移住体験おすすめ!上士幌町の「人」に触れ合うコンテンツを紹介します。
本日はちょっと変わった移住体験記事を書いてみます!2020年に約5カ月を過ごしてきた上士幌町。このページを閲覧いただいている皆さんには、せっかくホロロジーという「上士幌町の人」を紹介している本サイトに訪れてもらいましたので、サイトで紹介している記事を通して、私たちが上士幌町でどんな人と出会えたか、どんな遊びができたか、などをご紹介していきます!とっても実践的でリアルな内容ですので、ぜひご期待ください!
WRITER
田中 亮 (たなか りょう)
JICA訓練生。1982年生まれ。茨城県出身。JICA訓練生として、2020年8月末に上士幌町にきて、約5ヶ月間上士幌町に滞在していました。基本的には、ハレタかみしほろの2階にあるシェアハウスに滞在していたのですが、ご縁あって、1ヶ月だけ旧教員住宅の「体験住宅」に住んでいました。
実際に上士幌町に移住やUターンした人に話を聞きました!!
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飲食店もご飯も充実!
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自然を満喫するぞ
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周辺環境について
体験移住!と名売ってこの記事を作成していますので、街中にある周辺環境についても簡単に紹介します!
街中には上士幌町スポーツセンターがあります。上士幌町に住んでいれば、無料で備え付けのマシンを使ってトレーニングをすることができ、しかも、夜の9時30分まで営業!
温泉施設ふれあいプラザでお風呂とサウナも入れます!しかも温泉に300円で入ることができ、サウナまでついているのでとてもお得です。
お出かけ足編
車はなかったのですが、体験移住住宅から徒歩圏内に商店やコンビニがあります。遠出をしたい時などは、バスやカーシェアリングを利用することも可能です!
上士幌町交通ターミナルがあり、帯広方面や糠平方面行きのバスの停留所があります。待合室は、Wi-Fiと電源があるのも嬉しいポイント!
上士幌町内にカーシェアのサービスもあるのでとっても便利!
ということで、いかがでしたでしょうか?
たくさんの素敵な人がいるのも上士幌町の特徴の一つ。何より、地方移住が当たり前ではなかった20年以上前から移住者を受け入れる土壌があったということがとても素敵なポイントでもあります。ぜひぜひ、上士幌町に移住体験をして、この記事を参考にたくさんの人と出会っていただければと思います。
【中高生が取材体験!Part4】取材体験をしてみた∞ゼミメンバーの感想
ホロロジーの取材体験 Par4!上士幌町の中高生が所属する「∞ゼミ(マルマルゼミ)」の協力のもと、上士幌町を盛り上げていきたい!という思いをもって活動されている有志団体「フリーフライト」の皆さんにお話を伺ってきました。これまでのPart3までで取材を終えた∞ゼミのメンバーに感想を聞いてみました。「取材する」ことと「記事にする」という体験を初めて経験した生徒の皆さんはどんな感想を持ったのでしょうか?
過去の記事はリンクから↓
Part1 フリーフライトってどんなことしてるんですか?
Part2 フリーフライトのやりがいって?
Part3 用意していた質問が尽きてしまった??
∞ゼミメンバー
ゼミのメンバーには、取材準備・取材・文字起こしまでをお願いしました。メンバー紹介とともに、ゼミ内での役割分担を説明します。
・原口龍煌さん:取材リーダー、インタビュアー(取材準備・取材)
・齊藤香暖さん:質問の考案、リーダーのサポート役(取材準備・取材)
・梅津千尋さん:質問の考案、リーダーのサポート役(取材準備・取材・文字起こし)
・戸枝綺音さん:取材当日の写真撮影担当(取材準備・取材・文字起こし)
・戸枝琴音さん:取材当日の写真撮影担当(取材準備・取材・文字起こし)
・堀江大智さん:質問の考案、文字起こし担当(取材準備・文字起こし)
・西丸知那さん:質問の考案、文字起こし担当(取材準備・文字起こし)
それぞれの感想
齊藤:今回初めてゼミとして取材を経験でき、とても貴重な体験になりました。取材後の活動にあまり参加できなかったため、中途半端で終わってしまったことが少し後悔です。今回の取材の経験を生かし今後の自分の糧にしていきたいと思います。
原口:初めての取材でしたので緊張しました。ですがそれ以上に良い経験をさせていただきましたこの経験は忘れません。いつも来なかったのはこっちでいろいろあったので、次回からちゃんとゼミ行きます、すいません。
戸枝絢:最初は「写真撮るだけだし楽だろう」と軽い気持ちだったけど、実際にやってみるとすごい大変だったし、文字起こしするときもいちいち聞いては書いてとするのが大変でした。写真を撮るのは楽しかった。ただ文字起こしが大変すぎた。やめたいと思った?という質問に対し、やめたいと思ったことはないという答えが出てきたのはびっくりしました。楽しかったのでまたやりたい!とは思ったのですがちょっと大変だ。
戸枝琴:最初は特に難しくないだろうと思っていた。でもやってみるとどの角度から取ろうか迷って、なかなか難しいなと思った。どんな角度から撮ればうまくいくか試行錯誤が大変だった。クロワッサンドのくだりと辞めたいと思ったことはあるかという質問に対する答えが印象に残っている。自分にはあまり向いて と思った。
梅津:取材前は全体的に難しそうだと思ってたけど、やってみると意外と楽しかった。一番大変だったのは文字起こしです。節分の日にこども園に行って鬼役をやる話が印象に残っている。どの質問に対しても笑って答えてくれたから面白かった。取材のすべてじゃなく文字起こしとかならやってみたいと思った。
一番多く聞こえた声は、「文字起こしが大変だった」という意見。聞いては書いてを繰り返す作業は、今までやったことのない経験で、みんな苦戦していたようです。他には、「どの角度から撮ろうか迷ってしまい試行錯誤した」「いい経験になったので忘れない」などの意見をもらいました。その中で僕自身が関われてよかったなと思えたのは「またやってみたい」という意見があったことです。
そして皆さんはこの取材や生徒たちの感想を読んでみて、どう思われましたか?
私は中高生にもっともっと様々な挑戦をして欲しいと思いました。そして、年齢の垣根を越えて、上士幌町で暮らす人たちとたくさん話をして欲しいなと思いました。私自身もホロロジーのライターを経験して、上士幌町のことをまだまだ知らなかったことに気づき、かっこいい、おもしろい町民がたくさんいることを知りました。今後、ホロロジーは世代を越えて人と人とを繋ぐプラットホームになる可能性を秘め、町民にとって素晴らしい機会を創出できるのではないかと感じました。
また∞ゼミとのコラボができるかな?と期待をしつつ、協力してくれた7人に大きな拍手を送りたいです。本当にありがとうございました!
【中高生が取材体験!Part3】用意していた質問が尽きてしまった??
ホロロジーの取材体験 Par3!上士幌町の中高生が所属する「∞ゼミ(マルマルゼミ)」の協力のもと、上士幌町を盛り上げていきたい!という思いをもって活動されている有志団体「フリーフライト」の皆さんにお話を伺ってきました。
過去の記事はリンクから↓
Part1 フリーフライトってどんなことしてるんですか?
