【ライター講座受講生記事】突然舞い降りた熱気球搭乗体験【熱気球体験談】
小さな田舎町に熱気球が舞うようになり数十年。
町の多くの人には大空に舞う熱気球は心和ませる町の自然な風景として心に刻まれてきた。
思いがけない成り行きで長年見上げ続けてきた熱気球に乗り、雄大な自然の冬空を空中散歩した感動を少しでも伝えられたらと思います。
WRITER
宮﨑 ゆ子 (みやざき ゆこ)
【ライター入門講座受講生】田舎で三人の子育てを終え、夫の動物病院を手伝い夏は無農薬野菜を楽しむ好奇心旺盛な旅好き
冬空を舞う
初めての経験にチャレンジする前日の夜はなかなか寝付けない。
それでも朝はいつも以上に早く起床。自分のセーターの中でも暖かいカシミヤを重ね着し、カイロもお腹に貼り付けて寒さ対策は万全だ。
指定されたフライト会場に着くと旧知の人の顔の多さが妙に懐かしく、心地いい。
町の行事に参加しなくなり数年になる。コロナの影響もあり、ますます人との会話もなくなっている最近の私の日常生活。
「ライター入門講座」参加は大きな決断だった。
私の中で長年熱気球は〈地上から眺めるもの〉だった。
それが今日何かしら関わる立場に立つ。まして高齢者(気持ち的には若者?)不安以上にワクワク感でいっぱい。
現場に行くと一人だけ搭乗のチャンスとの話。
じゃんけんにアッサリ負けた私。
取り敢えず取材。
今更ながら熱気球の大きさに圧倒されながら雪原に広げ、立ち上げる手伝い。その感覚動作全てが私を楽しくさせていた。空に舞う直前の気球を前に顔見知りの人たちが「乗れ乗れ」と声をかけてくれた。
夢見心地で気が付いたら熱気球の籠の中にいた。
何十年も望んでいた「夢の体験」は突然降りてきた。
パイロットは知人の青木知子さん
雄大な東大雪・未知の自然の中に
私の中で何が起きているか整理もつかないうちに、スーと静かに地上から離陸していた。
熟練の技を感じさせる安定した動きに恐怖感はゼロ。フーと深呼吸して下を見ると既に遥か遠くに人影。その一瞬の速さに驚いた。
「凄く上手ですね」の声に「まだ新米だよ」の返答だが、長い搭乗時間を通じ確かな操縦力には感心しきりだった。
薄氷のような雲の上に東大雪の山々が現れた。
いつもの山並みが壮大な姿で眼前に現れたときの感動。
東大雪の山々、まさしく神々しい
写真:土門史幸
何気なく日々眺めていた大好きな山並みと違い、まさしく神々しいという言葉が当てはまる雄大さに圧倒された。自然の偉大さに深いため息がこぼれた。
「見て、サンピラ―だよ」
太陽の虚像、私自身一瞬記憶をたどるが実際に体験したのは初めて。それこそ未知の領域に入り込んだことに強く気付かされた。どこか記憶にあるがそれは映像であり、今私の目の前で光り輝いているのは実像なのだ。口元からは無意識に「凄い凄い」の言葉が繰り返し漏れていた。
後で雲ではなく無数のダイヤモンドダストの塊と知り、不思議な未知の体験に遭遇したことを知った。
サンピラーと眼下に広がる雪に覆われた街並み
眼下には見慣れたはずの街並みが雪に覆われ、いつもとは違った幻想的な雰囲気を漂わせていた。
真っ白な雪畳に幾本もの直線。
よく見ると二匹のキタキツネが駆けていく姿が見えた。野生動物の足跡が不思議な幾化学的模様を作り上げていた。それはまさしくこの上空からしか見えない景色なのだ。
遠くは音更の方で着陸することもあるとの話、夏より気温の低い冬の方が燃料もかからず雪がクッション材になり安全なことなど話してくれた。
当日は比較的穏やかな日で、不思議な感覚のまま空中散歩を満喫した私だった。
パイロットとして上空300メートル以上の中で自然相手に全て自己判断することを想像しただけでその過酷さに思わず身震いした。
離陸以上に着陸は難しい。
仲間たちが着陸付近の道路にワゴン車で待機し熱気球の回収作業を行う。無線でのやり取りを繰り返しながら場所を決める。道路近くには当然多くの電線や標識等が建ち並ぶ。その間の限られた空間を目指して高度を下げる。低空飛行で落葉樹に触れながら軽く揺れた。それがまた楽しく私は満面の笑顔で着陸地点にたどり着いた。瞬間、心の中で万歳と叫んでいた。
知子さん パイロットへの道
彼女がパイロットにたどり着いた経緯が気になり話を聞いてみた。随分昔のこと、バルーンフェスティバルのオブザーバー募集を見て参加したのがきっかけとの話。
(オブザーバー:フライトごとに派遣され競技内容を記録する係)
上士幌に住んでいると募集のお知らせを目にしますが参加するその一歩が踏み出せないのが現実です。オブザーバーは計測や気象観測等々多くの講義を受け、ボランティアとして欠かせない存在です。大会時に実践を繰り返しチームのスタッフとして成長していく彼女。しかし当時は「パイロットにあこがれていたけれど、自分は無理だろうなと思っていた」とのこと。確かにどの機材も重く、私などには無理としか考えられない世界だ。
先にパイロットになったのはオムツをしていたころから一緒に熱気球に乗っていた息子さんだそうだ。自分の夢を託したのかなと。
その後、所属クラブの担い手として「町のパイロット育成企画」に参加し、資格を取得。上士幌熱気球のレジェンド菅原博治氏の手ほどきをたっぷりと受け、長い道のりを経てきたのです。
彼女の安定した熟練した操縦力には、確実な裏付けと経験、そして強い仲間との信頼関係の存在があることを知りました。
心の原風景である熱気球
写真:土門史幸
スタッフのお一人、渡進さんに熱気球に携わったいきさつを尋ねると、牧場だった自宅の隣接地がフライト場で、子供のころから熱気球のある風景はあたりまえだったそう。
遊びに行くと大学生に乗るかと声を掛けられ、何度も搭乗するうちに自然の流れで熱気球の仲間に。子供時代に空を舞う貴重な経験を積んでいたのだ。仕事で一時的に離れたが今また仲間と活動を再開したという。
何て素敵な体験だろう。
上士幌に生まれ育った子供たちにとって空に舞う熱気球は「心の原風景」なのだ。
ふるさとのそれを継続することの素晴らしさ、奥深い意義、また難しさを肌で感じた貴重な体験でした。
知子さんの話の中で強く心を打たれたのは「熱気球ってみんなを笑顔にするんだよ」。その言葉が痛いほど伝わる。初めて熱気球に触れたときワクワクする自分がいた。熱気球を見上げるときは決まって頬が緩み確かに笑顔になっている。
私たちの故郷の空には、みんなを笑顔にする熱気球が舞うんだよ。
そんな素敵なこの町の原風景を守るために何かできることはないか探る自分がいた。