「スマホの使い方を教えて欲しい」に応えました!
2020年12月に私たちJICA訓練生は「町内の方々の困りごとを、訓練生が人材センターの会員として自分たちの得意分野を活かして解決します」という企画を行いました。今回は、まちのお世話になった方々に向けて、何か困りごとがありませんかという依頼をしたところ、スマートフォンの操作が分からないというシニアの方が多数いらっしゃることがわかりました。そこで、そんな方たちのお役に立ちたいとスマホ講座を企画しました。その一部始終をお伝えします。
WRITER
田中 亮 (たなか りょう)
JICA訓練生。1982年生まれ。茨城県出身。自然が好きで、土や水の分析をしてきました。自然豊かな上士幌町に「個性」を感じています。もっともっとこの町の「個性」を発掘していきたいです。
身近に聞ける人たちがいない!
「わからなければすぐに家族に聞くことができるし、スマホ講座の需要なんてあるのだろうか?」
そんな心配も抱きながら、手探りの中からの始まりでした。しかし、講座の案内をしてみると、ぞくぞくと参加したいとの声が!参加者の声を聞いてみると「子どもたちには聞きにくい」「詳しい友だちに聞くのは気が引ける」とちょっと遠慮気味。第三者だからこそ聞きやすいということなのかもしれません。
メッセージアプリを使いたい!
参加者にはコロナ禍の中で会えないご家族とのコミュニケーションツールとして新たにスマートフォンを導入された方もいらっしゃいました。
また、メッセージアプリは入っているものの、使い方が分からないという方も多かったので、まずはメッセージアプリでコミュニケーションが取れるようになる講座を開催しました。
参加者の中に仲間同士で釣りに行っているという方がいたので、普段どのように連絡を取っているか聞くと、リーダーがメンバー一人ひとりに電話で連絡をしていたことがわかりました。
そこで講座では、グループを作ることで一斉に連絡ができることをお伝えしました。
操作自体は簡単なので、皆さんすぐに習得されて、メッセージやスタンプを送り合いながら楽しんでいました。これからは、釣り仲間への連絡もバッチリではないでしょうか!
また、気軽にテレビ電話ができることもメッセージアプリの特徴です。2020年の年末年始はコロナの影響もあり、遠方に住んでいるご家族が帰省できなかったという声も多く聞きました。
アプリを使うことで遠く離れたお子さんやお孫さんとも簡単にコミュケーションが取れることをお伝えすると、それは便利と喜んでいただくことができました。積極的に活用していただけると嬉しいですね。
2次元バーコードの読み取りにチャレンジ!
続いてお伝えしたのは、2次元バーコードを使った友だち追加の方法です。
すでにメッセージアプリを利用していても自分の2次元バーコードがあることを知らない方もいらっしゃったため、「これは簡単で便利ね」と、とても喜んでいただけました。
さらに通常の2次元バーコードの読み取りも行いました。バーコードの読み取り機能がついていないカメラでも、メッセージアプリを使えば簡単に読み取ることができます。
テレビや町の広報誌などで2次元バーコードを見つけても「これって何だろう?」と思っていた方も多かったのですが、ここで覚えていただけたことで「今度試してみたい」とおっしゃっていた方もいらっしゃいました。
終えてみて
今回、初めてスマホ講座を開催しましたが、皆さん多種多様な困りごとを抱えていることがわかりました。また私たちにとっては簡単な操作でも、受講者にとっては難しい作業はたくさんあることも実感しました。
しかし、講座を一緒に進めてみると、皆さん使い方をすぐにマスターしていったので、「スマホを使えるようになりたい」「アプリを使ってみたい」という意欲は高いということがわかりました。
ある受講者の方からは「帰り道に自然に笑みがこぼれて、人通りのないところでは大きな声で歌いながら家路につきました。ハッピーな時間をありがとうございました」というメッセージが届きました。このように思っていただける方もいて、本当に嬉しかったです。
このような講座がもっと盛んになり、町のあらゆる世代の人たちがスマートフォンを使いこなせるようになったら、もっと楽しめることがたくさん生まれてくると思います。また世代を超えて人々が交流し、みんなが笑顔になる時代がやって来たら嬉しいなと思いました。
母のチャレンジとそれを応援する息子が営む「やどかりカフェ」