Part2 フリーフライトのやりがいって?
「∞ゼミ」は上士幌町教育委員会主催事業で、中高生の視点から地域課題を考え、解決を目指しながら自らの”やりたい”を見つけ、その実現を目指す中高生団体です。ゼミのメンバーには、取材準備、取材、文字起こしまでをお願いしました。
最終回Part3は、質問し切った中高生にまだまだ物足りないと、フリーフライトメンバーから質問のおかわりが!この窮地に中高生はどんな対応を見せるのか、ご覧ください!
∞ゼミメンバー
ゼミのメンバーには、取材準備・取材・文字起こしまでをお願いしました。メンバー紹介とともに、ゼミ内での役割分担を説明します。
・原口龍煌さん:取材リーダー、インタビュアー(取材準備・取材)
・齊藤香暖さん:質問の考案、リーダーのサポート役(取材準備・取材)
・梅津千尋さん:質問の考案、リーダーのサポート役(取材準備・取材・文字起こし)
・戸枝綺音さん:取材当日の写真撮影担当(取材準備・取材・文字起こし)
・戸枝琴音さん:取材当日の写真撮影担当(取材準備・取材・文字起こし)
・堀江大智さん:質問の考案、文字起こし担当(取材準備・文字起こし)
・西丸知那さん:質問の考案、文字起こし担当(取材準備・文字起こし)
フリーフライトメンバー
・嘉藤貴之さん:フリーフライトリーダー、ルピナ勤務
・四戸智昭さん:こども園の先生、薪割りの取材でお世話になりました
・北西莉乃さん:小中学校の栄養教諭、上士幌産の食材レシピでお世話になりました
質問が尽き、大人のむちゃぶりと闘う
あれ、もう終わり?なんでもいいよ。今、何か今ぱっと思いついた質問でも。
うーん・・・
ちょうだいちょうだい。
おかわり欲しくなっちゃってる(笑)。
じゃあ、企業理念は?
一同:(笑)
企業理念!?僕ら企業じゃないけど(笑)、理念は、「楽しく・みんなで・笑顔で、助け合う」だっけ?
「だれでも・笑顔・つなげる」だったかな(笑)。
ぼやっとしてるなぁ(笑)
一同:(笑)
あとは?質問ちょうだいちょうだい。
好きな食べ物は?
一同:(笑)
振り絞ったね。
これが終わりの合図だな(笑)。それはもちろんナイタイ和牛でしょ!毎朝食べてるよ。
朝(笑)。
食べ方は?
ご飯の上にドンっとステーキをのせて。それを見ながらパンを食べてる。
一同:(笑)
もっともっと。
対象年齢は?
対象年齢は決めてないよね。地域の活動に興味があれば、何歳でもウェルカムです。
趣味は?
趣味ないんだよなぁ。たつき(原口さん)は?
けん玉と、ドリフトラジコン。
ドリフトラジコン?
ラジコンでドリフトやってる。
ラジコンね。いいよね、趣味あるって。
けん玉やりましょう!
けん玉やっちゃう?
だめよ、膝曲がらないから(笑)。
一同:(笑)
そうそう。膝は曲がらないし、みんなに下手だって言われるの嫌だもんな(笑)。
つづいては∞ゼミへ逆質問
逆に質問してもいい?どんなイベントがあったら、上士幌町は楽しくなると思う?
ほかのところにないようなお祭りとか、奇抜な屋台とか・・・
去年は全然なかったけど、やっぱり祭りって楽しいよね。昔いっぱいあったよね。(原口さんに同意を求める)
いや同年代じゃないから。
一同:(笑)
たかさん(嘉藤さん)の時代は、どのぐらい祭りあったの?今は4つくらいしかないけど。
今とそんなに変わらないけど、秋祭りが2日間だったよ。当時は神社祭って呼んでいて、祭りの日は小中学校は3時間授業だったから学校が終わったら、みんなで「祭り行こう!」ってなってた。
そんな時代があったんだね。
経験ない?
ないなぁ。でもいいね、そういうの。
やっぱり祭りも含め、新しいことができれば町は盛り上がるし、自分たちがあったらいいなぁということを考えていきたいね。
フリーフライトの今後の活動、そしてついに取材終了!
あとは?何か質問ある?
今後の活動って決まっていますか?
まだ具体的には決まってないです。ちなみに、去年はコロナの影響でほとんど活動できなかったんだ。2021年もまだコロナの影響は続きそうだから、人を集めたり、密になるようなことは避けていかないといけないよね。それでもできることはあると思うので、しっかり対策をしつつ、自分たちでやれること、世の中に許されることを考えて、今年はかたちにしていきたいなと思ってます。
難しそうですね。でも何か一緒にできたら楽しそう!
一同:(しばしの沈黙)
一回休憩にするか?
続くの?終わらせようよ(笑)
一同:(笑)
今日はいろんな質問をさせていただきありがとうございます。ホロロジーの記事掲載に向けて頑張ります。
一同:ありがとうございました。
いかがでしたでしょうか?
こうしてみんなで書き上げた取材は終了しました。
次回のPart4は∞ゼミのメンバーに今回の取材の取り組みを行ってみた感想をまとめています。ぜひご覧ください!
【中高生が取材体験!Part2】フリーフライトのやりがいって?
ホロロジーの取材体験 Part2!上士幌町の中高生が所属する「∞ゼミ(マルマルゼミ)」の協力のもと、上士幌町を盛り上げていきたい!という思いをもって活動されている有志団体「フリーフライト」の皆さんにお話を伺ってきました。Part1はこちらから
「∞ゼミ」は上士幌町教育委員会主催事業で、中高生の視点から地域課題を考え、解決を目指しながら自らの”やりたい”を見つけ、その実現を目指す中高生団体です。ゼミのメンバーには、取材準備、取材、文字起こしまでをお願いしました。
Part2はフリーフライトの活動の内部事情やどんなところから活動の依頼が来るかなど、少し掘り下げた内容を伺っていきます、ご覧ください!
∞ゼミメンバー
ゼミのメンバーには、取材準備・取材・文字起こしまでをお願いしました。メンバー紹介とともに、ゼミ内での役割分担を説明します。
・原口龍煌さん:取材リーダー、インタビュアー(取材準備・取材)
・齊藤香暖さん:質問の考案、リーダーのサポート役(取材準備・取材)
・梅津千尋さん:質問の考案、リーダーのサポート役(取材準備・取材・文字起こし)
・戸枝綺音さん:取材当日の写真撮影担当(取材準備・取材・文字起こし)
・戸枝琴音さん:取材当日の写真撮影担当(取材準備・取材・文字起こし)
・堀江大智さん:質問の考案、文字起こし担当(取材準備・文字起こし)
・西丸知那さん:質問の考案、文字起こし担当(取材準備・文字起こし)
フリーフライトメンバー
・嘉藤貴之さん:フリーフライトリーダー、ルピナ勤務
・四戸智昭さん:こども園の先生、薪割りの取材でお世話になりました
・北西莉乃さん:小中学校の栄養教諭、上士幌産の食材レシピでお世話になりました
活動のやりがいと原口が聞いてみたかったこと
活動をしていてやりがいを感じるときってどんなときですか?
