですが、縄文時代のものがこの鋭さを保っているのがすごいですね。
すごいでしょう。これはきっと吹き矢かなにかだと思う。これを獲物に向かって吹いて、一つひとつ拾いに行くわけはないだろうから、柄は風化するけど、石は残ったんだね。狩猟に必要な道具だから、きっと大量に作って、それがあちこちに埋もれちゃったんだと思うんですよね。
へぇー。
話を戻しましょうか。あとは私の実家が商業をやっていたんだけど、林業の全盛期って、木をどんどん切り倒していくから、木がなくなっていくんです。そうすると人口も減少して経営状態が悪くなってね。そんなときに父が本別町で、黒曜石の加工をやってる人に出会って。それをきっかけに父は黒曜石の加工の仕事を始めたんです。
では、陶守さんが始める前にお父様が先にやられていたんですね。
そうなんです。父が始めたのは僕が中学生くらいのときでした。振り返れば、帰ってきては父の仕事を見たり、ちょっといたずらして加工したりしてたなぁ。石もいっぱいあるから、石器づくりに挑戦してみたりしましたね。
こどもの頃からものを作るという行為が好きだったんですね。
そうですね。とにかく手を動かすことが好きでした。
陶芸をやっていると、すごくその気持ちがわかります。
私は高校を卒業して神奈川県で勤めました。そのころは仕事が忙しくて石器作りどころではなかったですね。でも良かったこともあって、それは以前から興味のあった東京国立博物館に行けたこと。そこには北海道から産出された大きな石器が展示されていました。そこで再び興味が沸き起こっていくわけですよ。
石器への情熱が再燃したんですね。
そうそう(笑)。それを機に北海道に帰ってきて、黒曜石の仕事をやりたいと思い始めました。それで42歳のときに仕事を辞めて帰ってきたんですよ。
そういう経緯があったんですね。陶守さんが帰ってきたとき、お父様はまだ仕事をされていたんですか?
やっていたんだけど、体調を崩していてね。3年ぐらい一緒に仕事をしたあと亡くなりました。
弟子入り時代に学んだこと
お父様が亡くなられたのはとても辛かったと思いますが、3年間一緒に仕事をできたことは、陶守さんにとって宝のような時間だったのではないでしょうか?
そうですね、始めるのが何年か遅れていたら一緒に仕事ができなかったわけだからね。
お父様と仕事をしていた期間は、陶守さんにとっていわゆる弟子入りの期間だったと思いますが、一番勉強になったことは何かありますか?
石を磨く技術ですね。この石を見てください。石を磨いていく目の順番です。一番端が原石で、粗い目からどんどん細い目で磨いていきます。
荒い目はその辺りに落ちている黒曜石の質感と似ていますね。
落ちている石は河原で他の石とぶつかりながら転がるから、ザラザラしてますよね。そんな状態から粗い砥石から石を磨いていくんです。少しずつ砥石の目を変えていって、仕上げはフェルトで磨きます。これらの工程は黒曜石の加工の基本で、光沢の違いを使い分けて作品を作っていきます。
光沢の調整はかなり繊細な作業なんでしょうね。
黒って傷が目立つから、傷が残らないように磨くことは並大抵のことじゃないですね。父はおよそ40年の間で試行錯誤して、どんな順番で作業し、どのような道具を使うかを決めていきました。それは何十年もかかって生み出された磨き方、基本形なんです。
そんなに長い時間をかけて出来上がった技術なんですね。
私は突然帰ってきて、息子だからいろいろと教えてもらえましたが、そうでなければどうだったかわかりません。だから私は、その試行錯誤の時間がなかったおかげで、応用を考えるために時間が使えました。もし父がいなければ、磨く技術だけで20年以上かかっていたかもしれません。それが伝承できたのはラッキーでしたね。
引き継いだ技術の伝達について
陶守さんはお父さんの技術を引き継いだわけですが、陶守さんの元で勉強をしたいという方はいらっしゃいましたか?
石器作りは、累計だと300人以上に教えていました。高校生の修学旅行の体験や、社会科教諭の石器作りの研修会などでも教えましたね。上士幌町だと生涯学習センターでも3回ぐらい教えましたよ。でも教えるって大変ですよ(苦笑)。 黒曜石は石を割る工程が難しいから、私が全部破片を事前に作って準備しなければいけないんです。それでも体験中はバラバラになったり、手が切れちゃったりすることも多くて。
ガラスの破片と同じように鋭利だから、作業では危険も伴いますしね。
磨きを学びたいという人が来たこともありましたね。そのときは1週間その人につきっきりになってしまって、自分の仕事ができなくなったときもありました。技術を伝達するというのは非常に難しいなと感じていますよ。
陶守さんが今持っている技術を次の世代に引き継げないとなると、ここで失くなってしまうことになると思います。それについてはどんなふうに考えていらっしゃいますか?
できれば身内に引き継ぎたいと思っていました。でも息子は違う仕事をしていますし、娘も結婚しています。だから難しいかなと思ってます。
そうだったんですね。日本の伝統工芸も後継がいないければ衰退していくし、十勝でいうと農業も状況は似ている気がします。
そうですね。技術というのは1回失うと取り戻すのにかなりの時間と労力を要しますよ。
ある技術を持つ世代が次の世代に引き継ぐことができないと、またゼロに近いところからスタートになるということですよね。
うん、そういう悩みを持った職人さんはたくさんいると思います。今私は70歳だけど、父は72歳で亡くなったんです。でも亡くなる直前まで磨いていましたよ。そういうことを考えると、私もあと何年できるか分からないけど、やりたいことはいっぱいある。ただ時間が少ないこともわかっています。
いかがでしたでしょうか?実はまだまだお話は続くのです。最後となる後編は、私が個人的に一番聞きたかったことに迫ります。ものづくりに対する姿勢や考え方、アイデアの源泉など、何かを作っている人にとって勉強になるお話になるかと思います!ご覧ください。
上士幌町で黒曜石を彫り続ける理由。十勝工芸社・前編
上士幌市街地から国道273号線を糠平方面に向かって進んでいくと、白樺の木々に囲まれた白い建物が見えてきます。そこは「十勝工芸社」という工房で、黒曜石(十勝地方では十勝石とも呼ばれます)を加工し、石の魅力を引き出す工芸品を製作されています。今回はそんな十勝工芸社の店主 陶守 統一(すえもり とういつ)さんのもとを訪ね、お話を伺ってきました。
WRITER
竹中 勇輔(たけなか ゆうすけ)
1994年生まれ。上士幌町出身。理学療法士。ホロロジーライターというチャンスを生かして会いたい人に会いに行きます。上士幌に帰ってきてけん玉にハマっています。よく聞かれますが町長と親族関係ではありません。
陶守さんと工芸品のお話
まずはお話の中を見ていただく前に、店主の陶守さんと工芸品の紹介を簡単にさせてください。陶守さんは足寄町出身で、高校卒業後は就職を機に神奈川県で23年暮らします。その後、少年時代から持っていた黒曜石への興味、陶守さんのお父様が黒曜石の加工の仕事をされていたことなど、さまざまな要因が重なって、黒曜石の加工を仕事にする決意をし、神奈川での仕事を退職され北海道に戻ってきました。もともとはお父様の工房があった本別町で仕事をされていましたが、上士幌町へ工房を移転します。(詳しいお話はこの後の対談をご覧ください!)
店内にはたくさんの工芸品が並んでいます。陶守さんによると大きく9つのジャンルに分けて製作をしているようです。その中からいくつか紹介をすると、まずは石器・ナイフ。縄文の技術で再現した石器・ナイフは黒曜石の原石をエゾシカの角と小石で剥離して作っています。
次は宇宙シリーズ。黒曜石の漆黒を生かして、宇宙の星々を彫刻しています。「石も人もみんな宇宙のひとかけら」そんな思いをこめて、小さな星の位置も星座図に基づき正確に彫っています。
さて紹介はこのあたりまでにさせていただき、ここからは陶守さんとのお話へ。上士幌にお店を開いた理由、製作のお話、黒曜石との出会いなど、今に至るまでのさまざまな背景を語ってくださいました。
上士幌にお店を開いたわけ
はじめまして。今日はお話を聞かせていただけるということで、楽しみにしていました。よろしくお願いします。
どうも、陶守です。よろしく。
まず、陶守さんがこの工房を上士幌町に建てた理由は何だったのですか?
初めは父が工房を持っていた本別町でやっていたんだけど、上士幌町は黒曜石の原産地ということを知ったんです。それで、どうせやるなら原産地でやりたいと思い、退職金を使ってここの土地を買って、工房を建ててやり始めました。
お父様もこの仕事をされていたんですね。上士幌町の中でも、この場所に工房を建てたのは何か理由があったのですか?
