「妥協せず、自分が納得する生き方を」-縄田柊二・マイミチストーリー
北海道・十勝の上士幌町で「遊ぶ・学ぶ・働く」を体験する1カ月間の滞在型プログラム、それが「MY MICHI プロジェクト」だ。2021年7月〜8月に第4期が開催され、全国から5人の若者が参加した。5人は何を思いこのプログラムに参加したのか。それぞれの「マイミチストーリー」がそこにある。
MY MICHI 4期生
縄田 柊二(なわっちゃん)
|なわた・しゅうじ|2000年生まれ、山口県出身。大学を休学して「MY MICHI プロジェクト」に参加。幼少期に祖母と一緒にパンを作った経験から、オリジナルのパン作りをテーマに活動する。ニックネームは「なわっちゃん」。
大学休学中に出会った「MY MICHI プロジェクト」
「僕は、ちゃんとした社会人になれるのだろうか?」
大学3年の秋、就職活動が始まった。周りの友人たちはインターンシップへの参加や、OB・OG訪問、企業研究などをどんどん進めていく。そんな友人たちを横目にしながら、なわっちゃんは焦りを感じていた。
「みんなどんどん就職活動を進めていくのですが、僕は何だか周りとペースが合わなくて。やらなくちゃ、という気持ちがある一方で、このまま就活を進めることに納得感を持てない気持ちもありました。いろんな感情が交錯して、ちょっと疲れてしまったんです」
山口県出身のなわっちゃんは、高校卒業後は広島県内の大学に進学。大学生活は楽しかったが、その後の進路には不安を覚えていた。普通に考えれば就職だろう。でも、本当にそれでよいのだろうか?
菜園作りにもチャレンジ。「MY MICHI プロジェクト」は、いろいろな体験が用意されている
大学時代にアルバイトをしていた店で「この仕事に向いてないんじゃないの?」と言われたことがあった。作業のスピードがゆっくりしている。日々変わっていく商品をなかなか覚えることができない。仕事は一生懸命にしているが、ほかのスタッフと比べると劣って見られてしまうことがあった。
「自分は一体どんな仕事が向いているのだろう?」
「どこかに就職したとしても、仕事ができずにすぐに辞めてしまわないだろうか?」
心のどこかに、そんな気持ちを抱えていた。社会に出て働くイメージが持てず、社会人になれるのかという不安もあった。そんなモヤモヤした気持ちが整理できないままに就職活動を迎えたのだ。
町の人たちとBBQで交流。たくさんの人との触れ合いもプログラムの特徴
「このまま就職活動を続ける自信もなかったので、4年生になったタイミングで1年間休学することにしたんです。少し時間を作って、この先のことをゆっくり考えたかった。そんなときです、MY MICHI プロジェクトを見つけたのは」
「MY MICHI プロジェクト」はインターネットで見つけた。何となく、「面白そうだな」と思った。
高校生の頃に北海道に旅行に来たことを思い出した。休学しているのだから、この期間を使ってしかできないことをやってみたい。北海道に住むのも面白そうだ。そんな些細な気持ちから、プログラムへの応募を決めた。
「パン作るの、好きなんですよね」
応募してすぐにリモート面談があった。今回の「MY MICHI プロジェクト」では、参加者一人ひとりがテーマを決め、プログラム参加中にチャレンジする。それぞれが好きなことや、やりたいことをもとにテーマを決めていく。
「パン作るの、好きなんですよね」
思わず口に出た一言がきっかけだった。ここから話が進み、上士幌でパンを作ることがテーマとなった。しかも、作るだけでなく、そのパンを町の人たちに販売する。
「そんなことが自分にできるのだろうか?」という思いが頭をよぎったが、面談に参加したまちづくり会社のスタッフや同じ4期のメンバーが真剣に話を聞いてくれたことで、「やってみよう」という気持ちになることができた。
4期メンバーたちとは、いつも自然体でいられた。左から、りーたん(田中理紗子)、あかりん(伊藤あかり)、なわっちゃん、ひな(石井日奈子)、こなつ(野中小夏)