やりがいといえば、クリスマス大作戦のときに子どもたちが「すごいサンタさんだ~やった~!きた~!」と喜んでくれたのがまずうれしい!あとはいろんな人との出会い。イベントに参加することでメンバーだけじゃなく、町内に住んでるけど、少し遠い存在だった人もつながることができて、そういうところが面白いなと思っています。
楽しかったこと、辛かったことはありますか?
ナイタイテラスでクロワッサンドを販売して、特に町外の人と触れ合う機会が多かったのは、楽しかったな。あとは初代の兼子さんがやっていた気球焼き。「受け継いでくれる人できたんだね」「若い人やってくれてよかったな」っていう声が聞けたときはうれしかったね。
辛かったことは?
辛かったのは、冬のバルーンミーティングの焼きマシュマロだったかな。寒すぎて、自分は一体何をしているんだろうと思うときがありました(笑)。
次は僕が個人的に聞きたいことなんですが、辞めたいと思ったことはありますか
みんなの前では言えないこともあるから、後で2人きりで話そうか(笑)。
一同:(爆笑)
と言うのは冗談で自分はないよ、辞めようと思ったことはないね。
やりたくないときはやらなくていいかなって思ってるからね。例えばたかさん(嘉藤さん)が何かやろうって言ったときに、自分はやりたくないなと思ったら、参加はしなくてもいいと思っているからね。
やりたいことをやりたい人たちでやればいいってスタンスだから。
フリーフライトのまとまりの秘訣
僕らから見たらフリーフライトはまとまりがあると思っているんですが、なぜそんなにまとまりがあるんですか?
1人でいられないから。
一同:(爆笑)
やっぱり嘉藤さんのおかげじゃないですかね。リーダーが大事。
あとでお小遣いあげないといけないね(笑)。
実のところを言うと、そもそもまとまろうとはしていないよね。フリーフライトの活動は答えがあるわけじゃないから、自然と目標に向かいながらまとまっていってる感じかもしれないね。
あとは、誰のためにやるかがはっきりしてるからかな。私たちの場合は町や町民の人たち。
フリーフライトのワーク手法
ずっと気になっていたんですけど、その後ろの紙ってなんですか?(ワークシートを指差して)
これはね、フリーフライトが活動するときにいろいろと企画を練るわけだけど、みんなで考えたアイデアをこうやって模造紙に書いていくんだ。
楽しそう。
さっき言わなかったんだけど、フリーフライトの活動で熱気球のカードを作ってるんだよね。「モンゴルフィエカード」って知ってる?
全部揃えました。
ほんとに!?メンバーも全部持ってないのに(笑)。あのカードは、子どもたちが気球に興味を持ってくれるものを作りたいねっていう話から、みんなで話し合った結果、ついつい集めたくなるようなカードを作ろうと企画したんだ。それから製作はどう分担するか、どう宣伝するか、実際にカードを配るときはどうするかを、ここにある企画書にまとめていったんだ。学校でもこういうことはやる?
あまり慣れてないけど、たまにやったりはするかな。
物事を整理して決めるときは、こんな手法を使うと意見がまとまりやすくなるからおすすめだよ。
そうなんですね、頭に入れておきます。
フリーフライトへの依頼とロゴについて
フリーフライトにはどんな依頼がきますか?
節分の仮装はこども園から。老人ホームのすずらん荘からは、年に一度の夏祭りで売店の手伝いをして欲しいとお願いされたことがありました。ナイタイテラスのクロワッサンドの販売も、テラスを運営してる会社の人たちから、オープン記念に手伝ってほしいというかたちで依頼がきました。
幅広いですね。
そういう声がもっともっと増えていくように、フリーフライトでどんどん活動していきたいし、町民の人たちにこの団体を知ってもらいたいです。そうすれば、町民の中で何かをやりたいとなったときに、声をかけてもらえることが増えると思うし、町の中でいい循環が起こるような活動を自分たちも考えていきたいです。
最後なんですが、インスタグラムを見たときにフリーフライトのロゴがかっこいいなと思ったんですけど、あのロゴって誰が作っているんですか?
このロゴは、フリーフライトのメンバーで元上士幌町役場勤務の高野さんという方がいて、その人は絵を描くのが上手なのでお願いしたんです。まずは団体名がフリーフライトだから気球の絵がほしいねということになって。「上士幌といえばタウシュベツ川橋梁もデザインに合わせたらいいね」という意見だったり、「大雪山もあったらいいね」という感じでメンバーで意見を出し合って、高野さんがロゴにしてくれました。
すごいかっこいいです。
いいしょ。かっこいいしょ!
と今日はここまで、次回のPart3は、質問が尽きてしまう,,,そんなところから始まります!
【中高生が取材体験!Part1】フリーフライトってどんなことしてるんですか?
今回はホロロジーを活用して町民が活躍できる場づくりをしていきたいということで、上士幌町の中高生が所属する「∞ゼミ(マルマルゼミ)」の協力のもと、ホロロジーの取材体験をしていただきました。∞ゼミは上士幌町教育委員会主催事業で、中高生の視点から地域課題を考え、解決を目指しながら自らの”やりたい”を見つけ、その実現を目指す中高生団体です。
取材に行かせていただいたのは、上士幌町を盛り上げていきたい!という熱い思いをもった方々で構成された有志団体「フリーフライト」です。結成のきっかけや活動のことを中高生が根掘り葉掘り質問していきます。記事は3部構成でお届けします、ご覧ください!
∞ゼミメンバー
ゼミのメンバーには、取材準備・取材・文字起こしまでをお願いしました。メンバー紹介とともに、ゼミ内での役割分担を説明します。
・原口龍煌さん:取材リーダー、インタビュアー(取材準備・取材)
・齊藤香暖さん:質問の考案、リーダーのサポート役(取材準備・取材)
・梅津千尋さん:質問の考案、リーダーのサポート役(取材準備・取材・文字起こし)
・戸枝綺音さん:取材当日の写真撮影担当(取材準備・取材・文字起こし)
・戸枝琴音さん:取材当日の写真撮影担当(取材準備・取材・文字起こし)
・堀江大智さん:質問の考案、文字起こし担当(取材準備・文字起こし)
・西丸知那さん:質問の考案、文字起こし担当(取材準備・文字起こし)
フリーフライトメンバー
・嘉藤貴之さん:フリーフライトリーダー、ルピナ勤務
・四戸智昭さん:こども園の先生、薪割りの取材でお世話になりました
・北西莉乃さん:小中学校の栄養教諭、上士幌産の食材レシピでお世話になりました
大人の緊張とともに取材がスタート
フリーフライトの代表を務めてます、嘉藤と申します。
副代表の四戸です。
メンバーの北西です。
よろしくお願いします。ではさっそく質問します。一つ目が活動を始めるきっかけはなんでしたか?
はい。若者が・・・。
急に緊張してない?
本番となると緊張してくるな。もう一回聞いて(笑)。
活動を始めるきっかけって何ですか?
はい、若者が自由に上士幌町を盛り上げるために、若い世代が集まって活動できる場があったらいいな、と思って立ち上げました。
固いねー。
一同:(笑)
もっとフランクな感じでいかないの(笑)?
