親子でお正月レシピ作ってみよう!【後編】〜伊達巻〜
今年は旅行にも行けないし、年末年始もお出かけできない。でもせっかく子どもはお家にいるし。家ですることないし、退屈させてるかもなあ……なんてお思いの方、親子で楽しくお正月料理を作りませんか? 前編では「栗きんとん」を作りました!
WRITER
西村 奈々子
大阪出身。父が上士幌に移住。大学卒業まで、父が愛した上士幌に来ている大学生。私もこの町を愛したい。好きな場所は、ふれあいプラザのサウナ。
CHEF
北西 莉乃さん
上士幌中学校の栄養教諭として勤務。給食センターも兼務し、食に関する指導と給食管理に従事。
本日は、子どもたちも食べやすい人気の「栗きんとん」と「伊達巻」のレシピを紹介! お子さんもお手伝いできる作業には【お子様と一緒に♪】と印をつけています。ぜひ楽しく、一緒に作ってみてください!
はちみつ入り伊達巻
材料
卵 4個
はんぺん 100g
みりん 15g
塩 少々
だしの素 2g
砂糖(甘いのがお好みであれば少し入れるといいかも!)
はちみつ 40g
今回は、フライパンとオーブン二通りの伊達巻の焼き方をご紹介します!ご自宅でやりやすい方法で、ぜひ作ってみてください!
1. 食材を混ぜる
まずはボールに卵4つを割ります。
次にはんぺん100グラムを加えます。大きめのボールの方が混ぜやすいです。
【お子様と一緒に♪】
はんぺんはお子さんが手でちぎってもOK! フワフワした感触が楽しい!
ポイント!
はんぺんは小さめにしておくのがGOOD! 混ざりやすくなります!
卵とはんぺんをミキサーに入れて調味料①②③④を加え、ミキサーにかけていきます。
①みりん 大さじ1
②蜂蜜40g
③だしのもと 小さじ2分の1
④塩少々(2振りくらい)
全部まとめてミキサーにかけちゃうだけなので、すごく簡単に作れちゃうんです。
ポイント!
はんぺんが液状になり、ムラなく混ざるまでミキサーで混ぜましょう! そのときに何度かミキサーを振ると上手に混ざります!
2-1. フライパンで焼く場合
フライパンに油を薄く塗って、中火で温めます。
濡れ台拭きで底を冷やして、熱を均等に行き届かせます。
この作業をしないと焼き目がきれいにならないので大事です!
弱火にして生地を流し込みます。大体1センチくらいの厚さになるようにするのが大事です。
ゆっくり火を通すために蓋をして様子を見ながら焼きます。
今回はアルミホイルを蓋の代用にしました。
焦げちゃわないか心配になりますね。
こまめに確認しておくと焦がす心配はないよ!
表面が乾き、端に茶色っぽく焦げ目ができてきたら、火を止めて蓋をしたまま余熱で5分ほど蒸らします。
2-2. オーブンで焼く場合
オーブンを200度に予熱設定して待ちます。待っている間にトレイに生地を1センチほどの厚みで流し込みます。
余熱が終わったら、200度で10分焼きます。その後、180度に下げてもう5分焼きます。
3. 巻く
焼き終えるとあら熱を冷まします。
そして、折る作業。端を中に折り込んで、太い方から細い方へ向けて巻いていきます。生地が破れてしまわないように慎重にやりましょう!
【お子様と一緒に♪】
お子さんと手を添えて一緒に巻いてみましょう! 力いっぱいすると破けちゃうので加減に要注意!
ここが伊達巻の一番の緊張するポイントだ、、!
ポイント!
キュッキュと型がつくように握り締めながら、少しずつ巻きましょう!
巻き終えたら、冷めるまで巻いたままにして置いておきます。
ポイント!
できる限り長い時間置いておいた方がきれいに巻き目がつきます。可能であれば2時間くらい置いておくと、よりきれいな伊達巻になりますよ!
好きな大きさに切り分けて、
側面すごいかわいいですね!
上手に焼き目もついてますね! いい感じ!
伊達巻のでき上がり!
込められた意味
お正月料理には、それぞれ新年に食べる意味や役割が込められています。
栗きんとんの「きんとん(金団)」は、金色の団子や座布団を意味します。お正月に栗きんとんを食べると縁起がよく、勝負運や金運が上がる、商売繁盛が叶うと言われています。
伊達巻は、巻かれたその形状が巻物に似ていることから学業成就の願いが込められています。卵を使った伊達巻は、卵から子孫繁栄への願いも込められています。また、卵の丸い形は家庭円満を表しています。
お正月に縁起の良いおせち料理を食べて、来る年を素敵な1年にしましょう!
うん! 美味しい! 今回の伊達巻は甘さ控えめになったけど、美味しい! お子さんがいらっしゃるときは、砂糖も入れて甘さを足しても美味しそうですね!
栗きんとん、めっちゃ甘くって美味しい〜! これこれ、子供の頃から大好きでした。
お正月レシピ、正直難しいと思ってました。でも、すごく簡単に美味しくできて、大満足です!
意外と簡単に作れるものも多いからチャレンジしてみてほしいな!
今回ご協力いただいた管理栄養士の北西さんは、優しい癒しのオーラに包まれた素敵な方でした。上士幌の食材を使ったお正月レシピ、さらに親子で作れるものがいい! という私たちの難しい要望に快く応えてくださいました。北西さんのオリジナルレシピは、上士幌の美味しいが詰まったレシピになっています!
ぜひ親子で作って、幸せな年末年始をお過ごしください!
親子でお正月レシピ作ってみよう!【前編】〜栗きんとん〜
今年は旅行にも行けないし、年末年始もお出かけできない。でもせっかく子どもはお家にいるし。家ですることないし、退屈させてるかもなあ……なんてお思いの方、親子で楽しくお正月料理を作りませんか?
WRITER
西村 奈々子
大阪出身。父が上士幌に移住。大学卒業まで、父が愛した上士幌に来ている大学生。私もこの町を愛したい。好きな場所は、ふれあいプラザのサウナ。
CHEF
北西 莉乃さん
上士幌中学校の栄養教諭として勤務。給食センターも兼務し、食に関する指導と給食管理に従事。
本日は、子どもたちも食べやすい人気の「栗きんとん」と「伊達巻」のレシピを紹介! お子さんもお手伝いできる作業には【お子様と一緒に♪】と印をつけています。ぜひ楽しく、一緒に作ってみてください!
今回は上士幌産の食材を使ったオリジナルレシピの紹介です。
ミルク栗きんとん
材料
さつまいも 1本(300gくらい)
栗の甘露煮 10粒
クチナシの実 1個
砂糖 100g
みりん 30g
塩 少々
牛乳 60ml
1.サツマイモを切って茹でる
ポイント!
栗きんとんの色が綺麗になるように、サツマイモの黒いところ(芽など)は残さないように剥くとGOOD。10分程度水にさらしておきましょう!
まずサツマイモの端を切ってから、3cm幅に切っていきます。
切ったサツマイモを鍋で茹でていきます。
ポイント!
水は多めに入れてイモがひたひたになるようにしましょう! 沸騰するまでは強火で、沸騰したら弱火でコトコト。
2.くちなしの実
弱火でサツマイモをコトコトしている間に、くちなしの実を包丁の側面で少し潰して割って、サツマイモを茹でている鍋に入れます。
【お子様と一緒に♪】
くちなしの実の色がだんだんと出てくるから、お子さんと一緒に見てみましょう♪ 何色になるかな〜?
わあ! 色が変わってきた! すごい面白いですね。栗きんとんの黄色って栗じゃないんだ、騙されてた気分です(笑)。
竹串で刺して茹で具合をチェックします。
ポイント!
スーッと串が入るところまで、柔らかく茹でた方がこの後の裏ごしをするときに楽になります! 結構柔らかくなるまでやってもいいかも!
3.裏ごし
茹で汁を捨て、サツマイモを裏ごしをします(裏ごし器がない場合はざるやマッシャーで代用可)。
【お子様と一緒に♪】
お子様とかわりばんこで裏ごししてみましょう!
えー! 手が疲れてきました。根気のいる作業ですね(笑)。
ポイント!
