お父さんとの思い出の庭の手入れを、同じ町民が手助けしてくれた。
まちづくり会社が運営している「かみしほろ人材センター」では、上士幌町の法人や個人から短期で簡単な仕事の依頼を受け、人材センターの会員の方に仕事を行ってもらう仕組みがあります。センターの会員の方には、これまで培ってきた「得意なこと」や「できること」を活かしてもらっています。
お話をお伺いしたのは、自宅の庭の手入れを自身で行うことが難しくなり、他の人にお願いしたいと考えていた坂本キヨコさん。2019年から人材センターに庭の剪定を依頼しています。今回は坂本さんに人材センターを利用しようと思った経緯をお聞きしたのですが、そのうちに今は亡き、ご主人との懐かしいエピソードも聞かせていただくことになりました。(制作:ホロロジー編集部)
自宅に到着すると大きな庭が目の前に広がっており、既に作業も大詰めの状態でした。作業を行っていた寺戸さんにも少しお話を伺った後に、本記事の主役、坂本さんにお話をお聞きしました。
この日作業を担当した寺戸勝広さんの記事はこちら
お父さんの大好きな庭
ゆっくりと玄関に出てこられた坂本さん。ご年齢は90歳を越えたと言います。一歩一歩ゆっくりとした足取りで、開口一番「よく来たね」と声をかけていただきました。私たちも坂本さんに合わせるように、大きな声でゆっくりとした口調で声を掛けながら、お話は始まりました。
坂本:この庭はね、40年前以上前に作った庭なの。ずいぶん芽登石を入れたよ。山から沢山運んできてね。
――どのような経緯でお庭を作ったんですか?
坂本:お父さん(ご主人)が庭が好きでね。そのころ庭作りが流行っていたのもあるけどね。
――立派なお庭ですよね。
坂本:帯広のよつ葉樹石園さんがお婿さんをもらって、たしか彼が初めて作った庭がここだったはずだよ。でも、もう私のこの年齢では広すぎてね、草むしりばっかりせなきゃいかん。
――1日中ずっと草むしりしてるんですか?
坂本:そうだね。
――昔は家族みんなで庭の手入れをしていたんですか?ご主人がされていたんですか?
坂本:みんなでやってたのさ。お父さんが好きで作った庭だからね。お父さんが居なくなってもう18年になる。そこからは何回も庭の世話は止めようと思ったけど、投げるわけにはいかん。
――ご主人のために今でも庭を綺麗にしているんですね。
坂本:(庭木を)下から切ってしまおうかと思ったけど、嫁さんが「お母さん、父さんが怒るわよ」って言うの。だから、体が動くうちはお父さんのためにも頑張ろうって思ってる。
坂本:でもね、さすがに全てはできないからね。それで人材センターにお願いすることにしたんだ。そしたら庭のことをよく知っている寺戸さんが来てくれて。
――寺戸さんは、坂本さん宅の庭の手入れはやりがいがあるっておっしゃってました。
坂本:寺戸さんは頼もしいよ。
――あの中で一番好きな木はどれですか?
坂本:やっぱりオンコだね。今剪定してるでしょ、オンコの木。
――なんでオンコの木が好きなんですか?
坂本:上に伸びるより、横に広がる方が好きなんだよ。
――ご主人もオンコの木が好きだった?
坂本:うん。なんせ好きだったの。
楽しそうに話をしてくれる坂本さん。特にご主人の庭だからということを大変嬉しそうに話をしてくださいます。ただ、その嬉しそうな顔には少し寂しさも溢れているように感じ、ご主人のお話をもう少し聞いてみることに。
庭を守り抜く
――ご主人とはどこで出会ったんですか?
坂本:地域の催しで、盆踊りがあるでしょ?お父さんは太鼓叩くのが好きだったの。あのねじり鉢巻で、盆踊りのときに太鼓叩いていたんだよね。
――かっこいい!
坂本:格好よかったよ。私の弟が太鼓叩くのが好きだったから、そのときに弟がお父さんと一緒になってね。「お前に姉がいるのか」っていう話になったらしく、そこでお父さんと知り合ったの。小学校のグラウンドでだね。
――素敵な出会いですね!ご主人のお写真はあるんですか?
坂本:壁に掛けてあるよ。
――この写真を撮ったときのことを覚えてますか?
坂本:この庭を作ったときだね。庭を作って喜んで、2人でその石に腰掛けて写してもらった。たしか弟が写したんだ。
――ご夫婦で一緒に庭の作業をしていたんですか?
坂本:うん。庭作って喜んだときだ。
――楽しそう!
坂本:この庭を投げるわけにいかん。だから、今も手入れを頑張ってる。
――ご主人との思い出がたくさん詰まったお庭なんですね。
――ご主人が好きなものってなんでしたか?
坂本:酒だ。一升瓶買ってきたらね、底が見えるまで飲むからね。こっそり鉄の鍋にあけて減らしてた(笑)。あとは旅行が好きだった。うちのお父さんは旅行が大好きでどこでも行ってたよ。私はあんまり好きでなかったけどねえ。
――坂本さんは何が好き?
坂本:昨日娘が買ってきてくれた、なま寿司が好きだ。
――ハハハ(笑)。最後に、坂本さんにとって何が一番幸せですか?
坂本:そうだねえ。お父さんがいたらなあって時々思う。やっぱり寂しいわよ。でもこの庭はね、きれいにしておかないとね。
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愛しそうに庭を見つめる坂本さん。目の前に広がる庭はご主人との思い出がたくさん詰まっており、ご主人そのものだったのです。
町の困りごとを町民の得意なことやできることで補っていく。町の困りごとを解決をする「かみしほろ人材センター」は、人と人とをつなげる仕組みで成り立っているんだと、そんなことを感じることができた時間でした。今後も長くこの庭が元気であることを願っています。
クラフトキッチン「のはらのカフェ」~子どもから大人まで、みんなのあそび場として人々に愛される憩いの空間~
上士幌町でクラフトキッチンというスパイス専門店を営む齋藤肇さん。今回、私たちは肇さんがクラフトキッチンで開催したイベント「のはらのカフェ」にお手伝いとして参加しました。このイベントは肇さんのスパイス販売の拠点であるクラフトキッチンが1日限りのカフェとしてOPENするというもの。カフェでは肇さんのつくるスパイスを使った料理、町内こだわりの作り手さんたちの手づくりお菓子や手づくりパンなどがいただけます。そこにはどんなカフェとも違う、肇さんがつくりだす非常にユニークで楽しい空間が広がっていました。今回はそんな「のはらのカフェ」での1日をレポートしていきます。
WRITER
中山 舞子(なかやま まいこ)
1992年生まれ。千葉県在住。青年海外協力隊としてインドに派遣予定。海外派遣の目途がたたない現在、上士幌町に5ヶ月間滞在中。外からの目線で上士幌の魅力を掘り下げて行きます!
仕込み作業開始!
朝8時に集合すると、すでにクラフトキッチンのスタッフが準備を始めていました。私たちもさっそく調理と設営のお手伝いに取り掛かかります!
まずは野菜を切るお手伝いから。ちょっと味見をさせていただいた、地元の農家さんからもらったというトウモロコシの甘さに衝撃!こんな甘いトウモロコシを食べたのは初めてです。
「とにかく素材が美味しいから同じように調理しても格段に料理が美味しくなるの」
以前そう肇さんが話していたのを思い出します。
肇さんは独自のスパイスを使ってまるで魔法のように次々に鍋の中の具材を変身させていきます。焦げない絶妙なタイミングを見計らって、お鍋をまぜまぜ。
パンの作り手である鎌田香奈さんの作業場にもおじゃましました。
なんと酵母は自家製。近所の方からもらったベリーや木の実、無農薬レモンなどでつくるそうです。発酵はそのときの気候や酵母によってかかる時間が大きく変わるそうなのですが、このときは一次発酵で大体9時間程度。かなり手間がかかっています。
さて、長い時間をかけてじっくり煮込んだお鍋料理が出来上がりました!
特製チリビーンズ。本場メキシコで味わえるかのようなエキゾチックな香りが広がります。
こちらに入っているスパイスは肇さん特製のメキシカンチリミックス。
こちらはクラフトキッチンの定番メニュー。バターチキンカレー。
クローブ・コリアンダー・カイエンヌペッパー・カスリメティなど、本格的なホールスパイスを使ってじっくり煮込んだインドカレーです。さらにこのカレーには「子ども用熟成カレーパウダー」が使われているので、お子さんも食べられるまろやかな優しい味わいです。この子ども用スパイスは、肇さんがママたちから「子どもが食べられる辛くないカレーパウダーがほしい」という悩みがあるのを聞き、独自で開発したものです。
お鍋料理が続々と出来上がってくる頃、鎌田さんのパンの香ばしい匂いが漂ってきました。今回店頭に並ぶのはプレーンのバケットとナッツやベリーが入ったパンの二種類です。
ようやくすべての料理が完成したときにはすでにオープン間近。みんなで協力しながら出来上がった料理を急いで外に並べていきます。
いよいよ「のはらのカフェ」のオープン!