フリーフライトの始まりとメンバーのこと
フリーフライトって誰がやろうと言い始めたんですか?
言い始めたのは、僕とかつまくん(高橋克磨さん)と代表のたかさん(嘉藤さん)。みんなでやってみようかという感じでメンバーを集めました。
そうなんですね、ではフリーフライトの由来ってなんですか?
由来は若者が自由に活動できる集まりがあったらいいなと思っていたことと、風に流されて気持ち良く気球が飛ぶことをフリーフライトっていうんですけど、上士幌町が気球の町なのでそこにかけてフリーフライトという名前にしました。
メンバーはどうやって集めましたか?
メンバーは、若い人たちで「この町で楽しいことやろうよ」っていうことをまずテーマに持って、発起人の繋がりがある友達や職場の仲間、いろんな人たちに話をして、それに賛同を得てくれた人たちを集めました。
いまどれくらいメンバーがいるんですか?
14人ですね。
どんな仕事をしている人がいるのか知りたいです。
まず僕は、Aコープルピナに勤めています。あとはトカトカの運営にも携わっています。ほかには保育士さんだったり、北西さんは給食センターの栄養士さん?
栄養教諭です。
あとは教育委員会のかつまくん、役場で勤めてるのが3〜4人、スポーツジムが1人、銀行1人。
あと歯科衛生士さん。
消防士の方もいますね。
ちなみに歯科衛生士の方は住んでるところも、勤めてるところも上士幌じゃないんです。北西先生の地元の同級生で、活動に興味があるということで参加してくれています。ということもあって、メンバーの決まりが何もなくて、町民じゃなくてもいいんです。住んでる場所での縛りは一切ないので、帯広の人でもいいし、札幌の人でもいい。このフリーフライトっていう団体を知ってくれて、興味があるという人は誰でもウェルカムです!
今までの活動と大切にしていること
今までの活動の内容を知りたいです。
フリーフライトは2017年に活動をスタートして、一番最初にやったことがクリスマス大作戦。サンタに扮して子供たちにプレゼントを届けよう!ということが最初の活動です。その後は、節分の日にメンバーが鬼に仮装してこども園に行って、こどもたちに豆を投げられたり。
豆を投げてもらえる。
ちょっとドMチック(笑)
一同:(爆笑)
あとはフリーフライトの名前を少しでも定着させるために、お祭りなどのイベントで気球焼を売ってます。食べたことはある?
はい。
もともと兼子さんという方が長く気球焼きを販売されていたんだけど、この方に焼き方や売り方を教えてもらって、冬のバルーンミーティングで売ったり。それから・・・
楽楽市?
そうそう。フリーマーケットの楽楽市でも販売させてもらったりしてます。あとは、ナイタイテラスがオープンしたときも、クロワッサンドというトカトカのパンにお肉を挟めたサンドを作って販売しました。
クロワッサンドってどれくらい売れたんですか。
一同:(笑)
3日間で400個〜500個くらい売れたはず。あれ、そんなに売れた?
オジサンたち、記憶がすぐなくなっちゃうから(笑)。まぁでも400個ぐらいは売れたかな。
では次の質問です。活動する上で大切にしてることって何ですか。
一番は楽しくやるということ。みんなは放課後や休みのときみたいにプライベートの時間に集まって∞ゼミの活動をしてるよね。別に学校の先生に∞ゼミに行きなさいって言われないでしょ?
はい。
みんなが∞ゼミで活動しているのと同じで、自分たちがやりたいからやるって感じが良いと思っていて。このフリーフライトも、みんな仕事はしているんだけど、仕事が終わった後や休みの日に集まって、「こんなことしたいね」って、活動についての話をしているんだ。だから強制的なものではないし、みんな自主的に参加している。だから∞ゼミと一緒。大人が地域のために活動していくのがフリーフライト。中高生が地域のために活動するのが∞ゼミという考えで僕はいるかな。みんなと想いは変わらないよ。
と今日はここまで、次回のPart2は、活動におけるやりがいなどをお聞きしました。
陶守さんのものづくりへの原動力や姿勢。十勝工芸社・後編
上士幌市街地から国道273号線を糠平方面に向かって進んでいくと、白樺の木々に囲まれた白い建物が見えてきます。そこは「十勝工芸社」という工房で、黒曜石(十勝地方では十勝石とも呼ばれます)を加工し、石の魅力を引き出す工芸品を製作されています。今回はそんな十勝工芸社の店主 陶守統一さんのもとを訪ねたお話・後編をお届けします。
WRITER
竹中 勇輔(たけなか ゆうすけ)
1994年生まれ。上士幌町出身。理学療法士。ホロロジーライターというチャンスを生かして会いたい人に会いに行きます。上士幌に帰ってきてけん玉にハマっています。よく聞かれますが町長と親族関係ではありません。
中編では黒曜石との出会い、弟子入り時代のこと、引き継いだ技術の伝達についてのお話をまとめました。黒曜石との出会いのお話では、少年時代の通学路で偶然黒曜石の鏃(やじり)を見つけ、そこから興味を広げていき、今に至るというストーリーを伺いました。後編では、ものづくりに対する姿勢や考え方をもう少し深堀りすべく、アイデアの源泉、ものづくりをする中でのバランスの取り方などのお話をまとめました、ご覧ください。
アイデアの源泉、そして枯渇との向き合い方
少し話が変わりますが、新しい作品を作るときはどういうものから着想を得ていますか?
今考えるとだけど、子供時代に興味を持っていたものなんですよね。私は自作の天体望遠鏡で星を見るのが好きだったんです。もちろん畑で黒曜石を見つけたのが僕の原点ですけれど、あるとき天体を観察していたら、黒曜石の光沢は宇宙なんだということに気づいたんです。 それで黒曜石に星をどうやって彫るかを考えて形にしたのが宇宙シリーズです。
黒曜石と宇宙が見事にかけ合わさったんですね。
そうですね。興味と黒曜石とが上手い具合にかけ合うって作品作りに生きているなと感じます。あとは青年時代を都会で過ごしたことで、楽しいことはいっぱいあるんだけれども、それ以上に多くのものを失ってることにも気付いたんですよね。例えば、都会は星空が見えないでしょ。それから石がないよね。
アスファルトばかりですもんね。土もほとんどないし。
そういうところで20年以上暮らすと、人間は本能的に自然物を求めるんだなということを感じて。それを感じられたからこそ、子供時代の興味をよりはっきりと思い出したのかもしれないですね。
今のお話を聞いて、生き物など自然物の作品が多くあることに納得です。アイデアに関してもう一つ質問があります。アイデアを形にしていくことで、逆にそれが枯渇するような感覚は今までにありましたか?
それはね、10年ぐらいで枯渇しますよ。 だから良いものを見たり、聞いたり、学んだりする経験を作り続けていかないとね。
陶守さん自身はそうなったとき、どのように対処していますか?