もともと僕は上士幌町のことは詳しくなかったんですよ。足寄から帯広へ行く時には、ちほく高原鉄道というのがあったから、車を使わない限り上士幌は通らなかったんですよね。 学生の頃は車を持っていなかったから、どこへ出かけるにしても、ちほく高原鉄道を使ってたんですよ。
そうだったんですね。
この上士幌町の壮大な平野を見たのは、就職して免許を取ってからなんですよ。当時住んでいた神奈川からの帰省中にドライブしてるときだったんです。足寄は山に囲まれた土地なので、上士幌町のこの広い平野と山岳が調和した景観を気に入ってしまいました。
上士幌から足寄までは軽い峠道ですしね。
この土地は、上士幌にいた父の友人にお願いをして見つけてもらったんです。国道沿いで、糠平に行くお客さんが来てくれるし、なにより住んでいて気持ちがいいものです。
納得いくものは3割しか作れない
製作のことを伺いたいんですが、実は僕もものづくりで陶芸をしているんです。でも失敗も多くて、頭に思い浮かべているものを形にするのはいつも難しいなと思いながらやっています。陶守さんはものづくりをされていて、失敗と成功はどんな割合ですか?
お店には完成品しか並べていないから、お客さんから見ると全部成功しているように見えるかもしれないけど、実際に成功しているものは例えば石器でいうと3割くらいですね。うまくいかないことの方が多いです。何より、自分が納得できないと商品にはできないしね。
そうなんですね。
例えば石器は機械を使わず、エゾシカの角で石を剥がしていきます。私の仕事道具、ご覧になりますか?
いいんですか?ぜひ見たいです!
これが石器を作る道具です。エゾシカの角の根元の部分はハンマーとして使っています。右のものは押圧剥離という技法で使う鹿の角の先端。まずは大きな原石からバンッと叩いて、破片を取り出します。
するとこういう状態で剥がれます。ただ黒曜石は必ず湾曲して剥がれるので、例えばナイフを作り出すにはこれを平らにしなければいけないんです。 その工程で石はどんどん小さくなっていくし、加工の工程で割れてしまうこともあります。
その上で成功が3割ということなんですね。
ものにもよりますがそういうことです。細かく削っていくにはこの鹿の角の先端で圧をかけて剥がしていって、そういう作業の繰り返しで作品を作っています。
気になることがあるんですが、黒曜石はどんなふうに剥がれていくんですか?
一般的に考えると表面を削っていくように思うでしょ?黒曜石の場合、下の方向へ剥がしていきます。
そうすると欠片は下に落ちていくわけですね。
そうです。でもどうして湾曲して剥がれるのか、ここが面白いんです。
(陶守さんが球体を手元にもってくる)
これは球体に作ったものなんですが、頂点に打撃を加えると円錐状に割れていくんです。
円錐状?波紋のようですね。
そう。石器人は同じような角度で打撃を加えると、このように割れていくことを見つけたんです。
へぇー、この性質から黒曜石を道具として加工していったんですね。でも思うように剥がすには、力の調節がとても難しそうですね。
それは経験と技術がものをいいますね。あとは石の質が良いか悪いかも関係があります。時々ヒビが入っている石もあるから、間違えてヒビのあたりを叩いちゃうと完成しかけていても割れてしまうんです。そういうのも含めると完成できる石器は3割というところですね。
長年やられている陶守さんでも、成功率が3割というのには驚きました。
でも、あのイチローだって成功率が3割じゃないですか。彼は「3割で打ち続けられていれば最高だ」なんてインタビューで言っているけど、それを聞いたら自分の3割って大したものなのかもしれないって思えますね。
とても興味深いお話が続きますが、前編はここで終わりです。「中編」では黒曜石との出会い、弟子入り時代のこと、引き継いだ技術の伝達についてのお話をお伺いしました。ぜひ、ご覧ください。
製作体験してみました!~アメリカンフラワーに魅せられて~(後編)
上士幌町出身でホロロジーでライターしている宮部あやかです。今回、取材をさせていただいたのは私の1つ上の先輩、八重樫ゆいさん(以下:ゆいちゃん)です。前編では、アメリカンフラワーのことや上士幌町に戻ってきた理由などをお伺いしてきました。後編は「アメリカンフラワー作りを体験してみたい!」という私のお願いを快く引き受けてくれたゆいちゃん。ここからはゆいちゃん先生ご指導のもと、実際にアメリカンフラワーを作ってみました!
WRITER
宮部 純香
上士幌町で生まれ、高校まで上士幌で過ごした編集サポートメンバー。小さい頃からお世話になった上士幌を新しい視点で見てみたいと取材を進めています。
八重樫 ゆい
上士幌町出身。18歳まで上士幌町で過ごし札幌へ。専門学校卒業後、就職。フラワーデザイナー1級、アメリカンフラワー講師までの資格を取得。
アメリカンフラワー講座開始!
キティちゃんの頭に乗っている花ってわかる?マーガレットみたいな。ああいう感じの花を作っていきますね。
楽しみです!
何色のお花にしたいか、色を選んでください。
赤いお花にして、葉っぱは濃い緑が良いです!
丸い花びらを5枚用意していきます。まず最初の作業は、針金をこのオレンジ色のゲージに巻きつけて輪っかを作っていきます。これを、5つ作ってください。
はい!
・・・・・。(作業中)これ、黙ってしまいますね(笑)。
集中しちゃうよね。5つできたら次は、ペンチで根元の部分を少し潰します。そうすることで、花びらが重なったときに綺麗に見えるの。これが第2ステップです。
できました!
それでは、次に作った輪っかを液に浸けていきましょう。液に浸けて色を加えると、一気に花びららしくなります!
それを乾かします!輪っかの下の垂れてしまった液は後から取ることができるので大丈夫です。
この時点で綺麗ですね!楽しい!
では、乾かしている間に葉っぱを作りましょう。葉も同じくゲージに巻きつけて輪を作ります。そして、ペンチで輪っかを引っ張って細長くしていきます。そうすると、ほら!葉っぱらしくなってきたでしょう?
わーーすごい!ほんとだ!
そして同じ作業!今度は緑の液を浸けていきます。
やっぱり綺麗!これ、破けてしまいそうですね。
強く潰してしまわなければ大丈夫だよ。この液は、手についても洗ったら取れるけど服に着いたら取れないから気を付けてね。では、次にいきましょう。針金の白い部分に細いグリーンテープを巻いて茎らしくしていきます。
コツは、テープを引っ張りながら巻きつけていくことです。
おー、一気に花びらっぽくなってきました!でも根元の部分がうまくいかないです・・・。
そこは、花びらが重なって見えなくなるので大丈夫。では、お花の中心部分をどんな形にするか選んでもらっていいですか?
花びらの方向とか重なり方が変わるだけで雰囲気が相当変わるんですね。面白い!!
作る人の個性が出る部分なので、感性を研ぎ澄ませてください!
これだと華やかになりますね。この形にします!
では、組み立てていきましょう。まず、花びらを90度に曲げてください。後から好きな角度に調節できるので、今は組み立てやすいように曲げておいてください。この曲げたものを、重ね合わせながら一つにまとめていきます。
難しい。ずれてしまって、なかなか決まらないですね。
できたら、針金でまとめてしまいます。これを花びらを起こして好きなお花の形に近づけていってください。これは、センスです(笑)。
センス・・・(笑)。こうやって作ってみると、普段お花の形を見ていなかったんだなってことに気付きますね。
こんなふうに開いているお花にしたり、逆に閉じた感じにすることもできますよ。
できたら、またテープを巻くんですか?
巻きます。そのときに葉っぱも一緒に巻いてしまいます。葉っぱを同じところに付けるのか、すこし位置をずらすのかでも変わってきますよ。
ずらした感じにしたいです!
では、こんな感じに巻いていって・・・はい、完成です!
やったー!!ありがとうございます!めちゃくちゃ可愛い!
人生初のアメリカンフラワー?
初です!面白かったです!
よかった!春にアメリカンフラワーの教室の申請をしようと思っていて。
そうなんですね。そのときはまた習いに来ます!
ぜひぜひ。いつでも待ってるね!
今日はありがとうございました!
今回作らせていただいたアメリカンフラワーは、丁寧に扱えば5年ぐらいは綺麗に飾れるとのこと。赤と青の2種類を作らせていただきましたが、なかなかの良い仕上がりになったのでは?と思います!うれしくてつい、いろんな人に自慢してしまいました。
アメリカンフラワー作りを体験させていただいて、一瞬にしてその魅力にとりつかれました。皆さんもこの記事を読み、ゆいちゃんのステキな人柄とお花の世界を知って、アメリカンフラワーを作ってみたくなったはず!春にアメリカンフラワー教室ができたら、ぜひ行ってみてください!楽しかった!
ゆいちゃん、ありがとうございました!
趣味が仕事に!?地元上士幌町に帰って来て~アメリカンフラワーに魅せられて~(前編)
上士幌町出身でホロロジーでライターしている宮部あやかです。今回、取材をさせていただいたのは私の一つ上の先輩、八重樫ゆいさん(以下:ゆいちゃん)です。ゆいちゃんとは中学高校と一緒でしたが、部活が一緒ではなかったので、挨拶を交わす程度の接点しかありませんでした。ゆいちゃんは高校を卒業したあと町を離れたのですが、あるとき上士幌町に帰って来るという情報を入手。ただの帰省ではなく、フラワーデザイナーとしてなにやら面白いことを始めるらしいのです。これはお話を聞くしかない!と思い、さっそく連絡を取ってみました。すると、「連絡をくれて嬉しい!ぜひ会いたいです!」とお返事が!