開店と同時にさっそくお客様が来店。見たことのないメニューに戸惑いながらも、スパイス入りミルクのコーヒーと手作り蒸しパンを買って席につき、その独特なスパイスの香りを楽しんでいます。
料理は店の前に設営したテントで来客者に提供します。テントの中では手伝いに来てくれている高校生が、料理を用意しています。メニューは特製バターチキンカレー、チリビーンズ、ジャンバラヤ。その他サイドメニューと、上士幌町内の作り手さんたちの手づくりおやつがあります。
オープンから間もなく、あっという間にお客様でいっぱいになりました。地元の子供からお年寄りまで、はたまた神奈川県から糠平に観光に来たというカップルなど、多種多様な人たちがそれぞれ思い思いにのはらのカフェという空間を楽しんでいます。
のはらのカフェの見どころは手づくりのごはんやおやつだけではありません。お隣のはげあん診療所のお庭がこのときだけ解放されており、その広いお庭で自由にピクニックができるのも魅力の一つ。
はげあん診療所の安藤先生は自給自足の生活をしており、家庭菜園を見るだけで楽しい。さらには、ガチョウ・やぎ・鶏など数多くの動物も暮らしており、触れあうこともできます。この日のお庭ではギタリストである肇さんのご主人・栄さんとトランペットを吹く安藤先生が奏でる音楽が流れ、また庭の一角には移動書店の鈴木書店さんも出店されていました。
午後3時頃になってようやく私たちも一息。心地よい風の吹くお庭で肇さんお手製のバターチキンカレーと自家製ジンジャエールをいただきます。バターチキンカレーは、まろやかな優しい味わいの中にスパイスの香りが絶妙なバランスで合わさっています。美味しい!自家製ジンジャエールは生のショウガがたっぷり入っていて、このピリピリ感がたまりません!
たっぷりの生姜と複数のスパイスが入ったクラフトキッチンオリジナルのジンジャエール。自宅で作れるキットもあります。
トランペットの音、ヤギの鳴き声、子供たちが野原をかけ回る声、さまざまな音色が重なり合います。
「心地良い音楽、おいしい食べ物、自然に囲まれ、本当にいい時間を過ごすことができました」
そう話してくれた来訪者もとっても満足そう。
それぞれの「好き」で人と人とが繋がれる場所、のはらのカフェはそんなところ。肇さんによってつくり出される空間は、まるで彼女が調合したスパイスのようにどこか刺激的で、それでいてアロマのように癒されます。
子どもたちがのびのびと遊べる広いお庭と、完全バリアフリーの高齢者に配慮された店内。のはらのカフェは「こどもも大人もみんなが楽しめてゆっくりできるあそび場をつくりたい」という、肇さんの思いが形となった場所でした。
皆さんもぜひ一度、「肇さんのあそび場」で一息ついてみませんか?そこにはいつだって癒されるスパイスの香りと人々の笑顔が広がっていることでしょう。
【クラフトキッチン】
〒080-1408
北海道河東郡上士幌町上士幌138-4
電話:01564-7-7207
営業日:10:00-16:00(不定休)※営業日は問い合わせください
URL:https://tabi-spice.com/
イベント情報などはSNSから常時発信しています!
Facebook: https://www.facebook.com/kamishihoro.craftkitchen/
Instagram: https://www.instagram.com/craftkitchen_kei
【先人から学ぶ】網走刑務所博物館とオホーツク流氷館を訪問
MYMICHIプロジェクトには「先人から学ぶ」というコンセプトの元、上士幌町民の方々からたくさんのお話を伺うことができます。しかし今日は少し思考を変えて、北海道全体の開拓の歴史について学ぶことに。北海道の開拓の歴史を学べる一つのスポット・網走市にある網走刑務所博物館・北方民族博物館にやってきました。
WRITER
伊藤 卓巳
三重県出身。MYMICHIプログラム2期生。青年海外協力隊としてウズベキスタンで観光業に携わっていましたが、コロナの影響で一時帰国。初上士幌どころか初北海道ですが、壮大な景色と美味しい食事に日々感動中。
監獄食堂で博物館見学前に腹ごしらえ
上士幌町から車で約3時間・網走市内に到着したのが11時半ごろで、お腹がめちゃくちゃ空いてしまいました。ということでまずは博物館網走監獄の見学前にランチを取ることに。
網走監獄の敷地内には、レストラン「監獄食堂」があります、お昼ご飯にぜひ行ってみましょう。名物は何といっても監獄食で、焼きサンマがつく監獄食Aと、
焼きホッケがつく監獄食Bがあります。
微妙な響きの監獄食ですが、サンマもホッケも大ぶりでさすが北海道、大満足の味です。
その他網走のB級グルメ網走ザンギ丼や、網走産豚肉を使った網走ポーク丼もおすすめ!
ポーク丼のどんぶりは、現在の網走刑務所の受刑者が作ったものです。
お腹が一杯になったところで、いよいよ博物館網走監獄の見学スタートです!
博物館網走監獄で北海道開拓の歴史を知る
いよいよ網走監獄の見学スタート!
網走と聞けばまずイメージされるのが刑務所。博物館網走監獄は、明治時代から使われていたかつての刑務所の建物が移築保存された貴重な博物館です。入口から入ってまず目に付くのが、レンガ造りが印象的な風格ある正門。
それをくぐると見えてくるのが、洋風建築風のデザインの庁舎です。言われなければ刑務所の建物だと気づかないほどおしゃれな建物。
館内では刑務所や囚人による北海道開拓の歴史が展示されています。
網走だけではなく、空知や十勝、釧路といった他地域についても詳しく紹介されています。
明治維新後、政府はロシア帝国の脅威に対する防衛の必要に迫られていました。目をつけられたのが当時急増していた政治犯などの囚人で、「囚人を労働に使っても賃金が安く済むし、亡くなったとしても監獄費の節約になる」という今では考えられない理由により、彼らを労働力として北海道の開拓を進めることになったのです。
1881年(明治14年)空知地方に樺戸集治監が作られたのを皮切りに、空知集治監、釧路集治監と次々と監獄が作られ、全国から囚人が集められました。そして1890年(明治23年)、網走刑務所の前身となる網走囚徒外役所が作られたのです。
この展示によれば、北海道全土で囚人たちが開墾した土地の総面積は1,700万平米、開削した道路の総距離は724kmとなっています。北海道の開拓は、囚人たちの重労働があってこそだったのだと心に刻まれます。
開拓時代の生活の様子を垣間見る
再度、外に出てみましょう。庁舎と対照的な木造長屋の建物が網走刑務所職員官舎。
この地にやって来たばかりの看守たちが住んでいました。囚人たちの空間とは別世界の、古きよき日本家庭といった様子が再現されています。当時の服を着ることもできますよ!
そして、登録有形文化財の裏門をくぐり…。
休泊所を見学。刑務所から離れた地で労働する際使われた簡易宿泊所、いわゆるタコ部屋で、特に網走刑務所で最も過酷な労役だった中央道路開削工事のときに「動く監獄」として使われていました。
熾烈な環境にもかかわらず、ござと木の枕だけで寝泊りしていた様子が展示されており、衝撃を受けます。枕が一本の丸太として繋がっているのは、起床時にこれを叩いて全員を起こすためだったとのこと。
その近くにあるのが耕転庫と漬物庫。
どちらも囚人が働いていた施設で、漬物庫では中に10人ほど入れそうな巨大な樽が置かれています。
そしてひときわ目立つ建物、監獄歴史館へ。
見ごたえがある展示物が並ぶ中、
「顔が指名手配犯みたい」と定評がある(笑)私が体験してみました。プリクラのようなノリかと思いきや、「仮入所はこっちだぁ!」「さっさとしろ!」などなかなか煽ってくる音声つき。
ということで、なかなかクオリティが高い写真が撮れました。これで昔の受刑者気分!
さあ、次はいよいよこの監獄歴史館の最大の目玉である「赫い囚徒の森」体感シアターへ向かいます!!
監獄歴史館最大の目玉「赫い囚徒の森」体感シアターへ!
この監獄歴史館の最大の目玉が、「赫い囚徒の森」体感シアター。中央道路開削工事の苛酷な環境が五感で迫ってきます。
中央道路はオホーツク沿岸から内陸部へ向かう、網走から北見峠までの道路です。ロシア帝国の脅威に対抗するため、網走刑務所の囚人たち約1,200人を動員して1891年(明治24年)に工事が進められました。
当然現在のような町もなく、険しい原生林を切り開いての工事はとてつもない重労働でした。工事が強行された結果、わずか8カ月で163kmの道路を切り開くことに成功しましたが、その代償は大きく200人ほどが亡くなったといわれています。その亡骸はそのまま現場へ捨てられ、その後鎖を墓標に埋葬されることになり、そこを鎖塚を呼ぶようになりました。現在は沿線各地に追悼碑が建てられています。
シアターを通して、重労働の苦しさや亡くなった囚人たちの無念さが胸に迫ってきました。北海道の発展は、このような尊い犠牲があってのことなのです。
庁舎内での展示の通り、これ以外にも囚人が開削した道路が北海道には多数あります。旅行中に何気なく通っている道路も囚人が造ったものかも知れないと考えると、また違った思いが芽生えることでしょう。
シアター近くには、タコ部屋の寝心地が体験できる場所も。
現在の刑務所の様子も紹介されています。凶悪犯が集まってそうなイメージの網走刑務所ですが、現在は執行刑期10年以下の受刑者(B級受刑者)を収容しています。
そして博物館網走監獄最大の施設、官舎へ向かいます!