焦らない、ジタバタしない。アイデアが出てこないときは一旦諦めて、作らなきゃいけないものに専念する。商売をやってるから、販売するための作品を作らなければいけない。それでも、1年に1回か2回くらいはこんなものを作ってみたいなというアイデアが出てきますね。 でもそれをやり始めると、販売品が作れなくなるんですよ。この滝だって一つ作るのに何日もかかりますから。そうすると販売品が止まっちゃうわけ。
製作の中で時間のバランスを取らなきゃいけないわけですね。
そう、このバランスが非常に難しいんですよね。ただ、作りたいものを作らないと自分の中で納得できないし、精神のバランスを取るためにもどこかで時間は作っていますね。
今見せていただいている滝(秘奥の滝:新得町)は、旅行先で着想を得たんですか?
滝の場合はそうではなかったね。でも見ていると非常にリラックスできるし、変化に富んでいるし、面白いでしょ?
水の流れによって、形も絶えず変化していきますもんね。
そういうことをふと思いつくことが多いかな。でも作ってみると、実際の滝と同じように煙も流したくなるし、結構大変なんですよ(笑)。片方にばかり煙が流れれば、どうしたら反対側にも煙が行くだろうとか、どこに滝の流れるジャンプを作るとか。ある程度出来上がっても、思うように流れなければ、何回も削り直します。でもその工程が非常に面白いですよね。
僕も陶器を作るんですが、その気持ちすごく共感します。
作家性と商業性、製作と生活のバランス
ものづくりを仕事にするということは、作家性と商業性のバランスをどう取るかがとても大事だと思うんですが、陶守さんはどのようにそのバランス取っていますか?
同じパターンの品を作ることは、同じ工程で作ることができます。でもそれだけでは黒曜石の新しい魅力を発見できないから、いかに新たな作品に自分の能力をつぎ込んでいけるか。そういうことを27年間繰り返してきました。
品作りと新たな魅力を引き出すための作品作りを行ったり来たりしているわけですね。
そうです。これ以上やったら疲れちゃうなとか、上手くいかないなというときは、途中で止める場合もあります 。商業的な面をいえば、2001年からインターネットで通販を始めました。
ちなみに作品を卸しているところはあるんですか?
今卸しているのは糠平にある「ひがし大雪自然館」だけです。過去には16軒ものお店に卸していたこともありましたが、結構大変でした。そういった面でもインターネット通販は始めて良かったなと思っています。
もう少しお話を伺いたいです。僕の話になるんですが、集中しすぎてご飯も食べずにそのまま製作を続けることがよくあって。陶守さんは生活と製作のバランスはどういうふうにとってますか?
僕も集中したら食べたくないですね。食べる必要性を感じなかったりするし、作り始めると休みたくないんですよね。ただそれをずっと続けるとどこかで倒れちゃうけれど(笑)。
そうですよね(笑)。
ただ食事はしっかり食べないとね、体力も必要ですし。でもそこは非常にジレンマはあります。今は集中してやりたいなというときもあるし、そこは身体と相談ですね。
その時々で折り合いをつけているんですね。
そうです。
バランスを取るためにやっていることはありますか?
そうですね。自分にとってお酒はむしろ精神面を安定させてくれています。もちろん、適量ですよ(笑)。
お酒を飲むのは仕事の後ですよね。
もちろんです(笑)。でもさっき見せた滝を、お酒を飲みながら煙の流れを確認したりします。それでここは流れがおかしいから、あとで直そうと印をつけたりして。そうすると次の日に修正できますから。
お酒が陶守さんにおいて欠かせないものというのは意外でした(笑)。
ものづくりの原動力、作る上で大切にしていること
同じものづくりをする者として聞いてみたいんですが、陶守さんにとってものづくりの原動力は何かありますか?
一つは生活をしなければいけないこと。そのためには仕事をして収入を得なければいけないでしょう。せっかく仕事をするなら自分が納得できる仕事、好きな仕事をしたい思いはあります。それと、自然環境に悪影響を及ぼさないという意味でも、この仕事は気に入っています。黒曜石って削っても絶対量は変わらないんですよ。地球が大きな窯だとしたら、黒曜石は地球が生み出した焼き物なんですよね。本当に見事な焼き物ですよ。
そう言われるとまさにそうですね。では、ものづくりをする上で大切にしていることはありますか?
何を作るにも一番に考えるのは、この石で作れるものは何なのか、この石の魅力をどうやったら引き出せるか。そういうことを考えます。
目の前にある石と対峙して、最大限の魅力を引き出すためにどうすればよいかを常に考えているんですね。ほかに何か大切にしていることってありますか?
石器作りでいうと、集中することですね。さっき話したように同じ作業を繰り返していると失敗も多いけど、絶対に懲りないでやる。
しぶとく集中することも作り手には必要なことなんですね。
石器作りを本格的に始めたころ、富良野に住む父の友人のお坊さんが鏃(やじり)を1カ月後までに100本作ってくださいと注文してくれたんです。その当時、1カ月に100本なんて作ったこともなかったので、今思えばその方は私に石器づくりの技術を習得させるために、あえて注文したと思うんです。
1カ月に100本はかなり大変そうな注文ですね。
注文をもらったときは、初めてだったから嬉しくて仕方がなくてね。でも作業に取り掛かるとすごく困難な注文だってことに気づいて。最初の50本を作るまで終わりが見えなくて、どうなってしまうのかと思っていました。でも100本作りますと約束したから作るしかない。強制的に集中せざるを得ない状況でしたよ。
作り手として初めての苦境、結局どうなったんですか?
全部作り終えました。それから納品に行ったけどお金はいただけませんでした。集中して作ることを学ばせてくれた気がしたから。
陶守さんは自身の成長に一役買ってくれたと捉えたわけですね。それでもお金をもらわなかったのはなかなかできることじゃないと思います。
でもね、こういうことがなければこんなに集中できなかったと思うんです。今は良い方に巡り会えたなと思っています。
その方のおかげで今の陶守さんの石器づくりの技術があると言っても過言ではないわけですね。
そうですね。それからわかったことは、集中すると手の動きが変わるんです。最初は意識して手を動かすんだけど、徐々に手が動きを勝手に覚えてくれる。機械を使った加工も同様ですね。
手仕事を生業にするには、その境地まで達しないと、本物とはいえないのかもしれませんね 。
あとはものづくりでいえば、黒曜石を加工するための専用の道具はないんですよ。
先ほど鹿の角で加工されているという話もありましたね。
そう、専用の道具がないので、黒曜石の加工に合う道具を自分で作っています。だから工具を買って、工夫して道具を作ることも、制作時間の中では結構ありますね。
そんな裏話が。でも陶芸も似たようなところがあります。
だから、お客さんにこれを作るのにどのくらい時間がかかるんですか?と聞かれると、返答が難しいんです。
そこも共感します(笑)。
新しいことに挑戦するときの心構え
新しいことに挑戦するとき、陶守さんはどんな心構えで挑戦していますか?
心構えというのはないけど、作りたくて仕方がなくなったら作ります。作りたい衝動が止められなくなったらね。
ものづくりへの根源的な欲求で手が動くということですね。ちなみに、頭の中で完成するイメージができていなくても、作りたいという気持ちが勝っていたら取り掛かってしまいますか?