前編では、ゆいちゃんの高校卒業後の進路についてと、就職してから現在に至るまでのお話を聞かせていただきました。後編では、ゆいちゃんに教わりながらアメリカンフラワー作り体験をさせていただきました。
WRITER
宮部 純香
上士幌町で生まれ、高校まで上士幌で過ごした編集サポートメンバー。小さい頃からお世話になった上士幌を新しい視点で見てみたいと取材を進めています。
八重樫 ゆい
上士幌町出身。18歳まで上士幌町で過ごし札幌へ。専門学校卒業後、就職。フラワーデザイナー1級、アメリカンフラワー講師までの資格を取得。
地元でアメリカンフラワー教室を開きたい
お会いするのは、高校のとき以来ですよね。
そうだね。でも、中学高校と一緒だったけど、そんなに接点はなかったよね。
そうですね。高校を卒業した後は札幌に進学したんですよね。どんな学校に通っていたんですか?
ファッションの専門学校に進学したよ! 高校生のときにリクルートの冊子が届いて、あなたは何が向いてるかという診断テストをしたら「スタイリスト」って出てきて「たしかに!」と自分で納得したのがきっかけかな。おしゃれするのが好きだったから、ピンと来たんだと思う。
その診断テスト、私のときもありました。
その後、プレスクールに行ってみたら楽しそうだなと思って、特待生試験を受けて特待生になったの。試験は面接だったんだけど、事前に「3分間自己PRしてください。何をしてもいいですよ」って言われていて。吹奏楽でトランペットをやっていたので、「ハトと少年」を吹こうと思ったの。でも、当日の面接官2人がその楽曲を知っているような年齢には見えなくて。そこで急きょ笑点のテーマに変えて演奏したんだ。そしたらめっちゃウケたの。すごく失礼な話だけどね(笑)。
アドリブがすごいですね(笑)。
その後にいくつか質問を受けたんだけど、「なんで笑点の曲吹いたの?」って聞かれて終わったんだよね。それで合格。奇跡だったと思う(笑)。
進学するときは、初めから札幌に行きたいって思っていたんですか?
うん。近くにはファッション関連の学校がなかったから、札幌に行こうかなって思った!
専門学校を卒業した後も札幌で働いていたんですか?
うん、エステティシャンになったの。でも、働いているだけじゃなくプライベートでも趣味がほしいなと思って。何が良いかなって考えて、パっと浮かんだのがフラワー教室と陶芸教室とドラム教室だった。
ドラムだけなんか系統が違いますね(笑)。
そう(笑)。それで調べていたら自宅の一番近くに、今も通っているフラワー教室があったの。その教室が全国に150校しかない公認校ということが分かって。そこの先生が77歳になるんだけど、香港とか台湾で講演を開いたり、中国の昇格パーティに招待されたりするすごい人だったんだ。
たまたま近くにあった教室が、すごいところだったんですね。
電話をかけてみたら、「来週レッスンあるからおいでー」って。さっそく行ってみたら、「すごい!八重樫さん才能あるわー!」って言ってもらえて(笑)。その日に先生のお家のお庭に案内されて、「習ったらいいよ絶対」って強く言われたの。
急展開ですね。教室ではどのようなことを習っていたんですか?
主に生花のフラワーアレンジ!ここは公認校だから資格を教室で取れるの。私は資格を取りたかったから実技試験の練習を基本的にしてたよ。本当はアメリカンフラワーをしてみたかったの。フラワー教室のホームページを見て一番最初に目に入ってきたのが”アメリカンフラワー”だったんだ。先生に「このコースを希望しています」と話をしたら、「アメリカンフラワーは花を作るから、そもそも花を知らないと作れないよ」って言われて。「たしかになぁ・・・」って(笑)。それで、まずはフラワーデザイナーの資格を取ることにしたんだ!
作るということは、違う素材を使って花を作るってことですか?
そう!ワイヤーから作っていくの。1本のワイヤーをリング状にして、花びらのひらひらも自分でつくって、そこから合成樹脂の液にくぐらせるとシャボン玉みたいに膜が張るんだよね。それを乾かして必要な枚数だけ作って、組み立てて一つの花を作るの。
なぜ、興味を持ったんですか?
純粋にきれいだなって思ったから。昔から透明なものが好きだったんだよね。泡とかガラスとかスライムとか。
スライム(笑)。
可愛いって思ってて、透明なものが好きだから。
教室には何年くらい通ってるんですか?
今年で4年目かな。まだ通い続けてるよ!
上士幌町から札幌市に通っているんですか?大変じゃないですか?
そんなに頻繁に通っているわけではないから、そんなに大変でもないかな!一番遠いところで中国の生徒さんがいるの。日本だったら仙台かな。北海道内でも稚内や釧路から来てる生徒さんもいるよ。
大きな教室なんですか?
大きくはないけれど、生徒さんが多い教室かな。
当時はどのくらいのペースで習いに行っていたんですか?
月に3回。本来は1レッスンずつのところを1日3レッスンずつ入れてもらって、合計12レッスン!
かなり通い詰めたんですね(笑)。
なんとかフラワーデザイナー資格の1級までを1年で取得して、またすぐアメリカンフラワー講師の資格を取得するために教室に通って、無事講師になれたの!
講師ということは自分で指導もできるということですか?
フラワーデザイナー協会にも入っているから、自分で開こうと思えばアメリカンフラワーの教室も開けるよ!
お花といわれたらフラワーアレンジメントか、生け花くらいのイメージしかなかったので、そういった資格があることも知りませんでした。
そうだよね(笑)。そもそも「フラワーデザイナー」と「フローリスト」と「フラワーアーティスト」がいて、それぞれちょっと違うんだよ。フローリストさんはお花屋さん、花を制作する人。フラワーデザイナーは頼まれたものを販売する人。フラワーアーティストは自分の考えたものを販売する人なの。私はフラワーデザイナーの資格を持っているから、販売することも教室を開いて教えることもできるの!
そういった違いがあるんですね。
私が今やっているアメリカンフラワーは、日本でやってる人はまだ少なくて中国の方が多いの。でも去年、一昨年くらいから日本のウェディング業界にもアメリカンフラワーが出てきているから、これからもっと身近になると思う。
アメリカンフラワーって、出来上がったものは商品として売るんですか?
後々販売していきたいな。アクセサリーを作ってる人もいるし、インテリアとして作ってる人もいるし、さまざまです。でもそこまでだったら、器用な人なら見様見真似でできるよ!(笑)。アメリカンフラワーの資格を持っている人はアメリカンフラワーを活けたり、束ねたりして展示会に出品することもできるの。だから今年は出品しようかなって思ってるよ!
作ったものを見せてもらうことはできますか?
もちろん!これがアメリカンフラワーなんだけど、
うわー、綺麗!
でもこれくらいだったら経験がなくても頑張ればできるますよ。
いや、無理ですね私には(笑)。
プロのレベルになってくると、1m以上ある作品を作っている人もいるよ!
これ花だけじゃなく葉とかも全部作るんですか?
葉とかも全部。枝とかも自分で作る!
触ってみてもいいですか?割れたりとか・・・。
大丈夫だよ!(笑)。
あ!見た目と全然違いますね!もっとガラスっぽいのかと思ったらビニールみたいな、膜が張っている感じですね。この大きさのものでどれぐらいの時間がかかりますか?
これは一輪で2時間ぐらいかかるかな…
2時間で作り上げるときは、休憩を挟まずにずっと作業してるんですか?
そうだね。8時間くらいずっと動いてることもあるけれど、全然苦じゃない!
趣味が仕事になることに抵抗感はないですか?
いや、全然ない。むしろ幸せ(笑)。
趣味が”やらなきゃいけない”ことになるのが嫌だという人もいると思うんですけど、ゆいちゃんはどう考えているのかなと思って。
職種にもよるのかなって思う。同じクリエイター仲間に、「休みの日なにしてるの?」って聞いてみたら、「基本毎日休みだよ」って帰ってきたことがあって。でもずっとその人仕事してるんだよね(笑)。全然休んでないの(笑)。そういう人たちが周りに多くて、毎日刺激をもらってる!
趣味を仕事にできる人が周りにも多いんですね。そういった人たちとつながるきっかけって何ですか?
ありがたいことに紹介してもらえることが多いかな。
それは直接ですか?SNSでつながった人から声がかかるとか。
直接!そして呼ばれたら行ってみる!フットワークは軽いね。そこで出会った人もたくさんいるよ。人との出会いを大切にしてる。
紹介されるのをただ待っているというよりは、自分から輪に入っていってるように思えますね。
そうだね。例えばお花関係の人だったら、作品を見て「この子は考え方が違うよ」って紹介してもらえることが多かったりするかな。
ゆいちゃんとは違うスタイルの作品を作っている人、ということですか?
そうそう。すごくご縁を大事にしてる!それと挨拶。地元に帰ってくると、お世話になった方に挨拶まわりはしっかりしてるよ。
昔からですか?