この作業が一番の山場! 裏ごしは熱いうちの方がやりやすい! 裏ごしをした方が口当たりが良くなり、美味しい栗きんとんができ上がります。
4.仕上げ
こしたサツマイモを鍋に入れて①②③の調味料を加えます。
①砂糖100g
②みりん大さじ2杯
③塩少々(ひとつまみ)
そして、水大さじ2杯を入れて、弱火にかけて約10程度混ぜていきます。
ポイント!
鍋肌がふつふつなる程度で練りましょう。混ぜ続けることで、玉がなくなり段々と滑らかになっていきます。みりんの匂いが消えて、全体的にポテっとしてきて、鍋底に線を引いた時に形が残る硬さまで! 焦げないように!
栗きんとんのペーストって、全部サツマイモなんだ、、ここでもまた騙された気分です。栗じゃないじゃん(笑)。
火を止めてここで牛乳を100ml加え、また弱火にかけて5分程度混ぜていきます。
10分後!!
サツマイモペーストができ上がりました。
お皿に盛って、最後に栗の甘露煮を乗せたら、、、
完成!!!
ここにきてやっと栗の出番! 栗が乗った瞬間、栗きんとんらしくなりました(笑)。
美味しそうにできてよかった〜!
栗きんとんのでき上がり!
次回は伊達巻にチャレンジして実食します!
意外と難しくて楽しい!?フロアカーリング
10月某日、私たちは上士幌町民の方々が集まって開催している「フロアカーリング」というスポーツの大会に参加してきました。きっかけは町の広報誌に載っていた大会情報が気になったこと。そもそもフロアカーリングって何なんだ? カーリングは知っているのですが普通の体育館ではできないだろうしなぁ~などと考え、とりあえずやればわかるか! と勢いで応募。世の中勢いが大切です。
WRITER
渡邉 史也 (わたなべ ふみや)
JICA訓練生。1997年生まれ。茨城県出身。上士幌町のあらゆる人、場所、生業に広く目を向け、自分の琴線に触れるものをどんどん紹介していきたいです。
いきなりの大会参加
今回参加したのはただの練習会ではなく、景品も出る大会仕様のイベントでした。そんな中にルールもよくわからない若者が勢いで参加を申し込んでみましたが、いったいどうなってしまうのか…。
多少の不安とかなりの期待を抱えつつ当日の朝9時前に現地に集合し、まずは受付を済ませます。
その際に見つけてしまったのは、積み重なった賞品の数々。1位の賞品のサイズに魅了され、それにしか目がいきません。なおさら気合いが入ります。
今回の大会の参加者は合計で30人。2人1チームなので15チームです。3カ所に5チームづつで分かれてその中で総当たりのリーグ戦を行い、最終的に勝ち点が1番多かったチームが優勝となります。
とはいえ我々は素人なので、試合前にルールの確認と軽い練習をすることに。
まずはルール確認
最初に先行のチームが緑のストーンを投げ、その緑のストーンの近くに止まるように各々が持っている5個のストーンを投げ合います。先行は赤いストーンを、後攻は黄色いストーンを投げ、1セットごとに先攻後攻を入れ替えるシステムです。
両者すべてのストーンを投げ終えたときに、緑のストーンに相手よりも近かったほうがその数だけ得点を得られるシステムです。これを1セットとして1試合4セット行われます。これだけ説明すると簡単そうに聞こえますが、フロアカーリングのストーンは底にローラーが3つついていて、まっすぐに投げようとするとだんだん曲がってしまうのです。このコントロールが勝つための基本だそうです!
投げることこそがフロアカーリングの醍醐味。最初に回転をかけて投げるテクニックが必要とのことで、とりあえずやり方をレクチャーしてもらったところでいざ実践! 教えてくれたおじいちゃん、ありがとうございました!
というわけで始まりました第一試合
私たちは、後攻なので黄色いストーンを使います。先行のおじいちゃんたちは緑の後に赤を投げるのですが、いきなりピタっと横につけられてしまいます。。。とてつもなくいいショット。
そして僕たちは練習通りに投げていますが、全然思った方向に進んでいきません。対する相手チームは的確に緑のストーンに寄せていきます。
これがキャリアの違いというやつか、見ての通りボコボコです。
修正することもできずに点を取られ続けました。難しいぞこのフロアカーリング!!
次の試合は別のチーム同士の対決だったので、その合間を縫って練習します。その間も優しい方が先生になってくれて投げ方を丁寧に教えてくれました。
先生「もっと大回りになるように投げな」
私「こうですか?」
先生「もっと回転かけて!」
私「わかりました!」
先生「回転かけすぎ!」
私「えぇー」
こんなやりとりを繰り返します。言われたとおりに投げてみてもなかなかうまくいきません。絶妙な力加減が必要になるのですが、そのちょうどいいところを探すのが難しい…。
そうは言っても、何回か投げているとだんだん要領を掴んでいきます。いい感じに仕上がったところで試合に呼ばれました! よし勝つぞ!
そうして始まった第二・三試合
前回の試合よりはうまく投げられるようになっていますが、まだまだおじいちゃんたちには及びません。。。
やはり点を取られてしまいます。しかしここで諦めては優勝賞品にありつけない!
なんとかミラクルショットを放ち、点をもぎ取ります。こんなきれいな形になるもんなんですね~。そうして第二試合も終了。
負けは負けですがなんとか2点をとりました! うれしい!
そして最後の試合である第三試合が始まります。0点で負け、2点で負けたとあれば今度は勝ちたい。気合いだけは十二分。きれいに投げられるようになってきたので、もしかしたら? と淡い期待を胸に抱き試合開始!!
負けました。。。
強すぎる。。。
的確にストーンを目的の場所に投げる精度も段違いです。経験値の差はかなり大きかった。しかしまた点を取ることはかなったので良しとしておきます。
そうこうしている間に結果発表へ。ドキドキの瞬間です! 優勝することはできたのでしょうか…?
¥
結果は大敗!!
失点数ならナンバーワンといったところでしょうか!
出直してきます!!
こんな初心者が参加しても快く歓迎してくれて、丁寧に教えてくれながらも(手加減はありませんでしたが)戦ってくれて本当に楽しむことができました。皆さんも興味を持ってくださいましたらぜひ! フロアカーリングに挑戦してみてはいかがでしょうか!
温泉だけじゃない!ぬかびら源泉郷満喫ツアー!
北海道上士幌町の山奥にある温泉地、ぬかびら源泉郷。豊かな自然に囲まれたこの土地は、2019年で源泉発見から100周年を迎えました。四季折々によってさまざまな姿を見せてくれ、大自然を感じながらの温泉で多くの人を癒してきた上士幌町きっての観光名所です。しかし糠平の魅力は温泉だけではありません!今回は糠平に存在する魅力的な場所や施設を満喫するために、実際にプログラムを組んで一日を過ごしてみました!
WRITER
渡邉 史也 (わたなべ ふみや)
JICA訓練生。1997年生まれ。茨城県出身。上士幌町のあらゆる人、場所、生業に広く目を向け、自分の琴線に触れるものをどんどん紹介していきたいです。
まずは糠平と言えば有名なのがタウシュベツ川橋梁です。今回は、ひがし大雪自然ガイドセンターのガイドで朝の6時15分から始まる早朝ツアーに参加しました。ひがし大雪自然ガイドセンターに集合し、そこからマイクロバスでタウシュベツ川橋梁を目指します。その道中ではクマが出る可能性もあるそうですが、今回は何事もなく到着!時間はおよそ20分ほどでした。
ちなみに我々が参加した後日、実際にクマの鳴き声がしたとの報告が複数上がったため調べたところ、倒れかけた木が別の木と擦れて出た音が熊の唸り声と酷似していたためそのような報告が上がったそうです。調査した方いわく、「クマはもっと低い唸り声をあげる」とのこと。恐ろしい…
今回はシカが道を横切ってきたくらいで大きなトラブルはありませんでした。糠平でシカに遭遇するのは日常風景です。
車から降りた先を少し進むと、ついに見えてきましたタウシュベツ!