5方向に伸びるユニークな形状の官舎
中央見張台を中心に、放射状に5つの舎房が伸びているため「五翼放射状房」と呼ばれており、独特でユニークな形状です。
こうすることで看守が見張りやすくなるのだとか。
内部は天窓がつけられているため太陽の光で明るく、暗く居心地悪そうという監獄のイメージが覆ります。
廊下に沿って雑居房や独居房がずらっと並んでいますが、ここにも一工夫が。格子は斜めの形になっており、暖気や換気が確保でき、なおかつ廊下からは房内が見られるのに向かい房同士は見通せなくなっています。
ところどころ収容体験ができる房も。
こちらは小説やドラマにもなった脱獄魔が入っていた、第4舎24房。この脱獄魔のために床が強化する改造を施したのに、やはり脱獄されてしまったのだとか。
官舎から少し離れた場所に浴場があります。
受刑者の入浴時間は厳格に定められており、3分で脱衣し、3分で第1槽に入浴、3分で体を洗い、第2槽の入浴に3分、そして着衣に3分と、脱衣から着衣まで15分間で入浴できるようになっています。
ほかにもこんな見どころが!
ここまでさまざまな施設を紹介してきましたが、まだまだこんな見所どころもあります。
こちらは二見ヶ丘農場で、囚人たちの食糧生産を担う農場と、それに付設する施設です。
作物を育て、収穫するのも囚人の仕事でした。二見ヶ岡農場は現在も残っており、受刑者たちが育てた牛は網走監獄和牛というブランド肉になっています。
さらにお土産屋に行くと、全国でもここだけしかない網走刑務所グッズの数々が!
正直、ここまでネタにして大丈夫なのか!?と思ってしまいました…。
現在の網走刑務所はここから車で5分ほどの距離にありますが、ここは正門までであれば入ることができ、刑務所作業製品展示場では受刑者が製作した木工品などが売られています。
網走名物の木彫り人形、ニポポ人形もここで購入可能。
最果ての監獄といったイメージの網走刑務所ですが、百聞は一見にしかず。刑務所のイメージを180度変えてくれる、見ごたえあふれる博物館でした。急ぎ目に見て回っても2時間ほどかかったので、時間に余裕を持ってじっくり見学するのがおすすめです!
マイミチ2期生の網走旅、最後はオホーツク流氷館に向かいます!
オホーツク海のことなら何でも分かる! オホーツク流氷館
博物館網走監獄で北海道開拓の歴史を学んだ私たちマイミチ2期生。網走の土産も調達したところで、この旅最後の目的地、網走監獄から車でわずか5分のオホーツク流氷館に。時刻も15時半になりました。
オホーツク流氷館は、網走の街を見下ろす天都山山頂に立つ3階建ての施設。
3階は屋外展望台となっており、遠く知床半島までも望むことができます。
1階はお土産ショップ、2階はカフェ・レストランとなっており、メインの施設は地下1階。
まずは流氷幻想シアターで、流氷の風景やオホーツクを生きる動物の生き様を臨場感あふれる5面シアターで鑑賞しましょう。
ここでは実際にオホーツク海に住む生き物を展示しており、ユーモラスな姿のフウセンウオやフサギンポなどを見ることができます。
そして何といっても人気なのがクリオネ! 水槽の中を神秘的にゆらゆら泳いでいます。
本物の流氷に触れるここだけの体験ができるのが、流氷体感テラス。スタッフの方に濡れタオルを渡され、マイナス15度の世界へいざ!
大型冷凍庫に閉じ込められたような、なかなか体験できない気分です。
そこかしこにある流氷は計100トンもあるとのこと。
濡れタオルを振り回せば、あっという間にカチンコチンに固まってしまいます。
最後に味わってほしいのが、そのままのネーミングの流氷ソフトクリーム。伊達に流氷と名乗っておらず、なんとオホーツク海の塩をまぶしたソフトクリームなのです!
インパクトがあるのは名前と見た目だけではなく、味も然り。ベースのキャラメル味とオホーツクの塩が絡み合った食べやすい味です。
このソフトクリームをプロデュースしたジェラート専門店「Rimo」のオーナーは、ジェラートの国際大会で優勝経験があるのだとか。
目でも体でも口でもオホーツクを楽しめ、充実した見学になりました!
この近くには北方民族博物館という興味深そうな博物館もあるのですが、あいにくこの日は休館日で見学できず。今回は日帰り旅なので、中心市街地や港方面には立ち寄らず、このまま帰路につくことに。
予想以上に見どころが多い街で、できれば1泊はしたい! と思ってしまった網走日帰り旅。しかし博物館網走監獄で北海道の歴史を、そしてオホーツク流氷館でこの地が誇るオホーツク海の魅力を知ることができ、充実した1日でした。
JICA訓練生「海外派遣前特別訓練」最終活動報告
2020年8月27日〜2021年2月3日までの約5カ月間、JICA海外協力隊の訓練生4名が、海外派遣前特別訓練として上士幌町に滞在しました。
前半は「MY MICHI プロジェクト」に第0期生としてモニター参加し、さまざまなプログラムを体験。多くの町民と触れ合うとともに、その後のプログラム作りにも携わりました。
後半は「かみしほろ人材センター」の会員として活動し、町の人たちから困りごとなどをヒアリング。それぞれが自分の得意なことを活かしてそれらの手助けを行いました。
「上士幌町の人たちにはいつも元気をもらっていた。ここでの活動は一生の宝物」
「上士幌町に来て、これまでの価値観が大きく変わった。人とのつながりの大切さに気づいた」
「海外派遣前に非常に貴重な経験ができた。海外に行ってもこの経験を糧に頑張りたい」
「上士幌町の経験を通じて、自分が好きなものが再認識できたことで、自分がこれから進んでいく道が見えてきた」
活動を終えた4名は、それぞれに胸の内を語ってくれました。上士幌町での経験は、これから海外へ旅立つ訓練生たちにとって非常に有意義な時間となったようです。
また活動を終えた訓練生たちは、滞在中に出会った町の人たちの笑顔の写真を撮り集め、素敵な作品として寄贈してくれました。
訓練生たちも「ここでできたつながりを大切にして、これからも継続した関係を築いていきたい」と語ってくれました。
最後に、訓練生たちは上士幌町での活動報告を動画にまとめています。どんな活動をして、何を得たのか。ぜひご覧ください!
仕事解決人!町の困りごとが仕事に?そしてやりがいに!
まちづくり会社が運営している「かみしほろ人材センター」では、上士幌町の法人や個人から短期で簡単な仕事の依頼を受け、人材センターの会員の方に仕事を行ってもらう仕組みがあります。センターの会員の方には、これまで培ってきた「得意なこと」や「できること」を生かしてもらっています。「庭の剪定作業」を請け負っている寺戸勝広さんは、趣味で続けていた庭作りの知識を生かして、やりがいある仕事ができていると言います。(制作:ホロロジー編集部)
プロフィール
寺戸 勝弘さん
|てらど・かつひろ|音更町出身。高校卒業後、上士幌町へ。上士幌町役場に勤務。定年退職後は地域活動にも従事し、近年は「かみしほろ人材センター」に登録し、庭木手入れや草刈りなどで地域のために貢献している。
趣味が仕事に
寺戸:なーに?今日は僕が話をするのかい?そんなに面白い話はないよ?
――いえいえ。いつも通り働いている姿を見せていただければと思っていますので、本日はよろしくお願いします!
といいながら、早速、庭に足を運んで、本日作業を請け負った坂本さん宅のお庭を案内していただきました。
寺戸:ちょうど今、最後の仕上げをしているところだから見ていってよ。
――ありがとうございます!
寺戸:坂本さんのお庭は立派でね。帯広の職人がいる園芸屋さんに造ってもらったそうなんだ。そんな職人さんが丹生込めたお庭を、僕なんかが剪定していいのかって。最初、話をもらったときは、恐れ多く戸惑ったんだよ。
――それでもやってみようと仕事を請けられたんですね。実際に剪定されてどうでしたか?
寺戸:大変だったけれど、やりがいがあったよ。はじめて剪定し終わったときには喜んでもらってね。「来年もよろしくね」って、坂本さんに言ってもらったんだ。嬉しかったし、自信になったね。もっと頑張ろうと思えたんだよ。
――それはすごく嬉しいですね。
寺戸:坂本さんは木を知っているからね。だから楽しみでもあるし、もっと勉強をしないとなあと思いながら、剪定の時期を迎えているよ。ありがたいことに、去年(2019年)より依頼が増えていてね。この時期はとても忙しくさせてもらっているよ。
――寺戸さんはいつから庭づくりをしているんですか?