昔から。学生の頃に札幌から帰ってきたときも、お土産もって「帰って来たよ」って。全員ではなくて行ける人だけなんだけどね(笑)。そういうのは結構あったかな。
大事ですよね、つながりって。今回上士幌に帰ってきた理由は何かあるんですか?
上士幌町にはフラワー教室がないよね?それなら私がやっちゃおう!って思ったの!お花が好きな人はたぶん多いと思うんだけど、フラワーデザイナーをやってます、っていう人はいないし。札幌にはたくさん教室があるから、それなら上士幌でやろうと思って。
たしかに、趣味でやりたいという人もいそうですね。どうですか、高校生のとき以来ですよね、上士幌に住むのは。当時と印象は違いますか?
そうだね、新しいものがどんどんできていて、変わったなという印象はあったかな。
7年も経つと、だいぶ変わっていますよね。もうすでに、フラワーデザイナーとして上士幌で活躍されているのですか?
まだ本格的にはしていないけど、春から少しづつ動いていきたいなと!実は2017年くらいから、ドリームドルチェさんでハーバリウムを販売してるんだよ!札幌にいるとき時から自分でキャンドルとかハーバリウムも作って売ってたから、教室を開いたらアメリカンフラワーだけではなく、キャンドルやハーバリウムも生徒さんたちと作ってみたいな。
この先もずっと上士幌町でお仕事をしていこうと思っていますか?
どこでやっていくかはあんまり決めてないかな。今は上士幌町にいるけど、今後どう流れが変わっていくかもわからないから。あと、アジアとの交流ももっとできるようになったら良いなと思ってるんだ!
海外にも目を向けているんですね。
21歳のころからアジアはずっと考えていたかな。だから一昨年、先生が中国に行くときに、「私もアシスタントで行きたいです」ってお願いしていたの。でも、そこからコロナが流行りだしちゃって流れちゃったんだ…。
ちなみに、アメリカンフラワー作りの体験をさせてもらうことはできますか?
いいよ!やってみようか!
やった!お話し聞きながらやってみたいなって思ってたんです(笑)。
今後の夢を語るゆいちゃんは、きらきら輝いていてとてもかっこよかったです。趣味から始めたフラワーデザイナーの道が仕事になる。お話を聞いていて、私も”自分のやりたいこと”に向き合おう、やりたいと思ったことは何でもチャレンジしてみよう!と思いました。
後編では、アメリカンフラワーを実際に作らせていただけることに!いったい、どんな花をどのようにして制作していくのでしょうか。お楽しみに!
腹筋する木彫りの熊 好きで好きで彫り続けた伊藤さんの60年
上士幌町に変わった木彫りの熊を彫る人がいる。そんな噂を聞きつけたホロロジー編集部。上士幌町に住んでいる人でも知っている人が多くなかったというこの木彫りの熊を彫る伊藤幹男さんにお話を伺ってきました。そこには、実直に自分の好きなことを追い求めて過ごしてきた、伊藤さんの人生が込められていました。
WRITER/PHOTOGRAH
野澤 一盛
帯広市在住。2011年から北海道に住み始め、2016年に十勝に。上士幌の魅力を「人」を通してお伝えします。
上士幌町のとある住宅街の家先に、伊藤さんご自身で建てたというトタンに覆われた工房があります。工房に入り、少し薄暗い物置を通り越すと、伊藤さんの作業場が現れました。
「散らかっていてごめんね。何も話すことはないけど、とりあえず、お茶でも飲んでいってもらえれば」
このあと、紹介する木彫りの熊から溢れ出る優しさは、きっとこの伊藤さんから滲み出る優しさからなんだろうなと、最初の挨拶で垣間見ることができました。
「僕なんか本当に話すことないですよ。ただずっと彫っているだけですから」
そんな謙遜する言葉を並べられても、この木彫りの熊を見ていたら、聞きたいことしか出てきません。
頭を持ち上げている姿が愛らしいこの作品は、最近制作している「腹筋熊」です。
この「腹筋熊」は、猫が日向ぼっこをして寝ている姿を見て、腹筋する熊が面白いのではないかと着想したそうです。
「60年近く熊を彫ってるんですが、腹筋熊を作りはじめたのは2年前くらいなんです。動きがある熊を作って欲しいというリクエストがあって、動物のテレビや本を見ながら、何か面白い動きはないかなって考えて。あるとき体を丸めて気持ち良さそうに寝ている猫を見て、熊も体を丸めたら面白いかなって。それで腹筋をさせようと思ったんですね。偶然できたんですよ(笑)」
伊藤さんのユニークな閃きから、このかわいい熊が生まれたんですね。ちなみに、この腕が腰に向かっている腹筋熊は、初期に製作したものだそうです。見比べるだけでも楽しいです。
「今になってね、絵本とか写真で見る熊が本当にかわいいんですよね。親子の熊なんてたまらない。小熊がかわいいなって。」
伊藤さんの言葉の節々に、熊が大好きだということが伝わってきます。熊への愛も、伊藤さんの木彫りの熊が優しく見える理由なんだと思います。
「こういう写真を見て、イメージしながら彫ってるんです」
そうして写真からヒントを得た作品は、伊藤さんの手に掛かれば、そこに本当に熊の親子がいるかのような作品に生まれ変わってしまうのです。
聞けば、伊藤さんは小さい頃から木彫りの熊を彫り続けてきたと言います。
「10歳のときに、兄が木彫りの熊を買ってきたんですよ。それを目の前にあった木と彫刻刀を使って真似して作ってみたら、大した作品ではなかったと思うんですが、みんなに褒められたんですよね。それからずっと熊を彫っています。10歳から15歳のときまでずっと彫っていたんですよね。よっぽど褒められたのが嬉しかったんでしょうね」
新得町出身の伊藤さんは、中学校を卒業後、糠平にある木彫りの作家さんに弟子入りします。15歳の少年は糠平で10年ほど、木彫りの熊を彫り続けました。
その後、今の場所に居を構え、工房を作り、熊を彫り続ける日々が続きます。
「木彫り熊はお土産としての需要がすごく高かったのだけど、40歳くらいの頃にバブルが崩壊してからは需要が減り続けてね。その頃くらいからは、山に仕事に出たりしながら休みのときに彫っていました」
どれだけ疲れていても、仕事が大変でも、熊を彫ることは止めなかった伊藤さん。
「彫っていたら疲れないから。楽しいんですよ」
そんな木彫りに人生を賭けた伊藤さんの作品は目を奪われるものばかりです。
納得できたものを作れたことがない
「完璧だってご自身が思った作品はありますか?」そんなことを聞くと…。
「ないですねえ」と一言。
「完成しても、あっちが悪いこっちが悪いって思ってしまうんですよ。いつも途中で妥協して…。これだってここ…削れないから仕方がないんだよな…」
と一言。
「妥協して、これで勘弁してもらうかっていつも思ってます。それでも僕の作品を買ってくれる人もいる。申し訳ないなって思うけど、感謝しかありません」
伊藤さんは、熊を彫り続ける理由を「彫ることしかできないんだ」といいます。
「木ってのは面白いんですよ。今使っているえんじゅの木は、へりだけ色がつくんですよね。こんな風に白く。この白くなる部分を活かしながら、彫っていたりするんですよ」
この写真の熊の足裏のように、えんじゅの木が白くなる部分を活かして彫ることも。
「もう手に入らないかもしれないよ、僕の木彫り」
「もう手に入らないかもしれないですよ、僕の木彫り」
なんて不意に伊藤さんが言いました。こう見えて70歳を超えている伊藤さん。
「昔のように元気なわけじゃないので。カラダが思うように動くわけでもないですし」
続けて、
「星野道夫さんが大好きなんですよね。もちろん写真も大好きなんだけど。星野さん、熊に襲われて亡くなったでしょ」
探検家、写真家として活動をしていた星野さんの本を、伊藤さんは参考にしている。
「あまく見すぎたんだよな。熊を…。でも、熊に食われても襲われても良いって考えだったかも知れない。僕もこうやって彫っていて、そのまま死ねたらいいなって思ってて」
憧れの人になぞらえて、自身の最期も好きなことをやっている途中に終わりたいという伊藤さん。それほどにまで打ち込めるものがあるからこそ、こんなにも素敵な作品が出来上がるのだろうと、伊藤さんの木彫りに対する想いをヒシヒシと感じる一言でした。
でも、もっと作り続けてほしい。
いつまでも見ていることができる木彫りの熊に背を向けて、楽しい時間は過ぎていくのでした。伊藤さん、ありがとうございました。
人生初体験!狩猟に同行させてもらいました!~熊にも遭遇!?~
以前、じゃがいも収穫体験でお世話になった加藤農場の加藤宣夫さんは、上士幌町の猟友会に入会されています。狩猟がどのように行われているのかを見たことがない私は、「見学させていただけませんか」とダメもとでお願いしてみると「私で良ければ」と快く引き受けてくださいました。さて、どのような1日が待ち受けているのでしょうか。人生初の狩猟同行の一部始終をお伝えします。
WRITER
宮部 純香
上士幌町で生まれ、高校まで上士幌で過ごした編集サポートメンバー。小さい頃からお世話になった上士幌を新しい視点で見てみたいと取材を進めています。
狩猟体験当日は、吐く息が白くなるほど寒くなった11月上旬。朝7時に宣夫さんと待ち合わせをし、狩猟場所へ案内していただくことに。
おはようございます。今日はよろしくお願いします!
