大人も、子どもも「新しい自分が開く場所」をつくりたい〜齊藤 肇さん〜
「十勝の素敵な食材を、みんなでおいしく食べるためのスパイスをつくりたい」。齊藤肇さんは、そんな思いで「かみしほろ起業塾」に参加し、念願のスパイス専門店「クラフトキッチン」をオープンしました。そこにある齊藤さんの思い、そしてその先にあるビジョンとは――。(制作:ホロロジー編集部)
クラフトキッチン店主
齊藤 肇
|さいとう・けい|東京生まれ。子ども関係の仕事を30年以上続ける傍らでスパースメーカーにも籍を置き、幅広い仕事を経験。2014年、上士幌町へ移住。地域の方からの声を機にオリジナルスパイスの開発・販売を手がけるようになる。2019年度「かみしほろ起業塾」への参加をきっかけに、2020年4月スパイス専門店「クラフトキッチン」をオープン。
移住を機にスパイスづくり
東京で生まれ育った齊藤さんは、スパイスメーカーに勤務したことをきっかけに、スパイスの世界を深く探求するようになりました。メーカー時代は、レシピ開発やスパイスコンシェルジュとしてスパイスのご案内役などを経験しました。
そんな齊藤さんは、2011年の東日本大震災を機に、「食」についての意味を深く考えるようになり、2014年においしくて安全な食を求めて上士幌町へ移住します。
移住したあと、町に住んでいる方たちと手料理をつくって持ち寄る会に参加していました。そのときにスパイスメーカーで得た経験を活かして、スパイスを使った料理を提供したところ「このスパイスをブレンドしてぜひ販売してほしい」という声が上がったのです。
齊藤さんはそれを機に、知り合いにスパイスの販売を開始。少しずつ評判になり、2017年にはお店の運営に詳しい知人に初歩的なことから教えてもらいながら、商工会のチャレンジショップを活用して、地域の方たちに手づくりの品を販売するお店「クラフトキッチン」をオープンしました。
ですが、チャレンジショップの店舗が活用できるのは3年間だけ。お店を続けながら、その先の展開を模索していました。そんなときに、まちづくり会社で「かみしほろ起業塾」が開催されることを知ったのです。
「かみしほろ起業塾」を経て開業
「何かのきっかけになるかもしれない」
そう思った齊藤さんは、2019年度の「かみしほろ起業塾」に参加。そして起業塾で学んでいくうちに、「みんなのためにスパイスを提供したい。自分のお店を開業しよう」と決意していきます。
そして作成した事業プランで見事に最優秀賞を獲得。開業に向けて動き出します。
2020年4月、「旅するスパイス」をコンセプトとしたお店「クラフトキッチン」をオープン。ここでは、一振りで世界中の料理の味が楽しめるオリジナルブレンドのスパイスを販売しています。
「クラフトキッチンは、単にスパイスを販売するお店ではなく、地域の食文化をベースに、さまざまな提案や発信もしていきたい」と話す齊藤さん。実は、そのほかにもう一つ、このお店をつくりたかった理由があります。それは「子どもたちの遊び場をつくりたい」ということでした。
もう一つの夢「子どもたちの遊び場づくり」
齊藤さんは、幼稚園教諭として社会人をスタートしています。その経験から子どもたちの主体的な心を育むことの大切さを実感し、東京にいたころから子どもたちのために独自のワークショップを主催してきました。
上士幌に移住した2年後の2016年、齊藤さんは地域のお母さんたちと一緒に「ぽんぽろ」という遊び場を立ち上げました。そこは、お母さんと子どもたちが一緒に自由に自分の意思で遊び、楽しめる場所でした。しかし2019年春、スタッフ全員ボランティアで運営していたそのやり方には年月の積み重なりとともに無理が生まれ、当時それを解決する術もなく「ぽんぽろ」はやむなく解散してしまいます。
「上士幌でスパイスを作り始めたきっかけの一つに、『ぽんぽろ』に参加してくれていたお母さんたちの声もあったんです。十勝のおいしい食材を安全に子どもたちに提供したい、毎日の料理を楽しく、おいしくつくりたいという声に応えたいと思ったのです」と、齊藤さんは当時を振り返ります。
そして起業塾に参加したことで、あることにも気づきました。
「スパイスと遊び場って、別々のことだと思っていました。ところが、その思いのルーツをたどってみたら、根っこではつながっていたんです。起業塾に参加して、講師の先生やさまざまな経験・考えをもったたくさんの方々と対話を重ねていくなかでそれに気づきました。それを事業プランで言葉にして伝えたら、応援してくれる人や助けてくれる人が少しずつ現れて。とてもうれしかったです」
齊藤さんは、「将来は、今はなくなってしまったぽんぽろに満ちていた、子どもも大人も開ける場としての遊び場をつくりたい」と言います。
「一人ひとりのワクワクがふくらみ、実っていく。そんな『新しい自分が開いていく場所』をつくりたいんです。それがクラフトキッチンであり、ぽんぽろです。クラフトキッチンを手伝ってくれているお母さんや、ぽんぽろに参加してくれた子どもたちが、新しい自分を発見して、ワクワクして成長できる。そんな場所をつくっていきたい」と話す齊藤さん。
クラフトキッチンが最初の起業なら、「ぽんぽろ」はいわば第二の起業といえるかもしれません。道のりはまだまだ長いかもしれませんが、齊藤さんは次の夢に向かって進んでいきます。
【クラフトキッチン】
〒080-1408
北海道河東郡上士幌町上士幌138-4
電話:01564-7-7207
営業日:10:00-16:00(不定休)※営業日は問い合わせください
URL:https://tabi-spice.com/
勢多小学校の今と、廃校の住人
上士幌町では現在までに10校以上の小学校が閉校となっています。僕自身「閉校」という言葉をどこか遠くに感じていましたが、上士幌町で生活する中でその存在が変わるきっかけが、「2020年3月に糠平小学校が閉校した」と聞いたことです。そのとき、「近い将来、自分の通っていた学校もなくなる日が来るのかもしれない」と思いました。同時に「閉校になった学校は今どうなっているのだろう?」という思いも頭をよぎり気になっていたところ、昭和56年(1981年)に閉校となった勢多小学校で暮らしている方がいると聞き、行ってきました。
WRITER
瀬谷 友啓
JICA訓練生。栃木県出身。自然溢れる北の大地で景色を楽しみ、人と話し、美味しいものを食べる。様々な機会に触れて、町の魅力を感じて自分の言葉で伝えることができたらいいなと思っています。
勢多小学校へ
勢多小学校は大正11年(1922年)創立、昭和56年(1981年)に閉校しました。東大雪の麓、雄大な自然の中で勢多の開拓と共に歩み、地域文化の発展に大きな役割を果たしてきた小学校で、58年間で645人の児童が卒業しました。
現在、勢多小学校は、教員住宅に旭川から引っ越してきた小川史生さんご夫婦が住んでいます。今回は特別に校舎内に立ち入ることも承諾してくださいました。早速見て行きましょぅ。
校舎はモダンなつくりで、おしゃれです。
こちらが小川さんご夫妻が住む教員住宅です。
昇降口から校舎へ
校舎の中に入ってみます。
年季の入った木製の下駄箱があります。持ち帰って家具にしたいくらいおしゃれです。
こちらは廊下です。
校舎の中は、当時のまま変わらず残っているようです。初めて訪れましたが「懐かしい」と自然に口から出てしまいます。廊下は校舎の端の体育館まで真っ直ぐ繋がっています。ここに通っていたら、先生がいないときを見計らって友だちと競争をしていたと思います。窓側の方が、人の出入りが少ないので、勝率が高そうです(笑)。
賞状などは当時のままに、そのまま貼られていました。中には昭和45年の町内小学校体育大会の記録証がありました。賞状の様式は今とほとんど変わらないのですね。
窓から見える景色は、当時と変わらないのでしょうか。空が広く感じます。
昇降口から入ってはじめに職員室がありました。「職」が現在の漢字とは違います。教室は職員室の奥にあるため、毎朝子供たちの顔を見ることができる動線がいいですね。しかし、寝坊して遅刻したときには職員室の前を通らないと行けないのでドキドキしそうです。
職員室の黒板には、月行事予定表や児童出欠表がありました。ペンキで書かれたと思われる数字や枠は当時のままで、時の流れを感じさせません。黒板には閉校後に書かれたと思われる文字がそのまま残っていました。
湯呑場です。ここには今ではほとんど見かけなくなった竃と井戸がありました。昭和32年から給食の実施がされていたそうです。
ここからは教室です。
机に座り、当時の小学生の気分を体験してみました。
大自然に囲まれたこの学校では、のびのびと小学校生活を過ごすことができたと思います。羨ましいです。休み時間が一瞬で終わってしまいそうです。開校時は、319名の児童が在籍していたそうです。
音楽の授業で使っていたものと思われるスピーカーも残っています。
当時、授業で児童が製作した作品が残っていました。共同作品「ジャックと豆の木」です。
廊下の一番奥には体育館がありました。ここは閉校後に地域住民がゲートボールなど室内で活動できるようになっていました。
住人の小川さん
最後に、ここで生活する小川さんについてご紹介します。
小川さんが上士幌町に来られたのは15年前。以前は、旭川で家具を作られていたとのことでした。ここに来るきっかけは「林業をしたい」「田舎で暮らしたい」との想いがあったからだそうです。山が好きな小川さんは、林業ができる場所を探しながら、知床や日高が近ければ理想の生活ができるのではないかと考えていたそうです。
そこで出合った土地が上士幌。それから15年間、林業に携わりながら生活しているそうです。
小川さんは上士幌での生活を、「星が綺麗で、熱気球を見ることができる。空に浮かんでいる気球を見ると、違和感を感じる。非現実的。サーカスの国にいるみたい」とおっしゃっていました。また校舎の周りには、野ウサギやテンなどの野生動物がよく足跡を残しているそうです。暮らしはじめて15年が経った今でもワクワクが止まらないんだとか。そんなワクワクした暮らしに僕は憧れてしまいました。
「閉校になって40年が経過し、広い敷地を管理することは難しい。しかし、手入れをせずに廃屋のようになってしまうのはさみしい。草刈り、木の管理など林業の経験を活かせる分野を活かしてここで生活していきたい」と、小川さん。
この風景とこの環境が守られているのは当たり前ではなく、小川さんの生活があるからこそなんだということを理解することができました。
勢多小学校には、多くの子供たちの思い出と、林業に携わり、自然に囲まれた場所で暮らす小川さんご夫婦の生活がありました。閉校になり、学校へ通う子供の姿はそこにはありませんが、思い出は色あせることなく今日まで引き継がれていました。
小川さん、ありがとうございました!
子どもたちの生きていく力を育む「ナッツクルクル団」(後編)齊藤肇さんインタビュー
今回は、クラフトキッチンにて齊藤肇さんが主催する「ナッツクルクル団 アートスタジオ」に訪問。肇さんは、ナッツクルクル団は子どもたちの生きる力を育むための活動だとおっしゃいます。(前編)では、ナッツクルクル団の1日を紹介しましたが、その取材後に、肇さんからナッツクルクル団への思いを伺いました。
WRITER
西村 奈々子
大阪出身。父が上士幌に移住。大学卒業まで、父が愛した上士幌に来ている大学生。私もこの町を愛したい。好きな場所は、クラフトキッチンの2階のバルコニー。
ナッツクルクル団への思い
絵本の読み聞かせから始まるのが印象的でした。そこに理由があればぜひお聞きしたいです。
今回は「森の、たからもの」がテーマだったので、木に関する絵本を選びました。絵本からいろいろなことに興味をもつ心だったり、想像力が育まれたらなと思っています。
なるほど。詳しく聞きたいです。
例えば、絵本の中から「どの葉っぱが好き?」「今の季節の景色と同じものはどれだろう?」って子どもたちに聞いていくことで、子どもたち自身が木のことをいろいろと自分ごとにしていくんですよね。はじめは他人事のように眺めていた子も「え、どれだろう!」って眺めたときに自分のことになって。自分ごとになったあとに「木の本」で葉っぱのかたちを見せると「本当に僕はどれが好きだろう?」って真剣に考えてくれる。これによって、外に出たときにいろんなことに気がつくアンテナが研ぎ澄まされるようになるんです。
子どもたちが、だんだんと発言するようになって、興味を持ちはじめるのが見ていて伝わってきました。
いきなり絵本を見せて興味をもつ子もいれば、そうではない子もいます。みんなに短い時間で興味を向けてもらうようにするんですけど、そこで「こっちを向いて」とか「これを考えてみて」って指示をするんじゃなくて、ワークショップをやっていく中で自然と興味が向いてくるような仕掛けを作っている感じです。その土壌を作ることを本当に大切にしています。木の絵本を読み聞かせたあとに、外に出て実際の木を見ると、絵本の中の世界が自分ごとになって子どもたちはワクワクできるんです。
指示するのではなく、実際にやってみせる
素敵です。読み聞かせのあと、肇さんがレクチャーをしたときに、説明するのではなくて子どもたちと一緒にやっている印象がありました。そこにも意味があるのでしょうか?
