「幼い頃の自分を迎えに行く」-田中理紗子・マイミチストーリー
北海道・十勝の上士幌町で「遊ぶ・学ぶ・働く」を体験する1カ月間の滞在型プログラム、それが「MY MICHI プロジェクト」だ。2021年7月〜8月に第4期が開催され、全国から5人の若者が参加した。5人は何を思いこのプログラムに参加したのか。それぞれの「マイミチストーリー」がそこにある。
MY MICHI 4期生
田中 理紗子(りーたん)
|たなか・りさこ|1994年生まれ、神奈川県出身。「自分自身と向き合うこと」をテーマに「MY MICHI プロジェクト」に参加。プログラム参加中は、自身を見つめ直すためのマイドキュメンタリー映画の制作に着手。ニックネームは「りーたん」。
「自分らしく生きる」この言葉が胸を打つ
目の前が真っ暗になった。
完全に疲れ切っていた。何をしていても、勝手に涙だけが溢れてくる。
「このままでは、本当に壊れてしまう……」
彼女は、暗闇の中にいた。大きな影に、自分自身がどんどん飲み込まれてしまっていくのを感じていた。
「MY MICHI プロジェクト」は、一つひとつのプログラムがかけがえのない体験に
神奈川県川崎市に生まれた彼女は、幼少の頃に関西に転居し、学生時代まで過ごした。大阪の大学を卒業したあとは大手ECサイトを運営する企業に入社、出店店舗へのコンサルティング業務に従事する。その後プログラミングスクールに転職し、セールスの仕事を行ってきた。
いずれの仕事もやりがいはあったが、忙しすぎた。成果を上げたい一心で打ち込んできたが、頑張れば頑張るほどに仕事の量は多くなる。残業時間も増え、心身が疲れていくのを感じていた。だがどんなに疲れていても、仕事になればその姿を見せることはできない。
「残業が多いのは、仕事ができていないから。もっと頑張って効率良く仕事ができるようにならないと」。そう思い、さらに自分の体に鞭を打つ。仕事をしているときは笑顔で前向きな自分を演じているが、本当の自分は疲労とストレスでボロボロだった。
あるとき、目の前が真っ暗になるのを感じた。完全に疲れ切ってしまい、涙が溢れてくる。
「もう、疲れた。休みたい。このままでは本当に壊れてしまう……」
そんなある日、たまたま見ていたインターネットであるプログラムを見つけた。そのプログラムには「自分らしく生きる」という言葉が綴られていた。
そのキーワードが胸を打った。
「MY MICHI プロジェクト」は、自分らしい生き方を見つけていくプログラム
今までの私は、自分らしく生きていたのだろうか? 幼い頃からの記憶がフラッシュバックした。私はいつも、自分の気持ちを素直に伝えられずにいた。わがままを言わずに、自分が我慢をすればいろいろなことが上手くいくと思っていた。そんな記憶を思い出すと、また涙が頬を濡らしていた。
「今、自分とちゃんと向き合わないと、本当に私は駄目になってしまう」
彼女――りーたんは、「MY MICHI プロジェクト」への参加を決めた。
自分が我慢すればいい。そう思って生きてきた
申し込んでから参加までの間、プログラムを主催するまちづくり会社のスタッフとリモートでの面談を繰り返した。今回の「MY MICHI プロジェクト」では、参加者一人ひとりが上士幌でやりたいことをテーマに掲げ、プログラム中にチャレンジする。何度かの面談を進める中で、りーたんは幼い頃からの話を伝えていた。
「小学校3年生のときに、両親が離婚しました。その何年か前から家の中で両親が口論になることがよくあって、家は私にとって安心できる環境ではなかったんです。両親が怒っているのは、私が生まれてきたからなのかな? とか、私は生まれてこなければよかったのかな? と考えたこともありました」
両親に甘えることができず、ずっと寂しさを抱えていた。だが、いつからかその寂しさも、自分の中に閉じ込めるようになっていた。