寺戸:21歳くらいのときかな。趣味でね。木は枯らしたりと、何回も失敗したけど、楽しいもんだ。
――庭作りの楽しみってなんですか?
寺戸:昔はね、よく山に行ってたんだよ。道路を造るために木を伐採するでしょ。伐採した木を販売する催しが昔はよくあったんだ。自分で見に行って「この木をください」って言ってね。値段を付けてもらうのさ。手配したトラックで運んで自宅まで持って帰ってきてね。それを育てるんだよ。
――豪快な趣味ですね!
寺戸:結構、仲間がいたんだよ。流行っていたのもあるしね。でもね、持ち帰った木は中々根が張らなくて枯れちゃうんだ。失敗ばかりさ。でもたまにしっかり育つんだよ。それが嬉しくてね。友人と競っていたりして楽しんでいたんだ。
――成長を見るのが楽しいんですね。
寺戸:そうだね。売買をすることもあるんだ。うまく育つと高く売れるんだよね。でも、自分がうまく育てた木が「●円」って言われたら、途端に手放したくなくなって売らないんだ。それで売れないまま枯らしてしまったりもしたもんだ(笑)。
――だんだん愛おしくなるんですね。子供を育てるのと同じ感覚なんですかね。
寺戸:人生みたいなもんだよ。
剪定の仕事が元気の源
――昨年はご病気もされたと聞きました。
寺戸:2019年の2月に胃がんが判明して、摘出手術をしたんだよ。75歳でね。ステージ1で、発見が早かったから大事には至らなかったんだ。でも手術後はあまり食べられなくなって痩せたよ。
――痩せてるようには見えませんでした。筋肉もありますし!
寺戸:作業のおかげで体力はちょっとずつ戻ってきたかな。筋肉はあるよ。鍛えているからね(笑)。
――剪定の仕事が元気の源になっているんですね!
寺戸:それでも体力はまだ戻ってないという思いはあるけどね。元々はもっと太っていたんだよ。今は痩せているのを気にしているくらいなんだ。でも調子はいいんだ。餅もたべるし、食欲はあるよ。
――たしかに、作業を見ていたら楽しそうでした。
寺戸:庭木を触っているしね、楽しいよ。しかも庭木の仕事は、ただ切るだけじゃなくて、日々勉強だからね。今でも機会があればいろんな庭を見てるんだ。あの庭はああしてる、この庭はこうしてるって勉強しているんだ。
――長年、触れていてもまだまだ勉強されてるんですね。
寺戸:そうだね。そして、依頼があったら、この庭はどうしたら喜んでもらえるかな?って考える。大体イメージ通りにできるようになってきたんだ。だからこの仕事にはとてもやりがいを感じているよ。依頼主さんにも感謝だし、関係を繋いでくれるまちづくり会社の皆さんにも大変感謝しているよ。
昔から負けん気が強くて
――寺戸さんは生まれも育ちも上士幌町なんですか?
寺戸:出身は音更町。農家の次男なんだ。
――いつ上士幌町に来られたんですか?
寺戸:高校を卒業した後だね。次男だったけど、家では跡取りとして農家を継げと言われていたんだ。同級生で農家が3人いたんだけど、土地面積がどれも敵わなくてね。僕の家は面積が小さくて、勝ち目はないなと思って嫌になって、親の言うことを聞かなかったんだよ。それで、親戚のおじさんが上士幌町にいたから、紹介された役場の臨時の仕事を始めたときに上士幌町に来たんだ。
――寺戸さん、負けん気が強いんですね。
寺戸:ハハハ、そうかもね。そして2年半くらい臨時の仕事をしていたら、運転手として大型免許を取れば採用できそうだっていう話があってね。親が運転手やるならダメだって言ったんだけど。親に黙って大型免許を取得してね。役場に入っちゃったのさ。
――やっぱり親のいうことは聞かないんですね(笑)。その後、苦労とかはありましたか?
寺戸:50歳になった頃に、運転手は民間に委託するから採用しない方向になって。だから運転手の仕事はなくなって、事務の仕事を始めたんだよ。役場でワープロ仕事。なかなか覚えられないのさ。30年も運転手してて、事務の仕事をするのは大変だったね。でも辞めるという選択は自分の中ではなかったからなんとか頑張ったね。
――持ち前の負けん気で乗り越えられたんですね。すごい。
寺戸:今は自分が楽しんできたことで、お金がいただけるというのは大変ありがたいことだよ。
――上士幌町での今の楽しみはなにかありますか?
寺戸:月曜と木曜にスポーツセンターで卓球やってるんだ。今まで40年続けてきたよ。
――40年ですか!試合にも出てるんですか?
寺戸:出てたんだけどね、今はメンバーが揃わなくて出場できないんだよ。メンバーが7人揃ったらいけるんだけど、なかなか揃わなくてね。誰かやる人いないかな?探してきてよ。
――上士幌町の皆さん、ぜひ卓球しましょう!
寺戸:上士幌町の中学校の卓球部なんかは、最近、指導者が素晴らしくて、全国大会にも出るようになったんだよ。上士幌町で卓球が盛り上がるといいね。
と、最後は少しだけ寺戸さんの日常が垣間見えるお話をさせていただきました。寺戸さんにはほかにもあんこ作りを教えてもらう取材にご協力いただいたりと、私たちにとても優しく接してくれました。
人が住んでいれば、そこには何かしら小さな困りごとがある。その困りごとは自分では解決できないけれど、それぞれの得意なこと、やりたいことを活かせば解決するかもしれない。
寺戸さんにとっては、「かみしほろ人材センター」で町の人たちの役に立てることが大きな生きがいになっていました。今後も町の解決人が増え、解決人たちを追って紹介できるといいなと思わせてくれる取材でした。
寺戸さん、ありがとうございました。
「優しさの拠点」となる助産院をつくりたい~渡辺 雅美さん~
「地域に溶け込んだ『町の助産師さん』を目指したい」。そんな思いで助産院の開業を決意した渡辺雅美さんは、2020年度「かみしほろ起業塾」を受講し、最優秀賞を獲得しました。2021年度の開業に向けて準備を進めている渡辺さんの胸にある思いとは――。(制作:ホロロジー編集部)
追記:2021年10月に開院されました。記事の最後に開院された記事のリンクがあるのでぜひそちらもご覧ください。
助産師
渡辺 雅美さん
|わたなべ・まさみ|1980年生まれ、岡山県出身。本州の病院で看護師・助産師として勤務。2020年に上士幌町へ移住。子育て世代の移住が増えている上士幌町で、周囲に家族や頼れる人がいない状況で子育てをしているママたちを見て、ママが孤立しない環境づくりの必要性を強く感じ、助産院の開業を決意。ママたちが安心して子育てができるよう、妊娠、出産、育児までをトータルで支援する助産師を目指している。
2020年に岡山県から上士幌町に移住してきた渡辺雅美さんは、町に助産院を開業したいとの思いから2020年度「かみしほろ起業塾」を受講しました。
渡辺さんは、総合病院で15年間助産師として勤務。その間に1,000件以上の出産に立ち会ってきました。また、妊婦さんや産後のママの育児相談などにも応じ、3,000人以上の声に耳を傾けてきました。
移住後、渡辺さんは健康増進センターに勤務するとともに、まちづくり会社が主催する「ママのHOTステーション」に助産師として参加。町の産前産後のママたちに接してきました。そのなかで「上士幌町には助産院が必要」と思うようになったといいます。
ママたちが安心できる環境を整えたい
「上士幌町は子育て世代の移住者が多いと聞いていましたが、実際にそうですね。話を聞くと、周りに家族や頼れる人がいない状況で子育てをしているママたちも多く、孤独を感じたことがあるという声を多く聞きました。そんなママたちの孤立を防いで、妊娠期から産後に至るまでママたちが安心できる環境を整えたい、そのサポートをするための助産院をつくりたいと思いました」と渡辺さん。
現在、十勝管内で産前産後ママの身体面や精神面をサポートする助産院は、帯広市、音更町、芽室町にあります。ですが、いずれの助産院に通うとしても上士幌町からは片道約1時間の距離。
「妊娠中にお腹の張りを感じたときに、病院に行くべきか迷ってしまった」
「産院が遠いので、受診をためらってしまう」
「産後、乳腺炎になってしまい体調が悪い中で赤ちゃんを連れて病院に行くのがつらかった」
上士幌町で出産育児を経験したママたちから聞いたそんな声も、渡辺さんの背中を後押ししました。
町に自然と溶け込む助産院を目指したい
「ママたちの声を聞いたこともありますが、この町の雰囲気も開業を決意した理由の一つです。上士幌町は穏やかで優しい人が多く、自分にできないことがあっても、周りにはそれを手伝ってくれる人がいる。競争するのではなく、お互いが支え合いながら活かし合っていく風土があると思う。そんな町だから開業したいと思えたんです」
渡辺さんは「かみしほろ起業塾」を受講しながら、町内でのサービスだけでなく、オンラインを活用した相談会や動画教材の販売など、地域に制限されないサービスを組み立てていきます。結果、2020年度の最優秀賞を獲得しました.