「こうやります」って言わないようにだけ気を付けています。「私はこうやってみようかな〜?」と言いながら、子どもたちと一緒になってやるように心がけています。すると、「ここに貼ってみて」「こうしたらかわいい!」と子どもたちが自らのイメージを私に伝えてきてくれるんです。「指示するのではなくて、実際にやってみせることで自然に導いていく」を大切にしています。
そのほうが、子どもたちものびのびとできる気がしますね。
そうなんです。子どもたちがレクチャーのあとに、「やりたい!やりたい!」とやる気を見せてくれたら成功です。そこでもう私の役目は大体終わりです。ここまでで行った絵本の読み聞かせとレクチャーがその日の8〜9割を決めてしまうんです。F1でいったらもう、アクセル踏んだらブーンってスタートできちゃうような、その状況にしておかないと、短い時間ではできない(笑)。これを普通の幼稚園とか保育園でやるなら、時間をかけて段階を踏むんだけど。それを私は全部で2時間でやろうとしているから、こういうやり方になるんです。
材料が驚くほど充実していたのですが、そこにも何かこだわりがあるんですか?
子どもたちの作品のクオリティが下がらないように、材料にはこだわっています。自然と組み合わせても違和感のないもの。素材のせいで安っぽく見える材料は選ばないようにしています。
子どもたちのために、ほかにも気にかけていることはありますか?
透明人間になった気持ちでその場にいることです。提案はしますが、大人からこうしたらいい、などの「指示」は出さない。それはその場に居合わせた大人の方々にもお願いしています。子どもたちが思いのままに考えて、作れるように環境を整えるのが大人の役割なんです。
最後に、肇さんが理想とするナッツクルクル団のあり方を伺いたいです。
子どもたちはみんな生きていく力を宿して生まれてくると思っています。その生きていく力に期待する大人が増えてほしいと思っています。そんな可能性を持っている子どもたちにとって大人がお節介にならないようにしたくて。生まれながらに持っている本能を最大限に活かして子どもを育てることが、大人の役割だと思います。そして、その生きていく力を育む環境がナッツクルクル団でありたい、思っています。
肇さんがつくりたいのは、
子どもたちの生きていく力を育む
ナッツクルクル団
子どもたちの生きていく力を育む「ナッツクルクル団」(前編)ナッツクルクル団の1日〜のびのびと自由に~
上士幌小学校の向かい側、はげあん診療所のお隣りに佇む小さなお家が本日の目的地、クラフトキッチンです。玄関先には、紅葉した柏の葉が舞い散っています。子どもたちとお母さん方がもう集まってきていて、子どもたちは楽しそうに落ち葉の中を駆け回っています。
WRITER
西村 奈々子
大阪出身。父が上士幌に移住。大学卒業まで、父が愛した上士幌に来ている大学生。私もこの町を愛したい。好きな場所は、クラフトキッチンの2階のバルコニー。
今回は、クラフトキッチンにて齊藤肇さんが主催する「ナッツクルクル団 アートスタジオ」に訪問。肇さんは、ナッツクルクル団は子どもたちの生きる力を育むための活動だとおっしゃいます。持って生まれた力を、のびのびと自由に発揮する子どもたちに密着してきました。
この日のテーマは、「森の、たからもの」。
まずは絵本の読み聞かせ
肇:おはようございます!みんな、絵本読むからおいで〜!
(ざわざわざわ)
肇さんが子どもたちの方へ寄っていって、子どもたちは絵本が見えやすい場所に座っています。
肇さんはずっと場づくりを意識して進めていきます。どの子がどんな感情か、みんなの意識がどこへ向いているか、いろんなことを観察して場を整えていきます。
始まったらきちんと座って、読み聞かせを聞く子どもたち。
背中から集中して聞いているのが伝わってきます。
子どもたちに「今はどの木だろう〜?」などとたくさん話しかけながら、みんなの興味をぐんぐん引きつける肇さんの読み聞かせ。
肇さんが選んだ絵本は『木がずらり』『木の本』の2冊。
今回のワークショップのテーマ「森の、たからもの」に合わせた絵本です。
コロナのため、本当に久しぶりに開催されたナッツクルクル団。
すこーしずつ、子どもたちの緊張も溶けていきます。
子どもたち:私はこの葉っぱが好き!あ!これ見たことある!
元気にお話する子どもたちがギュギュッと集まってきました。
子どもたちと一緒にやっていく
続いて、肇さんがまず今日することを子どもたちと一緒にやっていきます。説明するのではなく、子どもたちを巻き込んで、材料を見せて、技術を見せて。「できるかな?」の不安や緊張はなくなっていきます。
それが終わると子どもたちから次々に「やってみたい!」の声が。
よし!みんなで、「やってみよう!」
森の、たからものを探しに行こう!
いよいよ外に出て、森の、たからもの探し!この日は、風が冷たかったけれどキラキラとお日さまが輝いていました。
クラフトキッチンの隣、はげあん診療所の安藤先生にお庭を使っていいよと言っていただいてみんなで探検。安藤先生のお庭は広くていろんな木や植物を見ることができます。
みんなはどんな素敵なたからものを見つけたでしょう!
子どもたち:見てみて、なんか赤いのあったよ。おっきい葉っぱ見つけた〜!袋いっぱいになっちゃった!
不思議なかたちの葉っぱ。丸っこい木の実。赤く膨らんだホオズキ。体よりおっきい葉っぱのついた枝。袋いっぱいに、袋から溢れ出しちゃうくらいに子どもたちはたからものを見つけてきました。
私もあまりに綺麗に紅葉している草木を見て、子どもたちと一緒にたくさんのたからものを見つけてきました(笑)。
自由に作ってみよう!
次は、みんなが一人ひとり集めてきた「森の、たからもの」を使って作品づくりです。
肇:どの材料を組み合わせてもいいよ〜!自分のカゴに好きな材料を取ってきてください!
全ては自由。
子どもたちはみんな思うままに材料をカゴに入れていきます。
どうしよっかなあ〜
ウキウキ!
なににしよう〜
ワクワク!
黙々と、真剣に材料を選ぶ子どもたちから、そんな感情が伝わってきました。
多種多様な材料がずらっと並んでいます↑
女の子:ちょっとこれ塗りたいから、押さえてて!
ななこ:はーい!わかった!
ぬりぬり
女の子:あ、手についちゃった〜(笑)。
ななこ:いいよいいよ(笑)。いいね〜!綺麗に塗れたね!
女の子:えへん!(ニコニコ)
こうして子どもたちが思いのままに作品を作っていく中で、大人の助けを必要とするときがあります。大人たちはそのときにはじめて子どものお助けマンになります!
集めてきたたからものが、素敵な作品になっていきます。
子どもたちはすごい集中力で作り進めていきます。
肇:この葉っぱここにつけたの?かわいい!この考え、私は思いつかなかったな〜。素敵すぎるよ〜!
肇さんは子どもたちの作品を見て回って、素敵なポイントを見つけては子どもたちに伝えます。子どもたちはそれを聞き、嬉しそうに作り続けます。
小さな画伯、自分の体より大きな柏の枝木を拾い集めてきました。「見て〜これにする!」と嬉しそうに見つけて、頑張って持ってきたたからもの。一生懸命になって色塗りしていきます。
こうして、自分より大きな作品を作り始められるのも、思うままに自由にやっているから。一人ひとりの自由な発想が、その子自身も周りの子も「あ、あんなこともしていいんだ!好きにやってみよう!」って、だんだん心が自由になっていくと肇さんはおっしゃいます。
肇:見てみて!光に当ててみるとすっごい綺麗だよ〜。
静かに黙々と作っていた子どもも、こうして肇さんと自分の作った作品を見ているときは、なんだか嬉しそうに見えました。
肇:おうち帰ったら、かわいく飾ってもらおうね!
子どもたち:見て〜できた!
そういうと、次々と作品を見せてくれる子どもたち。
どの作品も、みんな違って、みんな素敵。
(後編)では、齊藤肇さんにナッツクルクル団への思いをインタビューしています。ぜひそちらもご覧ください!
夫婦円満の秘訣とは?キーワードは「尊敬、補う、一緒にする」
フォーシーズンのご夫婦の取材して、素敵なご夫婦に出会った私は、上士幌町にもっと仲良しご夫婦がいないか探してみたくなりました。すると、斉藤さんご夫婦のお名前が上がってきました。早速、お会いしに行ってみるとダンディーな旦那様の明宏さんと隣には、可愛らしい奥様の敦子さん。今回は、そんな仲良しご夫婦にお話を伺いました!上士幌町役場に勤められていた明宏さんからは、知る人ぞ知る役場野球チームのお話を!お2人には、夫婦仲良しの秘訣をたくさん教えていただきました!
WRITER
西村 奈々子
大阪出身。父が上士幌に移住。大学卒業まで、父が愛した上士幌に来ている大学生。私もこの町を愛したい。好きなことは上士幌の町を自転車で駆け抜けること。
上士幌町役場は野球が驚くほど盛んだった!
明宏さんは上士幌町のご出身ですか?
父親は上士幌町なんだけど、僕は苫小牧市で生まれて、小学校2年生で幕別町札内に行きました。高校は帯広北高校に行きました。その後に、上士幌町役場に就職しました。
中高では野球部だったんですよね。そのまま野球をやろうと思わなかったんですか?
大学でやりたいとも思ったんだけど、野球はあちこちの町村役場でも盛んだって聞いていたから、そこでもできるなと思ってね。
それで役場に。
そう。公務員になりたいと思っていたから、夏の野球予選が終わったらずっと公務員を目指して勉強していた。
そうなんですね。
当時は、公務員を志望する人が多くて、町村会の登録試験に400人くらい受けていた。その中から受かったのは80人くらいでした。
すごい倍率ですね!
そうそう。そこでなんとか初年度で受かって。
おおお!すごい。
第一希望を親の出身地でもある上士幌町にしたんですよ。当時、士幌線に乗って面接を受けにきて、面接のあと帰りの列車を待つのにすぐ近くあった親の家で待っていたら電話がかかってきて、「斉藤くん、内定したから、うちに来てくれ」ってすぐに言ってもらって。
早い!おめでとうございます!
そして、4月に上士幌町にやってきました。入庁してすぐに役場の野球部に入ったんだ。僕が社会人になった昭和50年から平成の初めくらいまでは役場に入った若い職員はみんな野球チームに入る文化みたいなものがあったんだよ。いわゆる野球ブームだね。
そうなんですね。
ええ、その中で交流が生まれるんです。例えば、役場にいても教育委員会にいる人と総務課にいる人とでは建物も違うから、普段は接点がないんだけれど、みんなほとんど毎日グラウンドに来て野球やってたんだよね。そこで話の場が生まれ、チームワークも育まれていたんです。
毎日ですか!すごい、素敵。
野球部に入ってるんだけど、飲み会しか出てこない人もいたし(笑)。でもそれはそれでいいのさ。どこか遠征や試合に一緒に行ったときにボールや道具を運んだりするだけでもいいから、入って一緒に活動していたんだよね。
なるほど。
ただ、野球はレギュラーで試合に出れるのは9人だから、補欠を入れてもチームは15人くらいでいいんだけど。あの当時は25〜26人いたね(笑)。
大所帯だ(笑)。
そうそう、飲んだり食べたりするときは必ず出ておいで〜ってやってた。そこで話すことによっていろいろ交流できるしね。仕事の後の一番の楽しみがみんなで一緒に飲みに行くことだったな。
本当、楽しそうです。
楽しかったね、そのときはね。
今なかなかね、仕事してから飲みに行く若者が減っちゃいましたよね。
そうだねえ。減ってきてるんじゃないかなあ。
今はわざわざ職場の人とプライベートを過ごすことをしない気がします。でも当時のお話を聞くと、職場の人だけど、野球のチームのメンバーという認識もあったんだろうなあと思います。
そうだね。
そしたら、仕事の話をしなくても一緒に飲みに行けて、野球の話をしていたら楽しいだろうなって思います。
本当にそうだね(笑)。
ご夫婦円満の秘訣① 「お互いの好き・苦手を補い合うこと」
今日はお二人の夫婦円満の秘訣もお聞きしたいと思っていたのですが、まずは二人の馴れ初めを伺いたいです!
僕の同級生が家内の妹で、ご縁があって出逢って。そして、僕が22歳、家内は一つ上の23歳で結婚したね。
えーー!早い!私の歳です。今ちょうど22歳なので。
そうだよね、若いよね(笑)。
その頃からずーっと今まで一緒にいるんですもんね。
そうだよ〜(笑)。
ご夫婦がこんなにずっといて仲がいいのって、本当にすごいことだと思うんです。喧嘩とかしないんですか?