ガイドさんの話を聞きながら周りを散策します。タウシュベツ川橋梁は昭和 14 年に JR の前身である国鉄時代に士幌線の開通にあわせて作られた鉄道橋で、昭和 12 年に完成したコンクリート製のアーチ型の 橋梁です。長さ130メートル、11 連のアーチが湖面に映る優美な姿から“めがね橋”の愛称 で知られています。テレビではしばしば見る機会がありましたが、実際にその目で見てみると、雨や雪によって徐々に崩れている姿に歴史と力強さを感じます。
ところどころに落ちている石ころの中には、十勝石と呼ばれるこの辺特有の石があるそうです。大雪山東の火山活動によって生まれたガラス状の石で、北海道で黒曜石といえばこれなんだとか。そう聞くと子供心がよみがえりちょっとワクワク…
紅葉の地面に映えるタウシュベツを一時間ほど堪能したところで、タウシュベツツアーは終了です!
早朝の糠平はかなり寒かったので、ガイドセンターから歩いて3分程の近くの足湯で暖を取りつつ、次の目的地が開館するのを待ちます。
ここは2018年7月3日からオープンした足湯で、源泉かけ流しの湯を誰でも無料で楽しむことができます。ややぬるめの温度で入りやすく、かすかに硫黄のような匂いがしていつまでもまったりしていられる素敵なスポットとなっています!
30分ほど足の疲れをほぐした後に向かうのは、そこから10分ほど歩いた先にある上士幌町鉄道資料館です。
もともとタウシュベツ川橋梁というのは、旧国鉄士幌線が走っていたコンクリートアーチ橋なので、その歴史を学ぼうと思いやってきました!早速中へ入ってみると、鉄道が走っていた時の資料が壁一面にズラリ。当時の道具も飾ってあります。ここで発見した衝撃の事実。なんと北海道の地名の多くはアイヌ語が語源となっているそうです。
ここ糠平はアイヌ語「ノカ・ビラ」(形・崖)に由来しているそうです。ほかにも士幌町は「シュウウォロー」(広大な土地)から来たものであったり、帯広は「オペレケペレケプ」(川尻がいくつも裂けているところ)から来たものだったりと、ここに来なければ知らずに過ごしていたことでしょう。とても勉強になりました!
博物館横の踏切も紅葉がきれいです。
そうこうしている間にお昼の時間に。今回は鉄道資料館から歩いて15分ほどの「Bistroふうか」に伺いました!
テーブル席が3つとカウンター席が4つあり、非常に落ち着く雰囲気のお店となっています。そんな雰囲気とは裏腹に、メニューは行者ニンニクソースのハンバーグやカレーなど、がっつりと食べたい人向けのメニューとなっています。近くにスキー場があるからこそのメニューなのでしょうか?
ここのハンバーグは肉汁たっぷりボリューミーですごくおいしい!さらにそれをカレーにのっけるという、なんとも贅沢なメニューをいただきました。これはたまりません。
お腹も膨れたところで次の目的地へ。三分ほど歩けば、次はひがし大雪自然館です。
ここには糠平で見られる自然や生き物たちが飾ってあり、北海道では絶滅したエゾオオカミや、ヒグマ、エゾナキウサギなどの生態についてを知ることができるほか、タウシュベツツアーの際に見つけた十勝石の展示も行われています。
十勝石の中には光を当てることで別の色が浮かび上がってくる玲瓏という種類があるそうです。およそ1,000個に1個の確率で見つかるということなので、また今度玲瓏を探すプログラムも組んでみようと固く決心しました。非常にロマンのある話です。
そうこうしている間にだんだんと日が落ち始める時間です。今回は日帰りということなので温泉で締めくくりたいと思います。向かう先は自然館からBistroふうかへ戻るように5分程で到着する「糠平館観光ホテル」です。
こちらは宿泊だけでなく日帰り温泉も受け付けており、紅葉をガラス越しに眺めながら入る温泉は絶景です。
早朝から活動し続けて疲れた体をゆっくりと癒します。やはり旅の締めは温泉です!
こうして今回の糠平1日散策の旅は終了です。タウシュベツ川橋梁を見に行くことが主軸となったので、その歴史などを学ぶことに重きを置いた1日になりましたが、歴史や文化に興味がある方には満足してもらえるプランになったのではないでしょうか?
酪農家がラーメン屋をやる理由とは?夢中で作るラーメンは人を集める!!【後編】
私が矢戸さんとお会いする約束をするタイミングで「矢戸屋のラーメン食べたいです!」と言っていたのですが、すると「次、出せる場所が見つかったからラーメン作るよ! 食べにおいで!」と矢戸さんからご返事をいただき、念願叶って、取材直後に矢戸屋のラーメンを食べに行くことができました。後編では、矢戸さんから見た上士幌町について、人との繋がりについてなどのお話を伺いました。
矢戸屋のラーメンを食べに
矢戸さん、こんばんは〜!
あ、来てくれたんだね〜!
はい! 約束しましたもん!
メニューはここから選んでね。
え〜何食べよっかなあ。5種類もあると迷う…。
(笑)。
決まった! ゆず塩ラーメンでお願いします!
はい! わかりました〜!
注文が完了すると手際よく、ラーメンを作り始めてくれました。カッコいい。
矢戸さん今日もリーゼントキマってますね! あと、やとやんのTシャツも可愛い。
あっ。ありがとう。
いい匂いする〜! お腹すいてきました。
(黙々と作る矢戸さん)
(一人ですごい手際いいなあ)
はい、お待たせしてごめんなさい! ゆず塩ラーメンです!
いえいえ、待ってました〜!
美味しそうだ〜!! いただきます!
どうぞ〜。
美味しい!! ゆずのいい香りしますね! ゆず塩って女性人気ありそうですよね。ほら、ゆずってだけで罪悪感半減するもん。この白い(写真右上)のなんですか?
あ、それね、自家製で牛乳豆腐作ってるんだよ。一応酪農家やってるから(笑)。
え! すごい。なんかこれ、モッツァレラチーズと豆腐の間みたいでトロトロしてて美味しい。私好きですこれ。
意外と合うでしょ? ラーメンと。
はい! めっちゃいいですねこれ。新感覚だ。
上士幌だからできること
ラーメンを作るのは町民の方々の協力があって、できてるんだけども。アドバイスをくれる人もいるし。
野中さんっていう上士幌でラーメン屋さんを営んでいるご夫婦は俺が若いころから知っていて。ガソリンスタンドのお客さんで出会ったんだけど。この間、食べに行ったときに、お祭りで出店してるだって話をしたら、こんなのもあんなのもあるんだよってアドバイスくれたりするんだよね。
普通、自分で商売でやってたら教えないでしょう。うちはこうやってやってんだよって教えてくれるんだよね。
優しい。外から来た私が町を見た意見としてお話させてもらうと、「いいところがない、いいところがない」って町民の方々は口にするけれど、矢戸さんと野中さんの関係みたいに町民のコミュニティが強いことって、そこが何よりもいいところじゃんって思うんです。
そうかもしれない。
それが外から来た私の持つ印象なんですよね。やっぱり都会にいたら絶対ないです。5,000人規模の町だから、みんな顔とか名前とか知ってたり、何やってるかわかる。だからこそ、危ないこともないし、高齢者も周りが見てくれているから。そうやって何かをしようとしたら応援者はいっぱいすぐ見つかるし。っていうところが何より魅力じゃないんかなあっていうふうに思ったんです。
野中さんもそうだし、今、ガスをお世話になっている塚田さんってところもそうだし。そういう人たちのつながりって、元を辿ればガソリンスタンドにいた頃のお客さんばかりなのね。
すごい、素敵なご縁。昔から知り合ってて、この町でずーっと。そのときに町の中であの人も頑張ってるから応援したい気持ちが生まれたりするのかなって。
それはあるかもしれない。自分が高校生のときからみんな知ってる人たちだから。本当にそういうのは嬉しいし、ありがたいよね。同じようなことやってる人たちが迷惑とか意地悪したりじゃなくて、アドバイスをくれるのが本当に嬉しい。
それって簡単にできることじゃないし。きっと住民が倍の10,000人とかいたら難しいかもしれないですよね。
うん、そうだと思う。
この5,000人っていう規模だからこそ、叶っているものなのかな。
そうかもしれないね。あとは知り合いが知り合いを生んでいって。ラーメンやってるんだって? って声かけてくれたり。つながっていくよね。
そういった町民の絆、素敵ですね。
そうだね、アットホームな感じだよね。あんまり考えたことないけど、こうやって改めて話すると思うよね。やっぱりそうなんだなって。
この、町民のおかげでできているって矢戸さんが思っているのと、町民はラーメンを出してもらって喜びを提供してもらっているっていうのは、お互いさまですよね、絶対。なんかすごい助け合ってたり、温め合っているって印象はすごいあります。
うんうん、そうであれば俺はすごい嬉しいけどね。
そうじゃないんですか? 私、町民の皆さんにお話聞きに行っちゃいますよ(笑)!