渡辺さんが目指す助産院は「家族がかかりつけの助産院であること。夫婦のパートナーシップが育める場所であること。ママの心も体も休まる場所であること。優しさが循環する拠点となること」。
そして何よりも「幸せな家族を増やすこと」。
そんな志をもつ渡辺さんですが、気負うことなく2021年度の開業に向けて準備を進めています。
「『私がやらなきゃ!』とか『やるぞ!』といった使命感からではなく、この町のママたちと接していて、自然と開業しようという気持ちになったんですよね。なので、これから開業する助産院も、町に自然に馴染むような、そんな場所にしたいと思っています」
妊娠から出産、育児までをトータルで支援する助産師は、町に住むママたちにとってとても心強い存在となるに違いありません。地域に溶け込んだ「町の助産師さん」として活動していく。それが渡辺さんの願いです。
名人に教わってあんパン作りにチャレンジ!(後編)
大量にいただける食材の活用方法を上士幌町の皆さんから紹介してもらうということで始まったレシピ企画。今回は千葉与四郎副町長の奥様、正恵さんにあんパンを作りを教えていただきました。前編では生地づくりをして、後編はいよいよパンを焼きますよ!
WRITER
宮部 純香
上士幌町で生まれ、高校まで上士幌で過ごした編集サポートメンバー。小さい頃からお世話になった上士幌を新しい視点で見てみたいと取材を進めています。
生地にあんこを包む
じゃあ、いよいよあんこを包むよ。
さっきよりも大きくなってふわふわしてる。
この丸めた生地を手のひらでつぶして、棒で上下を伸ばしたら、90度回転させて、もう片側も伸ばしていく。丸く伸ばせたら、親指と人差し指の上に乗せて、あんこ玉を乗せる。
手にあんこが付いてたら拭いてね。親指が大事だから。生地を外側から、くいっくいっと真ん中に寄せてきて、あんこが見えないように閉じると。
よし、二人もやってみよう。
難しいです…。
どれ…もっとあんこを包みやすいように生地を大きく伸ばした方が良いかもね。そして、親指と人差し指で生地を中心に集めていく。
…できました!
そうそう、上手!
つまんだ面を下にして少しつぶして平らにしたら、指で押してくぼみをつけよう。そして今度は、35分間仕上げ発酵させる。温度は35℃ね。この発酵のさせ方は、発酵機械がない人はさっき話したように発泡スチロールに入れてやればいいからね。
生地を発酵
発酵を待っている間、ご夫婦の子ども時代のお話を聞かせていただきました。どんな遊びをしていたのか、昔と今ではどのように町の風景が変わってしまったのか。とても深いお話でした。
でんすけのカメラ目線、いただきました。わん。↑
さあ、あと少し!
うわぁ、大きさが全然違いますね。
くっついちゃったね。どーしよう…。
このままで大丈夫ですよ!
それじゃ、照りたまごをしてケシの実を真ん中にのせようか。照りたまごをするタイミングで、オーブンは予熱をかけるといいよ。200℃で12分ね。
照りたまごは、全卵を使用し卵白のこしが切れ、全体が混ざるまで溶く。泡立てないよう、こしを切るイメージで。これをパンに塗り焼くことで、艶が出ます。
もっと、指をぐっと押し付けてケシの実をつけるといいよ。
ぐっと…穴が開くかと思って遠慮してたけど、意外と開かないものなんですね。
さあ、焼くぞ!
そうそう。大丈夫だよ。よしっ、焼こう。レシピでは170~180℃となってるけど、電気オーブンだと弱くて綺麗に色が付かないの。だから200℃で12分焼くからね。
6分経ったら入れ替えるよ。そうしないと、全体に色がつかないの。
さあ、焼けたよ!
いいにおーい!美味しそう!!
ほんとだね!香ばしい甘い匂いがする!
ああ…くっついちゃったね…どーしよう…。
かわいいですよ。ご愛敬ということで(笑)。
そうね(笑)。これ、ばらばらにして網の上に乗せてね。そうしないと冷めないのよ。
いい出来ですね、きれい。
よかった(笑)。
最後に、写真を撮らせていただいていいですか?
恥ずかしいわね(笑)。
本当に素敵なご夫婦でした。作ったあんパンは、お土産として持たせていただきました。
今日は本当にありがとうございました。とても楽しかったです。
いえいえ、こちらこそ楽しい時間をありがとう。またやろうね。
良いんですか!うれしい!
ぜひぜひ。また一緒にやりましょう!
いただいたあんパンは、帰宅してから美味しくいただきました。あんこがぎっしり詰まってて、でも甘すぎなくて。パン生地もふかふかでほんのり甘くて、とても幸せな味でした。
快く引き受けていただき、本当にありがとうございました。また、ぜひ時間を共有させてください。
【作り方】
下準備:つぶあんでも、こしあんでもお好みのものを事前に作って用意しておく。あんこを少し硬めに作っておくと、焼いた時に生地から出ることがない。
1.ボウルの中に必要な材料を順番に入れ混ぜる
2.ある程度混ざったら、ボウルから出し手でこねる(菊練りもぜひ挑戦!)
3.一次発酵(30℃で40分)させる
4.発酵させている間に、あんこ玉を作っておく
5.発酵が終わった生地を16個に分け、丸める
6.丸めた生地をねかせる(15分)
7.ねかせ終わったら、生地を伸ばしてあんこを包む
8.35℃で35分間仕上げ発酵させる
9.照りたまをしてケシの実をのせたら、200℃で12分オーブンで焼く
キツネ色になっていたら完成! ん~良い匂い!!
名人に教わってあんパン作りにチャレンジ!(前編)
大量にいただける食材の活用方法を上士幌町の皆さんから紹介してもらうということで始まったレシピ企画。次なるレシピを求めてたどり着いたのが、料理上手と有名な、千葉与四郎副町長の奥様、正恵さんです。
WRITER
宮部 純香
上士幌町で生まれ、高校まで上士幌で過ごした編集サポートメンバー。小さい頃からお世話になった上士幌を新しい視点で見てみたいと取材を進めています。
あんこを使った料理を教えてください
今回教えていただくことになったのは“あんパン作り”。第1回でたくさんのあんこができたので、あんこを使ったレシピを教えてください!と相談したところ、千葉さんのご提案であんパン作りを教えていただくことに。
正恵さんは習い事をいくつもされていたようで、なかでもパン作りは長かったと伺いました。これまで作った経験のある数々のパンのレシピが初級編から上級編まで、たっぷりファイリングされていました。その中でもあんパンは初級なのだとか。いやでも、なんだか想像しただけで、難しそう…。初心者の私たちにもできるのでしょうか。
まずは生地作りから
ご自宅に入らせていただくと、テーブルの上にはすでに材料が準備されていました。
本日のあんパン作りの材料はこちらです!
【今回使用した材料(16個分)】
・小麦粉 400g
・卵 60g
・イースト10g
・ショートニング 60g
・スキムミルク 8g
・あんこ 800g
・食塩 6g
・砂糖 60g
・ぬるま湯(40℃)200g
・ケシの実 適量
・照りたまご 適量
まずは手を洗ってもらって、さっそく始めようかな。パンをこねるのに、“手ごね”と“機械”があるんだけど、どっちにする?
手ごねがいいです!手の温もりを入れたいです!
そう?大変だけどいい?
やります!手ごねの方が美味しく食べられそうですし!
じゃあ、手ごねにしよう!まず大きめのボウルに、小麦粉(400g)とイースト(10g)が入っているから混ぜてもらっていいかな?これで、16個のパンができるんだよ。
ゴムベラで全体が混ざるようにサクサクと混ぜます。
混ざったかな。そうしたら、スキムミルク(8g)と塩(6g)を加えてさらに混ぜてください。
ガシガシガシ。混ぜるときにボウルから材料がこぼれてしまわないように注意!
混ざったら、真ん中をあけて、そこに砂糖(60g)を入れてくれるかな。そして、この40℃にしてあるぬるま湯を“半分(100g)”入れてね。そして、“砂糖だけ”混ぜる。粉はまぜないよ。
どうして真ん中をあけるんですか?
それはね、砂糖を先に溶かしたいからだよ。
そこに、卵(全卵60g)と残りの水(100g)を入れて混ぜてね。ある程度混ざったら、ボウルから出して手のひらにショートニングを少し付けて、生地を上下に動かしてこねる。ぐいっぐいっと。
あ、これけっこう、油がベトベトして、手にくっつく。難しい…。
手ごねって大変だよね。こねるにはコツがあって、こう、手をね、左右別々に上下に動かして、ぐっぐっ、ってやるといいかな。
めちゃくちゃやりやすくなりました。
ひたすらコネコネ…悪戦苦闘しながら10分経過…。
ショートニングって原料は何なんですか?代用する場合は?
無塩バターでいいと思うな。ほかのパンのレシピを見ても、ショートニングかバターだから。
さぁ、ななちゃんがこねてくれていい感じになったね。
ね、いい感じですよね。すごいもちもちです。おもちみたいな感触でもうすでに美味しそう!