「子どもの頃、祖母と一緒にパンを作っていたんです。すごく楽しくて、一緒に作ったアンパンの味は、いまだに忘れられません。コロナ禍で大学もリモートでの授業が増え、下宿先のアパートで過ごす時間が多くなりました。そんなときに、ふと昔を思い出してパンを作ってみようと思ったんです。それがパン作りのきっかけですね」と、なわっちゃんは言う。
なわっちゃんの祖母はパンが好きな人だった。自宅に小さなパン工房を作り、地域の人たちと一緒にパンを作ったり、パン教室を開いていたこともある。小さい頃、近所に住んでいた祖母の家によく遊びに行っていた。いつも笑顔でニコニコしている優しい祖母だった。
どんなパンを作ろうかを考えたとき、最近、広島に揚げパンの専門店がオープンしたことを思い出した。「揚げパン、いいかもしれない」。メンバーともアイデアを詰めていき、マラサダを作ることに決めた。
上士幌神社の宮司さんに話を聞く。ほかでは聞けない貴重な話を聞けるのもプログラムならでは
最初の試作は大失敗。気持ちを切り替えて準備を進める
なわっちゃんのテーマは、ハレタかみしほろのチャレンジ企画として行うことになった。ハレタかみしほろでは、町の人たちの「やってみたいこと」を、実現・応援するためにカフェスペースを貸し出しているのだ。
当日は「マラサダカフェ」として、ドリンクもセットで販売することにした。開催日は7月30日。メンバーの活動テーマの中で最も早く本番を迎える。準備期間も短くなるので、メニューや販売個数は来町前に決めていった。砂糖をまぶしたプレーンのほか、ミルクチョコやホワイトチョコをアレンジしたものもメニューに加える。チラシも事前に用意した。
広島の自宅アパートで試作も始める。最初に作った生地はベチャベチャしていて、口に入れても全然おいしくなかった。
初めての試作品。最初はここから始まった。
「やると言ってしまったけれど、本当にできるのかな?」と、不安な気持ちになっていく。それでも真剣に応援してくれる仲間たちに応えたかった。「失敗して当たり前。思い切ってやってみよう」と気持ちを切り替えていった。
「やってみてはじめて、いろいろなことがわかりました。生地を発酵させる時間や油の温度などは細かく見ていかないとすぐに失敗する。当日は準備時間も限られているので、事前に仕込みをどこまでやるか、また販売するとなると衛生管理のことも考えないといけない。上士幌に来るまでの期間、ほとんど毎日試作を繰り返していました」と、なわっちゃんは振り返る。
手伝ってくれるまちづくり会社のスタッフや4期メンバーとも頻繁にミーティングを繰り返す。事前に何を用意しなければならないか。商品をどうやってお客様にお渡しするか。作るだけでなく、販売も考えたときに、決めなければならないことがこんなにもあるのかと思った。
プログラムが始まり来町してからも、連日準備が続いていた。スケジュールの合間を縫って試作や当日必要な備品の用意を進めていく。町の食品加工センターも使わせてもらえることになった。本番までの時間は約2週間。1日も無駄にすることはできなかった。
前日の仕込み。上士幌に来てからも、無我夢中で準備してきた
販売は当初デリバリー販売も検討していたが、衛生管理の許可が別途必要になるとわかり、ハレタかみしほろでのみの販売とした。こうしたことも、実際に動くことで一つずつ覚えていった。
7月30日が近付くにつれ緊張は増していったが、「大丈夫、きっと上手くいく」と信じて突き進んだ。4期の仲間たちやまちづくり会社のスタッフも応援してくれている。
「みんなは『絶対に完売するから大丈夫』と励ましてくれていましたが、僕はどうしても不安が拭い切れませんでした。お客さんが来てくれるかどうかも心配だったし、あまり馴染みのないパンを受け入れてくれるかどうかもわかりませんでした」
前日は緊張でうまく眠れなかった。「なるようになる。大丈夫」。そう言い聞かせているうちに眠りに落ちていた。
ウェルカムボードも用意して当日を迎える
「一体、何が起きたのだろう?」
「一体、何が起きたのだろう?」