便利な世の中だからこそ、ラーメンで人を寄せたい
これからの町のあり方やこれからの町民のあり方についてどうお考えですか?
うーん、便利になるほど、人が寄らなくなる。電話もないときっていうのは、集まらないと会議ができなかったよね。今はリモートだなんていって、みんな家にいてできちゃうでしょう。メールなんてできたら年賀状も書かない、手紙も書かない。だから、どんどん便利になるほど、人が人と会う必要がなくなってくる。それが俺は寂しいと思う。
便利なものはもちろん使いたいけれど。だからこそ、人を寄せたい。俺がラーメンをやっていることよりもっと簡単で便利なものがあるかもしれない。コンビニにカップラーメンが売っていたり。だけど俺が作るものとはそれは違うわけで。便利にできない部分を作りたい。そんな表現でいいのかな?
めちゃめちゃ素敵です。
だから俺もラーメンが楽しみではあるんだけども、それを楽しみにしてきてくれる人がいるんだと。
楽しみの中にそういう目的もあるんだよってことですね。ご飯って、一人で食べるのとみんなで食べるので全然違うじゃないですか。あと、温かいご飯を食べるのと冷たいご飯を食べるのと。そういう温度感がなくなっていくのって、すごい寂しいなって私は思うんです。
うん、そうだね。
でもここは意識してやらないと便利に飲まれますもんね、私たちは。
俺が作るものってそんな特別なものなわけじゃないのね。だけど、その雰囲気であったり、人と一緒に食べることであったり。それでみんな騙されてくれてるのかなっていう気がしてる(笑)。
これが家で出てきたら普通なのかもしれないけれど、飲んだ後の席であったり、みんながワイワイしてるお祭りの会場だったり、あと外で食べるからであったり。そういった相乗効果で、人の話だけどね、「矢戸のラーメンはうまい」って言ってくれるのは、そういうものにみんな騙されてくれているのかなって思ってる。
だから自分では特別うまいとか一押しってわけではないかな。まあお金をもらうんだからそれなりのものにはしなきゃならないっていうのはあるけど。あとは自分の好みに調整して出すってだけのこと。
あとはみんなが寄ってきて、それで生まれた空間。
そうそう。だからまた来てくれる、そんな気はしている。
特別美味しいものが食べたい人もいるんだろうけど、ただ笑って会話したい人って結構多いと思ってて。でもそういう人が行ける場所が便利になればなるほど減っていくから、それこそ喫茶店なんてどこで飲んでも似たようなコーヒーなところ多いじゃないですか。でもここがいい、この空間がいい。っていうのとかと同じようになってるんでしょうね。
うんうん。
すごい素敵だと思います。
夢中になっちゃったら最高
私には家業というものからのプレッシャーというものがないんですけど、北海道は酪農家さんが多いじゃないですか。農家とか酪農家の方たちも楽しいことを見つけられるのってめっちゃいいなって思って。淡々と毎日をこなすっていうより。
そうだね、俺はそれじゃちょっと満足できなくて、ラーメンという楽しいことを見つけたよね。
矢戸さんのお話を聞いてこんな働き方もあるんだっていうのが、この記事を通して町内へも町外へも広まればいいなと思ってます。それこそ、十勝にはそういう働き方をしている人が多いから、その時間の合間を縫ってなんだってできるんだよっていうことを。
そうだね、うちらは基本的には休みはないんだけど、ただ時間を自分で作れば何かできるんじゃないかな。
うんうん。私とかって若者だから、何でもできるから今からだからって言われるじゃないですか。でも、若者じゃなくても何でもできるんじゃない? って私は思っちゃうんです。
うんうん。それはそうかもしれない。
そのほうが人生楽しいんじゃない? って思う。
うん、やる気になればね。
きっと人間やる気になって、一人じゃ何にもできないかもしれないけれど、助けてほしいっていう勇気さえあれば何だってできるんじゃないかなって思うんです。
うん、そうだね。やってみたいって思うこと、きっかけが大事かな。
いくつになっても楽しいと思えることをやっていてほしいです。
それは思うね。例えば俺がやってることって60歳からでもスタートできる内容だと思うし。やりたいの積み重ねかな。そうすれば達成できると思う。
そこの原動力ってなったときにまた、人を寄せたい、人とつながりたいっていう原点に戻るんですね。
そう、だから何をやりたいかかな。ただなんか、大概のことはできるかなっていう。人よりもっていうのはできないかもしれないけど、人並みにっていうなら、いろいろできる気はしている。
本当、人ってやる気さえあれば、大概のことできちゃうのかもなって私も思います。
環境さえあればね。
そうそう、しがらみとかもいろいろあるんだろうけど。
でも、どんなに努力しても【夢中】には敵わないっていうのを思う。
カッコいいです!
いや、俺の作った言葉じゃないよ(笑)?
え、誰の言葉ですか!
わかんない、どこかで聞いたことがあるんだけど(笑)。だから【夢中】になっちゃったら最強なんだなって思う。
うん、本当に。
だからいつもそのことを考えていて、それについて知りたいし調べるし、やってみたいしやってみて、これはいいなあれはダメだなっていうのが出てくるし。
うん。じゃあ矢戸さんにとって今のラーメンがそんな感じなんですか?
今、【夢中】なんだと思う。
いやあ、いいですね。【夢中】になれることがある大人がいい。
いいよねえ。
私たちみたいな若者から、大人になりたくないみたいなセリフを聞くじゃないですか。それってすごく悲しい。でもこんな人が増えれば増えるほど大人になりたいじゃないですか。やれることも増えるし、友達だって増えるし。ポジティブにもっと考えられる気がします。
うんうん。
今日は本当に素敵なお話をありがとうございました。この記事で伝えたいことがたくさんお聞きできたので、大切に届けます。
いつも謙虚な矢戸さんの中には、子ども心を忘れないワクワクが詰まっていました。
「人と違うことをしていたいんだよね」と笑って語る矢戸さんは少年のようで、こちらまで楽しくなってしまいました。
「ラーメンが楽しくて仕方ない!」それが伝わって、その空間にいるみんなを笑顔にしちゃう。そんな矢戸ラーメン。
ラーメンを食べて、お腹も心もいっぱいになりました!
矢戸さん、ありがとうございました!
けん玉のつなぐ可能性、上士幌に溢れる可能性【後編】
前編では上士幌けん玉キッズクラブで指導者をしておられる二人から、ただの遊びとしてのけん玉ではない、人と人とをつなげるツールとしてのけん玉という考え方を伺いました。後編では、厚真町と紅白出場のつながりの話から始まり、お二人の想いについてさらに伺っていきます。
WRITER
西村 奈々子
大阪出身。父が上士幌に移住。大学卒業まで、父が愛した上士幌に来ている大学生。私もこの町を愛したい。好きな場所は、サンクロスのステンドグラスの下。
厚真町のつながりから紅白へ
これで結構あれだよね、実はこれ(紅白出場)も多分そこがきっかけにあるよね。
あーまあそうだね。
これもそもそもだけど、厚真の復興みたいな部分も含めて紅白に呼んでくれたところがあるから。で、北海道からも何人かって言って俺ら行った感じだったから。実はそこも俺ら関係はしてるの。
めちゃくちゃつながりますね。
そう本当に。
つながりすぎるよ。
なんか密度濃かったね。
あの1年間ねえ。
そうあの1年間、すげえギュッとなってた。社交性っていうのをなんか3年分くらい使った気がする。
だから、最後は紅白で締めようと思ったけど、選抜に落ちちゃって映れないで終わるっていう(笑)。
そうそうそう。交通費の無駄みたいな。なんのための4、5万やってなって(笑)。
そうね。志いただいた方には申し訳ない。
そう、本当に申し訳ない。最終的にけん玉を買って返したっていう。やったやったあれ、すっげえ濃かったもんあの1年。本当に自由にやってたなって。 いやでもね、この話は一生出てこないだろうね。
自分からしても微妙だしね。
うん、そうそうそう。なんか、酒飲んだときに楽しかったくらいだね、俺らの内輪でね。それくらいしか出てこないよね。
いやでも今の話は突き刺さりますね。
うーん、あんまりなんかこれ出されるの嫌だな。
うん、なんかさらっとでいい。
なんかあのお馬鹿な二人でいたい(笑)。
そうなんですね。いやーでもめちゃめちゃ書きたいです(笑)。
自然体がカッコいい
いやでも。なんだろうね、あの、今いくつくらいなのみんな?