2020年7月から「ハレタかみしほろ」では、月曜〜水曜日のランチタイムに「やどかりカフェ」が営業中です。カフェを運営する、普川奈緒子さん(63)が茨城県から上士幌町に移住してきたのは2004年。15年以上にわたる上士幌の生活で地域の人に支えられた恩返しをしようと考えていました。そこで生まれたアイデアが、何の経験もなかった飲食業。ハレタかみしほろで飲食店にチャレンジできることを知り、スペースを借りました。また還暦を超えた奈緒子さんの挑戦を応援しようと、飲食業の経験がある息子・元晴さん(37)が一肌脱いだのでした。(制作:ホロロジー編集部/取材:2020年10月)
介護がつなげた、まちとのつながり
――今日はお時間をいただきありがとうございます。2020年7月にオープンし、4カ月ほど経ちますが、お店はいかがですか。
奈緒子さん:お店をはじめて間もない頃は、体がしんどいときもありましたが、ハレタの人たちや周りの皆さんが励ましてくれたから頑張ってこられたかなと思います。実際にやってみて、健康でないと続けられないと分かりましたね。
――そうですよね、ずっと立ち仕事だと、肉体的にも精神的にも相当大変だと思います。上士幌町には移住されてこられたと伺っていますが、こちらの暮らしはどうですか。
奈緒子さん:夫が獣医をやっていて、転勤で全国を回っていました。熊本で13年間、茨城で14年間を過ごして、2004年に上士幌町に来ました。当時、神奈川県藤沢市に住んでいた母が認知症だったこともあって、上士幌に来てもらったんです。そうしたら地域の方たちが母のことを手伝ってくれて、まちや地域との関係というのかな、そういうつながりができたことが印象的です。
――家事をしながら介護と両立させるのはとても大変だったんじゃないですか。
奈緒子さん:周りの人たちの支えもあって、母は上士幌に来たときよりも調子が良くなって結局、藤沢に戻ったんですよ。
――すごい。上士幌町に来て元気になられたのですね。
母がはじめて口にした「やりたい」
奈緒子さん:それから、このまちに何か恩返しがしたいと考えはじめました。でも、結婚してからはほとんど専業主婦だったから何をすればいいのか自分でもわからなかった。それでも人生このままでいいのかという考えはあってね。そんなときにまちづくり会社がチャレンジカフェを募集していると聞き、相談に行ったことがこのカフェの始まりです。
――ご自宅で料理はされていたとはいえ、お店で提供するメニューはまた違うから大変だったんじゃないですか。
奈緒子さん:最初は1人でやるつもりだったんだけど、息子(元晴さん)にカフェで出すメニューを考えてもらうようになっているうちに、一緒にやることになったんです。
――親子仲がいいんですね。息子さんにとっても大きな決断だったでしょうね。
奈緒子さん:息子はイタリアンレストランやバーで働いていて飲食業のことは詳しかったから本当に助かりましたよ。
――元晴さん、お母さんのお話を聞いていかがですか。
元晴さん:なにせ母がはじめて「やりたい」って言ったことでしたからね。うん、それはもう。
――それはもう、応援するしかない、と?
元晴さん:そうですね。母を助けたい気持ちもありましたけど、自分にとっても東京から上士幌町に来てまちの人と関わるチャンスをもらったと思いました。行くしかないだろうと。
まちのためを考える
――上士幌町でカフェにチャレンジすることにハードルは感じましたか。
元晴さん:このまちにあるといいなという場所を作り、まちのためを考えたらうまくいくと思っていました。
――ガパオライスなど周囲のお店で出していない、こだわりのあるメニューもありますよね。
元晴さん:レパートリーは30種類ほどあるので、お客さまの反応を見ながら、継続的に楽しんでもらえる方法を考えていけたらと思っています。
――このチャレンジをはじめてから、新しい発見などはありましたか?
元晴さん:まず驚いたのは、来たお客さまはほとんど料理を残さずに帰ってもらえているということ。東京などで飲食店をいくつか経験したけれど、こんな経験ははじめて。本当に嬉しいことです。
――すごい!美味しいのはもちろん、提供されたものはしっかりといただくというのが上士幌町の皆さんには根付いているのかもしれませんね。
元晴さん:上士幌町の皆さんには本当に良くしてもらっていますが、そういう、人となりが滲み出ているなと感じています。
――「ハレタかみしほろ」の使い心地はどうですか?