おはよう!今日は寒いね。これ、1本ずつ持って!
なんと、私たちのために温かいお茶を用意してくれていました。
ありがとうございます!
寒い体に宣夫さんの優しさが染みわたりました。さっそく、山へ出発します。
加藤さんたちは狩猟だけでなく、鹿の駆除もするとお聞きしたのですが、それはなぜですか?
鹿が畑の作物の味を覚えてしまって、農林業への被害も出ているんだよね。だから駆除を目的に山に入ることもあるよ。
捕った鹿はどうするんですか?皆さんで食べてしまうんですか?
引き取ってくれるところに卸すか、自分たちで持って帰るかかな。
今日は捕れたらジビエ料理をして食べたいですねー
いいね、そのために頑張らないとね。
宣夫さんたちとお話をしていると、あっという間に目的地周辺に到着しました。
時刻は午前8時過ぎ。いよいよ鹿の捜索が始まります。
草木の紅葉具合に目を奪われながらも、畑を過ぎて農道を通り、山の中へと進んでいきます。
その道中で、熊の糞を発見!(遭遇したのは熊の糞でした…)
これって近くに熊がいるということですか?
いや、この糞は日にちが経っているものだから、今ここに熊がいるわけではないね。
でも怖いですね。
ちなみに糞の色が紫なのは、山ブドウを食べたからだよ。
へー、こんなに色に出るんですね!
歩みを進めていくと、木の皮がはがれていることに気づきました。
これは、鹿が木の幹で角を削ったあとだよ。
痕はありますけどなかなか見つけられませんね。
大丈夫、林道はたくさんあるからね。
目視で見つけるのはなかなか難しいですね、木なのか鹿なのか見分け辛いです。
そうだよね、今は冬毛に変わってきているからね。
見つけたら、どのくらいの距離からなら狙い撃つことができるんですか?
そうだね、木が混んでいる場所では200mを超えると難しいかな。
やっぱり1発で仕留めるのが良いんですか?
そうだね。狙うのは首か頭だね。もし1発で仕留められずに体に当たったら、葉や地面に落ちている血の色で判断するんだよ。血が赤いとかすっていて、赤黒いと内臓にあたっているなとかね。
なるほど!そうやって判断するんですね。
宣夫さんとの話は弾みますが、鹿とは遭遇できないまま、次の場所へ移動します。
なかなかいないですねー。
鹿は天気が崩れる前に動くというからね。明日から天気が崩れるから、今日は良い日なはずなんだけどな。
残念ながら鹿を見つけることができないまま、お昼になってしまいます。宣夫さんの提案で、小川の見える場所でご飯を食べることに。宣夫さんは自分の分だけではなく、チョコレート、ゆで卵など、ほかのみんなの分までご飯を準備してくれていました。
お腹も心も満たされて、いざ午後の部へ。ふと窓の外を見ると、草の上に何やら白いものが。
あ!鹿の角だ。
え!拾いに行ってもいいですか!
やっぱり鹿の角だ!たくさんある。
これね、犬を飼っている人だったらほしいと思うな。犬が噛むおもちゃにもなるんだよ。あとは、飾ってもいいし、加工してもいいね。
もしかしたら近くにいるかもしれないですね!あ!これって鹿の糞ですよね!
鹿の糞からもここにいたかどうかってわかるんですか?
糞の光沢でわかるかな。光沢があるのは昨夜から今朝の間のもの。光沢がないものは昨日から前のものかな。
宣夫さんが丁寧にいろいろなことを教えてくださるので、私も鹿についてわかってきたのではないかという錯覚に陥ります。
目視で探していると、陽の光が射したり、影が揺れたりするだけでも鹿に見えてしまいます。何度か本物の鹿にも遭遇することができましたが、危険を察知してかすぐに逃げられてしまいました。
なかなかうまくいかないですね。
そうだね。日の入り時間わかるかな?
調べますね・・・16時18分になってます。
ありがとう。じゃあ、この場所が最後かな。
どうして日の入り時間を確認するんですか?
法律で銃を発砲できる時間が日の出から日の入りまでと決まっているんだよ。
狩猟もいろいろなルールが決められているんですね。勉強になります。
ここ、なんかいそうですけどねー。
あっ!いた!
え!ほんとにいた!
いやー、あれ仕留められるかな。
そう言いながら、少しづつ距離を縮めていく宣夫さん。鹿に走って逃げられては困るので、私たちは一言も発することなく、息をするのにも気を使うほど張り詰めた空気が流れます。
そして・・・
ズドンッ!
当たった!当たりましたよね!
鹿が走って奥の方へ入っていってしまったので慌てて追いかけます。
さらにもう一発。
ズドンッ!
少し離れたところにいる宣夫さんの様子を不安になりながら見ていると、両手で大きなOKサインが!
すごいっ!!やりましたね!!
仕留めた鹿を見るために宣夫さんに続いて山を登っていくと、
仕留めました!時刻は16時8分。無事に最後のチャンスをものにすることができました。
すぐに血抜きをしないと鮮度が落ちてしまうということで、手際よく処理をする宣夫さんともう1人のハンターさん。
最低限の処理を済ませた鹿を車に積み、解体場まで運び解体します。生々しい光景に目をそむけたくなりましたが、なんとか最後まで見届けました。
今回仕留めた鹿のお肉はいただいたので、後日調理してみました!
こちらは、鹿肉を鉄板で焼き、塩コショウと焼肉のタレにつけていただきました。
そしてこちらは、鹿肉カレーです。鹿肉と玉ねぎだけで作りました。
どちらも、とても美味しかったです!
鹿肉ときくと、獣臭いのかなと想像されると思いますが、宣夫さんが処理された鹿肉は絶品です!皆さんもぜひ機会がありましたら、”ジビエ料理”お試しください!
また、「美味しい食べ方があるよ!」という方がいましたら、教えていただきたいです。
今回の狩猟体験を快く引き受けてくださった宣夫さん、本当にありがとうございました!
「地方でデザインの仕事ができるわけがないと思っていた」上士幌町で好きなことを思い出した、ワンズプロダクツのこれまで
十勝にあふれる魅力的な食べ物、イベント、ヒト。それらを楽しく可愛らしくデザインするご夫婦が、ここ上士幌町にいます。お二人の屋号は「ワンズプロダクツ」。瀬野航さんと祥子さんの二人組デザインユニットです。上士幌町を中心に十勝の商品のパッケージデザインやイベントフライヤー、ロゴ制作など多岐にわたってデザインを手がけるお二人ですが、元々デザイン関係のお仕事に就いていたわけではありませんでした。2016年に上士幌町に移住し、現在に至る瀬野さんご夫婦のこれまでの歩みを奥様の祥子さんに伺いました。
WRITER
須藤 か志こ
釧路市在住の24歳。北海道の各地域に出向き、取材や執筆をしています。この記事の執筆のため、上士幌に初めて訪れ、その面白さに心が惹かれています。
仕事も家も決まっていないけれど「移住したい!」
服飾専門学校の文化服装学院で出会った航さんと祥子さん。その後アパレル関係の仕事に就いたお二人は、2014年にご結婚されたそうです。上士幌町に惚れ込んで東京からやってきて、仕事も住む場所もアテはなかったけれど、とにかく移住への思いが強かったというお二人。旅行先として訪ねた北海道で航さんから告げられた夢「いつか北海道に住めたらいいなあ」が、こんなに早く実現するとは思っていなかったと、祥子さんは話し出してくれました。
私たち夫婦は、よく理想の家族像を話すことがあり、その中の一つに「大自然の中で子育てをしたい」というものがありました。結婚して子供が産まれてからもしばらく東京に住んでいたのですが、その理想に近づくために移住を決意し、1年以内に実現させると決めたんです。それと同時に、夫は東京での勤め先に「あと1年で退職します」と伝えて。どこに住むかも何の仕事をするかも決まっていない状態で、一から移住先を決めることになりました。
なぜ移住先に上士幌町を選ばれたんですか?
移住先を調べるために北海道の自治体を調べていたとき、気になった町の一つが上士幌町でした。実際に移住フェアで話を聞いてみると、子育て支援が手厚く、当時2人目の子供を妊娠していた私たち夫婦にとっては大きな決め手でした。主人に実際に上士幌町に行ってもらい、送ってもらった町の写真を見て「ここにしよう!」と決めたんです。
そして2016年に移住されたんですね。
上士幌町で移住相談に乗ってくれる「上士幌コンシェルジュ」の方に協力していただき、町営住宅に住むことが決まり、私たちも仕事が決まりました。「北海道に住むなら自然と関わる仕事がしたい」という夫は林業に、私は近所のコンビニでパートを。二人とも今までアパレルの仕事しかしてこなかったのでわからないことばかりでしたが、理想の環境がそこにあることがとてもうれしかったですね。
とある生地との出会い
ただ、しばらくして夫が「仕事を辞めるかもしれない」と言い出しまして。以前から膝を怪我していたこともあり、体力的な負担も大きかったようで、朝ごはんを食べられないくらいになってしまって。そこで、「せっかく理想の暮らしができるようになったのに、無理して身体を壊したり、それで家族の時間が減るのは本末転倒だよね」という話をしまして。
そうだったんですね。
ただ、夫が林業を始めていなかったら出会わなかったものがあるんです。
出会わなかったもの?