22歳です。
それぐらいの子たちに突き刺さるって嬉しくない? これくらいの子たちじゃん。もっともっと盛り上げてくれっていうか。次に来てくれって代ってここじゃん。だからここに突き刺さるってちょっとなんか嬉しいなとは思うね。
そうだね。
うん。だったらいくらでもなんかするよ。ちょっとなんかいやらしい話(笑)。
いやらしい話(笑)。
嬉しいです(笑)!
いくらでもするよ、そこ刺さってくれるなら。
で、ちゃんとやってほしいね、共有のあとにね。
そうそうそう。別になんかこれをやれとか思わんし。でも、思ったことって大体合ってるから。直感の方があってんじゃん大体。
うんうん、本当にそう。
なんかセンター試験とかでもさ、選択肢であーここ違うかなって直した方が間違ってるでしょ。だから直感が働いたときって、それをもっと大切にできる20代の子であってほしいなあとは思うけどね。
なるほど、そうですね。
あ、けん玉だあ! って思ってくれたんなら、じゃあけん玉って何なんだろうって人から聞くのもあるんだけど、自分で追求してほしいと思ってる。何がこんなに楽しいんだろう。なんでこんなに面白い、みたいなのをもっと追求してくれてもいいかなと思うしさ。
そして、俺らがどうこうの話じゃなくて、克磨からもっと馬鹿な二人でいたいなあって言葉が出てくるのかっていうのも、もっと追求してほしいなあって思うしさ。
うん、確かに。
俺らが真面目なことやったら、なんか引くだろみんな。
は? ってなるだろうね(笑)。
でもなんか私はほんっとにその空気が嫌だっていうか。大人がカッコつけれる世の中がいいじゃないですか。
うん、カッコつけたいもんね。
さすがにね。
でも私たちって、周りに合わせろってされていく年代じゃないですか。
うん、同調圧力だからね。
でも、そこに飲まれてほしくないし、私自身絶対飲まれたくないし。
その気持ちが大事だと思う(笑)。
あれ? 反町隆史? ポイズン? 言いたいことも言えないこの世の中? そうだよ、ポイズンだよ。かなりね(笑)。
そういうことだよ。
でもかなり、この記事は自由にやらせてもらえると思うんで、そこで私たち若者が声をあげるっていうとこはやってみてもいいのかなあって思います。
いいんじゃない? なんか、好きに書いたらいいと思う。
捏造とかじゃない限りは全然好きに書いてくれたらいいと思うよ(笑)。
いやあ、楽しいです。書いてみたい。
いいと思う。カッコつけれる世の中を作ってくださいよ。
頑張って作りたいです。
お二人は最高にカッコいい大人でした。
お二人のように「カッコいいじゃん! 最高じゃん!」と真っ直ぐに認めてくれる人たちがいてくれれば、子どもも大人も楽しいことを、やりたいことを、躊躇うことなくカッコつけてできる世の中が連鎖していくのではないでしょうか。
上士幌だからこそ、自由にチャレンジできること。
小さい町だからこそ、カッコつけることを応援し合うことができること。この規模だからこそ、みんなのやりたいことを認め合い実現できること。
上士幌の溢れる可能性を感じさせてもらいました。
〜同級生と、あのころに戻る〜1994年生まれの3人・後編
同級生同士でざっくばらんに語り合い、当時へとタイムスリップしようという本企画。前編では、学生時代の印象深い出来事についての話に花を咲かせました。後編ではそれぞれの進路から、今の仕事に就いたきっかけへと話は進みます。当時は聞くことがなかった、それぞれの想いを改めて語り合います。
WRITER
竹中 勇輔(たけなか ゆうすけ)
1994年生まれ。上士幌町出身。理学療法士。ホロロジーライターというチャンスを生かして会いたい人に会いに行きます。上士幌に帰ってきてけん玉にハマっています。よく聞かれますが町長と親族関係ではありません。
登場人物
記念すべき第1回目に登場するのは1994年生まれの同級生3人。1994年というと「PlayStation」が発売された年。約10年前に上士幌中学校を卒業した3人は、どのころの、どんな話で盛り上がるんでしょうか。前編と後編の2本でお届けします。
出席番号元9番
竹中 勇輔(たけなか ゆうすけ)
ホロロジー広報チームメンバー、理学療法士。上士幌に帰ってきてけん玉にハマる。よく聞かれるが町長と親族関係ではありません。この記事を書きました。
出席番号元24番
伊藤 玲菜(いとう れいな)
上士幌町認定こども園の保育士。ステイホーム期間で断捨離にハマる。意識していることは、痩せたら着れそうな服は問答無用で捨てること。
出席番号元29番
成田 やよい(なりた やよい)
上士幌町認定こども園の保育士。新型コロナウイルスの影響でマスク作り、登山、バーベキューにハマる。健康づくりのための運動仲間を募集中。
みんな進路の話には気を使っていた
毎日勉強してた?
テスト前くらいかな。
えー、嘘でしょ? 頭良かったよね。
確かに、勉強できてたよね。
テストで良い点を取るためのモチベーションはあったよ。勉強できる人たちって塾に行ってたけど、その人たちに負けたくなかった。
そういえば塾にいなかったもんね。
運動部で、塾も行ってなくて、でもテストの順位は上だったイメージ。
そのイメージ強い。
でも負けたくないって気持ちはあまり表に出してなかったと思う。
うん、いつもしれっと上にいた。
そういうイメージだね。
2人とも塾行ってたよね。
行ってたけど全然やる気なかったよね。
行ってるだけ(笑)。
塾のメンバーでは、高校どこに行くか相談とかしてた?
そういう話はしてないね。
逆に友だちとそういう話した?
したような気もするし、しなかったような気もするし。
当時はみんなナイーブな話題だったのかな? でも受験が近くなると、志望校でクラス分けがあったよね。
柏三緑とその他みたいな。
その他って言い方(笑)。
その他は基本問題をやってるんだけど、柏三緑は応用問題をやってた。
そうなんだね。
実は塾行ってたのに高校のことってあまり考えてなかったな。
俺は行きたい高校だいたい決まってたな。
高校どこを受けようみたいな悩みはなかったな。
実習を乗り越えた先にあったやりがい
勇輔は中学校のときから理学療法士になろうって気持ちはあったの?
全くなかったよ。中学校のときは学校の先生になろうかなって思ってた。
そんなこと言ってた記憶がある。
たぶん身近で関わりのあった職業がそのくらいだったんだと思う。
そうだよね。中学校のときは職業のことを見据えて進路選びしてなかったな。
私は高校に入ってもそこまで考えてなかったけど、焦り出す時期が来るよね。
自分、どうするよってね(笑)。
今は2人とも保育士として働いてるけど、そこに進もうと思ったきっかけは? お互いに知ってる?
知らない。
知らないね。
こんな話しないだろうから、いいタイミングだね。
私の行ってた高校は、介護とか保育の専門学校に行く人が多かったんだよね。それで、子どもが好きだから保育士いいなと思って、オープンキャンパスに行って、こども園の職場体験も行ったんだよね。結局迷ったんだけど、保育士以外にやりたいと思える仕事が思い浮かばなかったから、保育の短大に進学した。
身近に保育士の人がいたりした?
いないね、親は介護系の仕事だったし。
同級生の子も保育士目指してたな。やっぱり上高の人は保育の学校に行く人が多かったっていう印象。でも短大で保育実習に行ったときは無理だなぁと思ったこともあったけど、せっかく頑張って勉強してきたからと踏みとどまって就職して、それからもう6年。
6年か、就職したときの年長さんは小学校卒業だね。その6年間で保育士の仕事に対する気持ちって変わってる?