うん、その衝動がなかったら作れません。作りたいという衝動がなくなったらこの仕事は終わりだと思っています。
おわりに
今回の十勝工芸社の取材には僕なりの裏のテーマがありました。それは4月から陶芸の道へ進む僕が、ものづくりを生業にされている先人に、ものづくりとどう出会い、何を楽しんだり、何に苦しんで、ここまで辿り着いたのか。何を想い、何を考え、ものづくりと向き合っているのか。そんなお話を伺うことで「人生を楽しくする仕事、ものづくりの教え」をいただくというものでした。取材を通してわかったことは、陶守さんは少年の頃の記憶を辿り、人との出会いを大切にし、歴史を面白がり、黒曜石を愛していました。
そして取材を終え、記事を作成しながらふと気がついたことがあります。それは「『人生を楽しくする仕事・ものづくりの教え』は一つではない」ということです。陶守さんは、陶守さんの周りで起きた出来事や環境のなかで、人に出会い、壁にぶつかり、自分なりの方法を見つけ、壁を乗り越えていました。それは、陶守さんがさまざまな成功や失敗のなかで見出したものであり、それはそのまま僕自身の教えにはならないはずです。だからこそ、前に進みながら、手を動かしながら、自分の信念を見つけていくしかない。陶守さんも黒曜石を研磨しながら、きっとそう言っているのではないでしょうか。
少年時代の記憶を黒曜石に込めるものづくり。十勝工芸社・中編
上士幌市街地から国道273号線を糠平方面に向かって進んでいくと、白樺の木々に囲まれた白い建物が見えてきます。そこは「十勝工芸社」という工房で、黒曜石(十勝地方では十勝石とも呼ばれます)を加工し、石の魅力を引き出す工芸品を製作されています。今回はそんな十勝工芸社の店主 陶守統一さんのもとを訪ねたお話「その2」をお届けします。
WRITER
竹中 勇輔(たけなか ゆうすけ)
1994年生まれ。上士幌町出身。理学療法士。ホロロジーライターというチャンスを生かして会いたい人に会いに行きます。上士幌に帰ってきてけん玉にハマっています。よく聞かれますが町長と親族関係ではありません。
前編では「十勝工芸社」の陶守統一さんと工芸品の紹介、そして上士幌町で工房を開いた理由や製作についてのお話をまとめました。製作のお話では、エゾシカの角を利用して黒曜石を加工していることなどを伺い、とても興味深い内容でした。「その2」では黒曜石との出会い、弟子入り時代のこと、引き継いだ技術の伝達についてのお話をまとめました、ご覧ください。
黒曜石との出会い
次は黒曜石との出会いのお話を聞きたいです。どんなきっかけがあって、黒曜石に興味を持ったんですか?
最初に黒曜石に興味を持ったのは小学生の頃。私は足寄町の上利別というところで生まれたんですけど、家から学校まで20~30分くらいかけて歩いて通っていました。その通学路の両側は畑なんですが、雨が降るとその畑の中に、キラキラした黒曜石の鏃(やじり)が見えるんですよ。
黒曜石がそのままあったわけではなくて、鏃があったんですね。
これは何だろう?と興味を持って、それが鏃だということが分かってからは、どうやって作ったものなのかと興味が深まっていきました。
好奇心が広がったんですね。
実際に拾ったものを見せましょうか。(工房の方へ鏃を取りに行く)
私が見つけたものは縄文時代の石器なんですよ。
おぉ!
この石って、地中にあると水和層(すいわそう)という、電子顕微鏡で見ないとわからないような膜ができるんです。その膜の厚さを図ることで、石の年代がわかるんです。
木でいうと年輪みたいなものですか?
そうですね。それで昔は顕微鏡で膜の厚さを調べてたらしいんです。今は放射線で調べるから、かなり詳しい年代までわかるみたいですよ。
放射線で石の年代を調べる方法があるのは知りませんでした。
それで、こういう鏃が畑に落ちていて、雨が降るとキラキラ光るんです。拾ってからは、これをどうやって作ったのかということが気になって仕方がなくてね。
見ていて驚いたんですが、縄文時代のものがこの鋭さを保っているのがすごいですね。
すごいでしょう。これはきっと吹き矢かなにかだと思う。これを獲物に向かって吹いて、一つひとつ拾いに行くわけはないだろうから、柄は風化するけど、石は残ったんだね。狩猟に必要な道具だから、きっと大量に作って、それがあちこちに埋もれちゃったんだと思うんですよね。
へぇー。
話を戻しましょうか。あとは私の実家が商業をやっていたんだけど、林業の全盛期って、木をどんどん切り倒していくから、木がなくなっていくんです。そうすると人口も減少して経営状態が悪くなってね。そんなときに父が本別町で、黒曜石の加工をやってる人に出会って。それをきっかけに父は黒曜石の加工の仕事を始めたんです。
では、陶守さんが始める前にお父様が先にやられていたんですね。
そうなんです。父が始めたのは僕が中学生くらいのときでした。振り返れば、帰ってきては父の仕事を見たり、ちょっといたずらして加工したりしてたなぁ。石もいっぱいあるから、石器づくりに挑戦してみたりしましたね。
こどもの頃からものを作るという行為が好きだったんですね。
そうですね。とにかく手を動かすことが好きでした。
陶芸をやっていると、すごくその気持ちがわかります。
私は高校を卒業して神奈川県で勤めました。そのころは仕事が忙しくて石器作りどころではなかったですね。でも良かったこともあって、それは以前から興味のあった東京国立博物館に行けたこと。そこには北海道から産出された大きな石器が展示されていました。そこで再び興味が沸き起こっていくわけですよ。
石器への情熱が再燃したんですね。
そうそう(笑)。それを機に北海道に帰ってきて、黒曜石の仕事をやりたいと思い始めました。それで42歳のときに仕事を辞めて帰ってきたんですよ。
そういう経緯があったんですね。陶守さんが帰ってきたとき、お父様はまだ仕事をされていたんですか?
やっていたんだけど、体調を崩していてね。3年ぐらい一緒に仕事をしたあと亡くなりました。
弟子入り時代に学んだこと
お父様が亡くなられたのはとても辛かったと思いますが、3年間一緒に仕事をできたことは、陶守さんにとって宝のような時間だったのではないでしょうか?
そうですね、始めるのが何年か遅れていたら一緒に仕事ができなかったわけだからね。
お父様と仕事をしていた期間は、陶守さんにとっていわゆる弟子入りの期間だったと思いますが、一番勉強になったことは何かありますか?
石を磨く技術ですね。この石を見てください。石を磨いていく目の順番です。一番端が原石で、粗い目からどんどん細い目で磨いていきます。
荒い目はその辺りに落ちている黒曜石の質感と似ていますね。
落ちている石は河原で他の石とぶつかりながら転がるから、ザラザラしてますよね。そんな状態から粗い砥石から石を磨いていくんです。少しずつ砥石の目を変えていって、仕上げはフェルトで磨きます。これらの工程は黒曜石の加工の基本で、光沢の違いを使い分けて作品を作っていきます。
光沢の調整はかなり繊細な作業なんでしょうね。
黒って傷が目立つから、傷が残らないように磨くことは並大抵のことじゃないですね。父はおよそ40年の間で試行錯誤して、どんな順番で作業し、どのような道具を使うかを決めていきました。それは何十年もかかって生み出された磨き方、基本形なんです。
そんなに長い時間をかけて出来上がった技術なんですね。
私は突然帰ってきて、息子だからいろいろと教えてもらえましたが、そうでなければどうだったかわかりません。だから私は、その試行錯誤の時間がなかったおかげで、応用を考えるために時間が使えました。もし父がいなければ、磨く技術だけで20年以上かかっていたかもしれません。それが伝承できたのはラッキーでしたね。
引き継いだ技術の伝達について
陶守さんはお父さんの技術を引き継いだわけですが、陶守さんの元で勉強をしたいという方はいらっしゃいましたか?