じゃあ、折りたたんでもらおうかな。こねた生地の両端を内側にパタンパタンと折りたたんでもらっていいかな?
ご主人登場!菊練りを披露
このあとは、菊練りをするんだけど、難しいから今回は省こう(笑)。
ん?菊練りするのか。蕎麦ではやるけどね。
与四郎さんは、蕎麦作りしているの。
そうなんですか!?ぜひ、見せていただきたいです!
ここでお買い物に出られていた正恵さんのご主人・与四郎さんが帰宅。蕎麦打ちをされているそうなので、急遽、菊練りを見せていただくことに。
これは柔らかいから難しいな。本当はね、こう、菊の花みたいにくっくって跡がつくんだけど…。
手つきがプロみたいですね。
ね、さすが。
すごいってさ、お父さん、良かったね(笑)。そしたら、これをまず一次発酵させるね。30℃くらいのところに、40分間。今は発酵させる機械を使うんだけど、昔は発泡スチロールを使っていたの。ボウルに入れた生地をラップして、発泡スチロールの中に入れて、そこに熱めのお湯が入った湯呑を一緒に入れるの。その中を30℃ぐらいを保てるように生地に温度計を刺しておいて管理するんだけど、これがものすごく手間がかかるから、今は機械なんだけどね。
ショートニングや機械を持っていない人のことも考えて、別の方法も教えてくださる正恵さん。
発酵を待つ間にあんこの準備
発酵を待っている間に、持ってきてくれたあんこの準備をしようか。パンの中に入れられるように丸めるからね。
1個の大きさは、レシピに50gって書いてあるね。全部で16個あればいいんだね…ねえ見て、私1回で50gにできるようになった。
すごいですね。職人(笑)。
こんな感じでいいでしょうか?
上手上手!
今度は生地を成形しよう。これも、1つ50gだね。まずは、発酵させておいた生地をコッペパンのような形にして、縦半分に切って、
この切ったところに線が入っているでしょ。この線と線の間を縦に切っていくよ。
1本になった生地を、50gにカットして、丸めるからね。これを、ぱたんぱたんと2回半分に折って、
手で包み込んで、テーブルでこすりながらクルクル回して、丸くしてね。
こんな感じですか?
もう少し力を入れて、そうそう、上手。できたのはここに並べて、ベンチタイムといってここからまた15分寝かせるからね。
ここで、副町長にお茶を淹れていただいて15分間のティータイム。
と、いうことで前編はここまでです。後編はいよいよあんこを包んでパンを焼きます!どんな出来になるのか、お楽しみに!
Instagramで「人」を紹介中!
ホロロジーでは「Instagram」を活用し、これまで取材させていただいた方を写真とイラストで紹介させていただいています。この記事では、写真と共に関連コンテンツをご紹介します。
町民ライター座談会・後編〜自分の町で取り組む苦労ややりがい〜
2020年12月に立ち上げたホロロジー。サイト立ち上げの準備期間中、上士幌町で生まれ育った2人の若者にライターとして携わってもらっていました。前・中編では、取材を通して感じたことや幅広い世代との交流をしてみての気づきなどを語ってもらいました。最後の後編は、参加したきっかけや葛藤、やりがいについてを語ってもらいました。町民が自ら足を運んで取材をしてみて感じたことを、ぜひ皆さんにも知ってほしいと思います。
町民ライター
竹中 勇輔
上士幌町生まれの26歳。中学まで上士幌町にいた本日の主役の1人。淡々といつも笑顔でいてくれる。けれど、内に秘めている感情の波は情熱的。
町民ライター
宮部 純香
上士幌町生まれの24歳。高校まで上士幌町にいた本日の主役の1人。優しい笑顔で周囲を包み込む。ミーティングのときは、ビシバシ意見する頼りになるお姉さん。
在住ライター
西村 奈々子
大阪出身23歳。上士幌在住。メンバー最年少を理由にとことん甘えている。やるときはやります。この記事も書きます。ィングのときは、ビシバシ意見する頼りになるお姉さん。
ホロロジー編集担当
野澤 一盛
京都出身、帯広在住。年上を感じさせないフラットさが、皆に愛される。追い詰められたら、エンジンがかかる。この記事のファシリテーター。
2人が育った町で、サポートメンバーを始めたきっかけ
2人は上士幌町で育ってまだ親も上士幌町で暮らしている中で、取材メンバーとして活動するときに、いろいろ町の目があるし、やりづらい部分もあるんじゃないかと想像はしていたと思うんですよ。それでも始めたきっかけってなんでしょう?
最初に声をかけてもらったときは、「父が働いているまちづくり会社の仕事を手伝うのか〜」みたいな気持ちはありました。職員として入るわけじゃないけど、まちづくり会社の活動として町に入っていくわけだし、「宮部の娘」ということもたくさんの人が知っているし。そこでどこまで私に町の人が話してくれるかなっていうのはあって、お父さんにも相談したし、最初は正直やりたくなかった。
へえ〜。
文章は書きたかったし、そういう経験はしてみたかったけど、前向きに活動に参加したってわけじゃない。
そうなんだね。結果的にやろうって思ったのはどのタイミングで、何がきっかけ?
んん・・・今、何かやりたいことがあるわけじゃなかったし。今まで考えたことのない職場や環境の中に入ってみるのも、今、時間があるからこそできるチャンスかなって思って。やめたかったらいつでもやめたらいいよ、みたいなスタンスで会社側もいてくれたから。じゃあまずは1週間やってみようという気持ちで入ろうと。ななこちゃんとは以前上士幌町に来たときに会っていたし、ななこちゃんが参加すると聞いたこともあるかな。
竹中くんはどう?
僕は、8月からまちづくり会社がJICAの訓練生を受け入れることがなかったら、多分ハレタには来ていなかったし。そこですかね、きっかけは。
じゃあ訓練生が来たからだ。
まず、JICA帯広の職員から「今日から訓練生が上士幌町に滞在します。時間はありますか?」って連絡が来たんです。それで顔合わせに参加したら、今日からこの4人が上士幌町に滞在するからよろしくという感じで、その流れで誘われました。
なるほど。すごい縁だね。
僕は時間はあったんで、楽しそうだしやってみようって感じですね。
もともと書くことがやりたかったとか?そういうわけじゃなくて?
もともと書くのは嫌いなんですよ。
(みんな笑う)
小中学校で、作文とか感想文の課題ってあったじゃないですか。それが辛くて辛くて。何でこんな課題があるんだって思ってました。でも大人になるにつれて、読んでもらう人にわかりやすく文章を作るってすごい必要な力だと感じるようになって。それからは苦手だけどやるようになったんです。
2人が実際に活動して感じた“安心のギャップ”
実際に、活動に入ってみて思ってたことは?
うん、こんなにゆるーく入っていいんだなあって思いました。めっちゃ気負って入ったんですよ、しっかりやらなきゃ!みたいな。でもそうじゃなくていいんだって思って。
それはいつ思ったの?
この4人で初めて顔合わせしたミーティングです。
一番最初なんだ。
こんなあったかい感じでいいんだって。もっとバリバリと仕事として請けるものだと思ってたから、いついつまでに何やって、これやってってしなきゃいけないのかなって。でも違うから、あっ、良かったって(笑)
ちょっとカットしといてもらえる(笑)?
でもそのおかげで参加しやすかったですね。
そうかもね。
実際どう?親のこととかの懸念もあったでしょ?
それは今もありますけど。私の発言一つでどうなるとか、見られてるってずっと思っていて、自分がどこに取材に行くのか、誰と会うのかっていうのを。
それは誰に見られているの?
親に見られていると思ってたんですよ、ずっと。別に親からは何も言われたことはないんですよ。でも、仕事としてやるとなったときにそういうプレッシャーじゃないけど、責任みたいなものを勝手に自分で思ってたので。だから最初は取材に入っていくときも、どこまで自分が発言していいんだろうという戸惑いはありました。ようやく最近取材でも自然に会話をすればいいんだなっていうこともわかってきたし、それでもいいんだなっていう自分なりのスタンスもできてきたんで。
きっちりしなくても、自分のやりたいようにやろうって思えるようになったってことかな?
そうです。親がどうだとかは考えなくていいかなって、やっていくうちに思いました。
うんうん。
最初、僕も上士幌町で育ってきたから同じように考えてたけど、あやかちゃんの話を聞いて、自分の悩みは大したことないかもって思えるようになったかな。
結構最初の頃、気にしてたところもあったものね。
そうですね。でも、自分があやかちゃんの立場だったら、と想像したときに「あ、結構やばい」と思えるようになってからは気が楽です(笑)。
(みんな笑う)
町の人たちからどう見られているかが気になるという人もいると思うんだけど。それ通り越して、むしろやって良かったと思うことはある?