変わってるね。ある実習のときは、もう保育士にならなくていいや、とまで思って、一般事務のような仕事を探したんだ。でも就職試験の前に最後の実習があって、そのときに乗り越えられて、保育士としての自信がついたんだよね。実際に働いたら実習よりも全然大変なことがあるけど、1年間同じクラスで子どもたちを見てて、毎日一緒にいるとその子たちの成長がすごく分かるの。そういうときにやりがいを感じるな。そう思ってたら6年経ってた。
同級生の仕事のやりがいを聞く機会なんてなかなかないけど、たまにこういうことを話すのもいいね。れいなのきっかけは?
私は親戚のお姉ちゃんが保育士で、私が小さいときから幼稚園で働いてたんだ。そのお姉ちゃんのことはすごい大好きだったから、保育士に対してずっと良いイメージがあったね。それで、わたしもお姉ちゃんのようになりたいなと思ってたけど、将来夢が保育士ですって明確なものではなかった。
でも中学校のときに保育所に職業体験に行く授業があったのもよく覚えてるし、高校の職業体験でも幼稚園を選んだ。で、進路を決めるときに、進学か就職かを選ぶわけだけど、わたしが行ってた高校は7~8割が就職だったの。就職するか進学するかみんなはだいたい決まってるのに、わたしはめちゃくちゃギリギリまで決められなかったの。
すごく真剣に考えてたんだね。
夏休みも先生のところ行ったりして。でも進学するなら保育士とは思ってて、それ以外は考えてなかったな。結局、高校を卒業してすぐにやりたい仕事はなくって、それなら保育士がやりたいのかなと思って、保育士の短大を選んだ。
やよいが話してくれたけど、れいなは実習での挫折ってあった?
あったよ。小さいときの優しい先生のイメージ、中高の職業体験で行ったかわいい子どものイメージが見事に崩て、かわいいと思う気持ちだけじゃやっていけないんだなって実感した。保育士という仕事の大変さを理解した。
今まではキラキラしてた部分しか見えてなかったってことだよね。
そうそう。私も実習は本当に大変で、私には厳しいなって思ったときもあったけど、実際働いてみたら、仕事の大変さよりも日々関わっていく中で感じるられる子どもたちの成長がすごい大きいから、働いてると毎日に新鮮さがあるなとは思うよね。
やりがいはすごいあるね。
今日はうまくいかなかった、とか悩むことはすごいあるけど、1年間同じ子どもたちと一緒に過ごして得るものはすごく大きいから続けられてるのかな。
子どもたちとの関係でうまくいかないこともいっぱいあって、泣けてくる日もあるけど、クラス替えでお別れになる3月は、そのクラスの1年間を思い返して、すごく成長したなって感じるときはやっぱりやりがいを感じるね。
いいね。
こども園の求人が2人を呼んでいた?
いろんな職場がある中で、上士幌のこども園を選んだ理由ってある?
たまたま実習先だったし、家から通えるっていうところかな。あとは、ちょうどいい時期に求人も出てたんだよね。
タイミングがすごく良い年だったよね。
れいなも上士幌のこども園が実習先だったの?
そうそう。でも私は地元に戻って働きたいっていう気持ちがそんなになくて、十勝に戻ってくるとしても帯広かなって感じだった。それから実習で上士幌に戻ってきて、上士幌は土地が広いし、札幌の保育園も行ったけど、環境によってできることは違うんだなと思ったし、自然と触れられるところは大きく違うなって思ったから、実習中に上士幌に戻ってこれたら良いなと思うようになった。あとはやよいちゃんも言ってたけど、就職活動が始まると同時に求人が出て、もし上士幌が駄目だったらまだ次の面接を受けられる時期だったのも良かった。
そうだね。もし求人が1月~2月みたいにちょっと遅めだったら、違うところに行ってたかもしれないよね。
そうしたら本当に求人が出された時期が良かったんだね。
れいなちゃんとは試験会場で会ったよね。
そうだったね。でもやよいちゃん受けることは知ってたから驚きはしなかった気がする。
知ってたのか。
夏休みに遊んだときに話したのかな?
なっちゃんとドラえもん見たときだよね!
あれ見て泣いたな。
わたしもめっちゃ泣いた。
同じ職業ってのもあったから、たまに会って情報交換はしてたね。
クラス替えがないって、意外と幸せなことかもしれない
働いてなかったら気づかなかったけど、こんな身近にいろんな自然があるのかと就職してからわかった。
上士幌だけにしか住んだことなかったときはわからなかったけど、少し離れたところで生活をして戻ってくると気づくことってたくさんあるよね。
たくさんあるね。
今帰ってきてどう?
このホロロジーの取材を通して、上士幌に住んでる人たちに会いに行って、話を聞くことが増えたんだけど、自分が知らなかっただけで面白い人たちがたくさんいるなと感じているところ。
今思えば、小学校も中学校もみんな同じクラスだったことは良かったかなと思う。
そっか、帯広みたいに人数が多いところはクラス替えがあるもんね。
わたしもそれはすごく良いと思う。
中学校であまり話した記憶のない勇輔とも今こうやって話ができてるは、クラスが1つしかなかったからだと思うんだよね。
それはあるある、幼なじみの距離感っていうのかな。
小中合わせると9年間一緒だったんだもんね。
だから、何年ぶりに再会したかわからないのに自然な感じで話せる。
考えてみれば、クラスメイトみんなと普通に話せるって貴重なことだね。
3人で北海道マーク(K3club 高橋さん考案)。こうして集まって写真が撮れたのもクラスが1つだったからなのかもしれない。
あなたも同級生と話しませんか?
僕は、この同級生企画が出てきたとき、面白そう! と思ったのと同時に、これを記事にして面白いと思ってくれる人はどのくらいいるんだろうか? という疑問もありました。
僕の中学校のクラスメイトは34人、それぞれの親を足しても100人ほど。そんな少ない人たちしか楽しめない内容を記事にしちゃって良いのだろうか!? そんな葛藤と向き合いながら、今もこうして書いています。これはいくら考えたって公開してみないと分からないこと。そんな疑問よりもこの企画をやってみて良かったことがありました。それは、月並みな言葉で恥ずかしいんですが、「中学校時代にタイムスリップできたこと」です。
記事のために誇張してるわけではなくて、僕は一瞬、中学校の教室で過ごした休み時間に戻ったんです。2人が作る雰囲気や話す声が、僕を中学校に戻してくれたんだと思います。すごく不思議で心地良い感覚でした。
対談企画〜同級生と、あのころに戻る〜は、社会人となり頻繁に会うことがなくなった同級生と、仕事のことや今ハマっていること、これまでの人生やこれからのことなど、少し踏み込んだことも改めて話ができる、対談をした人たちにとっていろんな意味でおいしい企画だと思います。今後この企画は、上士幌町出身の同級生だけでなく、このまちで育った同窓生たちが、年齢の垣根を越え話ができる場にしていけたらと構想しているところです。あなたもホロロジー取材をきっかけにして、同級生と話をしてみませんか? 少しでも気になった方がいましたら、ご連絡お待ちしています。
〜同級生と、あのころに戻る〜1994年生まれの3人・前編
「同級生」。この言葉を聞いて、あなたなら誰を思い浮かべますか? よく遊んでいた親友、部活の仲間、当時付き合っていた人、あまり話さなかったけど気になっていた人。その人と紐づいて当時の思い出が蘇ってくる人も少なくないと思います。この企画では、そんな同級生たちを青春時代へタイムトラベルさせるべく、記事として成り立たせようという野暮な事情は置いておき、ざっくばらんに昔のことを語り合ってもらいます!
WRITER
竹中 勇輔(たけなか ゆうすけ)
1994年生まれ。上士幌町出身。理学療法士。ホロロジーライターというチャンスを生かして会いたい人に会いに行きます。上士幌に帰ってきてけん玉にハマっています。よく聞かれますが町長と親族関係ではありません。
登場人物
記念すべき第1回目に登場するのは1994年生まれの同級生3人。1994年というと「PlayStation」が発売された年。約10年前に上士幌中学校を卒業した3人は、どのころの、どんな話で盛り上がるんでしょうか。前編と後編の2本でお届けします。
出席番号元9番
竹中 勇輔(たけなか ゆうすけ)
ホロロジー広報チームメンバー、理学療法士。上士幌に帰ってきてけん玉にハマる。よく聞かれるが町長と親族関係ではありません。この記事を書きました。
出席番号元24番
伊藤 玲菜(いとう れいな)
上士幌町認定こども園の保育士。ステイホーム期間で断捨離にハマる。意識していることは、痩せたら着れそうな服は問答無用で捨てること。
出席番号元29番
成田 やよい(なりた やよい)
上士幌町認定こども園の保育士。新型コロナウイルスの影響でマスク作り、登山、バーベキューにハマる。健康づくりのための運動仲間を募集中。
認定こども園で再会してた話
こうして話すのは久しぶりだけど、実は2人と去年再会してたよね。
うん。勇輔がこども園に働きに来てたけど、びっくりしたよね。
うん、びっくりした!