めったにしない。1回か2回か大喧嘩した?かな(笑)。
長続きの秘訣は?
昔、先輩に言われたのは「相手を見るときには片目をつぶって見なさい。両目でしっかり見るんじゃない」って。あんまり細かいところまで見ないで、ある程度大きく見て、細々したことは言わない方がいいよっていう。
なるほど、勉強になります。
はは(笑)。あんまり気にしちゃうとね、そのことで喧嘩になったりしちゃうから。人間は感情の動物だから、細かいことを言われると面白くない部分もあるから、言わないようにするのもあるし、言われたくもないなって。
うんうん。
退職してからは、外回りの庭仕事と朝の掃除は僕がやっているんです。「食事を作って」とも言われるんですけど、それはなかなかできない(笑)。
そこまでされてるのが、すごいです。
僕は掃除は苦にならないんだけど、奥さんは料理や洗濯が好きなんですよね。だからいつもしてくれるよ。だけど片付けがあんまり得意じゃないの。だから、片付けや掃除は僕がやるようにしています。
あはは(笑)。お互いに補い合っていて、素敵ですね。
それでも私がいないときには洗濯を頑張って覚えて回してくれたり、干すのを手伝ってくれたりするものね。シワが伸びてないからちょっと気になったりはするけど(笑)。まずは「ありがとう」を言うのが先だね。
うんうん。
やってくれたら助かるし、最近は洗い物とかもやってくれるし。私がのほほんとしたいときもあるので、ありがたいです。私が疲れて帰ってきてご飯も作りたくないときは、旦那が「ちょっと食べにいこっか!」って言ってくれるので、それで一緒に行ったり。
え〜もう、優しいですね。
そう、だからやりたくないときは察知してくれるので(笑)。
言わなくてもね。
ダンディーだ。かっこいい。
ご夫婦円満の秘訣②「お互いに尊敬し続けていること」
今まで話したみたいにお父さんは、ありがとうと気配りがよくできる人ですね。
そうやって口に出すことって難しいけど、大切ですよね。
うん。あと、本をたくさん読むんですよ。そうやっていつも学んで、そのことを整理整頓できるからすごい。私には真似できないので(笑)。仕事で部署が変わっても、毎回すごく勉強して適応していくんです。
お父さんの部屋の膨大な資料が、綺麗にまとまっているのを見て、その凄さが伝わってきます。
本当に、こんなことよくできるな〜って思いながら尊敬しちゃいます。
本当に素敵な関係性ですね。反対に明宏さんから見て敦子さんの何がすごいんでしょう?
この人はね、免許をたくさん持ってるんですよ。調理師免許、着物の着付け、介護福祉士、ケアマネージャーの資格も持っています。
えーすごい!敦子さんも勉強家ですね。
そう(笑)。免許でいったら僕は普通運転免許証しか持っていないんですけど、国家資格の免許でいったらお母さんの方がすごい持ってるんですよ。だから絶対どこでもやっていける人なんです。
本当ですよね。免許は社会人になってから取られたんですか?
そうですね。
すごい!どの免許が一番大変だったんですか?
介護福祉士は教科がたくさんあって大変だったかな。一次試験を受かった後に、実技もあったから大変だった記憶があります。
資格を取り出したのは何がきっかけだったんですか?
役場で異動になって、町民課に移ってホームヘルパーの仕事を10年やったんですけど、そのときに仕事をするには勉強していかなきゃならないって思って。どこに行ってもそうだけど、その仕事に必要な知識は持っていた方がいいと思ったんです。
なるほど。
そうやって勉強して資格を取っていたら、取りたい免許が増えてきたんです。その頃も、旦那は何も言わず協力してくれてね。
その頃は僕も仕事が忙しかったからね。
忙しい合間を縫って趣味もさまざまと楽しんでましたね。着物や紙粘土をしてみたり。ビーズアクセサリーをやっているうちに、サポートセンターからお手伝いに呼んでいただいたりしていますね。趣味もこうしてつながっていくので面白いですよね。
いろいろとされていてすごいです。
そんな感じで今は私の方が家にいないかもね。でも、楽しんでやってる感じかな!
そうだねえ。多趣味で、努力する人ですよね。
ご夫婦円満の秘訣③ 「なんでも“一緒に”すること」
趣味もね、僕がゴルフをやりはじめたら、彼女もゴルフに一緒に行くんですよ。自転車も。スキーなんて僕よりも上手かったりします。
なるべくね、これをやろうってなったら「じゃあ私も一緒にやろうかな!」という感じで。そうすると、“一緒に”共有できるじゃないですか。趣味の買い物なんかも、一緒に選んだりできるし。
楽しいですよね。
お父さんは、仕事もそうだけど調べたり前準備がすごいんですよね。私は調べないから、その辺ちょっと違うけれども、一緒にいろんな部分でやってるかなあって思う。
ここでもまたいいバランスですね。
キャンプにも行ったりして。そのときはレモンちゃん(わんちゃん)も連れて行けるし。
野球も一緒に見に行っていて、今はプロ野球の日本ハムファイターズを応援してるんだよね。
毎年、札幌ドームに観に行ってるね。2020年はいろんな機会がなくなっちゃってしまったので残念ですけどね。
また、いろんなところに行ける日々が戻ってくるといいですね。
本当に、そんな日が楽しみです。
ずっと仲良し夫婦でいるには相手を思いやる心が大切。お互いを尊敬し、それを言葉にして伝え合えるお二人を見て感じたことです。苦手なことや大変なときは助け合って、楽しいことや幸せなときはいつも一緒に。そんなお二人の関係に憧れを抱きました。
明宏さん、敦子さん、ありがとうございました!ずっとずっと素敵な仲良しご夫婦でいてください!
上士幌町のごみ分別は難しい!?町民のごみ分別の疑問に答えます!【後編】
前編はご覧になりましたでしょうか?近年、上士幌町のごみは増加傾向にあります。ホロロジー編集部の皆さんのお声に応えて、上士幌町役場町民課の三好さんと、町のごみ収集をしている私、森下とで「ごみ分別を学ぶ会」を開催することになったのですが、質問が止まりません。後編も全く止まらなかったのですが。そんな一部始終をご覧ください。
WRITER
森下 雄貴
1993年生まれ。兵庫県出身。上士幌町のごみ収集をしているサンテクノ㈱で働くごみのプロ。昆虫オタク。ひがし大雪自然館がお気に入りスポット。昆虫のことを話すと止まらない。
衣類編
衣類は素材問わず、燃やせるごみで良いですか?
さまざまな素材がありますが、基本的には燃やせるごみになります。
その際、服についているチャックやボタンも外した方がいいですか?
可能でしたら外していただきたいですが、構造上取りにくいものもありますよね。
靴はどうなるのでしょう。以前燃やせるごみで捨てたような気がします…。
靴は燃やせないごみとして捨ててください。
そんなことまで意識しないといけないんだ…。
まとめ
自宅のゴミ箱は何個?
細かくて驚きの連続です。そもそもこんなことを聞いて申し訳ないのですが、分別しなかったら誰に迷惑がかかるんですか?
実は町のごみは年々増加傾向にありまして…。何とか町のごみを減らさないと収集業者さんの手間が増えてしまいますし、分別がきちんとできていないと、処分業者さんにも迷惑がかかってしまいます。
私たちも何かできないかと日々考えてはいるのですが…。
町民課としましても、町の広報に定期的にごみのトピックを書いているのですが、中々ごみの量が減るところまでは至っておりません。
そうなんですね…。でも今日の話を聞くだけでも、きちんと分別しなくちゃいけないと思いましたね。それで思ったのですが、ちゃんと分別しようとすると、ごみ箱がたくさん必要じゃないですか?皆さんの家庭にはごみ箱が何個あるんですか?
燃やせるごみ、燃やせないごみ、プラスチック、ペットボトル、紙類の5つですね
私、今はシェアハウスにお世話になっていますけど7個ぐらいあります!
私は、燃やせるごみ、燃やせないごみ、プラスチック製容器包装、紙製容器包装、びん、缶、ペットボトル、新聞紙、チラシ、雑誌…と10個ありますね!
10個!?しかも新聞とチラシって別なんですか?
実は別なのです。紙といいましてもたくさんありまして、紙製容器包装、紙パック、新聞紙、ダンボール、その他チラシ・雑誌・書籍等に分けられます。あと絶対にガムテープで縛るのはやめてくださいね。
全然知らなかった!!
自宅のごみ箱の動線から変えないといけないですね。意識というか、仕組みづくりの方が大事そうですね。
なぜ紙だけでもこんなに分別しないといけないかというと、種類によってリサイクル方法が違うからなのです。例えば、新聞紙はコピー用紙や再び新聞紙になりますし、牛乳パックはトイレットペーパーになります。知らない方も多いかもしれませんね。
プラスチック?
難しいな。こういう食品トレーは全部プラスチックで良いですよね?
実は皆さんが「プラスチック製包装容器」と思っている中に、発泡スチロールが混じっている可能性があります。このマークを見てください。
この6のPSと書かれたものはプラスチックと書かれていますが、実は発泡スチロールに分類されますので、発泡スチロールとして出してください
一同 全然知りませんでした!難しい!
このようなプラスチックや発泡スチロールの容器はどの程度洗えばよいのでしょうか。最近は紙の食品トレーもありますし、これも洗って資源にするべきですか?例えばこのカップ麺の紙容器なんかどうでしょうか。
ごみを減らすために、基本的には資源になるものは資源物で出してほしいと思っています。洗う程度は難しいのですが、油汚れが取れれば資源物、油汚れが取れない場合は、可不燃で出してください。今回のカップは紙製品で、少し汚れがありますので、燃やせるごみでよいと思います。この手のごみは洗っても落ちないものもありますよね。
スナック菓子の袋、スティックタイプのコーヒーの袋、醤油の小袋なんかはどうですか?
これも同様にきれいに洗って資源にしてほしいのですが、スナック菓子の袋などは油が取り切れないことが多いので、燃やせないごみでよいです。
まとめ
皆さんの意識が高くてびっくりしています!
僕は初めての事実ばかりで驚いています。
今日は呼んでいただきありがとうございました。勉強になりましたか?
以前住んでいた街とは分別方法がかなり異なり、戸惑うことが多かったのですが、勉強になりました。
まずはごみ箱を増やそうと思いました。仕組みを作っていきたいと思います。上士幌町の分別に即した専用のごみ箱を誰か開発してくれないですかね。絶対買います!
野澤さん、クセが強い(笑)。
まずは、ごみは「洗ったら資源になるんだ!」と知っていただけると嬉しいです。そして、繰り返しになりますが、分別に迷ったときはパンフレットを参考にしてください。
皆さん、いかがでしたでしょうか?
ごみ収集は、町やごみ処分場、私たちごみ収集業者などが連携して行っています。ごみの量が増えると、処理に余分なお金がかかってしまうだけでなく、ごみ収集業務そのものの維持が難しくなってきます。そうならないように私たちは日々協議をしていますが、最後は町民の皆様一人ひとりにも、ぜひご協力をお願いしたく思います。
以上、森下でした!皆さん、最後に重要なポイントだけおさらいです!
ポイント
★分別に迷ったらごみ分別パンフレットを見よう!
★洗ったら資源として捨てることのできるものがある!
★困ったら、パンフレットかホームページをチェック!
上士幌町のごみ分別は難しい!?町民のごみ分別の疑問に答えます!【前編】
近年、上士幌町のごみは増加傾向にあります。上士幌町のごみ収集をしているサンテクノ㈱で働く私・森下は、どうすればごみを減らすことができるのだろうか?と日々考えていました。そんな折、ホロロジー編集部の皆さんがごみについて知りたいという話を聞き、会いにいくと、たくさんの疑問をいただきました。そこで、上士幌町役場町民課・生活環境担当の三好廉さんとともに、編集部の皆さんの疑問に答えました。
WRITER
森下 雄貴
1993年生まれ。兵庫県出身。上士幌町のごみ収集をしているサンテクノ㈱で働くごみのプロ。昆虫オタク。ひがし大雪自然館がお気に入りスポット。昆虫のことを話すと止まらない。
こんにちは、ごみのプロ・森下です。今回は僕が記事を書かせていただくのですが、この記事を書く相談をもらう前に、ホロロジー編集部の皆さんから、こんなやりとりがあったと聞きました。ご覧ください。
実はちゃんと処理できていない?
野澤さん!そのナイロンの袋、どうして洗わずに捨ててるんですか?
えぇ!?野菜が入っていた袋だけど、これ洗って捨てるの?
資源ごみで捨てるとき時はきれいに洗って捨てないといけないんですよ!
結構きれいだったから洗わなくてもいいと思ったんだけどなあ。
野澤さん、これも違いますよ。
ちゃんと洗いましたよ。これは燃やせないごみじゃないんですか?