林業に携わる人が使う前掛けがあるのですが、夫はその生地をとても気に入っていて。仕事が終わって家に帰るたび、その生地の話をしてくれました。私も手に取ったとき、「たしかにこれはいい生地だな」と思いました。夫が職場の先輩にその前掛けに使われている生地の話を訊くと、実は特注だったんです。陸別町の本田商店というテント屋さんが縫っているということでした。人伝てに紹介していただき、陸別町の本田商店の方に会いに行ったんですよ。
さすがアパレルご出身、生地への熱意が溢れていますね。
本田商店の本田学さんは、テント屋さんでもあり、陸別町の町議もされている人。本当に手広くいろいろなことに挑戦されている方なんです。「しばれ君・つららちゃんまんじゅう」というお土産品を知っていますか?
いえ、知りません。
本田商店はテントを作るほかに、そのおまんじゅうも作っているんです。陸別町の人気土産なんですよ。
テント屋さんでもあり、町議も務め、そしておまんじゅうを作る本田さん……。バイタリティがすごいですね。
そうでしょう?本田さんは突然訪ねてきた私たちにとてもよくしてくださって、生地の話をしてくれました。その話を聞いて、夫が「この生地でサコッシュを作らせてくれませんか?」ってお願いしたんです。
サコッシュですか?あの小さな鞄の。
当時夫が「サコッシュが欲しい」とよく言っていて、自分たちで試作品を作っていたんですよ。そのことを話したら、本田さんが「面白いね!作ってみるよ」と、その生地でサコッシュを作ってくださったんです。そのときは趣味の延長線上だったんですが、いま思えばあの出来事がワンズプロダクツの始まりでした。
やっぱり好きだったモノ作り
この出来事をきっかけに、私たち二人が大好きだった「モノ作り」に立ち返ることができた気がするんです。二人とも3年間服作りを学び、アパレル関係の仕事に就いていましたが、どこかで「移住して地方に住むなら、アパレルの仕事は諦めなければいけないんじゃないか」と思っていたんです。接客の仕事だけではなく、服を作ったりグッズを作ったりすることも、地方ではできないんじゃないかって。でも、地方でも「自分たちが欲しいと思ったものを、ここでできる限り作ってみる」ということはできるんじゃないかって気づくことができたんですよね。
二人の共通の好きだったことに立ち返ることができたんですね。
商品開発やデザインを仕事にすることができるんじゃないかと思ったのはこのときですね。そう思ったら、どんどんやりたいことや作ってみたいものが増えてきてしまって(笑)。その度に本田さんに相談して、「こんなもの作ってみたいんですけど……」というように相談しても、いつも「いいよ〜!」って笑顔で了承してくれるんですよ。
優しい……。そしてなんでも作ってくれる……。では、サコッシュなどのアパレルグッズの制作を始めてからはずっとお二人でモノ作りを?
当時はそれだけじゃ食べていけなかったので、私もパートを続け、夫も新しい仕事を探していました。移住時にもお世話になった「上士幌コンシェルジュ」の方に相談したところ、無事に新しい仕事が見つかり、また新しい上士幌生活が始まりました。
そうだったんですね。
ただ、やっぱり自分たちが楽しくできそうなことを見つけられたので、どうにかモノ作りで仕事ができないかなとは思っていたんです。でも周囲の皆さんには本当に心配されまして。
え、どうしてですか?
「そんなデザインやモノ作りじゃ食べていけないから!」って(笑)。ほとんどの人に反対されたんですよね。それは私たちも実感していたので、当時は何も言えず……。なので、それぞれ別々の職場で働きながら、お互いの仕事の隙間を合わせながらデザインやモノ作りの仕事をしていました。
私たち二人はアパレルのことはわかるけれど、パッケージデザインやグラフィックデザインのことは何もわからなかったので、一から勉強を始めました。上士幌で仕事をしていくなら、幅広くデザインができた方がいいと思ったんです。
それから、当時作っていたアパレルグッズは東京のお店に置いてもらっていたのですが、上士幌の人にも見てもらえるようなデザインやモノ作りの仕事もしたいと思いはじめました。そこで、上士幌町役場に伺って「上士幌町のノベルティグッズをつくりませんか?」という話をしに行ったんですね。上士幌町のタウシュベツ橋梁をプリントしたTシャツのデザインを持って行きました。そうしたら、「200枚お願いします」と言ってくださって。
すごい!初仕事ですね。
それをきっかけに、上士幌町の移住促進のTシャツや、北海道バルーンフェスティバルのTシャツだったり、少しずつお仕事をいただけるようになりまして。北海道バルーンフェスティバルでは、自分たちのオリジナルグッズもいくつか作り、出店させていただきました。タオルやマグカップなど、まさに「フェスグッズ」のようなラインナップでしたね。上士幌町役場の方も出店を応援してくださってうれしかったです。
作ったモノが、ヒトに出会わせてくれる
北海道バルーンフェスティバルに出店した際、私たちが作った帽子を士幌町道の駅 ピア21しほろの代表である堀田悠希さんが「可愛い!」と褒めてくださいまして。「ぜひ一度お話ししましょう」と声をかけてくださったんです。その後、道の駅に伺って「こんな感じのものが作れますよ」とプレゼンをしたんです。当時の私たちが作れるものはアパレル商品がメインだったのですが、堀田さんに「アイスのパッケージは作れますか?」と言われまして。
ほお。なんだか新しい展開が。
今だから言えるんですけれど、私は少し不安だったんです。やったことがなかったので……。でも、隣で夫が「できます!」と(笑)。
即答(笑)。
そこで作ったのが、しほろアイスクリーム4種類のパッケージです。このパッケージを堀田さんが採用してくださり、SNSなどで告知をしてくださったおかげで、パッケージの仕事もいただくことが増えました。このお仕事をきっかけにデザインの仕事が忙しくなり、夫はワンズプロダクツ1本で仕事をしていくことになったんです。
堀田さんはとてもバイタリティのある方で、いろんな方を紹介してくださるんですよ。おかげで今まで営業をかけて仕事をさせてもらっていたのが、「堀田さんから聞いたんですけど……」というように口コミで仕事をお願いしてもらえるようになったんです。
わあ、うれしいですね。
本田さんは制作過程だけではなく、私たちの仕事もとても応援してくださっているんです。本田さんの事務所に行くと、私たちが今まで作ったサコッシュやベルトなどのグッズが壁に飾ってあるんですよ。
お二人のことを親御さんのように見守られているんですね。
本田さんにはいろいろなことを教えてもらいました。本田さんのところには、地元のおばあちゃんが「孫のランドセルが壊れたから直してくれ」というような依頼も来るんですって。直すだけで1日かかるような仕事なんだけれども、お金はほとんどいただいていないそうなんです。「そういう仕事は断らないようにするんだよ。なんでも引き受けなきゃいけないということではないけれど、小さな仕事でも大事ね」って教えてくれて。
身に染みます……。
私たちも、できる限りご依頼いただいた仕事は断らないようにしています。断ることがあるとすれば、「納期で相手にご迷惑をおかけしそうなとき」くらいですね。それでも大変なことはあるんですが、そういうときは仕事場に飾ってある本田さんの選挙ポスターを見て、勇気をもらっています(笑)。
あ、そうか、本田さんは町議員さんでもあるんですもんね!(笑)
そうなんです。本田さんの笑顔を見て、教えていただいたことを思い出しています(笑)。
「やめときなよ!」の、その後
デザインやモノ作りの仕事を始めた当初は、周囲のほとんどの方から心配されていたというワンズプロダクツのお二人。移住してきて5年目のいま、多くの方に応援され、頼りにされるデザインユニットとして活躍中です。
今まで「大丈夫?」「やめておいた方がいいよ」と言ってくださった皆さんは、意地悪などではなく本当に心配してくださっていたんですよ。そういうことで食べていける人が今まであまりいなかったからだと思うんですね。デザインをするとかモノを作ることを趣味でやっている人はいても、「それでどうやってお金をいただくの?」という疑問があるみたいで。それから家にずっといるので、周りから見るとちょっと怪しいですよね(笑)。
なるほど(笑)。
でも、最近では「いつも見てるよ、本当によかったね」って声をかけてくれる人もいます。もちろんモノ作りは大変なこともあるけれど、とっても楽しいですよ。
2020年は変化の激しい年でした。新型コロナウイルスの影響はいかがでしたか?