1時間にも満たないその時間に起きたことを、うまく理解できずにいた。
当日も朝から思いもよらないトラブルが続いていた。生地が思うように発酵せず、大きくなっていないものあった。試作はシェアハウスのガスキッチンを使っていたが、ハレタかみしほろのキッチンはIH。IHでパンを揚げると予想もしなかった揚げムラが出た。事前にIHで揚げてみることを怠っていたのだ。
朝の準備も思った以上に時間がかかった。オープン時間の11時に間に合うように工程を組んだはずだったが、トラブルの対応に時間を取られた。それでも仲間たちの協力もあり、時間通りにオープンさせることができた。
オープンと同時にたくさんの人たちが店内に入ってきた。次々にパンを手に取り、購入していく。用意した150個のパンは、わずか50分で完売した。
「後で振り返ってみたのですが、当日のことはよく覚えていないんですよね(笑)。朝からずっと忙しかったことだけはわかっているんですけど。でも自分にとってすごく大きな達成感を得られたし、自信になりました」
たくさんの町の人たちが、なわっちゃんのマラサダを購入していった
その日の夜、夢を見た。「早く生地を作って!」と、あかりんが急かしてくる。まずい、早く作らなくちゃ……焦りながら生地を捏ねはじめたところで目が覚めた。「ああ、そうか。終わったんだ……」。
「今思えば、素人が北海道に来てパンを作って販売するなんて、無謀なことをしたとも思います(笑)。でも、まちづくり会社の皆さんや食品加工センターの皆さん、食材を用意してくれた皆さん、チラシを貼るのを許可してくれた店舗の方々、そして4期の仲間たち。本当にたくさんの方々から協力をいただけたことでチャレンジを終えることができました。上士幌では、日常では決して体験できない最高の時間を過ごすことができました」
「まちづくり会社の八下田洋子さんには本当にお世話になりました」となわっちゃん。八下田は、ハレタ企画担当としてサポートした
上士幌の人たちに触れて生き方を考える
「MY MICHI プロジェクト」での体験は、進路に悩んでいたなわっちゃんに、生き方を考える大きなきっかけも与えてくれた。
プログラムを通じて、たくさんの町の人たちとも触れ合った。上士幌で出会った多くの人たちは、自分の意思で仕事を選び、誇りを持って働いていた。自分で仕事を選んでいる人は覚悟が違う。周りに流されることなく、自分がやりたいことやり、仕事を楽しんでいる。
中でも印象に残っているのは、糠平でネイチャーガイドをしていた上村潤也さんの言葉だ。
糠平のネイチャーガイド・上村さんの言葉が耳に残っている
「上村さんは、以前はサラリーマンをしていて、東京から移住したとおっしゃっていました。糠平で自然ガイドの仕事に就いて、収入はサラリーマン時代の半分ほどになったそうですが、手元に残るお金は今の方が多いと言います。ここにすごく本質的な何かがある気がして、改めてこれからの生き方や働き方を考えてみようと思いました」
上士幌に来るまでは、休学期間が終われば大学に戻り、就職活動を再開してどこかの企業に入るだろうと思っていた。でも、それで10年後の自分が納得するのだろうか。やりたいことはやっていい。真剣に取り組めば、必ず応援してくれる人たちが現れる。もう少し時間をかけて、これからのことを真剣に考えていこう。
プログラム最終日のプレゼン。「上士幌の皆さんは本当に温かかった」と感謝を伝える
「僕も上士幌の皆さんのように、自分の好きなことや得意なことで自己表現ができるようになりたい。それが僕の『マイミチ』。妥協せずに、自分が納得できる生き方を追求していきます」
この先の人生でも、きっと悩むことはあるだろう。生き方に悩んだならば、上士幌での体験と、この土地で出会った人たちを思い出そう。
縄田柊二は、未来に向かって歩き始めた。
TEXT:コジマノリユキ
2018年4月より上士幌町在住のライター。1976年生まれ、新潟県出身。普段は社内報の制作ディレクターとしてリモートワークをしています。写真も撮ります。マイブームはけん玉。モットーは「シンプルに生きる」。