これは、食品トレーで資源ごみになります。
自分の中でちゃんと分別していると思っていました…。反省…。でも上士幌町って、ごみの分別が細かいですよね。
確かにそうですね。自治体によって全然違いますしね。
以前に京都市で暮らしていたときはこんなに細かく分別した記憶がないし。引っ越してくると余計にわからないというか。
そうですね。私も埼玉県から上士幌町に移住してきたときには、分別が細かいなって思いましたよ。私が住んでいた街は可燃で出せたごみが結構あったし、びんと缶も一緒に出していたな。そもそも指定のごみ袋があることと、しかも有料なのに驚いた。
ごみ袋は有料で買っているから、ある程度分別できていたら大丈夫と思っていました。その後も業者の人がごみを分けているのかな?
それがたくさんの人の手間がかかってるんですって!ホロロジーの記事読んでますか?町民課の三好さんも分別は大事だって言ってましたよ!
読んだけど、できているつもりだったなあ…。
三好さんに来てもらって直接教えてもらいましょうよ!私も聞きたいことありますし!
改めて森下です。
このやりとりを見て、思い当たることがある方も多いのではないですか??
こうして、ホロロジー編集部の皆さんのお声に応えて、上士幌町役場町民課の三好さんと、町のごみ収集をしている私、森下とで「ごみ分別を学ぶ会」を開催することになりました。
~ゴミ分別を学ぶ会当日〜プラスチックとシール編
こんにちは。今日はよろしくお願いします。
ごみ分別について何かお困りのようですね。
早速質問なんですが、ビニール袋にシールがついているものは資源ごみでいいですか?
質問が早いですね(笑)。
え?シールがついているだけで、分別の種類が変わる可能性があるんですか?それは初耳。
食品などが入っていたビニール袋は洗って「プラスチック資源」として捨ててください。ただし、汚れている場合は燃やせないごみとなります。シールは貼ったままで大丈夫ですよ!
細かい…。
会場に到着するなり、質問攻めに遭いました。今日はなんだか濃い時間になりそうな気がします。
ラップにもシールがついていますけど、これはどうですか?
これもビニール袋と同様ですね!
こんな感じでまとめてみます。
今回はこのようなイメージで、質問をいただいた分野ごとに話を進めていきたいと思います。
紙や封筒編
私も聞きたいことがいくつか…。
たくさん持ってきましたね(笑)。
いつも迷うのですが、封筒などにノリがついているものはどうすればよいですか?ホチキスがついていた場合は、その部分をとれば資源になるのでしょうか?
封筒のノリはそのまま資源でも大丈夫です。ホチキスは外して紙資源として出してください。冊子になっているものや、取りにくいものは雑誌・書籍として出してください。
あと、封筒の内側にプチプチが貼られているものとか、内側がツルツルしたものも資源で出していいのか迷っています。
これらは燃やせるごみで出してください。豆乳やスープなどのパックの裏側はコーティングされていることがあります。牛乳パックと混ぜてしまうと回収されませんのでお気をつけください。
紙に関しては私たちではなく大山古物商店さんが収集しています。後半で紹介しますが、紙の分別はいくつかの種類に分かれています。紙もキチンと分別しないと、資源として回収できないのです。
分別は難しいですよね。私も担当になるまで正直わからないことだらけでした。細かい分別に関してはこちらのパンフレットにも詳しく乗っていますので、参考にしてみてください。
ごみの分別で困ったらこれを読んでいただければと思います。持っていない方は役場1階の町民課までお越しいただければお渡しできますよ。担当の私も、分別の細かいところまではなかなか頭に入りません。
「あれ?どっちだろう?」と思ったら、このパンフレットを参考にしてくださいね。
質問はまだまだ止まりません!後編もお楽しみに!
豚丼のタレを作ってみよう!〜動画編〜
豚丼のタレを作ってみよう!〜タレの食べ比べ編〜
前編では、十勝のソウルフード「豚丼」のタレを斉藤敦子さんに教えてもらいながら、一緒に作ってみました。後編では、実際に作った豚丼をいただきながら、タレの活用方法などのお話を伺いました。(取材日:2020年11月)
WRITER
宮部 純香
上士幌町で生まれ、高校まで上士幌で過ごした編集サポートメンバー。小さい頃からお世話になった上士幌を新しい視点で見てみたいと取材を進めています。
いただきます!
美味しい!お肉が美味しいね!
では、私もいただきます!うーん、美味しい!タレめっちゃ美味しいです!少し甘めですね。
じゃあ私も。うーん、美味しい!合いますね!
お肉がたくさん乗っていて贅沢。確かにこのタレは何にでもかけたくなりますね。
上士幌ポークはどう?
柔らかくて美味しいです!
脂が美味しいですよね、上士幌ポーク。
タレで、なんぼでも食べれちゃうんだよね。
この付け合わせは何ですか?
大根の焼酎漬けだよ。
だいぶ、汁が減ってきてますね。手作りですか?
そうだよ。干した大根を、お砂糖と焼酎と塩とお酢で漬けるの。砂糖は「こんなに!?」っていうくらい入れるよ(笑)。
タレもお漬物も手作りなんて、すごいですね。
でも、私の母なんて昔すごい大鍋で作ってたからね。えっ!誰にあげるの?っていうくらい。だから1日がかりで豚丼のタレ作りするの。二升くらい。
昔はどの家庭でも、豚丼のタレは作っていたんですか?
簡単にお醤油とお砂糖とみりんを煮て作ったりはしてたんじゃないかな。ここまではしないと思うけどね。ほんとに軽く煮詰めればオッケーだから。
十勝では家庭料理ですよね。タレを作らない家庭でも、豚肉とタレがあれば、簡単なのにみんなが喜ぶし、お腹もいっぱいになるし、お母さんの味方ですよね。
そうだね。養豚業が盛んだった帯広が「豚丼」発祥の地といわれているもんね。十勝の人はお店で食べるより、家で食べるのが普通だからね。
美味しかったです!
はやい!
ちゃんと筋も切ってあるから柔らかいしね。
切りました(笑)。でもポイントですね。筋切るのって。
切らないと丸まっちゃうからね。
家では切ったことなかったです。でも、全然違いますね。あのひと手間で。お店で食べてるみたい。それぐらい美味しいです。本当に美味しかったです!
ごちそうさまでした!
そういえば、時間が経ったタレと、作ってすぐのタレは全然味が違うのよ。ちょっと食べ比べしてみる?
― 斉藤家にあったタレの試食タイム ―
これは地下(むろ)で保存してあったものなんだけど、食べ比べしてみようか!
あ、ほんとだ!なめてもいいですか?
いいよ!
いただきまーす!
全然違う!深みが。
みたらしみたいな。最初に酸味がきてコクがありますね!お肉とか玉ねぎに合うのがわかります。
これは、いつ作ったものなんですか?
2、3年前かな。作って欲しいって知り合いに言われたときにたくさん作ったタレなの。でも2、3年って言ったけど、私の母のときからの継ぎ足しだから、何十年も経っていると思う。
そんな貴重なものをこんなにたくさん出していただいて。あとで戻しましょう(笑)。
この丼ダレは先ほど教えてくださったアレンジのほかに、どのようにして使っているのですか?
チャーハンの隠し味とか。
チャーハンですか?
そうそう。お醤油とか入れる代わりに、ちょっとだけさらっと入れたり。そしたらコクが出るよ。
美味しそうですね。
あとは、野菜を炒めるときも、いろんな味付けもするけど、タレを最後に入れると一味違うよ。豆板醤を入れてピリ辛にしても。
美味しそう!
豚だけじゃなく鳥でも美味しいから、ぜひ試してみて。
作った豚丼のタレは、上士幌ポークと一緒にお土産として持たせていただきました。
後日、いただいたタレを使って自分でも豚丼を作ってみました。家族にも好評で、タレを使い切ってしまう前に継ぎ足したいと思います。
皆さんもぜひ、ご家庭で本格的な豚丼のタレ作りにチャレンジしてみてはいかがでしょうか?
豚丼のタレを作ってみよう!〜タレ作り編〜
大量にいただける食材の活用方法を上士幌町の皆さんから紹介してもらうレシピ企画。次なるレシピを求めてたどり着いたのが、斉藤敦子さん。今回教えていただくことになったのは”豚丼のタレ”作り。以前、違う取材でお話を伺った際に、上士幌町の食材を使ったレシピを教えてください!と相談したところ、斉藤さんのご提案で豚丼のタレ作りを教えていただくことに。前編は、斉藤さんと一緒に楽しく調理させていただきました。後編では、実際に豚丼を食べながら、豚丼の歴史やタレの食べ比べをさせていただいた様子をご紹介いたします。(取材日:2020年11月)
WRITER
宮部 純香
上士幌町で生まれ、高校まで上士幌で過ごした編集サポートメンバー。小さい頃からお世話になった上士幌を新しい視点で見てみたいと取材を進めています。
上士幌町の食材を使った料理を教えてください
本日のタレ作りの材料はこちらです!
〈今回使用した材料(約900ml分)〉
・醤油 900ml
・酒 100ml (先に煮詰めてアルコールを飛ばしておく)
・みりん 250ml
・砂糖 500g
ということで、斉藤さんのご自宅に伺うことになりました。
今日はよろしくお願いします!
よろしくね!タレ作りは時間がかかるので、さっそく始めますね。今日使う材料は、醤油900ml、お酒100ml、みりん250ml、お砂糖500gです。お醤油は何でもいいです。ご自宅にあるお醤油でも大丈夫!お鍋にお醤油を入れたら沸騰させないように、中火でじっくり煮込みます。この量が半分になるまで、煮込むからね。
え、半分ですか!?そこまで煮詰めるんですね。
それで、1時間かかるから(笑)。
1時間もかかるんですか!
そうなの。煮詰めていくと底にザラッとしたえぐみが溜まっていくの。表面には、結晶みたいなものがフワッと出てくるから、それをすくいながら煮詰めます。根性で待ってね(笑)。
火にかけている間は、混ぜなくていいんですね。
お砂糖も何も入っていないときは混ぜなくていいの。あ、ちょっとフツフツきましたね。沸騰しないように火を調節します。
ひたすら見てます!
灰汁(あく)が出てきて嫌だなーと思ったらすくってください。でも、これぐらいならまだ大丈夫かな。
あーいい匂い。チャーシューみたい。
ね、お醤油だけしか入ってないんだけどね。
さっきよりも灰汁が出てきたから、とってもいいですか?
いいよ。でも、もっと表面がバリバリってなるんだよ。
もっとですか?
そうそう。結晶が出てきたら、もういいですよっていう合図かな。
ちなみにこの灰汁は、めちゃくちゃ美味しくないよ。でも、砂糖とか入れた後の灰汁は美味しいの。
― 30分後 ―
そろそろ30分経ったかな?
だいぶ、汁が減ってきてますね。
あ!灰汁の色が変わってきてますね!
だんだん濃くなってトロっとしてきてるよね。
これ、違うでしょ?これぐらい時間が経つと、膜の感じが変わってくるんですよ。
本当だ!膜だ!
さっきの灰汁と全然違うと思うんですよね。白い感じのうすーい膜が張っているのわかります?
わかります!
このパリパリってなっているものをとっていきます。
匂いが変わってますね。
この膜がもうそろそろですよーっていう合図なの。やってみる?
やってみたいって思っていたんです(笑)。
綺麗にとるコツは、振らないで灰汁をすくったら、たらーって垂らすとうまくいきますよ
これって、灰汁が出なくなるときがくるんですか?
それはこないかな。だから、醤油の量が半分になるのを目安にするの。どれくらい減ったか見てみようか。あ、いいところかな?
あと1回灰汁を取ったら終わりでいいですか?
取り終わったら火を消してね。下の方にザラザラしたものが残っているので、この煮詰めたものを、別のお鍋へこしながら移します。
あ、下にたまってますね。
この溜まっているものは入れないように移していきます。
残っている灰汁はとらなくてもいいんですか?
そのぐらい少量であれば大丈夫です。じゃ次の作業やるね。お酒の煮切ったものと、みりんと、お砂糖を入れていきます。
お酒の煮切ったものとは、なんですか?
アルコールを飛ばしたものだよ。じゃ、お酒とみりんとお砂糖を入れていきます。入れる順番はどれからでもいいですよ。全部入れたら、中火にかけてください。お鍋のどこまで入っていたか覚えておいてね。
ここまで!って覚えておきます(笑)。
あとは、自分の好みの濃さになるまで味見していきながら、入れるようを調整してね。
いつも、だいたいどのくらいまで煮詰めてるんですか?
入れてからまた1時間ぐらいかかるので、そのぐらいは煮詰めますね。1時間近くゆっくりとやっていくの。
ずっと混ぜていた方が良いんですか?
お砂糖が溶ければ、混ぜなくていいよ。
ザラーっていうのがなくなればいいので、いい感じ。これも、一辺に沸かさないように気をつけてね。
あー、いい匂い!お腹すきました(笑)。
ご飯は3合炊いたので、たっぷり食べられるよ!これも、沸いてくるまで時間がかかるんだよね。まだこれ、シャバシャバしてるでしょ。ここでね、早くやろうとして火を強くしちゃうと、焦げ臭さみたいなものが出てきてしまうので、焦らないように!