奈緒子さん:ここがチャレンジカフェだったからはじめられたよね。そうじゃなかったら飲食店なんてできなかった。たくさん相談に乗ってもらえたし、ご飯だってここの職員さんが試食してくれたり、感想を伝えてくれたり、安心して営業ができる環境を整えてもらっています。感謝しかありません。
――チャレンジカフェを卒業したあとはどうしていきたいですか。
奈緒子さん:まずは息子がいなくても1人でできることを目指さないとね。どんなお店がいいのか分からないけど、まちに住む人たちの居場所を作りたいなと思っています。自分で盛り付けのイメージをノートにまとめてレシピを作っているし。やっぱり店は同じ味になるようにしなきゃいけないもんね。
――卒業をイメージしながら、今試行錯誤できるということですね。
奈緒子さん:そうですね。大変なことも多いけれど、楽しみにしてくれている人も出てきて、頑張りたいなと思っているところです。
――長時間いただき、ありがとうございました。新たな店の開業を楽しみにしています!
取材を終えてみると、2人の仲の良さがにじみ出る場面が随所にあり、2人3脚という表現がぴったり来る親子でした。地域の人たちにも段々と認知されている「やどかりカフェ」は、「しなやかに」地域で根を伸ばしていると感じました。
※まちづくり会社の「ハレタかみしほろ企画・運営」事業についてはこちらをご覧ください。
酪農を知ろう! 荒井牧場見学 〜機械化する酪農の形~
2020年11月から「MY MICHI プロジェクト」第2期に参加した私は、プログラムでサンクローバーさんを見学し、その模様をこのホロロジーに掲載しました。そしてプログラム終了後も上士幌町に残ることにしたのですが、せっかくこの町にいるのならば、酪農が盛んな上士幌町のもっといろんな酪農の形を見てみたいと思いました。
ということで、今回は、萩ヶ岡地区にある荒井牧場さんにお邪魔しました。驚いたのは、「牧場のお仕事ってここまで機械化されていたの?」ということでした。酪農の世界で働く皆様には、見慣れた機械かもしれませんが、酪農をまだまだ知らない私にとっては目新しいものばかり。皆さんも、機械化された酪農の形を一緒に見てみませんか?
▶︎酪農を知ろう!サンクローバー牧場見学【前編】〜1億5000万円!?「酪農界のメリーゴーランド」に迫る牧場探検〜
▶︎酪農を知ろう!サンクローバー牧場見学【後編】〜削蹄師の仕事を間近で見学〜
WRITER
苅谷 美紅 (かりや みく)
北海道千歳市出身。MY MICHI2期生を経て、取材メンバーとして活動しています。1ヶ月だけのつもりで来た上士幌生活に魅了され、気づけば5ヶ月目に突入。
荒井牧場の転換期
荒井牧場さんは、代表の荒井力也さんと奥様の登喜子さん、お二人で経営されています。現在の牛の頭数は搾乳牛120頭、育成牛110頭。畜産クラスター事業をきっかけに、平成28年に、牛舎内に牛を固定・つなぎ留めて飼養する「繋ぎ飼育」から、休息場とエサ場を自由に行き来できる「フリーストール牛舎」に方針を転換、「搾乳ロボット」をはじめ新たな機械を導入しました。聞くと今では、荒井牧場さんのように搾乳ロボットを導入したり、機械化が進んでいる牧場も少なくないのだそうです。
その『搾乳ロボット』がこちら。
牧場で活躍する機械① 『搾乳ロボット』
なんと24時間全自動で稼働し、1台につき1日60頭の搾乳ができます。荒井牧場さんにはこの搾乳ロボットが2台あり、1日に120頭の搾乳を自動で行っています。
自動搾乳の様子はこちら▼
牛たちは自ら搾乳ロボットに入ってきますが、これは美味しい餌で呼び込んでいるのです。この搾乳ロボット、3頭連続で問題が起きると、通知が来るシステム。外出中や夜間に通知が届くこともありますが、いち早く対応することができているそうです。
そしてその搾乳データは全て、このパソコンで管理されています。
搾乳されたミルクの量や搾乳に失敗した回数といった、搾乳に関する情報をはじめ、体重や発情予想などもこのパソコンで確認しています。肉体労働のイメージが強かった酪農のお仕事が、だんだんとデータで管理する仕事に変わって来ているのだと感じました。
搾乳ロボットを導入する前は、1頭1頭、乳房炎になっていないかの確認、乳首の洗浄や消毒、搾乳機の取り付けなど、手作業で行なっていたそうです。24時間自動で搾乳が行われることで、搾乳に張り付いている必要がなくなり、ご夫婦2人という少ない人数で牧場経営をするための大きな負担軽減に繋がっているのですね。
牧場で活躍する機械② 糞尿をかき集める『スクレーパー』
続いては、牛の糞尿をかき集める装置。
長い牛舎を頻繁に掃除するのにとても便利な『スクレーパー』です。通常スクレーパーというと、床にこびりついたガムなどを剥がすヘラの形をした工具を指します。牛舎で活躍するスクレーパーは、ロープに繋がれた矢印のような形をした鉄状の装置で、これが地面の糞尿をかき集めていきます。なんとなく、スクレーパーのイメージは湧きましたか?