あるとき、友だちが楽しそうに両親と手をつないで一緒に歩いている姿を見て羨ましさを感じた。「いいな。私もパパとママと一緒に手をつないで歩きたい……」。そんな気持ちさえも、誰にも伝えることができなかった。
糠平の大自然に触れて、彼女は何を思ったのか
自分が我慢すればいい。そうすれば、周りのみんなは笑顔でいられる。幼い頃からずっとそう思って生きてきた。学校に行けば友だちの前では笑顔を絶やさない。でも、それは笑顔の仮面を被っているだけだ。本当はそんな自分が嫌だった。
「小さい頃からずっと自分の気持ちに嘘をついてきました。感情を出すこともなくなって、笑っていても、その場を取り繕うために笑っていたこともあります。そうやって感情を置き去りにしてきたことで、いつからか自分の気持ちがわからなくなっていました。自分が何をしたいのか、何が本当の感情なのかもよくわからなくなっていたんです」
「あなたは、幸せにならないといけない」
「あなたは、幸せにならないといけない」
面談で自分の境遇を伝えたとき、まちづくり会社の西村から思いもかけない言葉をかけられた。その言葉に、思わず涙が溢れた。
「自分と向き合うということは、小さい頃の自分を迎えに行くことだよ。りーたん、無理しなくていいから、ゆっくりゆっくりやっていこう」
そう言われて、気持ちが楽になった。自分を受け入れることができず、ずっと我慢して生きてきた。そんな自分が嫌だったが、それさえも否定していた。その気持ちを全て伝えた上で、そんな自分に本気で向き合ってくれた。それが本当に嬉しかった。
糠平湖畔で。都会にはないゆっくりとした時間を過ごす
事前のチームミーティングでは4期メンバーとオンラインで顔を合わせることになった。それぞれが上士幌でのテーマを決めるとき「自分と向き合うために、りーたんが主役の映画を作るのはどう?」というアイデアが出た。それはいいかもしれないと思った。
これまで必死に生きてきた自分を誇らしく思うと同時に、大切なものを置き忘れてきた。上士幌町で自分と正直に向き合う姿をストーリーにすることで、この映画がこれからの人生のお守りになると感じた。
「小さい頃から孤独で、寂しくて、誰に対しても本音を話すことができませんでした。だからこそ、この町での体験や気持ちの変化をしっかりと記録しておきたいと思いました。同時に、私と同じように生きづらさを感じている人に対してもエールを送れるような作品にできたらと思いました」と、りーたんは話す。
プログラムで十勝しんむら牧場を訪問。放牧酪農について説明を受ける
少しずつ、素直な自分を表現できるように
7月、「MY MICHI プロジェクト」がスタートした。プログラム参加中、りーたんは自分自身に約束事を課していた。
「自分自身ときちんと向き合うこと。自分を大切にすること。無理はしないこと」。疲れたり、しんどいときは素直にメンバーにも伝えて、休む。何より、自分を労って大切にする。これを自分自身に約束した。
プログラム初日、上士幌町に到着直後
来町してすぐに大きな出来事があった。プログラムの初回で、4期メンバーにまちづくり会社のスタッフも交えて「ペップトーク」というワークを行った。ペックトークとは、相手を励ましポジティブな感情を与えるワークだ。ここでももう一度、自分の過去と向き合い、記憶を紡いでいく。その場にいた全員が、一つひとつの言葉に真摯に耳を傾けてくれた。
「りーたん、よくここまで頑張ってきたね」
「生まれてきてくれてありがとう」
ワークを終えたとき、まちづくり会社のスタッフにぎゅっと抱きしめられた。その瞬間、今までに流したことがないほどの大粒の涙が出た。それは、自分がずっと求めていた言葉だった。りーたんは抱きしめられながら、温かいぬくもりと太陽のような愛を感じていた。同時に、今の自分が幼少の頃の自分を抱きしめているような、そんな感覚を覚えていた。
「振り返ると、私にとってすごく大きな転機となった出来事でした。自分自身を受け入れることができた最初の一歩だったように思います」と、りーたんは振り返る。