久しぶりで驚いたってよりは、何でこども園にいるの? っていう驚きだよね。
最初は気付かなくて。れいなちゃん、町長の話してるのかと思ってたよ。
どういうこと?
勇輔が副園長と園内を一緒に回ってるのを見かけて、やよいちゃんに「勇輔が、勇輔が!」って伝えて…。
勇輔とは言ってないよね(笑)。
あれ、なんて言ったんだっけ? 「竹中くんが」みたいな。でも竹中違いになっちゃってて。
こっちは竹中町長がこども園を視察に来るんだ、と思ったの。
私は勇輔と思ってるのに、やよいちゃんは町長だと思い込んででいて。あのとき、全然噛み合ってなかったね。
全然噛み合わなかった(笑)。それで、れいなちゃんが「今来てるから!」って言って、私の腕を引っぱるの。でも、私は町長を知ってるし、「わざわざ会いに行かなくてもいいよ」って言ったのに連れていかれて。
それでやよいちゃんが勇輔を見て、やっと食い違いに気付いたんだよね。
れいなちゃんが驚いてたことってそういうことかーってね。
あのときは、JICA海外協力隊の派遣前訓練が終わった後だから、11月ぐらいか。
冬だったよね。
そう、こども園の発表会の時期だった。
派遣先のパプアへ行く前に1カ月半ぐらい準備期間があって、まるまる準備に使うのは長いなと思って、何かできることないかなと探していたんだよね。それでわっかに用事があって行ったときに、門馬さんのお母さんに相談してみたら、こども園を紹介してくれて働くことになったんだ。
まさか職場で再会するとは思ってもいなかったよ。
思うわけないよね。
出国するまでひっそりしてよう、とも考えたんだけどできなかった(笑)。
お互いどんな印象だったか
まずはお互いに小中学校のとき、どんな印象だった? 小学校までさかのぼると、低学年のときにれいなとは口喧嘩した記憶がある(笑)。
それは覚えてないわ。
その記憶が強いから、小学校のときは活発だったイメージがあるな。
そうなんだね。
やよいは転校してきたけど、いつ上士幌に来たっけ?
小学校6年生のとき。
転校生っていうのもあって、やよいは掴みどころがない感じだったな。でも、ミステリアスっていう感じではなくて、感情の起伏があまりないっていうのかな。
そうやって言われるかもね。
確かに、怒ることがあまりないかもね。
ひょうひょうとしてる感じ。
勇輔は児童会とかやってたよね。
そういうイメージ。
やってたね。
前に出ていくタイプだったね。
でも得意ではなかったよ。中学校のときは先のことを考えてやってたかも。
進路とか?
そのとき本当に考えてたかは覚えてないけど、今思えばね。
めっちゃ考えてるじゃん(笑)。
体育祭の前に喧嘩!?
すごく記憶に残ってることがあって、体育祭のときに紅組のなかで女子対男子で喧嘩したこと覚えてる? 勇輔と圭二郎くん vs 女子みたいな。
全く記憶ないよ。
私もしらなーい。
やよいちゃんは紅組じゃなかったんじゃないかな? 私も何で喧嘩したのかは覚えてないんだけど、言い争った後、勇輔からメール来たんだよ。「仲直りしよう、ごめんね」って感じじゃなくて、対象の女子に一斉送信で「ごめんなさい」だけのメールが送られてきたの。
そんなことしてたんだ!
みんなで全然謝る気ないじゃん! ってなったの(笑)。
それ面白いね。
人間力がなさすぎる…。
それで私たちは、「怒ってても仕方ないし頑張ろっかぁ」って切り替えてた。
10年も経ってるけど、その節は本当にすいませんでした!!
そういえば、卒業アルバムのメッセージにも「体育祭で喧嘩したときはごめんね、そしてありがとう」みたいなことが書かれていたはず。
それも覚えていないぞ!?
書いてたよ。たぶん共通のエピソードがそれだけだったんじゃないかな?
やよいは竹中にイラだったエピソード、、ありますか?
ない気がする。
よかった(安堵)。
ちなみに、玲菜の卒業アルバムを探してもらいましたが見つからず。僕の謝罪コメントは幻となりました。
記憶にないけど学校行事でしでかしまくってた!
あ、思い出した! 修学旅行のときの話だけど、勇輔がみんなを待たせてご飯食べ続けてた。
そんなことあった?
うん。みんな食べ終わってたんだけど、勇輔がまだ食べ続けてるから、みんな戻れないみたいな。
覚えてないよー。
「いただきます」と「ごちそうさま」を一斉にする制度だったから、それでなかなか戻れなかったの!
それはただ食べるのが遅かったわけじゃなくて、食いしん坊でってこと?
おかわりしてたはずだよ。
それはウケる。
そんな食いしん坊キャラだったかな(笑)?
そういえば1年生のときの炊事遠足、勇輔と同じ班だった!
なんで覚えてるの?
ね(笑)。
料理の味付けが薄くて勇輔に指摘された。醤油入れたのれいなだろって。
一同:笑
細かい。。
空気を読めない嫌な中学生だったんだね、2人ともすいませんでした!!
でもさ、この記憶もこうやって話さなかったら思い出さないし、思い返したら笑えるって幸せなことだよね。
確かに。
フォローありがとう…(涙)。
気付いたら登下校仲間が、いない、、
そういえば、勇輔と中学校の通学路一緒だったよね。いつも私の前を歩いてたよ。
やよいが後ろ歩いてたのは覚えてないけど、通学路同じだったね。
一弘と行ってたもんね。
一弘と行ってたね、あと大塚と。
やよいちゃんは桃ちゃんと歩いてたよね。
そうそう、桃ちゃんと歩いてた。
7区方面の人たちが途中から、ぞろぞろ歩いてきてたの覚えてるな。
2区の人たちは、元6差路からきてたよね。そっちの地区の人たちは仲良かった印象ある。
小学校とか特にそうだった、家が近い人と遊ぶし。
登下校で思い出した! 中学校のときショックだったことがあったんだよ。
なになに?
大塚と一弘と一緒に登下校してたんだけど。いつの間にか1人ずつ減って、気付いたときには2人とも彼女と帰ってたの。
そうなんだ(笑)。
毎日一緒に登下校してたし、それがずっと続くと思ってたのに、2人はいつの間にか大人の階段を登ってて、なんか寂しかったなー。
あるよね、そういうこと。
あるある。
2人もそれぞれあった?
懐かしいね、、、、(濁す)
うん、、、懐かしい、、、(同じく濁す)
印象に残ってる先生は共通している
ちょっと話題を変えてみようか。今でも思い出に残ってる先生っている?
担任の先生が強く残ってるかな。
強いね。
直接関わってないけど、3年生のときの国語の先生が印象に残ってる。
うん、授業の始まりに読み聞かせしてくれて、楽しかったよね。
授業の最後は、何年前のその日1位だった曲を聞かせてくれて、その感想を書いたっけ。
誕生日近い人がいたら生まれた日の曲を聞かせるんだけど、君たちの学年はまだできないんだよねって言われたのが記憶にある。
3年間教えてもらっていたら国語力伸びただろうな。
授業も楽しかったし、面白い先生だったね。
1、2年生の英語の先生も印象に残ってるよ。
私も。
ふざけるときと真面目にやるときのスイッチがしっかりしてた。
忘れ物したら教室の窓から叫けばされたよね(笑)。
教科書とか宿題を忘れたときにしてたかも。
全然覚えてない、ちょっとした罰ってことだよね?
そうそう。でも、何て叫んでたっけ?