では、実際に動いている様子をご覧ください▼
牛は1頭につき1日約60kg前後の糞尿をします。荒井牧場さんのように120頭の搾乳牛がいれば、1日に720kgの糞尿を処理する必要があります。集められた糞尿は、ピットという溝に落とされ、巨大な堆肥場に運ばれていきます。
牛の寝床と餌場の間には、数カ所水飲み場が設置されていますが、そこの糞掃除、寝床の糞掃除は雪の降る地方ではお馴染み、雪かきをするための道具『ラッセル』を使い手作業で行われていました。手作業で通路に落とした糞尿は、スクレーパーによって運ばれていきます。
牧場で活躍する機械③ 『餌寄せロボット』
こちらは『餌寄せロボット』。広がった牛の餌を、食べやすいように牛の顔の近くまで寄せてくれます。
その様子がこちら▼
まるで巨大なロボット掃除機のようです。この餌寄せロボットが設置されていない外の餌場では、雪かきの『ラッセル』を使い手作業で餌を寄せていました。
牧場で活躍する機械④ 『哺乳ロボット』
ところで、私と同じ時期に上士幌町に滞在していたJICA訓練生が行っていた、荒井牧場さんでの酪農チャレンジの記事はもうご覧になられましたか?
▶︎かみしほろ人材センターで酪農にチャレンジ!(前編)~餌やり編~
▶︎かみしほろ人材センターで酪農にチャレンジ!(後編)~ミルクやり・お産立ち合い編~
この記事では手作業でミルクを飲ませていましたが、手作業で飲ませるのは生後1週間程度まで。生後1週間を過ぎてから生後60日まではこちらの哺乳ロボットを用いて自動でミルクが与えられています。
1頭につき1日4回(1回500ml×4=2L)。まだ飲ませる必要がある仔牛がピットに入ってきた場合は、乳首がぴょこっと出てくる仕組みです。
機械の洗浄も自動で行われるため、荒井さんご夫婦が日常的に行っているのはミルクの補充だけなのだそう。哺乳ロボットはデータでの正確な哺乳管理ができ、1日に複数回に分けてミルクを与えることで子牛の消化効率を高めて下痢の発生を抑制するなど、仔牛にとってもいいことが多いのだそうです。
牧場で活躍する機械⑤ 『オートマチックトラクター』
最後にお見せするのは搾乳牛への餌やりの様子▼
車を走らせながら、餌を置いていました。長い牛舎でもこれなら短時間で餌をあげることができます。この車の全貌はこちら。
機械化で負担が減る酪農の仕事
「生き物を扱うため、1日も休むことができない」
「肉体労働で大変」
私を含め、酪農に対してそんなイメージを持っていた人も多いと思います。今は機械化が進んでいる牧場も増え、肉体的な負担はかなり軽減されているのだそうです。
荒井さんご夫婦も、初めは、機械化することに対して大きな不安があったと言います。機械がうまく作動せず、夜も眠れないのではないかと心配し、半年間は事務所に泊まり込む生活を覚悟もしていました。
しかし、当時大学生だった息子さんが休学をして導入のサポートをしてくれたこともあり、実際は一度も泊り込むこともなく、スムーズに機械化に移行できました。一方で、全てがデータ化されるため、些細なことに気づき過ぎてしまうこともあるそうですが、従来の飼育手法に比べたら格段に負担が軽減されていることから「もっと早く機械化すればよかった」と登喜子さんはおっしゃっていました。
そしてその息子さんが牧場を継ぐことも決まり、荒井牧場さんにとっては、機械化が牧場を良い方向に導いてくれたようです。「酪農のイメージが良くなったらいいな」そうおっしゃっていた登喜子さんですが、この町に来てから私は、間違いなく、酪農のイメージが変わりました。
1回目のサンクローバーさんに始まり、今回、見学させていただいた荒井牧場さん。上士幌にはさまざまな牧場の形があることを実感しました。私自身、まだ上士幌町に滞在しますので、これから先も、もっともっとさまざまな酪農の形を知れたらいいなと思います。
荒井牧場さん、ありがとうございました!