沸いてきたので少し火を弱くしますね。また、灰汁が出てきたから取っていきます。
さっきの灰汁よりもトロッとしていますね。
今回のタレの甘味は、20gぐらい抑えて入れてみたの。
砂糖480gぐらい入っているってことですね。
これで甘味が足りないようだったら、足せばいいだけだからね。火にかけているとわかりにくいけど、冷めるとトロッとするから。
ひたすら待つ!ですもんね(笑)。
まだ、20分経ってないからね。
5ミリ?ぐらい減りましたかね?
それぐらいだね。でも焦らないことだよ。灰汁はお醤油だけのときをとったから、全然出てこないね。
さっきの灰汁の味と比べてみてもいいですか(笑)。
どうぞどうぞ、味見してみてください。全然違う味だと思うよ。
本当だ!美味しい!
とろみがそこまでなくても良い人は、ここで完成にしてしまっても大丈夫。
味も、煮詰めていくとどんどん変わっていきますよね?
そうだね、煮詰める時間によって変わるよ。タレも、50分経ったので、足しますね。古いやつを全部入れちゃいます。
もう、お肉切りますか?
お肉も切っていこう!
この上士幌ポークは、町のスーパー”ルピナ”で購入してきました!
ありがとう!上士幌ポークはルピナでしか手に入らないしね!上士幌で育てた豚だから、今回の企画には打ってつけだね!上士幌ポークは肉厚で旨味もしっかりあって、豚丼には最高なのよ。
お肉は筋を切るの。焼くときに丸まってしまうのを防ぐために。
―10分後―
これが、出来上がりの豚丼のタレだよ。味見してみて!
おいしい!古いものも足したから、また味にコクが出てさっきのと全然違いますね。ちょっと苦い感じもおいしいです!
香ばしくなった感じがします。私これだけで食べられます!
美味しいでしょ!あとは、豚肉を焼いてお皿に移します。
お肉は私が焼きます!
豚肉は一度油で焼いたらお皿に移して、フライパンを空にして、タレを温めます。そしてその温まったタレに豚肉を入れてください!
じゃお肉をタレと合わせていきますね。
絶対美味しい(笑)!!
これで完成!ご飯に、先にちょっとタレをかけます。
美味しい!もう美味しい(笑)!
だいたい6、7枚ありますね。乗せていきます。そしたらもう1回、タレをかけます。
もうお米が見えないくらいお肉で埋め尽くされてますね(笑)。
食べたい!
作るの大変だったでしょ。あとは、食べるのに専念してね(笑)!
タレが完成するまで約2時間かかりました!お醤油を煮詰めているときから、私たちは腹ペコです。お肉とタレが絡まって、よりいっそう美味しい匂いが漂っています。では、さっそく「いただきます!」と言いたいところですが、いただきます編は後編に!
後編では、実際に豚丼を食べながら、豚丼の歴史やタレの食べ比べをさせていただきました。ぜひ、お楽しみに!
本日の豚丼のタレの作り方はこちらです!
〈作り方〉
1.醤油を全て鍋に入れ、沸騰させないように中火でコトコトと煮詰めていく
2.灰汁が出たら適宜すくい、元の量の半分程度になるまで煮詰める
3.底にたまったものを入れないよう、こしながら別鍋へ移す
4.酒、みりん、砂糖をいれたら、灰汁を取りながら煮詰めれば完成!
今回は1時間煮詰めましたが、煮詰める時間によって味に深みが出るのと、トロっと感が変わってくるので、お好みで調節してみてください!
「未来に向けて資料を残す」ひがし大雪自然館で、学芸員の仕事体験
東大雪の自然や生態系が学べるひがし大雪自然館。以前訪れた際には、学芸員さんの案内によるバックヤードツアーにも参加させていただき、糠平の大自然に心を打たれました。学芸員の仕事は、調査研究や資料の保存のほか、展示や教育普及など多岐に渡っています。そんな学芸員の仕事に興味を持った僕は、ひがし大雪自然館で、学芸員の仕事の一つである資料整理をお手伝いすることができると聞き、1日体験をしてきました。
WRITER
瀬谷 友啓
JICA訓練生。栃木県出身。自然溢れる北の大地で景色を楽しみ、人と話し、美味しいものを食べる。さまざまな機会に触れて、町の魅力を感じて自分の言葉で伝えることができたらいいなと思っています。
参考記事「東大雪の自然、世界の昆虫、そしてバックヤードへ!ひがし大雪自然館」
本日の作業内容
今回は、図書館や道の駅など、他の施設に貸し出していた自然館の資料を、保管庫にある標本箱に戻す作業をしました。実は自然館のバックヤードには普段展示している資料の数十倍の資料が保存されていて、必要に応じて他施設に貸し出されていたりするのです。資料をきっちりと保存し、後世のために残すことは、博物館の重要な仕事の一つなのです。
与えられた仕事内容を聞いたときは「1日あれば終わるのかな」と思いましたが、学芸員の乙幡さんから「慣れていないと1日では終わらないよ」と言われました。乙幡さんにかかれば数時間で終わるそうです。なんとか頑張りたいと思います。
まずはデータベースで検索
時刻は10時。早速作業を始めます。
資料にはそれぞれに番号が割り振られ、さまざまな情報が紐づけられています。番号をデーターベースで検索すると、その資料の学名や採取地など詳細なデータを確認することができます。
資料の中には番号が割り振られていないもの、番号のラベルが紛失したもの、検索しても詳細なデータが入力されていないものもあります。例えば資料に番号が割り振られていない場合、保管されていても探すことが難しくなり、見つけることができない可能性が極めて高くなるそうです。
データベースから必要な資料の番号を検索して、保管場所を見つけます。
100以上ある保管庫の中から特定の資料を探すのは骨が折れます。
探していた番号がありました!
細心の注意を払い、コツコツと作業
次に展示用の箱に入っている資料を、元の標本箱に戻します。
資料を壊さないように気をつけながら、ピンを抜き、元の箱に戻します。
このとき手元を注意していても、服の袖や、首にかけている名札が当たり壊れてしまうことがあるそうで細心の注意が必要です。
今回はピンセットと、平均台と呼ばれる道具を使用しました。ピンセットは、細かい作業をするときに使います。ほかの資料と接触して破損しないようにするためです。平均台は、資料に付けるラベルの高さを合わせるための道具です。
コツコツ作業を進めていると、あっという間に2時間が過ぎました。たしかにこれは1日で終わらなさそう…。
お昼休憩を挟み、午後も引き続き同様の作業を行います。
徐々に慣れてきて、どこにどの資料があるか把握できるようになってきました。
本日の標本の中で一際大きなものがありました。ナナフシです。ピンの刺さっているところが中心かと思いきやそうではありません。広げられた羽根にも注意が必要で、持ち上げるだけで一苦労です。
ここは乙幡さんに頼りました。手際よく、数分で作業を終えていました。
先ほど登場した平均台の出番です。ラベルの位置を平均台を使って確認します。
資料を整理するときに、ポイントを教えていただきました。
頭の位置で揃えると綺麗に見えます。
ここで作業を終了する時間となりました。
5年先、10年先を考える仕事
1日の体験でしたが、あっという間に時間が過ぎてしまい、3箱分しか整理できませんでした。一度出した標本箱を戻す作業も大変です。しかし僕自身は好きな生き物に囲まれ、楽しい時間を過ごすことができました。自分の好きな昆虫を見つけたときは、見入ってしまうこともありました。
この作業を通して、学芸員という仕事は質を落とさないように資料を保存し、その価値を後世に伝えていく重要な役割を担っていると感じました。
何万点と数え切れない資料の管理は手作業で行うことが多く、その数も時とともに日々積み重なっていきます。「5年、10年先を考えてやることが大切」と乙幡さんはおっしゃっていましたが、その言葉の意味を知ることがました。
学芸員の資格取得者は1年で約10,000人ほどいると言われていますが、実際に学芸員として活躍できる人は少なく、その割合は1%に満たないそうです。経験と知識が求められ、仕事は大変なこともありますが、意義深い仕事だと感じました。未来に向けて資料を保存する重要な仕事を体験することができて幸せでした。
この資料整理は、ボランティアとして体験することができるそうです。興味のある方は、ひがし大雪自然館に問い合わせてみてください。
ありがとうございました!
【ひがし大雪自然館】
ttps://www.ht-shizenkan.com/
開館時間:9:00〜17:00
休館日:毎週水曜日
入館料:無料
電話:01564-4-2323
【インタビュー動画】MYMICHIプログラムに参加してみて
北海道・十勝の上士幌町で1カ月間の共同生活をしながら「遊ぶ」「学ぶ」「働く」を通じて、さまざまなモノゴトを体感する「MY MICHI プロジェクト」。自然豊かな上士幌町を舞台に、上士幌町の資源を活かし、上士幌町の人たちに触れ合うプログラムです。 2020年11月のプログラムに参加したメンバー5人に、プログラム終了直後にインタビューを行いました。 1カ月間の体験を通じて参加者がそれぞれの「自分の道=マイミチ」に出会った本音をご覧ください。
【関連記事】
「MY MICHI プロジェクト」~「遊ぶ」「学ぶ」「働く」を体験するプログラム~
【公開動画】取材した人に聞いてみました!ゲスト・矢戸宏和さん、明石穂乃香さん
2020年12月に公開された「上士幌ホロロジー」。 サイト公開を記念して、インタビューをした町民のかたに取材の印象や自身の記事がネット上に公開されてどのような反応があったかをお伺いしました。
【矢戸さんの記事】
酪農家がラーメン屋をやる理由とは?夢中で作るラーメンは人を集める!!
【明石さんの記事】
人を呼び、人をつなぐ。YOSAKOIソーランサークル「あっぱれ! ナイタイ上士幌」
お父さんとの思い出の庭の手入れを、同じ町民が手助けしてくれた。
まちづくり会社が運営している「かみしほろ人材センター」では、上士幌町の法人や個人から短期で簡単な仕事の依頼を受け、人材センターの会員の方に仕事を行ってもらう仕組みがあります。センターの会員の方には、これまで培ってきた「得意なこと」や「できること」を活かしてもらっています。
お話をお伺いしたのは、自宅の庭の手入れを自身で行うことが難しくなり、他の人にお願いしたいと考えていた坂本キヨコさん。2019年から人材センターに庭の剪定を依頼しています。今回は坂本さんに人材センターを利用しようと思った経緯をお聞きしたのですが、そのうちに今は亡き、ご主人との懐かしいエピソードも聞かせていただくことになりました。(制作:ホロロジー編集部)
自宅に到着すると大きな庭が目の前に広がっており、既に作業も大詰めの状態でした。作業を行っていた寺戸さんにも少しお話を伺った後に、本記事の主役、坂本さんにお話をお聞きしました。
この日作業を担当した寺戸勝広さんの記事はこちら
お父さんの大好きな庭
ゆっくりと玄関に出てこられた坂本さん。ご年齢は90歳を越えたと言います。一歩一歩ゆっくりとした足取りで、開口一番「よく来たね」と声をかけていただきました。私たちも坂本さんに合わせるように、大きな声でゆっくりとした口調で声を掛けながら、お話は始まりました。
坂本:この庭はね、40年前以上前に作った庭なの。ずいぶん芽登石を入れたよ。山から沢山運んできてね。
――どのような経緯でお庭を作ったんですか?
坂本:お父さん(ご主人)が庭が好きでね。そのころ庭作りが流行っていたのもあるけどね。
――立派なお庭ですよね。
坂本:帯広のよつ葉樹石園さんがお婿さんをもらって、たしか彼が初めて作った庭がここだったはずだよ。でも、もう私のこの年齢では広すぎてね、草むしりばっかりせなきゃいかん。
――1日中ずっと草むしりしてるんですか?
坂本:そうだね。
――昔は家族みんなで庭の手入れをしていたんですか?ご主人がされていたんですか?
坂本:みんなでやってたのさ。お父さんが好きで作った庭だからね。お父さんが居なくなってもう18年になる。そこからは何回も庭の世話は止めようと思ったけど、投げるわけにはいかん。
――ご主人のために今でも庭を綺麗にしているんですね。
坂本:(庭木を)下から切ってしまおうかと思ったけど、嫁さんが「お母さん、父さんが怒るわよ」って言うの。だから、体が動くうちはお父さんのためにも頑張ろうって思ってる。
坂本:でもね、さすがに全てはできないからね。それで人材センターにお願いすることにしたんだ。そしたら庭のことをよく知っている寺戸さんが来てくれて。
――寺戸さんは、坂本さん宅の庭の手入れはやりがいがあるっておっしゃってました。
坂本:寺戸さんは頼もしいよ。
――あの中で一番好きな木はどれですか?
