上士幌の歴史と小学校の校長先生に学ぶ「今を一生懸命生きて、未来に繋ぐ」
「上士幌の歴史を知ろう!」
僕たちが参加した「MY MICHIプロジェクト」で上士幌を学ぶプログラムとして、上士幌小学校の目黒校長先生を訪問しました。目黒先生はここ上士幌で生まれ、ご自身で上士幌に関する本も執筆されているほど上士幌について詳しく研究されています。お聞きしたお話は歴史にとどまらず「歴史を学ぶ意義」や「その学びをどう活用するか」にまで向けられていました。
WRITER
澤田 遼
MYMICHI2期生。愛知県出身。十勝晴れによって照らされる広大な山々とその麓に広がる自然豊かなこの上士幌の景色に心を奪われてしまいました。移住もありかなと考えるようになった今日この頃です。好きな言葉は「今日が1番若い」。
すごいぞ、この先生!?
北海道上陸が今回初めてという人がいるほど十勝とは全然縁もゆかりもない者が多い僕たちマイミチ2期生。目黒先生は、前年度までは同じ上士幌町内の糠平小学校で校長先生をされていました。今回の訪問に向けて、先生の書かれた本を事前に受け取り読みまくりましたが、その内容のすごいことすごいこと。どこから調べてきたのだろうと思わずにはいられないほど、上士幌を中心としたこの十勝地方の歴史について事細かく記されていました。
先生のお話しはこの本たちのどの部分をされるのだろう。全然違うところなのかな。そんなことを考えながら小学校へと足を運びました。
案内されたお部屋に入ると、中には体の大きくて縁のある眼鏡をかけた優しそうな方がパソコンを操作していらっしゃいました。
「この方が目黒先生かな?」
「いやけど大体こういう場合、先生が後から入ってくるパターンが多いから、この方は校長先生がお話しをスムーズに行えるように準備してくださってる方なのかな?」
といったことを思いつつ、目の前のスクリーンにふと目を向けると、すでにそこにはパワーポイントが映し出されてました。
そしてパワーポイントには「Kamishihoro “MY MICHI” Program」の文字が…!
さらに机の上を見ると、そこには『MY MICHI「特別号」』と書かれた冊子が。
すごい! マイミチって書いてある!!
先生はもしかして、今回のこの時間のために資料まで作ってくださったのかな? と考えながら冊子をペラペラめくってみると・・・
そのページ数は何と65!!
一同
「ろ、ろくじゅうご!?」
「ざわざわざわざわ・・・」
「めっちゃ準備されてる!!」
するとずっとパソコンを操作されていた方がこちらを向きました。
「そろそろ初めてもよろしいでしょうか。初めまして。私、上士幌小学校の校長をしております目黒と申します」
一同
「校長先生だったー!!」
目黒先生は約2時間のお話の中で「過去を知り、今を一生懸命生きて未来にバトンを繋ぐ」ということを僕たちに伝えてくださいました。
「人は誰しもが使命を受けて、その生を受けている」と先生はおっしゃいます。
ではその使命とな何なのか。
先生の考える「使命」とは、与えられた重大な務めといった重い言葉ではありません。
「過去に学び、今に活かし、未来へ繋ぐこと」。それが人間に与えられた使命であると先生はいいます。
国鉄士幌線から学ぶ「鉄道が果たした使命」
これは上士幌町の地図です。上士幌町は、十勝地域の中心である帯広市から約40km北上した場所にあり、北海道のほぼ中央に位置する内陸の町です。
町の南側は士幌町と接し、北側は層雲峡のある上川町と、東側は足寄町と、西側は鹿追町や新得町と接しています。この上士幌町の発展に欠かせないのが町を南北に通る国道273号線です。この道路によって士幌町や上川町との流通を可能にしています。
さてここでこれを読んでいる皆さんに質問です。
この国道273号線を見て何か思い起こされるものはないでしょうか。
そうです。この国道273号線があるのは、かつて国鉄士幌線が通っていた場所なんです。
1925年(大正14年)から1987年(昭和62年)まで営業された士幌線は、帯広から十勝三股までを結ぶ長さ約80キロに及ぶ鉄道です。そして、上士幌に士幌線が開通したのは1926年(大正15年)。十勝三股駅まで伸びたのは1939年(昭和14年)のことでした。
そして、この士幌線にはある特徴があります。それは、十勝三股から帯広方面に向かうまで、その線路沿いには音更川が必ずあることです。上士幌の町は音更川、士幌線そして現在の国道273号線を中心として発展してきたといえます。
さて、士幌線の終着駅である十勝三股があるのは音更川と中の川が合流する三股盆地の入り口の辺りです。
上士幌町の主な士幌線の駅は「上士幌」「糠平」「幌加」「十勝三股」の4駅です。
今回先生は、そのうち「糠平」「幌加」「十勝三股」の3駅に注目して話してくださいました。
1.十勝三股
現在は三股山荘というカフェを含む2軒だけが住われている地区ですが、かつてはこの地に1,500人ほどが住んでいたといわれています。十勝三股には材木にするのに適した木々が多く生えており、十勝三股の先には音更川本流に沿って8.8キロの森林軌道が設けられるほどでした。
1954年(昭和29年)の洞爺丸台風など自然災害での風倒木はどんどん木材となり、1955年(昭和30年)から1960年(昭和35年)頃の最盛期には、10数両もの連結がされた汽車が60台から70台も毎日帯広方面に向かって送られていたそうです。いかに三股の材木が士幌線沿線の町の材木として利用されていたかがわかります。
しかし木材の生産量の衰退とともに町からは人がどんどん消え、今では家が2軒残るだけとなってしまいました。
2.幌加
十勝三股と同じく、1954年の洞爺丸台風による風倒木で材木化事業の最盛期を迎えました。最盛の1962年(昭和37年)頃には350人程度の人が住んでいたといわれています。しかし材木化事業が衰退した1968年(昭和43年)頃には家が5〜6軒程度にまで激減し、現在では幌加温泉があるのみとなりました。
3.糠平
糠平は1919年(大正8年)に島隆美によって温泉が発見され、上士幌から糠平の温泉地までの道路が徐々に作られていきました。そんな糠平が最盛期を迎えたのは戦後のこと。スキー場の開設と糠平ダム建設によって全国から人が糠平に集結しました。
しかし、ダム建設が終了し、道内の他の地域にも注目が集まるにつれてだんだんと糠平の町から人々は消えていき、ついに2019年度をもって小学校も閉鎖されるになりました。
この3駅に共通するのは、ある事情によって人口が突然増えて町が形成されたこと。そして役割を終えたかのようにスッと町が衰退していったことです。
先生はこれらの町の盛衰についてこんなことをおっしゃっていました。
「非常に北海道らしいですよね。実はよくあることなんですよ。この衰退は決して悪いことではないんです。使命を果たしてきたことの証なんです」
先生は使命を果たしたからこそ「進化」なり「退化」が伴うものであり、それがなければ遺伝子は変化が起こらないため滅亡するとおっしゃります。
今を一生懸命に生きる
人に与えられた使命というのは、決して偉大な功績を残すような人だけに課されているわけではないと感じました。人には一人一人に使命があり、それは一生懸命生きて次の世代に引き継ぐこと。銀河鉄道999でみんなが鉄郎を無事に地球へと送るために登場人物みんなで繋いだように。
僕も今のこの人生を一生懸命生きることで、次の世代へとそのバトンを受け渡していきたいと思います。
先生を囲んで最後に記念撮影。ありがとうございました!!