上士幌町ならではの体験!熱気球で空の旅!
2020年8月末から5カ月間、JICA訓練生として上士幌町に滞在していました。上士幌町ならではの体験をたくさんさせていただいたのですが、その中でも上士幌町といえば「熱気球」。「一度は乗ってみたい!」と思っていたところ、上士幌バルーンクラブさんのご協力のもと、熱気球搭乗を体験させていただきました。今回は天候も良く、最高のフライトでした!
WRITER
瀬谷 友啓
JICA訓練生。栃木県出身。自然溢れる北の大地で景色を楽しみ、人と話し、美味しいものを食べる。さまざまな機会に触れて、町の魅力を感じて自分の言葉で伝えることができたらいいなと思っています。
まずは熱気球について学びました
熱気球の歴史
今すぐにでも気球の上からみた景色を皆さんにご紹介したいのですが、この機会に熱気球の歴史を調べてみました。
熱気球の歴史は結構古いのです。1783年フランスで、研究家モンゴルフィエ兄弟によって発明されました。煙突から昇る煙の様子からヒントを得たと言われています。
たしかに煙は上に昇りますね。紙で補強した絹で大きな袋を作り、湿ったわらを燃やして温めた気体を集め、気球として飛ばしたことに始まるそうです。日本では1969年9月に北海道洞爺湖付近で、京都イカロス昇天グループが製作した球皮とゴンドラに、北海道大学探検部が製作したバーナーを搭載した「イカロス5号」が初めて空を飛んだそうです。日本の歴史は意外と最近なんですね。
上士幌町は、日本で初めて本格的な気球の大会を開催した町です。1974年に(昭和49年)に第1回上士幌熱気球フェスティバルが開催されました。上士幌町は日本の中でも、年間を通じて平均気温が低く、気球を飛ばすには絶好のコンディションが整っています。また、着地場所の障害物が少なく、収穫後の畑が使えることも上士幌町で熱気球が盛んに行われている理由の一つだそうです。
熱気球の仕組み
また、気球が空を飛ぶ仕組みも調べてみました。熱気球は球皮の中の空気をバーナーで熱することで、内側の空気が温まり膨張しはじめます。温かい空気は上へ、冷たい空気は下へ向かうという原理を生かして膨らませるのです。そして、球皮を温かい空気で膨らまして外に押し出した分だけ、周囲より空気の密度が低くなり、浮力が生まれます。温かいものは冷たいものより軽いという原理で気球は浮かび上がります。
熱気球が飛ぶ主な時間は1日の中でも風が穏やかな時間帯、日の出後や日の入り前の凪の時間です。
熱気球のパーツ
・球皮(きゅうひ・風船部分のことを指し、熱気を包み込んでいます)
ナイロン製が一般的で、バーナーを炊くと球皮内の温度は70~100度まで上昇します。球皮の頂点の温度が最も高くなるため、強度の強いナイロンを使用します。球皮を膨らませると高さ22m、幅16mほどになります(5階建てのマンションと同じくらいです)。
・バスケット
気球の人が乗るところで、燃料の設置場所です。軽さ、柔らかさ、強さが特徴的な籐製のものが主流です。
・シリンダー(燃料ボンベ)
熱気球のエネルギー。1機につき3〜4本を積み込みます。燃料はLPガスで、満タンに入れると20kgほどになります。なかなかの重さです。
・バーナー
燃料を燃やすための器具。バーナーを炊き、急上昇すると5分もしないうちに1000mまで上昇します。バーナーは必ず二つ搭載されていて、万が一、一つが停止しても飛行できるようになっているそうです。
離着陸地
熱気球はとても大きいため、飛ばす準備や着陸をして片付けるには、田んぼ一枚分ほどの障害物のない場所が必要になります。そのため熱気球が飛ぶ地域は必然的に、電線や集落、森林が少ない地域となります。上士幌町は、ほぼ500m四方に道路が整備されており、夏の小麦や牧草の刈り取り後の11月頃から5月頃までが作物への影響が少なくなるため、飛びやすい時期になるそうです。町の北西にある大雪山系の影響で、冬季は西風か北または北東風が多く、プランによってはロングフライトも楽しむことができるそうです。
いよいよフライト!