坂本:やっぱりオンコだね。今剪定してるでしょ、オンコの木。
――なんでオンコの木が好きなんですか?
坂本:上に伸びるより、横に広がる方が好きなんだよ。
――ご主人もオンコの木が好きだった?
坂本:うん。なんせ好きだったの。
楽しそうに話をしてくれる坂本さん。特にご主人の庭だからということを大変嬉しそうに話をしてくださいます。ただ、その嬉しそうな顔には少し寂しさも溢れているように感じ、ご主人のお話をもう少し聞いてみることに。
庭を守り抜く
――ご主人とはどこで出会ったんですか?
坂本:地域の催しで、盆踊りがあるでしょ?お父さんは太鼓叩くのが好きだったの。あのねじり鉢巻で、盆踊りのときに太鼓叩いていたんだよね。
――かっこいい!
坂本:格好よかったよ。私の弟が太鼓叩くのが好きだったから、そのときに弟がお父さんと一緒になってね。「お前に姉がいるのか」っていう話になったらしく、そこでお父さんと知り合ったの。小学校のグラウンドでだね。
――素敵な出会いですね!ご主人のお写真はあるんですか?
坂本:壁に掛けてあるよ。
――この写真を撮ったときのことを覚えてますか?
坂本:この庭を作ったときだね。庭を作って喜んで、2人でその石に腰掛けて写してもらった。たしか弟が写したんだ。
――ご夫婦で一緒に庭の作業をしていたんですか?
坂本:うん。庭作って喜んだときだ。
――楽しそう!
坂本:この庭を投げるわけにいかん。だから、今も手入れを頑張ってる。
――ご主人との思い出がたくさん詰まったお庭なんですね。
――ご主人が好きなものってなんでしたか?
坂本:酒だ。一升瓶買ってきたらね、底が見えるまで飲むからね。こっそり鉄の鍋にあけて減らしてた(笑)。あとは旅行が好きだった。うちのお父さんは旅行が大好きでどこでも行ってたよ。私はあんまり好きでなかったけどねえ。
――坂本さんは何が好き?
坂本:昨日娘が買ってきてくれた、なま寿司が好きだ。
――ハハハ(笑)。最後に、坂本さんにとって何が一番幸せですか?
坂本:そうだねえ。お父さんがいたらなあって時々思う。やっぱり寂しいわよ。でもこの庭はね、きれいにしておかないとね。
===============
愛しそうに庭を見つめる坂本さん。目の前に広がる庭はご主人との思い出がたくさん詰まっており、ご主人そのものだったのです。
町の困りごとを町民の得意なことやできることで補っていく。町の困りごとを解決をする「かみしほろ人材センター」は、人と人とをつなげる仕組みで成り立っているんだと、そんなことを感じることができた時間でした。今後も長くこの庭が元気であることを願っています。
クラフトキッチン「のはらのカフェ」~子どもから大人まで、みんなのあそび場として人々に愛される憩いの空間~
上士幌町でクラフトキッチンというスパイス専門店を営む齋藤肇さん。今回、私たちは肇さんがクラフトキッチンで開催したイベント「のはらのカフェ」にお手伝いとして参加しました。このイベントは肇さんのスパイス販売の拠点であるクラフトキッチンが1日限りのカフェとしてOPENするというもの。カフェでは肇さんのつくるスパイスを使った料理、町内こだわりの作り手さんたちの手づくりお菓子や手づくりパンなどがいただけます。そこにはどんなカフェとも違う、肇さんがつくりだす非常にユニークで楽しい空間が広がっていました。今回はそんな「のはらのカフェ」での1日をレポートしていきます。
WRITER
中山 舞子(なかやま まいこ)
1992年生まれ。千葉県在住。青年海外協力隊としてインドに派遣予定。海外派遣の目途がたたない現在、上士幌町に5ヶ月間滞在中。外からの目線で上士幌の魅力を掘り下げて行きます!
仕込み作業開始!
朝8時に集合すると、すでにクラフトキッチンのスタッフが準備を始めていました。私たちもさっそく調理と設営のお手伝いに取り掛かかります!
まずは野菜を切るお手伝いから。ちょっと味見をさせていただいた、地元の農家さんからもらったというトウモロコシの甘さに衝撃!こんな甘いトウモロコシを食べたのは初めてです。
「とにかく素材が美味しいから同じように調理しても格段に料理が美味しくなるの」
以前そう肇さんが話していたのを思い出します。
肇さんは独自のスパイスを使ってまるで魔法のように次々に鍋の中の具材を変身させていきます。焦げない絶妙なタイミングを見計らって、お鍋をまぜまぜ。
パンの作り手である鎌田香奈さんの作業場にもおじゃましました。
なんと酵母は自家製。近所の方からもらったベリーや木の実、無農薬レモンなどでつくるそうです。発酵はそのときの気候や酵母によってかかる時間が大きく変わるそうなのですが、このときは一次発酵で大体9時間程度。かなり手間がかかっています。
さて、長い時間をかけてじっくり煮込んだお鍋料理が出来上がりました!
特製チリビーンズ。本場メキシコで味わえるかのようなエキゾチックな香りが広がります。
こちらに入っているスパイスは肇さん特製のメキシカンチリミックス。
こちらはクラフトキッチンの定番メニュー。バターチキンカレー。
クローブ・コリアンダー・カイエンヌペッパー・カスリメティなど、本格的なホールスパイスを使ってじっくり煮込んだインドカレーです。さらにこのカレーには「子ども用熟成カレーパウダー」が使われているので、お子さんも食べられるまろやかな優しい味わいです。この子ども用スパイスは、肇さんがママたちから「子どもが食べられる辛くないカレーパウダーがほしい」という悩みがあるのを聞き、独自で開発したものです。
お鍋料理が続々と出来上がってくる頃、鎌田さんのパンの香ばしい匂いが漂ってきました。今回店頭に並ぶのはプレーンのバケットとナッツやベリーが入ったパンの二種類です。
ようやくすべての料理が完成したときにはすでにオープン間近。みんなで協力しながら出来上がった料理を急いで外に並べていきます。
いよいよ「のはらのカフェ」のオープン!
開店と同時にさっそくお客様が来店。見たことのないメニューに戸惑いながらも、スパイス入りミルクのコーヒーと手作り蒸しパンを買って席につき、その独特なスパイスの香りを楽しんでいます。
料理は店の前に設営したテントで来客者に提供します。テントの中では手伝いに来てくれている高校生が、料理を用意しています。メニューは特製バターチキンカレー、チリビーンズ、ジャンバラヤ。その他サイドメニューと、上士幌町内の作り手さんたちの手づくりおやつがあります。
オープンから間もなく、あっという間にお客様でいっぱいになりました。地元の子供からお年寄りまで、はたまた神奈川県から糠平に観光に来たというカップルなど、多種多様な人たちがそれぞれ思い思いにのはらのカフェという空間を楽しんでいます。
のはらのカフェの見どころは手づくりのごはんやおやつだけではありません。お隣のはげあん診療所のお庭がこのときだけ解放されており、その広いお庭で自由にピクニックができるのも魅力の一つ。
はげあん診療所の安藤先生は自給自足の生活をしており、家庭菜園を見るだけで楽しい。さらには、ガチョウ・やぎ・鶏など数多くの動物も暮らしており、触れあうこともできます。この日のお庭ではギタリストである肇さんのご主人・栄さんとトランペットを吹く安藤先生が奏でる音楽が流れ、また庭の一角には移動書店の鈴木書店さんも出店されていました。
午後3時頃になってようやく私たちも一息。心地よい風の吹くお庭で肇さんお手製のバターチキンカレーと自家製ジンジャエールをいただきます。バターチキンカレーは、まろやかな優しい味わいの中にスパイスの香りが絶妙なバランスで合わさっています。美味しい!自家製ジンジャエールは生のショウガがたっぷり入っていて、このピリピリ感がたまりません!
たっぷりの生姜と複数のスパイスが入ったクラフトキッチンオリジナルのジンジャエール。自宅で作れるキットもあります。
トランペットの音、ヤギの鳴き声、子供たちが野原をかけ回る声、さまざまな音色が重なり合います。
「心地良い音楽、おいしい食べ物、自然に囲まれ、本当にいい時間を過ごすことができました」
そう話してくれた来訪者もとっても満足そう。
それぞれの「好き」で人と人とが繋がれる場所、のはらのカフェはそんなところ。肇さんによってつくり出される空間は、まるで彼女が調合したスパイスのようにどこか刺激的で、それでいてアロマのように癒されます。
子どもたちがのびのびと遊べる広いお庭と、完全バリアフリーの高齢者に配慮された店内。のはらのカフェは「こどもも大人もみんなが楽しめてゆっくりできるあそび場をつくりたい」という、肇さんの思いが形となった場所でした。
皆さんもぜひ一度、「肇さんのあそび場」で一息ついてみませんか?そこにはいつだって癒されるスパイスの香りと人々の笑顔が広がっていることでしょう。
【クラフトキッチン】
〒080-1408
北海道河東郡上士幌町上士幌138-4
電話:01564-7-7207
営業日:10:00-16:00(不定休)※営業日は問い合わせください
URL:https://tabi-spice.com/
イベント情報などはSNSから常時発信しています!
Facebook: https://www.facebook.com/kamishihoro.craftkitchen/
Instagram: https://www.instagram.com/craftkitchen_kei
【先人から学ぶ】網走刑務所博物館とオホーツク流氷館を訪問
MYMICHIプロジェクトには「先人から学ぶ」というコンセプトの元、上士幌町民の方々からたくさんのお話を伺うことができます。しかし今日は少し思考を変えて、北海道全体の開拓の歴史について学ぶことに。北海道の開拓の歴史を学べる一つのスポット・網走市にある網走刑務所博物館・北方民族博物館にやってきました。
WRITER
伊藤 卓巳
三重県出身。MYMICHIプログラム2期生。青年海外協力隊としてウズベキスタンで観光業に携わっていましたが、コロナの影響で一時帰国。初上士幌どころか初北海道ですが、壮大な景色と美味しい食事に日々感動中。
監獄食堂で博物館見学前に腹ごしらえ
上士幌町から車で約3時間・網走市内に到着したのが11時半ごろで、お腹がめちゃくちゃ空いてしまいました。ということでまずは博物館網走監獄の見学前にランチを取ることに。
網走監獄の敷地内には、レストラン「監獄食堂」があります、お昼ご飯にぜひ行ってみましょう。名物は何といっても監獄食で、焼きサンマがつく監獄食Aと、
焼きホッケがつく監獄食Bがあります。
微妙な響きの監獄食ですが、サンマもホッケも大ぶりでさすが北海道、大満足の味です。
その他網走のB級グルメ網走ザンギ丼や、網走産豚肉を使った網走ポーク丼もおすすめ!
ポーク丼のどんぶりは、現在の網走刑務所の受刑者が作ったものです。
お腹が一杯になったところで、いよいよ博物館網走監獄の見学スタートです!
博物館網走監獄で北海道開拓の歴史を知る
いよいよ網走監獄の見学スタート!
網走と聞けばまずイメージされるのが刑務所。博物館網走監獄は、明治時代から使われていたかつての刑務所の建物が移築保存された貴重な博物館です。入口から入ってまず目に付くのが、レンガ造りが印象的な風格ある正門。
それをくぐると見えてくるのが、洋風建築風のデザインの庁舎です。言われなければ刑務所の建物だと気づかないほどおしゃれな建物。
館内では刑務所や囚人による北海道開拓の歴史が展示されています。
網走だけではなく、空知や十勝、釧路といった他地域についても詳しく紹介されています。
明治維新後、政府はロシア帝国の脅威に対する防衛の必要に迫られていました。目をつけられたのが当時急増していた政治犯などの囚人で、「囚人を労働に使っても賃金が安く済むし、亡くなったとしても監獄費の節約になる」という今では考えられない理由により、彼らを労働力として北海道の開拓を進めることになったのです。
1881年(明治14年)空知地方に樺戸集治監が作られたのを皮切りに、空知集治監、釧路集治監と次々と監獄が作られ、全国から囚人が集められました。そして1890年(明治23年)、網走刑務所の前身となる網走囚徒外役所が作られたのです。
この展示によれば、北海道全土で囚人たちが開墾した土地の総面積は1,700万平米、開削した道路の総距離は724kmとなっています。北海道の開拓は、囚人たちの重労働があってこそだったのだと心に刻まれます。
開拓時代の生活の様子を垣間見る
再度、外に出てみましょう。庁舎と対照的な木造長屋の建物が網走刑務所職員官舎。
この地にやって来たばかりの看守たちが住んでいました。囚人たちの空間とは別世界の、古きよき日本家庭といった様子が再現されています。当時の服を着ることもできますよ!