今でも多少戸惑いはあります。「やっぱり自分の名前と顔は出るよな」とか、「この人はこんな記事を書くんだ」と思われることとか(笑)。多分私はずっとこの町にいると思っているので、そうなったときに誰が見るかわからないじゃないですか。
確かに、町の人全員見るかもしれないしね。
そう。誰がどこで何を言ってるかわからないから。この間同級生と喋ったときも、良くも悪くも噂って広まるよねという話もしました。でも、それをどうプラスに捉えるかを考えています。自分自身をホロロジーを通して町の人に知ってもらうチャンスですし。
うん、そうだと思う。
だからこそ、仲間がいてほしい
だから、私たちみたいにこういう仲間がいたらいいなって。自分一人で活動するんじゃなくて、一緒に活動する人がいると、やっていても間違いじゃないんだ。大丈夫なんだなって思います。
うわ〜、わかるそれ。うん、仲間はほしいよね。
だから、次来る人も自分1人じゃなくて、友だちを誘ってみるとかいいですよね。仲間を作ってやっていけた方が「だよね!」って共感できることがたくさん生まれると思います。あんまり噂とか気にしなくても、とりあえず楽しそう!から入ってもいいし、途中でやめてもいいわけだし。
そうそう。たしかにそうだね。
町外から来た私の意見としては、「上士幌町で育ってきたらこうだ」とか、「この家の子だからこう生きなくちゃいけない」って言い聞かせて生活をするのって、子が親に対する優しさなんだろうけど、でもそれは親が喜ぶかはわからないと思っていて。
たしかに、それはそうだよね。
親がこうだからっていう、殻に閉じこもるっていうのかな?閉じこもらなくていいのかなって私はみていて思います。
僕はまだ完全に殻を破れていないんだけど、みんなで作ったものを町の人たちに見てもらって、その反応を受けてようやくやって良かったと思える気がします。不安はあって当たり前で、やって良かったという肯定感が不安を上回ったとき、勢いに乗っていけるのかな。
不安半分、楽しみな気持ち半分で。でも自分の言葉を書くのではなくて、人の言葉を扱うじゃないですか。そのときどういう気持ちになりました?私すっごい緊張したんですけど。責任も感じるし。
うん、それはすごく感じるね。
言った言葉をそのまま書いても、自分はそのやりとりを知っているからニュアンスが伝わるけど、それをそのまま出しても意図が伝わるのかというのは難しいなって思って。何回も読み直して、「これを間違った意味に捉えられないか?」というのは、ずっと考えて書いてるかもしれない。
うん。書くなら、その人の良さとか魅力とかが最大限に伝えたいですもんね。
そうそうそう。マイナスにはしたくない。
あやかちゃんがさっき言ってた仲間という中で、そういうのをやっていけたらいいですよね。
興味あることで、どんどん記事を書きたい
取材先を企画するときに意識してたことってある??
知りたいという根本がないと、なかなか取材しても書けないと思うんですよ。だから、本当にここに行ってこの人の話を聞きたい気持ちがあれば、どんどん書けると思うんです。
うん、わかる。
一つ思うのは、人によって興味って全然違うじゃないですか。だからその分メンバーが多いと興味も広がりますよね。
うんうん。
そりゃそうだ。
いろんな年齢層の人が関わってくれたら、自ずと町のいろんなところに取材したくなるだろうなとは思っていて。無理にやるんじゃなくて興味があるところをやっていけるくらい。
そうですね。
2人みたいに地元出身で小さいころから上士幌町です。みたいな人がやっているメディアってあんまりないと思うんだよね。
結構いろんな地方でウェブメディアはありますけど、その地域出身の人がやっているメディアはあんまりないんですか?
それを前面に出しているメディアは少ないんじゃないかな。クリエイティブな会社に頼んで、書ける人が書いて、それを乗せているのが多いと思うよ。
例えばライターを募集していったときに、やってみたいけどちょっと自信がないといった人のフォローはどうする予定ですか?
まずは取材に同行してもらったり、簡単な文章を一緒に考えるところから始めようと思ってる。取材の入り方とか、記事の書き方は必要に応じて、フォローできる体制は作っていけるかな。
そうなんですね。多分やってみたい人が一番不安に思ってることって、やってみたいけどできるかな?というところだと思うんで。サポートがあるのは心強いと思います。
そうかあ。まあできるよ、会話さえ成り立ったらもうそれが既に取材だから(笑)。
(笑)。やってみたら自信はつくと思うんですけどね。
そうそうそう。
それでも腰が重い人は結構いると思います。
いや、すごく重いと思うよ。だからそれをここで一回テーマに出していきたいよね。
うん。実際私たちもね、経験がないところからはじめているんで。同じじゃないですか町の人も。
だからハードルをあまり感じないコンテンツっていいよね。同級生と喋ってみるとか、実際に改まって会いたい人に話聞く企画はめちゃくちゃいいコンテンツになると思う。
やってみたい人がいたら激推しします。
とりあえず、同級生は全学年制覇したいよね。
そういえば今日、たまたま上士幌町出身なんですよって人にあったな。
ちゃんと言った?
何をですか?
同級生に取材しませんか?って(笑)。
(みんな笑う)
その案内は必須だよ。
ちょっとそこまでは言えなかったです(笑)。だから意外と、上士幌町出身の人と出会うなあって思って。ちゃんと声かけて行かなきゃですね。
宣伝もできたし、これで終わろうか(笑)!
そうですね。たくさんの町民の方に携わってもらえるサイトになるようにみんなで頑張りましょう!
いかがでしたでしょうか?
メディアを作ったことのない若者と共にホロロジーは歩みを始めました。インターネット、そしてスマートフォンスが普及し、個々人で情報が容易に発信できるようになった時代。町の情報は特定の機関や人だけが発信するものではなくなってきているように思います。
自分の住んでいる町を知る。自分たちで情報を作り、発信する。その体験をすることで町をもっと好きになる。2人の町民ライターは、それを体現してくれたようにも思います。
ぜひ、たくさんの町の皆さんと一緒に、上士幌町の取り組みや人を伝えられたらなと、ホロロジー編集部は考えています。これからも長いお付き合いができるよう、皆さんと共に歩み続けていけるよう、努めてまいります。
町民ライター座談会・中編〜世代を問わず交流が増える〜
2020年12月に立ち上げたホロロジー。サイト立ち上げの準備期間中、上士幌町で生まれ育った2人の若者にライターとして携わってもらっていました。中編では、幅広い世代との交流をしてみての気づき、はたまた昔からの付き合いのある同級生の取材について語ってもらいました。前編はこちら
町民ライター
竹中 勇輔
上士幌町生まれの26歳。中学まで上士幌町にいた本日の主役の1人。淡々といつも笑顔でいてくれる。けれど、内に秘めている感情の波は情熱的。
町民ライター
宮部 純香
上士幌町生まれの24歳。高校まで上士幌町にいた本日の主役の1人。優しい笑顔で周囲を包み込む。ミーティングのときは、ビシバシ意見する頼りになるお姉さん。
在住ライター
西村 奈々子
大阪出身23歳。上士幌在住。メンバー最年少を理由にとことん甘えている。やるときはやります。この記事も書きます。ィングのときは、ビシバシ意見する頼りになるお姉さん。
ホロロジー編集担当
野澤 一盛
京都出身、帯広在住。年上を感じさせないフラットさが、皆に愛される。追い詰められたら、エンジンがかかる。この記事のファシリテーター。
これまでにない幅広い人と会話するように
取材してどんどん記事を作っていく中で、良かったなと思うことはありますか?
同世代の人でも、今まではなかなか話題に上がらなかったことについて話せたり、おじいちゃん、おばあちゃんとも話す機会が多かったり。こんなに幅広い人とこの短期間で話すことってないから、貴重な経験でした。
取材に行くことで世代を超えた課題みたいなものが見えてきたというか。見ている視点がいろいろあった。こうやって話してるときは僕らの世代の目線があって、違う世代と話すと、違う世代の人たちの話を聞くことができるから、そこを通してこの人たちはこう考えてるんだ。ここはいいと思っているんだというのを知ることができましたね。
うんうん。
多分それを通して、町としてどういう方向性でどんな町にしていったらいいかなとか。そういう話をする場ができたときに、上士幌町民にとってより良い町に近づいていくのかな、と思います。
ホロロジーで幅広い年代の人を取材することで、いろんな世代間の見方が見えてくると思うんですよね。だからこのホロロジーの情報を通して、まちづくりにつなげていけたら、めちゃくちゃいいなって思いました。
確かにここが情報の交流地点みたいになるといいね。
いろんな目線が入ってくることによって、この町の課題は何かとか見えてくるといいですよね。「こういうことを求めてたのか」という声が聞こえてくるサイトになったらすごくいいなっていいなって思います。
町の人たちの声がより届きやすくなればいいですよね。
確かに、町議とかになると年齢層も多分高くなるし。ホロロジーで若い人が書いているもの、それこそ同級生の話を町議の人たちが見て、何か動きが変わってきたら面白いですよね。
うん。めちゃくちゃいい動きだなって思います。
うん、やる意味を感じますよね。
町をより活性化させるための要素になったらすごくいいなって思う。
本当、そうですね。
同級生企画!?同級生と大人になった今、語ってみて
ちょっと話変わって、同級生と対談したじゃない。
はい。すごく面白かったですよ(笑)。
アルバムも持ち寄ってくれたもんね。
そうそう、めっちゃ恥ずかしかったけど盛り上がった(笑)。取材だから踏み込めて、改めて聞けたってことがありましたね。進路の話とか。実は知らなかったなみたいな。
うーん、しないよね。対談は高校が一緒の子だったの?