教科書忘れてごめんなさいー、みたいな感じ。
一同:笑
そのお返しではないけど、先生を雪の中に投げ飛ばしたりした記憶もある(笑)。
野球部の人たちやってたね。
そういうことに乗ってくれる先生は楽しかったよね。
ここまでの対談では、学生時代に思い出深かったあれこれについてを語り合いました。自分が忘れていたことでも他の誰かは覚えていて、話しているうちに記憶の引き出しが開く。そんな感覚を覚えつつ、同級生同士の対談は後編へ移ります。後編は、学生時代の進路の話から始まります。まだまだ同級生同士の思い出話は終わりませんので、ぜひお楽しみに!
家族がいるから、農家ができる〜上士幌でじゃがいも収穫体験〜
今回、訪問させていただく加藤農場さんは、町のお助け人・北上さんにつないでいただいたのがご縁のはじまり。町で何か体験できることを探しているとお伝えしたら「加藤農場さんへ行っておいで!」と、あれよあれよと、調整してくれました。加藤さんも「じゃがいも収穫をやってるからおいでよ!」と快く受け入れてくださり。こうしてつながる上士幌のご縁は、面白い。
WRITER
西村 奈々子
大阪出身。父が上士幌に移住。大学卒業まで、父が愛した上士幌に来ている大学生。私もこの町を愛したい。好きな場所は、交通公園の一番おっきな木の下。
私は大阪出身の都会っ子ですが、北海道の大自然に魅了され何度も足を運ぶうちに、長期滞在するようになりました。上士幌の町の人が温かく出迎えてくれるので、この町のことを知りたい、魅力を発信したいという想いが芽生えました。
気持ちのいい青空が広がる上士幌。この日は北上さんにご紹介してもらい、ご縁をいただいた加藤農場さんへ訪問しました。加藤農場さんはご家族で力を合わせて、農家をされています。季節は10月上旬。じゃがいもの収穫のお手伝いをさせてもらいました!
8:45 出発 雲ひとつない晴天
あたり一面に広がる農地、そこに真っ直ぐ伸びる一本道が大好き。車で走っていると気持ち良くて、思わず深呼吸してしまいます。
上士幌出身で私と同じくホロロジーの取材チームで活動しているあやかちゃんとじゃがいも堀りに向かう道中。
あやかちゃんは、じゃがいも掘りをするのは初めてですか?
何回かあるよ! 家族で知り合いの農家さんのところに収穫の手伝いにいったことがあってさ。
え? それって、大阪じゃありえないです。
そうだよね。上士幌の人にこの時期、じゃがいも掘ってくるって言っても驚かれないけどね。
軽いカルチャーショックを感じてます。
超実践型! じゃがいも掘り体験
おはようございます!! 今日はよろしくお願いします。
おはよう〜! とりあえず乗るか!
会って早々の一言に驚きながらも、大きな機械に乗り込みました。
その一言ですぐに収穫のお手伝いが始まりました。大きいトラクターを華麗にあやつる加藤照夫さん。ガタガタと揺られているだけでワクワクします。
畑を走るとすぐに目の前のベルトが動き出し、掘られたじゃがいもが次々と転がり込んできます。じゃがいもの仕分けをすることが私たちの仕事です。
皆さんの足を引っ張らないように! と気合い十分、気合いだけはいつでも満々! やり方もわからず、たどたどしている私をよそに作業は始まりました。
小さすぎるじゃがいも、傷のあるじゃがいも、傷んでるじゃがいもは弾く。といっても、「こうするんだよ!」といった説明はありません(笑)。目の前でお母さんがはじいているのを見ながら、わからないことは聞きながら作業する超実践型です!
こういうのはダメなんや。
なるほど、これはどう?
そうそう、弾いて。
これは? んーむずかしい(笑)。
コロコロと転がり込んでくる大量のじゃがいもをとにかく素早く仕分けていく。その姿はかっこいい。必死で食らいつくけど、私の2倍速で仕分けるお母さんには到底、敵いません。
間引かれたじゃがいもたちは横に投げます。この子たちは次年度の種芋になるそう。無駄にするんじゃなくて、またそこから新しい芽が出ると思うと素敵です。
畑には何列にも渡ってじゃがいもが植えてあります。その列ごとに種類の違うものが育っていて、なんとその種類は14種!
トラクターに揺られながらの作業は10月上旬にも関わらず、風が吹き少し肌寒い。けれど、とっても気持ちのいい空の下での作業は最高に気持ちがいいのです。
今日は風が冷たいね〜、寒い寒い。
ね、寒いですね。
あんたそんな格好じゃ寒いやろ。
中にダウンを着込んでます! あったかいですよ!
そりゃいい(笑)。
私も、北海道の寒さに舐めてかかると痛い目を見ることは知っています。ちゃんと作業服の下にダウンを着込んで行きました。温かくして行ってよかった〜(笑)。
ついつい外の景色にうっとりとしてしまうんですが、その間もベルトは止まることなく芋を引き上げるのでよそ見はしていられません。
大きなお芋が多くて、持ったときにギュッと中身が詰まっている感覚がありました。いっぱいに積み上げられたじゃがいもは種類ごとに袋詰めされます。
紐をかけるときはお父さんとお母さんがギュッと力を合わせて引っ張ります。
このじゃがいもを収穫できる機械のことを「ハーベスター」と呼びます。ハーベスターはいろいろな場所が上下左右、自在に動き、その柔軟さに感動しました。収穫、仕分け、袋詰めまで全部一つのハーベスターでできてしまうんですよ。本当にすごい機械です。
でも機械よりすごいと感じたのは照夫さんの操縦技術です。こんなにも大きい重機をUターンさせたり、狙った場所に傾けてじゃがいもを捌いていく姿はやっぱりかっこいい。
誰一人欠かせない農作業
お父さん、お母さん、息子の照夫さん。三人の誰一人も欠かすことのできない農作業でした。
じゃがいもの選別は運転していた照夫さんも加わり、家族みんなで行います。ベルトの上をじゃがいもは流れ続けてくるので、みんなで作業をしてようやくきちんと選別ができるそうです。
そして畑の端に到達したら、間引いた種芋用のじゃがいもをトラックに移します。そのトラックを運転してくるのはお父さん。芋を上手に積むためにトラックやトラクターの位置を調節する声かけをするのがお母さん。指示に合わせて照夫さんは、ハーベスターをコントロールします。
こうして、三人の見事な連携プレイがあってのじゃがいも収穫が進みます。
農家は、家族全員の力が合わさってできる仕事だと実感しました。
収穫を予測して、当たったときの喜び
体験後に時間をとっていただき、照夫さんにお話を伺いました。
貴重な体験をさせていただき、楽しかったです! ありがとうございました!
いえいえ、こちらこそありがとうね。ところで、高島暦って知ってる?
何ですかそれ、聞いたことないです! 聞きたい。
これ見たことない? 高島暦をみて、作付けや収穫の時期を決めたりするんだよね。これが2021年の高島暦。そしてこれが2009年。実は2021年と2009年がほとんど変わらないんだよね。
それってどういうことですか?
いやあ、わかんない。これが何年サイクルってわけじゃないのさ。
急にまた同じような年が来るってことですか?
そう、だから過去のデータを見て分析するんだ。
へえ〜面白い。
甲=木の兄(きのえ)、乙=木の弟(きのと)、丙=火の兄(ひのえ)、丁=火の弟(ひのと)、戊=土の兄(つちのえ)、己=土の弟(つちのと)、壬=水の兄(みずのえ)、癸=水の弟(みずのと)とかって書いてあるでしょ。
はい、難しい(笑)。
火の弟(ひのと)っていうのがお天道さんだから。
戊=土の兄(つちのえ)っていうのは?
戊=土の兄(つちのえ)っていうのは風。で、壬=水の兄(みずのえ)っていうのは雨。
ほお、すごい。
それには法則があって3火4木5水。この5回以上水があると、もう畑が浸水するっていう。
水っていうのは雨ですよね。それって月単位にですか?
ううん、1年にね。それで、これが5回会ったのが4年前2016年。4回木があると風の年。例えば木が多いと風があるの、これは台風にも関係あるの。
なるほど。そうして分析するんですね。ほかの農家さんも皆さんやるんですか?
いやー、やらないやらない。これは古い人たちがやっていたから、今はほとんど気象庁の発表を聞くくらいでやってると思う。
そうなんですね。
本当に、うちの親父の世代くらいの人までで今の60代の人とかは見てないよ。