そして、登録有形文化財の裏門をくぐり…。
休泊所を見学。刑務所から離れた地で労働する際使われた簡易宿泊所、いわゆるタコ部屋で、特に網走刑務所で最も過酷な労役だった中央道路開削工事のときに「動く監獄」として使われていました。
熾烈な環境にもかかわらず、ござと木の枕だけで寝泊りしていた様子が展示されており、衝撃を受けます。枕が一本の丸太として繋がっているのは、起床時にこれを叩いて全員を起こすためだったとのこと。
その近くにあるのが耕転庫と漬物庫。
どちらも囚人が働いていた施設で、漬物庫では中に10人ほど入れそうな巨大な樽が置かれています。
そしてひときわ目立つ建物、監獄歴史館へ。
見ごたえがある展示物が並ぶ中、
「顔が指名手配犯みたい」と定評がある(笑)私が体験してみました。プリクラのようなノリかと思いきや、「仮入所はこっちだぁ!」「さっさとしろ!」などなかなか煽ってくる音声つき。
ということで、なかなかクオリティが高い写真が撮れました。これで昔の受刑者気分!
さあ、次はいよいよこの監獄歴史館の最大の目玉である「赫い囚徒の森」体感シアターへ向かいます!!
監獄歴史館最大の目玉「赫い囚徒の森」体感シアターへ!
この監獄歴史館の最大の目玉が、「赫い囚徒の森」体感シアター。中央道路開削工事の苛酷な環境が五感で迫ってきます。
中央道路はオホーツク沿岸から内陸部へ向かう、網走から北見峠までの道路です。ロシア帝国の脅威に対抗するため、網走刑務所の囚人たち約1,200人を動員して1891年(明治24年)に工事が進められました。
当然現在のような町もなく、険しい原生林を切り開いての工事はとてつもない重労働でした。工事が強行された結果、わずか8カ月で163kmの道路を切り開くことに成功しましたが、その代償は大きく200人ほどが亡くなったといわれています。その亡骸はそのまま現場へ捨てられ、その後鎖を墓標に埋葬されることになり、そこを鎖塚を呼ぶようになりました。現在は沿線各地に追悼碑が建てられています。
シアターを通して、重労働の苦しさや亡くなった囚人たちの無念さが胸に迫ってきました。北海道の発展は、このような尊い犠牲があってのことなのです。
庁舎内での展示の通り、これ以外にも囚人が開削した道路が北海道には多数あります。旅行中に何気なく通っている道路も囚人が造ったものかも知れないと考えると、また違った思いが芽生えることでしょう。
シアター近くには、タコ部屋の寝心地が体験できる場所も。
現在の刑務所の様子も紹介されています。凶悪犯が集まってそうなイメージの網走刑務所ですが、現在は執行刑期10年以下の受刑者(B級受刑者)を収容しています。
そして博物館網走監獄最大の施設、官舎へ向かいます!
5方向に伸びるユニークな形状の官舎
中央見張台を中心に、放射状に5つの舎房が伸びているため「五翼放射状房」と呼ばれており、独特でユニークな形状です。
こうすることで看守が見張りやすくなるのだとか。
内部は天窓がつけられているため太陽の光で明るく、暗く居心地悪そうという監獄のイメージが覆ります。
廊下に沿って雑居房や独居房がずらっと並んでいますが、ここにも一工夫が。格子は斜めの形になっており、暖気や換気が確保でき、なおかつ廊下からは房内が見られるのに向かい房同士は見通せなくなっています。
ところどころ収容体験ができる房も。
こちらは小説やドラマにもなった脱獄魔が入っていた、第4舎24房。この脱獄魔のために床が強化する改造を施したのに、やはり脱獄されてしまったのだとか。
官舎から少し離れた場所に浴場があります。
受刑者の入浴時間は厳格に定められており、3分で脱衣し、3分で第1槽に入浴、3分で体を洗い、第2槽の入浴に3分、そして着衣に3分と、脱衣から着衣まで15分間で入浴できるようになっています。
ほかにもこんな見どころが!
ここまでさまざまな施設を紹介してきましたが、まだまだこんな見所どころもあります。
こちらは二見ヶ丘農場で、囚人たちの食糧生産を担う農場と、それに付設する施設です。
作物を育て、収穫するのも囚人の仕事でした。二見ヶ岡農場は現在も残っており、受刑者たちが育てた牛は網走監獄和牛というブランド肉になっています。
さらにお土産屋に行くと、全国でもここだけしかない網走刑務所グッズの数々が!
正直、ここまでネタにして大丈夫なのか!?と思ってしまいました…。
現在の網走刑務所はここから車で5分ほどの距離にありますが、ここは正門までであれば入ることができ、刑務所作業製品展示場では受刑者が製作した木工品などが売られています。
網走名物の木彫り人形、ニポポ人形もここで購入可能。
最果ての監獄といったイメージの網走刑務所ですが、百聞は一見にしかず。刑務所のイメージを180度変えてくれる、見ごたえあふれる博物館でした。急ぎ目に見て回っても2時間ほどかかったので、時間に余裕を持ってじっくり見学するのがおすすめです!
マイミチ2期生の網走旅、最後はオホーツク流氷館に向かいます!
オホーツク海のことなら何でも分かる! オホーツク流氷館
博物館網走監獄で北海道開拓の歴史を学んだ私たちマイミチ2期生。網走の土産も調達したところで、この旅最後の目的地、網走監獄から車でわずか5分のオホーツク流氷館に。時刻も15時半になりました。
オホーツク流氷館は、網走の街を見下ろす天都山山頂に立つ3階建ての施設。
3階は屋外展望台となっており、遠く知床半島までも望むことができます。
1階はお土産ショップ、2階はカフェ・レストランとなっており、メインの施設は地下1階。
まずは流氷幻想シアターで、流氷の風景やオホーツクを生きる動物の生き様を臨場感あふれる5面シアターで鑑賞しましょう。
ここでは実際にオホーツク海に住む生き物を展示しており、ユーモラスな姿のフウセンウオやフサギンポなどを見ることができます。
そして何といっても人気なのがクリオネ! 水槽の中を神秘的にゆらゆら泳いでいます。
本物の流氷に触れるここだけの体験ができるのが、流氷体感テラス。スタッフの方に濡れタオルを渡され、マイナス15度の世界へいざ!
大型冷凍庫に閉じ込められたような、なかなか体験できない気分です。
そこかしこにある流氷は計100トンもあるとのこと。
濡れタオルを振り回せば、あっという間にカチンコチンに固まってしまいます。
最後に味わってほしいのが、そのままのネーミングの流氷ソフトクリーム。伊達に流氷と名乗っておらず、なんとオホーツク海の塩をまぶしたソフトクリームなのです!
インパクトがあるのは名前と見た目だけではなく、味も然り。ベースのキャラメル味とオホーツクの塩が絡み合った食べやすい味です。
このソフトクリームをプロデュースしたジェラート専門店「Rimo」のオーナーは、ジェラートの国際大会で優勝経験があるのだとか。
目でも体でも口でもオホーツクを楽しめ、充実した見学になりました!
この近くには北方民族博物館という興味深そうな博物館もあるのですが、あいにくこの日は休館日で見学できず。今回は日帰り旅なので、中心市街地や港方面には立ち寄らず、このまま帰路につくことに。
予想以上に見どころが多い街で、できれば1泊はしたい! と思ってしまった網走日帰り旅。しかし博物館網走監獄で北海道の歴史を、そしてオホーツク流氷館でこの地が誇るオホーツク海の魅力を知ることができ、充実した1日でした。
JICA訓練生「海外派遣前特別訓練」最終活動報告
2020年8月27日〜2021年2月3日までの約5カ月間、JICA海外協力隊の訓練生4名が、海外派遣前特別訓練として上士幌町に滞在しました。
前半は「MY MICHI プロジェクト」に第0期生としてモニター参加し、さまざまなプログラムを体験。多くの町民と触れ合うとともに、その後のプログラム作りにも携わりました。
後半は「かみしほろ人材センター」の会員として活動し、町の人たちから困りごとなどをヒアリング。それぞれが自分の得意なことを活かしてそれらの手助けを行いました。
「上士幌町の人たちにはいつも元気をもらっていた。ここでの活動は一生の宝物」
「上士幌町に来て、これまでの価値観が大きく変わった。人とのつながりの大切さに気づいた」
「海外派遣前に非常に貴重な経験ができた。海外に行ってもこの経験を糧に頑張りたい」
「上士幌町の経験を通じて、自分が好きなものが再認識できたことで、自分がこれから進んでいく道が見えてきた」
活動を終えた4名は、それぞれに胸の内を語ってくれました。上士幌町での経験は、これから海外へ旅立つ訓練生たちにとって非常に有意義な時間となったようです。
また活動を終えた訓練生たちは、滞在中に出会った町の人たちの笑顔の写真を撮り集め、素敵な作品として寄贈してくれました。
訓練生たちも「ここでできたつながりを大切にして、これからも継続した関係を築いていきたい」と語ってくれました。
最後に、訓練生たちは上士幌町での活動報告を動画にまとめています。どんな活動をして、何を得たのか。ぜひご覧ください!
仕事解決人!町の困りごとが仕事に?そしてやりがいに!
まちづくり会社が運営している「かみしほろ人材センター」では、上士幌町の法人や個人から短期で簡単な仕事の依頼を受け、人材センターの会員の方に仕事を行ってもらう仕組みがあります。センターの会員の方には、これまで培ってきた「得意なこと」や「できること」を生かしてもらっています。「庭の剪定作業」を請け負っている寺戸勝広さんは、趣味で続けていた庭作りの知識を生かして、やりがいある仕事ができていると言います。(制作:ホロロジー編集部)
プロフィール
寺戸 勝弘さん
|てらど・かつひろ|音更町出身。高校卒業後、上士幌町へ。上士幌町役場に勤務。定年退職後は地域活動にも従事し、近年は「かみしほろ人材センター」に登録し、庭木手入れや草刈りなどで地域のために貢献している。
趣味が仕事に
寺戸:なーに?今日は僕が話をするのかい?そんなに面白い話はないよ?
――いえいえ。いつも通り働いている姿を見せていただければと思っていますので、本日はよろしくお願いします!
といいながら、早速、庭に足を運んで、本日作業を請け負った坂本さん宅のお庭を案内していただきました。
寺戸:ちょうど今、最後の仕上げをしているところだから見ていってよ。
――ありがとうございます!
寺戸:坂本さんのお庭は立派でね。帯広の職人がいる園芸屋さんに造ってもらったそうなんだ。そんな職人さんが丹生込めたお庭を、僕なんかが剪定していいのかって。最初、話をもらったときは、恐れ多く戸惑ったんだよ。
――それでもやってみようと仕事を請けられたんですね。実際に剪定されてどうでしたか?
寺戸:大変だったけれど、やりがいがあったよ。はじめて剪定し終わったときには喜んでもらってね。「来年もよろしくね」って、坂本さんに言ってもらったんだ。嬉しかったし、自信になったね。もっと頑張ろうと思えたんだよ。
――それはすごく嬉しいですね。
寺戸:坂本さんは木を知っているからね。だから楽しみでもあるし、もっと勉強をしないとなあと思いながら、剪定の時期を迎えているよ。ありがたいことに、去年(2019年)より依頼が増えていてね。この時期はとても忙しくさせてもらっているよ。
――寺戸さんはいつから庭づくりをしているんですか?
寺戸:21歳くらいのときかな。趣味でね。木は枯らしたりと、何回も失敗したけど、楽しいもんだ。
――庭作りの楽しみってなんですか?
寺戸:昔はね、よく山に行ってたんだよ。道路を造るために木を伐採するでしょ。伐採した木を販売する催しが昔はよくあったんだ。自分で見に行って「この木をください」って言ってね。値段を付けてもらうのさ。手配したトラックで運んで自宅まで持って帰ってきてね。それを育てるんだよ。
――豪快な趣味ですね!
寺戸:結構、仲間がいたんだよ。流行っていたのもあるしね。でもね、持ち帰った木は中々根が張らなくて枯れちゃうんだ。失敗ばかりさ。でもたまにしっかり育つんだよ。それが嬉しくてね。友人と競っていたりして楽しんでいたんだ。
――成長を見るのが楽しいんですね。
寺戸:そうだね。売買をすることもあるんだ。うまく育つと高く売れるんだよね。でも、自分がうまく育てた木が「●円」って言われたら、途端に手放したくなくなって売らないんだ。それで売れないまま枯らしてしまったりもしたもんだ(笑)。
――だんだん愛おしくなるんですね。子供を育てるのと同じ感覚なんですかね。
寺戸:人生みたいなもんだよ。
剪定の仕事が元気の源
――昨年はご病気もされたと聞きました。
寺戸:2019年の2月に胃がんが判明して、摘出手術をしたんだよ。75歳でね。ステージ1で、発見が早かったから大事には至らなかったんだ。でも手術後はあまり食べられなくなって痩せたよ。
――痩せてるようには見えませんでした。筋肉もありますし!
