腹筋する木彫りの熊 好きで好きで彫り続けた伊藤さんの60年
上士幌町に変わった木彫りの熊を彫る人がいる。そんな噂を聞きつけたホロロジー編集部。上士幌町に住んでいる人でも知っている人が多くなかったというこの木彫りの熊を彫る伊藤幹男さんにお話を伺ってきました。そこには、実直に自分の好きなことを追い求めて過ごしてきた、伊藤さんの人生が込められていました。
WRITER/PHOTOGRAH
野澤 一盛
帯広市在住。2011年から北海道に住み始め、2016年に十勝に。上士幌の魅力を「人」を通してお伝えします。
上士幌町のとある住宅街の家先に、伊藤さんご自身で建てたというトタンに覆われた工房があります。工房に入り、少し薄暗い物置を通り越すと、伊藤さんの作業場が現れました。
「散らかっていてごめんね。何も話すことはないけど、とりあえず、お茶でも飲んでいってもらえれば」
このあと、紹介する木彫りの熊から溢れ出る優しさは、きっとこの伊藤さんから滲み出る優しさからなんだろうなと、最初の挨拶で垣間見ることができました。
「僕なんか本当に話すことないですよ。ただずっと彫っているだけですから」
そんな謙遜する言葉を並べられても、この木彫りの熊を見ていたら、聞きたいことしか出てきません。
頭を持ち上げている姿が愛らしいこの作品は、最近制作している「腹筋熊」です。
この「腹筋熊」は、猫が日向ぼっこをして寝ている姿を見て、腹筋する熊が面白いのではないかと着想したそうです。
「60年近く熊を彫ってるんですが、腹筋熊を作りはじめたのは2年前くらいなんです。動きがある熊を作って欲しいというリクエストがあって、動物のテレビや本を見ながら、何か面白い動きはないかなって考えて。あるとき体を丸めて気持ち良さそうに寝ている猫を見て、熊も体を丸めたら面白いかなって。それで腹筋をさせようと思ったんですね。偶然できたんですよ(笑)」
伊藤さんのユニークな閃きから、このかわいい熊が生まれたんですね。ちなみに、この腕が腰に向かっている腹筋熊は、初期に製作したものだそうです。見比べるだけでも楽しいです。
「今になってね、絵本とか写真で見る熊が本当にかわいいんですよね。親子の熊なんてたまらない。小熊がかわいいなって。」
伊藤さんの言葉の節々に、熊が大好きだということが伝わってきます。熊への愛も、伊藤さんの木彫りの熊が優しく見える理由なんだと思います。
「こういう写真を見て、イメージしながら彫ってるんです」
そうして写真からヒントを得た作品は、伊藤さんの手に掛かれば、そこに本当に熊の親子がいるかのような作品に生まれ変わってしまうのです。
聞けば、伊藤さんは小さい頃から木彫りの熊を彫り続けてきたと言います。
「10歳のときに、兄が木彫りの熊を買ってきたんですよ。それを目の前にあった木と彫刻刀を使って真似して作ってみたら、大した作品ではなかったと思うんですが、みんなに褒められたんですよね。それからずっと熊を彫っています。10歳から15歳のときまでずっと彫っていたんですよね。よっぽど褒められたのが嬉しかったんでしょうね」
新得町出身の伊藤さんは、中学校を卒業後、糠平にある木彫りの作家さんに弟子入りします。15歳の少年は糠平で10年ほど、木彫りの熊を彫り続けました。
その後、今の場所に居を構え、工房を作り、熊を彫り続ける日々が続きます。
「木彫り熊はお土産としての需要がすごく高かったのだけど、40歳くらいの頃にバブルが崩壊してからは需要が減り続けてね。その頃くらいからは、山に仕事に出たりしながら休みのときに彫っていました」
どれだけ疲れていても、仕事が大変でも、熊を彫ることは止めなかった伊藤さん。
「彫っていたら疲れないから。楽しいんですよ」
そんな木彫りに人生を賭けた伊藤さんの作品は目を奪われるものばかりです。
納得できたものを作れたことがない
「完璧だってご自身が思った作品はありますか?」そんなことを聞くと…。
「ないですねえ」と一言。
「完成しても、あっちが悪いこっちが悪いって思ってしまうんですよ。いつも途中で妥協して…。これだってここ…削れないから仕方がないんだよな…」
と一言。
「妥協して、これで勘弁してもらうかっていつも思ってます。それでも僕の作品を買ってくれる人もいる。申し訳ないなって思うけど、感謝しかありません」
伊藤さんは、熊を彫り続ける理由を「彫ることしかできないんだ」といいます。
「木ってのは面白いんですよ。今使っているえんじゅの木は、へりだけ色がつくんですよね。こんな風に白く。この白くなる部分を活かしながら、彫っていたりするんですよ」
この写真の熊の足裏のように、えんじゅの木が白くなる部分を活かして彫ることも。
「もう手に入らないかもしれないよ、僕の木彫り」
「もう手に入らないかもしれないですよ、僕の木彫り」
なんて不意に伊藤さんが言いました。こう見えて70歳を超えている伊藤さん。
「昔のように元気なわけじゃないので。カラダが思うように動くわけでもないですし」
続けて、
「星野道夫さんが大好きなんですよね。もちろん写真も大好きなんだけど。星野さん、熊に襲われて亡くなったでしょ」
探検家、写真家として活動をしていた星野さんの本を、伊藤さんは参考にしている。
「あまく見すぎたんだよな。熊を…。でも、熊に食われても襲われても良いって考えだったかも知れない。僕もこうやって彫っていて、そのまま死ねたらいいなって思ってて」
憧れの人になぞらえて、自身の最期も好きなことをやっている途中に終わりたいという伊藤さん。それほどにまで打ち込めるものがあるからこそ、こんなにも素敵な作品が出来上がるのだろうと、伊藤さんの木彫りに対する想いをヒシヒシと感じる一言でした。
でも、もっと作り続けてほしい。
いつまでも見ていることができる木彫りの熊に背を向けて、楽しい時間は過ぎていくのでした。伊藤さん、ありがとうございました。