石器作りは、累計だと300人以上に教えていました。高校生の修学旅行の体験や、社会科教諭の石器作りの研修会などでも教えましたね。上士幌町だと生涯学習センターでも3回ぐらい教えましたよ。でも教えるって大変ですよ(苦笑)。 黒曜石は石を割る工程が難しいから、私が全部破片を事前に作って準備しなければいけないんです。それでも体験中はバラバラになったり、手が切れちゃったりすることも多くて。
ガラスの破片と同じように鋭利だから、作業では危険も伴いますしね。
磨きを学びたいという人が来たこともありましたね。そのときは1週間その人につきっきりになってしまって、自分の仕事ができなくなったときもありました。技術を伝達するというのは非常に難しいなと感じていますよ。
陶守さんが今持っている技術を次の世代に引き継げないとなると、ここで失くなってしまうことになると思います。それについてはどんなふうに考えていらっしゃいますか?
できれば身内に引き継ぎたいと思っていました。でも息子は違う仕事をしていますし、娘も結婚しています。だから難しいかなと思ってます。
そうだったんですね。日本の伝統工芸も後継がいないければ衰退していくし、十勝でいうと農業も状況は似ている気がします。
そうですね。技術というのは1回失うと取り戻すのにかなりの時間と労力を要しますよ。
ある技術を持つ世代が次の世代に引き継ぐことができないと、またゼロに近いところからスタートになるということですよね。
うん、そういう悩みを持った職人さんはたくさんいると思います。今私は70歳だけど、父は72歳で亡くなったんです。でも亡くなる直前まで磨いていましたよ。そういうことを考えると、私もあと何年できるか分からないけど、やりたいことはいっぱいある。ただ時間が少ないこともわかっています。
いかがでしたでしょうか?実はまだまだお話は続くのです。最後となる後編は、私が個人的に一番聞きたかったことに迫ります。ものづくりに対する姿勢や考え方、アイデアの源泉など、何かを作っている人にとって勉強になるお話になるかと思います!ご覧ください。
上士幌町で黒曜石を彫り続ける理由。十勝工芸社・前編
上士幌市街地から国道273号線を糠平方面に向かって進んでいくと、白樺の木々に囲まれた白い建物が見えてきます。そこは「十勝工芸社」という工房で、黒曜石(十勝地方では十勝石とも呼ばれます)を加工し、石の魅力を引き出す工芸品を製作されています。今回はそんな十勝工芸社の店主 陶守 統一(すえもり とういつ)さんのもとを訪ね、お話を伺ってきました。
WRITER
竹中 勇輔(たけなか ゆうすけ)
1994年生まれ。上士幌町出身。理学療法士。ホロロジーライターというチャンスを生かして会いたい人に会いに行きます。上士幌に帰ってきてけん玉にハマっています。よく聞かれますが町長と親族関係ではありません。
陶守さんと工芸品のお話
まずはお話の中を見ていただく前に、店主の陶守さんと工芸品の紹介を簡単にさせてください。陶守さんは足寄町出身で、高校卒業後は就職を機に神奈川県で23年暮らします。その後、少年時代から持っていた黒曜石への興味、陶守さんのお父様が黒曜石の加工の仕事をされていたことなど、さまざまな要因が重なって、黒曜石の加工を仕事にする決意をし、神奈川での仕事を退職され北海道に戻ってきました。もともとはお父様の工房があった本別町で仕事をされていましたが、上士幌町へ工房を移転します。(詳しいお話はこの後の対談をご覧ください!)
店内にはたくさんの工芸品が並んでいます。陶守さんによると大きく9つのジャンルに分けて製作をしているようです。その中からいくつか紹介をすると、まずは石器・ナイフ。縄文の技術で再現した石器・ナイフは黒曜石の原石をエゾシカの角と小石で剥離して作っています。
次は宇宙シリーズ。黒曜石の漆黒を生かして、宇宙の星々を彫刻しています。「石も人もみんな宇宙のひとかけら」そんな思いをこめて、小さな星の位置も星座図に基づき正確に彫っています。
さて紹介はこのあたりまでにさせていただき、ここからは陶守さんとのお話へ。上士幌にお店を開いた理由、製作のお話、黒曜石との出会いなど、今に至るまでのさまざまな背景を語ってくださいました。
上士幌にお店を開いたわけ
はじめまして。今日はお話を聞かせていただけるということで、楽しみにしていました。よろしくお願いします。
どうも、陶守です。よろしく。
まず、陶守さんがこの工房を上士幌町に建てた理由は何だったのですか?
初めは父が工房を持っていた本別町でやっていたんだけど、上士幌町は黒曜石の原産地ということを知ったんです。それで、どうせやるなら原産地でやりたいと思い、退職金を使ってここの土地を買って、工房を建ててやり始めました。
お父様もこの仕事をされていたんですね。上士幌町の中でも、この場所に工房を建てたのは何か理由があったのですか?
もともと僕は上士幌町のことは詳しくなかったんですよ。足寄から帯広へ行く時には、ちほく高原鉄道というのがあったから、車を使わない限り上士幌は通らなかったんですよね。 学生の頃は車を持っていなかったから、どこへ出かけるにしても、ちほく高原鉄道を使ってたんですよ。
そうだったんですね。
この上士幌町の壮大な平野を見たのは、就職して免許を取ってからなんですよ。当時住んでいた神奈川からの帰省中にドライブしてるときだったんです。足寄は山に囲まれた土地なので、上士幌町のこの広い平野と山岳が調和した景観を気に入ってしまいました。
上士幌から足寄までは軽い峠道ですしね。
この土地は、上士幌にいた父の友人にお願いをして見つけてもらったんです。国道沿いで、糠平に行くお客さんが来てくれるし、なにより住んでいて気持ちがいいものです。
納得いくものは3割しか作れない
製作のことを伺いたいんですが、実は僕もものづくりで陶芸をしているんです。でも失敗も多くて、頭に思い浮かべているものを形にするのはいつも難しいなと思いながらやっています。陶守さんはものづくりをされていて、失敗と成功はどんな割合ですか?
お店には完成品しか並べていないから、お客さんから見ると全部成功しているように見えるかもしれないけど、実際に成功しているものは例えば石器でいうと3割くらいですね。うまくいかないことの方が多いです。何より、自分が納得できないと商品にはできないしね。
そうなんですね。
例えば石器は機械を使わず、エゾシカの角で石を剥がしていきます。私の仕事道具、ご覧になりますか?
いいんですか?ぜひ見たいです!