小中高が一緒の子で。でもクラスが違ったりとか、こっちは進学したけど相手は就職で。改めて、取材ということで突っ込んだ話をしてみて、全然知らないこともあったりして、面白かったです。
そうそう。取材をすると知らない話をたくさん引き出せるよね。
何回か一緒にご飯はしてるんですけど、「でもこんな機会ないと、喋らなかったよね」って同級生から進路の話をしくれて。だから、改まってじゃないとできない話って取材じゃなかったらできなかったし、やって良かったなって実感しています。
そうですね、いい話をしてくれましたね。
こういう話は町を作ってる大人たち、例えば「上士幌町に戻ってきて欲しい」とか「町内の会社に勤めて欲しい」と考える人にすごく参考になる話だと思うんだよね。そういうリアルな本音の情報って実はあまり聞けなかったりするから。
そうですよね。
そういう情報って、僕みたいに、地域外出身で移住してきた人間が一朝一夕で取材しても引き出せない話だと思っているんだよね。
たしかに、昔から馴染みのある顔、地元だからこそ、話せることってありますよね。
そうそう。地元だし、前から知っているからこそ話してしまうっていうね。しかも、取材が始まる前って昔話に花が咲くんだけど、当時の青春の話から始まるから、喋りやすい雰囲気が自然に作れるのもいいなと。
喋りやすい雰囲気を作るって大事ですよね。同級生だと気心知れてるから話しやすい環境に勝手になりますよね。
しかも、嘘ついたら絶対バレるじゃない。同級生は昔のこと大体知ってるし(笑)。
うん、バレる(笑)。
だから正直な話が出やすいと思ってる。同級生シリーズは。
かっこいいこと言おうとしてもバレちゃうよね(笑)。
バレますね。「そんな人だったっけ?」みたいに言われるし(笑)。
竹ちゃんは同級生企画をやってみてどうだった?
楽しかったです。でも昔の僕ってすごい嫌な奴だったんですよ。それを反省して、謝る感じにもなって(笑)。
(みんな笑う)
すごい嫌な奴だったんですよ(笑)。
記事読んでて伝わってきたよね(笑)。
(みんな笑う)
めちゃくちゃひねくれてたんですよ、今もひねくれてるかもしれないけど(笑)。
でも良かったんじゃない?このタイミングにああいう風に話ができて。
良かった、かな(笑)?
(みんな笑う)
でも同級生も取材がなかったら、近くにはいるけど改めて会うことはなかったと思うから。そういえば、取材をしてるときは中学校のときにタイムスリップしたような感覚があったんですよね。
へえー!
話し方とか声のトーンとか聞いたことあるぞみたいな。それがめちゃくちゃ懐かしい感じで。
うんうんうん。
その瞬間はすごい心地良かったですね。だから、タイムスリップしたい人がいたら、ぜひ。
やったらいいですよね〜。
本当にその10何年前に戻った感じというか。
戻れた感覚のときってやっぱり思考が変わったりするの?
中学校のときの自分に戻るんですかね。
取材の文字起こしや記事を作るときも思い出しているの?
そうですね。
「あのときの自分、ああだったからこれからはこういう風にしよう」とか。「あの態度は良くなかったからこれから気をつけようかな」とかそういうのはあったりする?
反省しかないですよ(笑)。
(みんな笑う)
取材が終わってから同級生からは、良かったねとか誘ってくれてありがとうといった言葉はあった?
終わった後ありましたよ。
良かったって?
そうそう。中学校のときは全然話してくれる感じじゃなかったけど、みたいな前置きがあって。改めて話せて良かったよ〜、またご飯行こうねってなりましたね。
おお、すごいね、恋も芽生えるかもね(笑)。
ね、今ちょっといいなあって普通に思っちゃいました(笑)。いいなあ女の子二人に囲まれて。
(みんな笑う)
そういうのを狙っている人はぜひ(笑)。
僕は上士幌町出身じゃないけど、好きだった子と対談したい。あのとき、僕のことをどう思ってたのって、答え合わせがしたい。
あはは(笑)。
やってほしいし、上士幌町の人にも。
うん、上士幌町の人にやってほしいから事例としてまず自分がやりたい(笑)。ホロロジーに関わることへのハードルを下げたいんだよね。上士幌町に同級生の初恋の人を連れてきた。みたいな企画やりたいもの。
やりたがりだ(笑)。
(みんな笑う)
そういう参加方法、あの子に取材できるならやってみようかなというムードをこのメンバーで作っていきたいと思うよ。それが楽しかったら尚更最高じゃない。。
たしかに。やりたい人はどこかで声かけてください(笑)!
いかがでしたでしょうか?話も盛り上がっているところですが、後編はこちらからご覧ください。
町民ライター座談会・前編〜取材の場をチャンスに会いたい人に会える〜
2020年12月に立ち上げたホロロジー。このサイトの立ち上げ時の特徴は、普段からプロライターとして活動している人が文章を書くのではなく、上士幌町の住民や関わりのある方々にライターとしてたくさん活躍してもらうことでした。そして、サイト立ち上げの準備期間中、上士幌町で生まれ育った2人の若者にライターとして携わってもらっていました。
町民ライター
竹中 勇輔
上士幌町生まれの26歳。中学まで上士幌町にいた本日の主役の1人。淡々といつも笑顔でいてくれる。けれど、内に秘めている感情の波は情熱的。
町民ライター
宮部 純香
上士幌町生まれの24歳。高校まで上士幌町にいた本日の主役の1人。優しい笑顔で周囲を包み込む。ミーティングのときは、ビシバシ意見する頼りになるお姉さん。
在住ライター
西村 奈々子
大阪出身23歳。上士幌在住。メンバー最年少を理由にとことん甘えている。やるときはやります。この記事も書きます。ィングのときは、ビシバシ意見する頼りになるお姉さん。
ホロロジー編集担当
野澤 一盛
京都出身、帯広在住。年上を感じさせないフラットさが、皆に愛される。追い詰められたら、エンジンがかかる。この記事のファシリテーター。
町民出身ライターの2人は上士幌町のことをこんな風に語ってくれました。
「ずっといる町だけど、知らない魅力が詰まっていた」
「町にいるけど、改まって話をする機会がなかった、このときを待っていた」
記事を書くために沢山の上士幌町の人に会い続けた2人。取材をしていくことでこれまで見てきた上士幌町とは異なる景色が見えたと言います。地元出身ライターとして関わってみて気づいたことをざっくばらんに語っていただきました。
取材が与えてくれた機会と学び、変化
ようやくホロロジーの公開を迎えるね。準備期間が2カ月あったけど、今までで印象に残ってる取材とかはある?
僕は安藤先生の取材ですね。
はげあん診療所の安藤先生へのインタビュー記事だね。それはまたどうして?
僕はもう、このメンバーに入るときから誰に取材したいかを決めていたんです。安藤先生に10年ぶりに会いたかったから。
初めてのミーティングのときから食い気味だったもんね。
もともと、取材メンバーに誘われたときに「竹中くんは、たくさんの人に会った方がいい」って言われて。人に会うとなると、まず安藤先生に会って話聞きたいなって。
実際会ってみて、記事を書いてみてどうだった?
改まって会う機会を作れると思ってはいなかったので、会えてよかったです。
ホロロジーには、取材の場を借りて会いたい人に会える環境があるよね。
それは本当に。ありがたいなって思いますね。
記事を書くことを通して、学びとか変化したこととかある?
安藤先生が、「できないことはやらない」っておっしゃっていて、それがとても印象的でした。
ほうほう。
初めてその考え方を知ったというよりは、ぼんやりと自分の中にもある考えだったんですが、背中を押してもらったじゃないけど、安藤先生もこう考えているんだったら僕も大丈夫かな、って思うことができたんですよ。
昔から尊敬する安藤先生の言葉だから響いたというか、心に入ってきたのだろうね。
そうですね。
取材を通して相談できるというか。自分の話を聞いてもらえるのもいいよね。
そこはすごい感謝しないといけないところですね。
記事を書くとなると、「話を聞く」だけじゃなくて、「書く」って作業が入ってくるでしょ。書く作業はどういう印象だった?
話を聞くだけとは、全然違いますね。話をして、自分で書き起こす作業って、さらに話した内容を咀嚼してる時間だと思うんですよ。会った時間がより濃くなって、自分の中に入ってくる感じはありましたね。これでただ話を聞くだけだったら、流れていってしまう言葉もあった気がします。
書き起こしてみて思い出す会話って結構あるもんね。
あとは記事としてもこのサイトに残るので、取材のときの気持ちを思い出したいときに読めば、その瞬間に戻れるのかなって考えています。
あやかちゃんは、印象に残ってることある?
特定の人がどうというわけではなく、この体験を通してメディアを見る目が変わったなって思ってて。