新型コロナウイルスといえば、こんな出来事があったんですよ。新型コロナウイルスの話題で持ちきりで、マスクがマナーになりつつあった頃、こども園に通う子供たちが最初はマスクをしたがらなくて、どうしようかと思っていたんです。
この話とはまた別に、上士幌町のPTCA(上士幌町ではPTAではなく、PTCAとして、家族だけでなく地域で子供を見守ろうという取り組みがある)での企画で、上士幌町のオリジナルヒーロー・エゾレッドを考案したんです。100均ショップでエゾレッドの衣装や小道具を作っていて、子供たちとのイベントに登場してもらうようなヒーローなんですけれど。
すごい!かっこいいですね。
このエゾレッドは上士幌町の子供たちにも人気があったので、「エゾレッド柄のマスクを作ったら、みんなつけてくれるんじゃないか?」ということで、エゾレッド柄の布をまず作ったんですよ。
ええ!すごい!
そうしたら、こども園の先生方も一緒にその布を使ったマスクを作ってくれて。こども園に通う子たち一人ひとりにプレゼントしたんです。
子供たち、絶対喜びますよね。
そうなんです。やっぱりヒーローの力ってすごいですね(笑)。だから、上士幌町のこども園に通う子たちはエゾレッドのマスクを必ず持ってると思いますよ。エゾレッドにあやかって、「みんなでコロナをやっつけよう!」という啓蒙ステッカーも作ったりしたんです。このことだけじゃなく、少しずつ自分たちができることで町に関われている実感があります。初めは自分たち自身も不安でしたし、町の皆さんにもご心配をおかけしていたと思うんですが、いまは自分たちが手掛けたデザインが上士幌町に広がっていることが感慨深いですね。
「自分たちに、地方でデザインの仕事なんてできるわけがない」。心のどこかでそんな風に思っていたお二人が、周囲の人に応援されながら駆け抜けた4年間のお話を伺いました。
「周りの皆さんには心配ばかりおかけして……」と笑う祥子さんですが、それはきっと瀬野家の皆さんが愛されているからだと思わずにはいられないほど、チャーミングな祥子さん。
ワンズプロダクツのInstagramには、パッケージからロゴ、イベントフライヤーまで、お二人が手掛けられたデザインがずらり。そのどれもが生き生きとしていて、デザインを通じて瀬野家の皆さんが上士幌町での生活を楽しんでいる様子が伝わってきます。
【ワンズプロダクツ】
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常に楽しく働いてもらえるように 〜ルピナの星代表にインタビュー・後編〜
町の人たちの生活を長きに渡って支えるルピナ。83歳になった星さんは社長に就任して40年になります。前編では、社長が今でも現役でいることの秘訣をお聞きすることができましたが、後編は、長く続くスタッフさんがたくさんいる理由や、独自の商品などを開発する理由などをお聞きしました。
WRITER
西村 奈々子
大阪出身。父が上士幌に移住。大学卒業まで、父が愛した上士幌に来ている大学生。私もこの町を愛したい。好きなことは上士幌の町を自転車で駆け抜けること。
温かな社長と従業員の関係性
ルピナの従業員の皆さんは、長く働いてらっしゃる方が多いと聞きました。
おかげさまでね、たくさんいますよ。長い人で、10年もいる人もいるし、5年以上も多いです。
居心地がいいとか働きやすいという理由でしょうか?
そうですね。皆さんそう言ってくれますね。
星さん自身、従業員の皆さんに対して、何か意識されてることはありますか?
やっぱり、コミュニケーションをお互いにうまく取っているのがいいのかなあって考えています。どうしても社長とは話しづらいとか、あるでしょう。でもそれがないように考えながらやっているね。
いいですね。
従業員もその気になって接してくれるし、冗談なんか言ったりしてね。そういう意味では、いいのかなと思ってるね。
どういうコミュニケーションを意識されているんですか?
仕事のことのほかにも、世間話とか。こっちから声をかけたりして、話してるよ。
なるほど。
仕事ってやっぱり、なんも話さなかったら楽しくないでしょう。
毎日同じ作業も多くなってきますものね。
そうそう。だからね、冗談言ったりなんかしてやるのが、みんなも楽しいんじゃないかと思ってる。そういう面ではね、前向きに話しかけたりしてるね。
従業員の方を褒められたりもするんですか?
そうですね。刺身が上手にできてたら、「いやあ、上手にできてるね」って。いろいろやる中でそういう風に言われると相手は喜ぶでしょう。嬉しいでしょう。
嬉しいですよね。失礼ながら、星さんの年代って、私自身の祖父くらいなんですけど、その世代の人たちのイメージって頑固な人が多くて、褒めずに、怒ってばっかりという印象が凄くあるんです。
はい。それはね、私も昔働いていてそういう風なこともありました。
それが逆に嫌だったから・・・
いやもうね、それじゃ従業員も育たないし、長く居ないんじゃないかなと思って。私自身は相当昔怒られましたよ。
それで、ご自身が社長に就任されるときには、そういうことがないようにと意識しておられたんですね。
そうですね。やっぱり褒めるなどのコニュニケーションを取っていかなと、怒ってばっかりいたら、育たないしついてこないですしね。
楽しくないですもんね。
そうそう、その通りなんだよね。失敗しても、それはそれでまた次できるようになればいいんだから、「ダメだよ」とかそういう風には言わない。「これはもう仕方ないよ」っていう風にやらないと。従業員に対してそうやって気をつかえないとついてこないですよ。
凄いなあ。めちゃめちゃ素敵です。働いてもらう人がいないと事業にならないですもんね。
うんうん。だから、常に楽しく働いてもらえるように考えないとね。
でもそういうお父さんの姿を見てるから息子さんもついていきたいと思うんでしょうね。きっと憧れなんですよ。
いやあ、ありがたいなあとは思ってます。おかげさまでそうやって、店舗全体のことは息子が見てくれるから。
(インタビュー前に)お話で聞いた経営の役割分担のイメージなんですけど、新しい事業をやって攻めておられるのが専務。店長が全体の総括を担っていて、雰囲気づくりを社長がされているのかなと。(店長も専務も息子さん)
うんうん、そうですね。やっぱりそうして、分担していかないとね。
素晴らしいバランスですよね。ルピナの建物自体も古き良きをずっと残されていて、残しながらも、トカトカ(パン屋さん)みたいな新しいものもつくっていくという。そうやって上士幌町の人に愛され続けてるんだなあって。
おかげさまでね、パン屋さんをやることによって会社全体も良くなっています。スーパーは帯広とかからもチラシがたくさん入ってくるので、町の人が週末帯広に行ってしまうんですよね。
その対策として、地元の人に向けて、なにか意識されていることはあるんですか?
特売は、毎日し続けてますからね。
本当に!いつも特売でびっくりします(笑)。
毎日やってるからね(笑)。
いつも特売だから、いいものを見つけたら買っちゃいますよね!
そうですね。
何かしらの目玉商品を毎日置いてるんですね。
本当に帯広から大手スーパーのチラシがどんどん入ってきますから。バルーンフェスティバルのときなんて、コンビニに人が凄い来たみたいです。
この規模の町だと、本当に人の流れが変わったらすぐにわかりそうですよね。
そうですね。だから5000人くらいの町でやっていくとなると、帯広に人が流れてしまうといなくなっちゃいますよ。
上士幌町でこうやって良い商品や、美味しい地元のお肉が買えるのは、魅力だし地元の人にこそ買ってほしいですよね。
わざわざ、ガソリンを使って帯広まで行っても。帯広も目玉の商品は安いですけど、定番の品は高かったりしますからね。
取り扱っている商品でこだわっているものはなんでしょう?
やはりうちは肉と惣菜とかかね。魚もそうですけど。やっぱり肉を一番メインにしていますね。惣菜も種類をたくさん用意して喜んでいただけるように考えています。
ルピナで買いたい、おすすめの商品
この間、取材で使って美味しくいただいた上士幌ポークを販売しておられるのは、ルピナさんだけですよね?
そうだね。
上士幌ポークの販路は?
全農さんが北居辺で飼育している豚なんですよ。
なるほど。上士幌ポークの特徴ってどんなところですか?
ほかの豚と比べると、全然臭みがないんですよ。豚丼などに調理してもすぐわかるから、帯広などからも買いに来られる方も多いんです。一般の店で上士幌ポークを販売してるのは、うちだけだと思います。あと、ふるさと納税で上士幌ポークとナイタイ和牛はかなり使われていますね。
北海道の内陸部なのに魚介が揃ってるとこも、町の人は嬉しいと思います!貝から魚まで種類が豊富ですよね。
ありがとう。それでもまだ少ないかなって、また開拓していかなならんなとは思うね。
そうやっていろんな場所から仕入れるとなると、それだけお仕事が増えて大変になるじゃないですか。それでも仕入れる理由ってなんでしょう。
やはり、お客様に良いものを提供したいという気持ちですね。なかなか難しいけど。
いやいや、いつもここに来ては欲しいもの見つけて、美味しくいただいています。
ありがとうございます。お客様の心理を読んでね、提供してあげないとダメだなあと思ってます。
何が良いかなあっていつも考えて、仕入れているんですね。
そうそう。
仕入れも同行されるんですか?