これが石器を作る道具です。エゾシカの角の根元の部分はハンマーとして使っています。右のものは押圧剥離という技法で使う鹿の角の先端。まずは大きな原石からバンッと叩いて、破片を取り出します。
するとこういう状態で剥がれます。ただ黒曜石は必ず湾曲して剥がれるので、例えばナイフを作り出すにはこれを平らにしなければいけないんです。 その工程で石はどんどん小さくなっていくし、加工の工程で割れてしまうこともあります。
その上で成功が3割ということなんですね。
ものにもよりますがそういうことです。細かく削っていくにはこの鹿の角の先端で圧をかけて剥がしていって、そういう作業の繰り返しで作品を作っています。
気になることがあるんですが、黒曜石はどんなふうに剥がれていくんですか?
一般的に考えると表面を削っていくように思うでしょ?黒曜石の場合、下の方向へ剥がしていきます。
そうすると欠片は下に落ちていくわけですね。
そうです。でもどうして湾曲して剥がれるのか、ここが面白いんです。
(陶守さんが球体を手元にもってくる)
これは球体に作ったものなんですが、頂点に打撃を加えると円錐状に割れていくんです。
円錐状?波紋のようですね。
そう。石器人は同じような角度で打撃を加えると、このように割れていくことを見つけたんです。
へぇー、この性質から黒曜石を道具として加工していったんですね。でも思うように剥がすには、力の調節がとても難しそうですね。
それは経験と技術がものをいいますね。あとは石の質が良いか悪いかも関係があります。時々ヒビが入っている石もあるから、間違えてヒビのあたりを叩いちゃうと完成しかけていても割れてしまうんです。そういうのも含めると完成できる石器は3割というところですね。
長年やられている陶守さんでも、成功率が3割というのには驚きました。
でも、あのイチローだって成功率が3割じゃないですか。彼は「3割で打ち続けられていれば最高だ」なんてインタビューで言っているけど、それを聞いたら自分の3割って大したものなのかもしれないって思えますね。
とても興味深いお話が続きますが、前編はここで終わりです。「中編」では黒曜石との出会い、弟子入り時代のこと、引き継いだ技術の伝達についてのお話をお伺いしました。ぜひ、ご覧ください。
製作体験してみました!~アメリカンフラワーに魅せられて~(後編)
上士幌町出身でホロロジーでライターしている宮部あやかです。今回、取材をさせていただいたのは私の1つ上の先輩、八重樫ゆいさん(以下:ゆいちゃん)です。前編では、アメリカンフラワーのことや上士幌町に戻ってきた理由などをお伺いしてきました。後編は「アメリカンフラワー作りを体験してみたい!」という私のお願いを快く引き受けてくれたゆいちゃん。ここからはゆいちゃん先生ご指導のもと、実際にアメリカンフラワーを作ってみました!
WRITER
宮部 純香
上士幌町で生まれ、高校まで上士幌で過ごした編集サポートメンバー。小さい頃からお世話になった上士幌を新しい視点で見てみたいと取材を進めています。
八重樫 ゆい
上士幌町出身。18歳まで上士幌町で過ごし札幌へ。専門学校卒業後、就職。フラワーデザイナー1級、アメリカンフラワー講師までの資格を取得。
アメリカンフラワー講座開始!
キティちゃんの頭に乗っている花ってわかる?マーガレットみたいな。ああいう感じの花を作っていきますね。
楽しみです!
何色のお花にしたいか、色を選んでください。
赤いお花にして、葉っぱは濃い緑が良いです!
丸い花びらを5枚用意していきます。まず最初の作業は、針金をこのオレンジ色のゲージに巻きつけて輪っかを作っていきます。これを、5つ作ってください。
はい!
・・・・・。(作業中)これ、黙ってしまいますね(笑)。
集中しちゃうよね。5つできたら次は、ペンチで根元の部分を少し潰します。そうすることで、花びらが重なったときに綺麗に見えるの。これが第2ステップです。
できました!
それでは、次に作った輪っかを液に浸けていきましょう。液に浸けて色を加えると、一気に花びららしくなります!
それを乾かします!輪っかの下の垂れてしまった液は後から取ることができるので大丈夫です。
この時点で綺麗ですね!楽しい!
では、乾かしている間に葉っぱを作りましょう。葉も同じくゲージに巻きつけて輪を作ります。そして、ペンチで輪っかを引っ張って細長くしていきます。そうすると、ほら!葉っぱらしくなってきたでしょう?
わーーすごい!ほんとだ!
そして同じ作業!今度は緑の液を浸けていきます。
やっぱり綺麗!これ、破けてしまいそうですね。
強く潰してしまわなければ大丈夫だよ。この液は、手についても洗ったら取れるけど服に着いたら取れないから気を付けてね。では、次にいきましょう。針金の白い部分に細いグリーンテープを巻いて茎らしくしていきます。
コツは、テープを引っ張りながら巻きつけていくことです。
おー、一気に花びらっぽくなってきました!でも根元の部分がうまくいかないです・・・。
そこは、花びらが重なって見えなくなるので大丈夫。では、お花の中心部分をどんな形にするか選んでもらっていいですか?
花びらの方向とか重なり方が変わるだけで雰囲気が相当変わるんですね。面白い!!
作る人の個性が出る部分なので、感性を研ぎ澄ませてください!
これだと華やかになりますね。この形にします!
では、組み立てていきましょう。まず、花びらを90度に曲げてください。後から好きな角度に調節できるので、今は組み立てやすいように曲げておいてください。この曲げたものを、重ね合わせながら一つにまとめていきます。
難しい。ずれてしまって、なかなか決まらないですね。
できたら、針金でまとめてしまいます。これを花びらを起こして好きなお花の形に近づけていってください。これは、センスです(笑)。
センス・・・(笑)。こうやって作ってみると、普段お花の形を見ていなかったんだなってことに気付きますね。
こんなふうに開いているお花にしたり、逆に閉じた感じにすることもできますよ。
できたら、またテープを巻くんですか?
巻きます。そのときに葉っぱも一緒に巻いてしまいます。葉っぱを同じところに付けるのか、すこし位置をずらすのかでも変わってきますよ。
ずらした感じにしたいです!
では、こんな感じに巻いていって・・・はい、完成です!
やったー!!ありがとうございます!めちゃくちゃ可愛い!
人生初のアメリカンフラワー?
初です!面白かったです!
よかった!春にアメリカンフラワーの教室の申請をしようと思っていて。
そうなんですね。そのときはまた習いに来ます!
ぜひぜひ。いつでも待ってるね!
今日はありがとうございました!
今回作らせていただいたアメリカンフラワーは、丁寧に扱えば5年ぐらいは綺麗に飾れるとのこと。赤と青の2種類を作らせていただきましたが、なかなかの良い仕上がりになったのでは?と思います!うれしくてつい、いろんな人に自慢してしまいました。
アメリカンフラワー作りを体験させていただいて、一瞬にしてその魅力にとりつかれました。皆さんもこの記事を読み、ゆいちゃんのステキな人柄とお花の世界を知って、アメリカンフラワーを作ってみたくなったはず!春にアメリカンフラワー教室ができたら、ぜひ行ってみてください!楽しかった!
ゆいちゃん、ありがとうございました!