寺戸:作業のおかげで体力はちょっとずつ戻ってきたかな。筋肉はあるよ。鍛えているからね(笑)。
――剪定の仕事が元気の源になっているんですね!
寺戸:それでも体力はまだ戻ってないという思いはあるけどね。元々はもっと太っていたんだよ。今は痩せているのを気にしているくらいなんだ。でも調子はいいんだ。餅もたべるし、食欲はあるよ。
――たしかに、作業を見ていたら楽しそうでした。
寺戸:庭木を触っているしね、楽しいよ。しかも庭木の仕事は、ただ切るだけじゃなくて、日々勉強だからね。今でも機会があればいろんな庭を見てるんだ。あの庭はああしてる、この庭はこうしてるって勉強しているんだ。
――長年、触れていてもまだまだ勉強されてるんですね。
寺戸:そうだね。そして、依頼があったら、この庭はどうしたら喜んでもらえるかな?って考える。大体イメージ通りにできるようになってきたんだ。だからこの仕事にはとてもやりがいを感じているよ。依頼主さんにも感謝だし、関係を繋いでくれるまちづくり会社の皆さんにも大変感謝しているよ。
昔から負けん気が強くて
――寺戸さんは生まれも育ちも上士幌町なんですか?
寺戸:出身は音更町。農家の次男なんだ。
――いつ上士幌町に来られたんですか?
寺戸:高校を卒業した後だね。次男だったけど、家では跡取りとして農家を継げと言われていたんだ。同級生で農家が3人いたんだけど、土地面積がどれも敵わなくてね。僕の家は面積が小さくて、勝ち目はないなと思って嫌になって、親の言うことを聞かなかったんだよ。それで、親戚のおじさんが上士幌町にいたから、紹介された役場の臨時の仕事を始めたときに上士幌町に来たんだ。
――寺戸さん、負けん気が強いんですね。
寺戸:ハハハ、そうかもね。そして2年半くらい臨時の仕事をしていたら、運転手として大型免許を取れば採用できそうだっていう話があってね。親が運転手やるならダメだって言ったんだけど。親に黙って大型免許を取得してね。役場に入っちゃったのさ。
――やっぱり親のいうことは聞かないんですね(笑)。その後、苦労とかはありましたか?
寺戸:50歳になった頃に、運転手は民間に委託するから採用しない方向になって。だから運転手の仕事はなくなって、事務の仕事を始めたんだよ。役場でワープロ仕事。なかなか覚えられないのさ。30年も運転手してて、事務の仕事をするのは大変だったね。でも辞めるという選択は自分の中ではなかったからなんとか頑張ったね。
――持ち前の負けん気で乗り越えられたんですね。すごい。
寺戸:今は自分が楽しんできたことで、お金がいただけるというのは大変ありがたいことだよ。
――上士幌町での今の楽しみはなにかありますか?
寺戸:月曜と木曜にスポーツセンターで卓球やってるんだ。今まで40年続けてきたよ。
――40年ですか!試合にも出てるんですか?
寺戸:出てたんだけどね、今はメンバーが揃わなくて出場できないんだよ。メンバーが7人揃ったらいけるんだけど、なかなか揃わなくてね。誰かやる人いないかな?探してきてよ。
――上士幌町の皆さん、ぜひ卓球しましょう!
寺戸:上士幌町の中学校の卓球部なんかは、最近、指導者が素晴らしくて、全国大会にも出るようになったんだよ。上士幌町で卓球が盛り上がるといいね。
と、最後は少しだけ寺戸さんの日常が垣間見えるお話をさせていただきました。寺戸さんにはほかにもあんこ作りを教えてもらう取材にご協力いただいたりと、私たちにとても優しく接してくれました。
人が住んでいれば、そこには何かしら小さな困りごとがある。その困りごとは自分では解決できないけれど、それぞれの得意なこと、やりたいことを活かせば解決するかもしれない。
寺戸さんにとっては、「かみしほろ人材センター」で町の人たちの役に立てることが大きな生きがいになっていました。今後も町の解決人が増え、解決人たちを追って紹介できるといいなと思わせてくれる取材でした。
寺戸さん、ありがとうございました。
「優しさの拠点」となる助産院をつくりたい~渡辺 雅美さん~
「地域に溶け込んだ『町の助産師さん』を目指したい」。そんな思いで助産院の開業を決意した渡辺雅美さんは、2020年度「かみしほろ起業塾」を受講し、最優秀賞を獲得しました。2021年度の開業に向けて準備を進めている渡辺さんの胸にある思いとは――。(制作:ホロロジー編集部)
追記:2021年10月に開院されました。記事の最後に開院された記事のリンクがあるのでぜひそちらもご覧ください。
助産師
渡辺 雅美さん
|わたなべ・まさみ|1980年生まれ、岡山県出身。本州の病院で看護師・助産師として勤務。2020年に上士幌町へ移住。子育て世代の移住が増えている上士幌町で、周囲に家族や頼れる人がいない状況で子育てをしているママたちを見て、ママが孤立しない環境づくりの必要性を強く感じ、助産院の開業を決意。ママたちが安心して子育てができるよう、妊娠、出産、育児までをトータルで支援する助産師を目指している。
2020年に岡山県から上士幌町に移住してきた渡辺雅美さんは、町に助産院を開業したいとの思いから2020年度「かみしほろ起業塾」を受講しました。
渡辺さんは、総合病院で15年間助産師として勤務。その間に1,000件以上の出産に立ち会ってきました。また、妊婦さんや産後のママの育児相談などにも応じ、3,000人以上の声に耳を傾けてきました。
移住後、渡辺さんは健康増進センターに勤務するとともに、まちづくり会社が主催する「ママのHOTステーション」に助産師として参加。町の産前産後のママたちに接してきました。そのなかで「上士幌町には助産院が必要」と思うようになったといいます。
ママたちが安心できる環境を整えたい
「上士幌町は子育て世代の移住者が多いと聞いていましたが、実際にそうですね。話を聞くと、周りに家族や頼れる人がいない状況で子育てをしているママたちも多く、孤独を感じたことがあるという声を多く聞きました。そんなママたちの孤立を防いで、妊娠期から産後に至るまでママたちが安心できる環境を整えたい、そのサポートをするための助産院をつくりたいと思いました」と渡辺さん。
現在、十勝管内で産前産後ママの身体面や精神面をサポートする助産院は、帯広市、音更町、芽室町にあります。ですが、いずれの助産院に通うとしても上士幌町からは片道約1時間の距離。
「妊娠中にお腹の張りを感じたときに、病院に行くべきか迷ってしまった」
「産院が遠いので、受診をためらってしまう」
「産後、乳腺炎になってしまい体調が悪い中で赤ちゃんを連れて病院に行くのがつらかった」
上士幌町で出産育児を経験したママたちから聞いたそんな声も、渡辺さんの背中を後押ししました。
町に自然と溶け込む助産院を目指したい
「ママたちの声を聞いたこともありますが、この町の雰囲気も開業を決意した理由の一つです。上士幌町は穏やかで優しい人が多く、自分にできないことがあっても、周りにはそれを手伝ってくれる人がいる。競争するのではなく、お互いが支え合いながら活かし合っていく風土があると思う。そんな町だから開業したいと思えたんです」
渡辺さんは「かみしほろ起業塾」を受講しながら、町内でのサービスだけでなく、オンラインを活用した相談会や動画教材の販売など、地域に制限されないサービスを組み立てていきます。結果、2020年度の最優秀賞を獲得しました.
渡辺さんが目指す助産院は「家族がかかりつけの助産院であること。夫婦のパートナーシップが育める場所であること。ママの心も体も休まる場所であること。優しさが循環する拠点となること」。
そして何よりも「幸せな家族を増やすこと」。
そんな志をもつ渡辺さんですが、気負うことなく2021年度の開業に向けて準備を進めています。
「『私がやらなきゃ!』とか『やるぞ!』といった使命感からではなく、この町のママたちと接していて、自然と開業しようという気持ちになったんですよね。なので、これから開業する助産院も、町に自然に馴染むような、そんな場所にしたいと思っています」
妊娠から出産、育児までをトータルで支援する助産師は、町に住むママたちにとってとても心強い存在となるに違いありません。地域に溶け込んだ「町の助産師さん」として活動していく。それが渡辺さんの願いです。
名人に教わってあんパン作りにチャレンジ!(後編)
大量にいただける食材の活用方法を上士幌町の皆さんから紹介してもらうということで始まったレシピ企画。今回は千葉与四郎副町長の奥様、正恵さんにあんパンを作りを教えていただきました。前編では生地づくりをして、後編はいよいよパンを焼きますよ!
WRITER
宮部 純香
上士幌町で生まれ、高校まで上士幌で過ごした編集サポートメンバー。小さい頃からお世話になった上士幌を新しい視点で見てみたいと取材を進めています。
生地にあんこを包む
じゃあ、いよいよあんこを包むよ。
さっきよりも大きくなってふわふわしてる。
この丸めた生地を手のひらでつぶして、棒で上下を伸ばしたら、90度回転させて、もう片側も伸ばしていく。丸く伸ばせたら、親指と人差し指の上に乗せて、あんこ玉を乗せる。
手にあんこが付いてたら拭いてね。親指が大事だから。生地を外側から、くいっくいっと真ん中に寄せてきて、あんこが見えないように閉じると。
よし、二人もやってみよう。
難しいです…。
どれ…もっとあんこを包みやすいように生地を大きく伸ばした方が良いかもね。そして、親指と人差し指で生地を中心に集めていく。
…できました!
そうそう、上手!
つまんだ面を下にして少しつぶして平らにしたら、指で押してくぼみをつけよう。そして今度は、35分間仕上げ発酵させる。温度は35℃ね。この発酵のさせ方は、発酵機械がない人はさっき話したように発泡スチロールに入れてやればいいからね。
生地を発酵
発酵を待っている間、ご夫婦の子ども時代のお話を聞かせていただきました。どんな遊びをしていたのか、昔と今ではどのように町の風景が変わってしまったのか。とても深いお話でした。
でんすけのカメラ目線、いただきました。わん。↑
さあ、あと少し!
うわぁ、大きさが全然違いますね。
くっついちゃったね。どーしよう…。
このままで大丈夫ですよ!
それじゃ、照りたまごをしてケシの実を真ん中にのせようか。照りたまごをするタイミングで、オーブンは予熱をかけるといいよ。200℃で12分ね。
照りたまごは、全卵を使用し卵白のこしが切れ、全体が混ざるまで溶く。泡立てないよう、こしを切るイメージで。これをパンに塗り焼くことで、艶が出ます。
もっと、指をぐっと押し付けてケシの実をつけるといいよ。
ぐっと…穴が開くかと思って遠慮してたけど、意外と開かないものなんですね。
さあ、焼くぞ!
そうそう。大丈夫だよ。よしっ、焼こう。レシピでは170~180℃となってるけど、電気オーブンだと弱くて綺麗に色が付かないの。だから200℃で12分焼くからね。
6分経ったら入れ替えるよ。そうしないと、全体に色がつかないの。
さあ、焼けたよ!
いいにおーい!美味しそう!!
ほんとだね!香ばしい甘い匂いがする!
ああ…くっついちゃったね…どーしよう…。
かわいいですよ。ご愛敬ということで(笑)。
そうね(笑)。これ、ばらばらにして網の上に乗せてね。そうしないと冷めないのよ。
いい出来ですね、きれい。
よかった(笑)。
最後に、写真を撮らせていただいていいですか?
恥ずかしいわね(笑)。
本当に素敵なご夫婦でした。作ったあんパンは、お土産として持たせていただきました。
今日は本当にありがとうございました。とても楽しかったです。
いえいえ、こちらこそ楽しい時間をありがとう。またやろうね。
良いんですか!うれしい!
ぜひぜひ。また一緒にやりましょう!
いただいたあんパンは、帰宅してから美味しくいただきました。あんこがぎっしり詰まってて、でも甘すぎなくて。パン生地もふかふかでほんのり甘くて、とても幸せな味でした。
快く引き受けていただき、本当にありがとうございました。また、ぜひ時間を共有させてください。
【作り方】
下準備:つぶあんでも、こしあんでもお好みのものを事前に作って用意しておく。あんこを少し硬めに作っておくと、焼いた時に生地から出ることがない。
1.ボウルの中に必要な材料を順番に入れ混ぜる
2.ある程度混ざったら、ボウルから出し手でこねる(菊練りもぜひ挑戦!)
3.一次発酵(30℃で40分)させる
4.発酵させている間に、あんこ玉を作っておく
5.発酵が終わった生地を16個に分け、丸める
6.丸めた生地をねかせる(15分)
7.ねかせ終わったら、生地を伸ばしてあんこを包む
8.35℃で35分間仕上げ発酵させる
9.照りたまをしてケシの実をのせたら、200℃で12分オーブンで焼く
キツネ色になっていたら完成! ん~良い匂い!!