今は仕入れは全部ファックスで送ると、品物を揃えてもらって送られてくるんです。
なるほど。
大体、前日の午後3時から4時までに頼んだものが次の日の朝7時に届くようになってます。
知らなかったです。そういったお仕事もされているんですね。
そうですね。あと、若い人に任せたりしつつ。ある程度、頭は休めないとね(笑)。
はい、そうしてください。本当に働き者すぎます(笑)。
一つひとつ従業員に教えながらね。
心強いですね。
いやあ、その通りです。今の人たちはみんなすごく覚えるのが早いですからね、教えがたいもありますしね。なんせ厳しい世の中ですからね。
そうですね。移り変わる世の中ですもんね。そんな中でも続けていかれて欲しいです。
はい!これから頑張っていきます。
いつも食卓を支えていただいてます!
いつも町の人を、従業員を想い、熱心に働き続ける。そんな社長だからこそ、周りの人は心からついていきたい、一緒に働きたいと思うのだと感じました。社長の笑顔からは、優しく温かい人柄が滲み出ています。これからも、ルピナでその姿を見ていたい!ずっとお世話になりたいスーパーです。
星さん、本当にありがとうございました!
働いているから83歳になっても元気な理由 〜ルピナの星代表にインタビュー・前編〜
町の人たちの生活を長きに渡って支えるルピナ。83歳になった星さんは社長に就任して40年になります。働き始めた当初のお話や、今でも現役でいることができる秘訣などをお聞きしました。そこには「町の人を思いやる心」「社員を思いやる心」が詰まっていました。心がほっこり温かくなるお話となっていますので、ぜひご一読ください。
WRITER
西村 奈々子
大阪出身。父が上士幌に移住。大学卒業まで、父が愛した上士幌に来ている大学生。私もこの町を愛したい。好きなことは上士幌の町を自転車で駆け抜けること。
ルピナの辿った歴史
こんにちは!お忙しい中、お時間を作っていただいて本当にありがとうございます!
いえいえ、私にお話しできることならなんなりと聞いてください。
はい!よろしくお願いします!
温かく微笑む社長に出迎えていただきました。
星さんは上士幌町の出身ですか?
いえ、違います。出身は本別町で、上士幌に来たのが昭和29年。18歳のときかな。
何がきっかけで上士幌町に来られたんですか?
前の社長の片原さんが家のそばにいたんですよね。それで、後継者がいないと言われて。じゃあ、まあ働いてみるかっていうことで働きはじめました。来てから苦労したけどね。
来てすぐに働かれたんですね。
そうですね。次の日から、社長の家族のところに住み込みでね。結婚するまでずっと働いてました。やっぱりね、長くなってくると大変でしたよ。石の上にも3年って言うけれど、本当にね、いろいろありました。
当時はどういうお店だったんですか?
大体、30坪くらいの店舗でね。
創業当初は酒の量り売りをされていたと聞きました。
そうです!酒も、醤油も、砂糖も、油も全部量り売りでした。袋詰めの商品が当時なかったですからね。配達も車がなかったので自転車で配達。
自転車ですか!
そうですね。ご用聞きと言って、個人宅に注文を取りに行ってました。市場は帯広ですから、朝5時に上士幌の同業者などと一緒に手配した車で帯広に行って、上士幌に帰ってくるのが10時過ぎ。そこから店頭に並べたり、自転車で配達をしてましたよ。
1日何軒くらい行かれてたんですか?
大体ね、10軒くらいかな。2人で分けて毎日20軒くらい配達していました。自転車に山盛りに荷物乗せて走っていたから大変ですよね、なんせ車がないんだから。
いやあ、本当ですよね。道も悪いし。
そうそう、砂利道だからね。昔は寒いから。
え!冬場も自転車ですか?
うん、冬場も関係なく配達するよ。マイナス30度の中で。
走れるんですか!?
まあ、リヤカーとか使ったりしてなんとかしてたなあ。すごく寒いよ。
想像を絶します。
道が悪くてバランス崩して、酒を壊したりもしました。冬場は今と違って寒かったね。
ご用聞きのお客様はどういった方ですか?
病院とか、普通の家庭の人たちのところにご用聞きに行って、品物を持っていくと喜んでくれました。若い人は買いに来れるけど、年配の方は出歩くのが大変だから助かるんだって。
そうですよね。
そういう時代だったんですね。この写真は今のルピナがあるところですか?
いや、神社の下の大通りにあった。昔は国道で一番メインの通りだったんです。今は町道だけどね。
昔はそこが栄えてたんですね。
そう。そこから今のルピナの場所に移転してきたのが平成11年。そのときに店名もルピナになったんです。
元々は八百屋のような店舗を別の大通りに構えておられてそこがスーパーになり、今の場所に移転したという形ですか?
そうですね。前の店舗は土地が狭いし困っていたときに、ちょうど農協が小売事業をやめるという話になって。そのあとを継いで今の場所でやることになったんですね。
社長になったきっかけ、続ける理由
社長になられたのはいつですか?
代表になったのは昭和56年。43歳のときですね。前の社長が任せてくれてから、いろいろ悩むことはあったんだけど、この店を続けていきたかったからずっとやってきたね。今は息子たちも後を継ぐと言ってくれて。
星さんの息子さんですか?
そうそう。
えー素晴らしい!
息子が2人いるんだけど、一人はルピナの店長を、もう一人は専務としてトカトカのパン屋さんとか肉屋さんの事業をやっています。
じゃあ、社長が就任されたときにはもう息子さんも働いておられたんですか?
店長は1〜2年違うところに行っていて、そこからこっちに来て。専務は高校が終わって半年後に戻ってきたんだよ。
二人の息子さんもここでやるから、お父さんは社長に就任したということですね。
ええ、そうですね。息子に対しては、自分の好きな道を選んでいいんだよって言っても、やるって言ったから。それでずっとやってもらってるって感じですね。
えー、嬉しいことですね。
そうですね。
今年で社長を続けられて40年目になるんですね。
そうなるね。
それだけ長く社長をされていて、続けられる理由ってなんでしょう。
働いているから体が動くのかなあと思っていてね。これで家にいたらボケちゃうから。
現場に出るっていうことはずっとモットーにされておられるんですか?
そうですね。朝5時半に来て、いろいろ下準備しなくちゃならないからね。それが体にいいのかなと思ってるね。
鮮魚コーナーに立たれているのをよくお見かけします。
そうだね。そのほかにも野菜とか、お肉とかも見て、足りないもの足したりしてやらないと、お客様にご不便をかけますからね。
何時まで働いてるんですか?
今は19時ごろまで、大体ね。休みは週に1回から2回でシフトしていますけどね。
朝早くから夜までですね。
でも、それがいいと思うよ。動いているから元気でいられるね。
本当にお元気ですもんね。
おかげさまで。やっぱり年々体が言うこと聞かなくなってくるけどね。もうここで働いて50年になるからさ、そろそろ引退しなくちゃならないかなとも思うけど(笑)。引退しちゃうとボケちゃうよね。動いてるうちはいいよ。
現場に立つ以外にも、心掛けてらっしゃることってありますか?
元気なうちに家内と一緒に旅行をしたいなっていう構想は持ってるんだけど。
素敵〜!
今は休みでも、なんだかんだお客様が来たりしてね。
長いお休みを取られてないんですね。奥様とはどこにも行けてないのですか?
そうですね。月に1回か、実家に行ったりとかするときもあるけどね。いやあ、動いてるうちはいいなあと思って。気分的にも違うかなと思ってる。
うんうん。
あんまり休むと体が、ついてこなくなるよね。
なるほど。息子さんに「休みをとって、お母さんとどこか出かけておいでよ」と言われても体が鈍るからいいかなということですか?
そうそう!本当にそうなんだよね!1日いっぱいゴロゴロしてると、逆に体が疲れてきちゃうんだよね(笑)。
そうなんですね(笑)。
だからやっぱり動いてる方がいいなあって。
休みの日は何をされてるんですか?
休みの日はね、書類をちょっと書くね。
仕事をされているんですか!
仕事というか自分のちょっと書類をまとめるとかしてるね。
それは休みじゃないですね(笑)。
なかなかね(笑)。
そうやってずっとお仕事されている中で、何か楽しみとか喜びはどういうときに感じられるんですか?
そうですね。たまに、ゆっくり休みたいと思っても、さっき言ったようにあんまり休んでも逆に体が鈍るから。
動くのが大切なんですね。
そうですね、以前はパークゴルフもやっていたんだけど、そんなに時間がないからやってなくて。休みと言ったって、半日ゆっくりしただけでそれ以上休むと逆に体が疲れちゃう。
それは昔からそうなんですか。
そうですね。なんせもう、動いてる方がいいもんね。みんなには少し休みなさいなって言われるけど(笑)。
あはは(笑)。
休んだらボケちゃうんだよって言ったら、そうだよねって言われるけど、本当にそうなんだよ。
社長が今日まで元気な理由は「働き続けること」といいます。その根底には、喜んでいる、求めてくれているお客様がいるからということも理由の一つのようです。生きている限り元気でいたいと思う私は、星さんの生き方にとても学ぶことがあるように思いました。
次回、後編は長く働いている方が多いという従業員への接し方などをお聞きしています。一緒に働く方との接し方についても学ぶべきことが多い素敵な考え方をされている星さんのお話。ぜひ後編もご期待ください。