本音を伝えられる仲間たちにも出会えた。手前から、りーたん、あかりん(伊藤あかり)、ひな(石井日奈子)こなつ(野中小夏)、なわっちゃん(縄田柊二)
それからはプログラムを体験しながらずっとカメラを回し続けた。サイクリングやネイチャートレッキングなどの自然体験、新しい酪農にチャレンジし続ける十勝しんむら牧場の話、町の人たちとのBBQや交流会……上士幌町は刺激的で魅力的な町だった。
仲間たちのテーマも積極的に手伝った。0円食堂に取り組むこなつ、マラサダカフェに挑戦するなわっちゃん、子どもたちのヒーロー企画を進めるあかりん。メンバーのテーマを真剣に応援した。
滞在中は4期メンバーともたくさん話をした。疲れた様子が見えたときには「りーたん、大丈夫? 話を聞くよ」と、声をかけてくれた。みんなには、本当に思っていることを素直に伝えた。仲間たちには、嘘偽りのない自分を伝えたかった。
仲間たちも、りーたんを受け入れてくれた。メンバーと過ごすことで、自分は何を考えているのか、何をしたいと思っているのか、少しずつ気持ちを表現できるようになっていった。
自分を受け入れてくれる人がいる。それが何より嬉しかった
自分を受け入れなければ、他人を受け入れることはできない
来町して1カ月が経とうとしていた。プロジェクトの最終日には、上士幌町民に向けての活動報告会がある。りーたんのテーマである映画も、そこで上映する予定でギリギリまで編集作業を進めていた。だが、映画の上映は後日に延期することとなった。
「映画を作ることでみんなに認められたいと思っていて、最終日までに完成させなくちゃいけないと無理をしていたんです。最初にプロジェクトに参加したときに、無理をしないと自分に約束していたのに忘れてしまっていて。それで無理をしないことにしたんです」
たくさん泣いて、たくさん笑った。そうして、少しずつ自分を取り戻していった
りーたんは、「MY MICHI プロジェクト」終了後も、延長して町に滞在することを決めた。無理をせずに最後の編集作業を進めて、数日後、映画は完成する。
8月23日、これまでお世話になった町の人たちを招待して、ささやかな映画上映会が行われた。映画のタイトルは『小さな私』。
「今までよく頑張ったね。あなたは何も悪くないよ。これからも、よろしくね」
自分と向き合うということは、小さい頃の自分を迎えに行くこと。幼い頃の自分にそっと差し出したその手を、小さな手が握り返していた。
このプロジェクトを振り返って、りーたんは言う。
「私がこの上士幌で学んだこと、それは『自分を受け入れることができなければ、他人を受け入れることはできない』ということです。私はこの町で、たくさんの出会いと体験を通して、自分を受け入れられるようになりました。それは何よりも、町の皆さんが私を受け入れてくれたからです」
上映会は4期の仲間たちも見守ってくれた
外から来た自分に対しても、町の人たちは「よく来たね」と声をかけてくれた。プログラムが終わったら町を離れるとわかっていても、「いつでも帰っておいで」と言ってくれた。町の人たちからのそんな言葉が、本当に心地よかった。
町の人たちには、心から感謝している。上士幌は、りーたんにとって、たくさんの愛に触れた場所になり、本当に大切な場所になった。そして彼女は決断する。「私の『マイミチ』の続きは、上士幌町から始まる」と。
「秋に移住します。実はプログラム参加中から、移住を視野に入れるようになりました。大好きな上士幌町を拠点に、これから何ができるかを考え、やりたいことをゆっくりと考えていきたいです」
田中理紗子の「マイミチ」は、上士幌町で続いていく。
田中理紗子マイドキュメンタリー『小さな私』
TEXT:コジマノリユキ
2018年4月より上士幌町在住のライター。1976年生まれ、新潟県出身。普段は社内報の制作ディレクターとしてリモートワークをしています。写真も撮ります。マイブームはけん玉。モットーは「シンプルに生きる」。