皆さん、お待たせしました。いよいよフライトの様子をお伝えします!今回は上士幌バルーンクラブの菅原博治さんに搭乗させていただきました!
同じく上士幌バルーンクラブのパイロットの青木知子さんです。
今回乗せていただいたのはこちら。上士幌バルーンクラブの熱気球「Dreamin’」号です!
立ち上げ
離陸地を決め、機材を降ろします。機材はバンなどの大きな車を使って運搬しています。
次に球皮を袋から出し、広げていきます。気球の頭の部分が最後に広がるように引っ張っていきます。
気球はバスケットも含めて高さが20m近くあるため、袋から出してその大きさに驚きました。
球皮を広げたら、大型の送風機を使って膨らませていきます。その風圧は、正面に人が立つと飛んで行ってしまいそうになるほどです。
入り口をかまぼこ型にして、空気を送り込んでいました。
球皮に十分に空気が入ったら、バーナーで中の空気を熱します。
「ボ~~!」と何度見ても驚く火力で、迫力満点です。一瞬で塊肉がローストビーフになりそうです。
加熱された空気は軽いため、気球の頭だけが持ち上がってしまわないようにロープ(クラウンロープといいます。気球を膨らませるときや着陸時などに気球が動くのをコントロールします)を引いて押さえます。ここで、ようやく想像していた気球の姿になりました。
気球が十分に膨張したら、ゆっくりロープを緩めて気球を立ち上げます。
準備完了! ここまで40分ぐらいでした。みんなで押さえていないと、すぐに飛んでしまいそうな状態でした。
いざ、熱気球搭乗!
炎の勢いを強め、空へと飛び立ちます。
離陸の瞬間は、飛行機のように地面からの距離が離れていくにつれて、「上に上がっているな」と実感するのかと思いきや、なんの感覚もなく、気が付くと一瞬で熱気球は上昇していました。
気球の操縦は、球皮の頂上部にある排気弁(パラシュート)の開閉と、バーナーの火力調整で行います。この操作で可能なのは上下動きのみで、横の動きは自然の風任せです。
自然の風を読み、知識と経験をもとに気球を操ります。パイロットの腕の見せ所ですね。搭乗しているとき、私は風向きなどほとんど分かりませんでした。
大地に映る、太陽に照らされた気球のシルエットの写真。
私はこの風景が一番好きです。見る人も笑顔にしてくれます。
気球に搭乗すると、目に映る空の景色が変化しました。何もない広大な土地が、熱気球1機でがらりと風景が変化するのです。私が子供の頃に夢見ていた「風船に乗って空高くまで飛んでみたい」そんな感覚が、夢から現実になる瞬間が熱気球にはあるのではないかと思いました。
バスケットに乗り込み、激しく燃えるバーナーを見てそんな想いを感じることができた空の旅でした。
今回、熱気球搭乗という貴重な経験をさせていただきました。大きな機体を準備する役割。熱気球を車で追跡し、時間や場所により変化する風の状況をパイロットへと伝えて、熱気球を目的地へと誘導する役割。何か一つでも欠けたらパイロットは飛ぶことができません。支えてくれる仲間との信頼関係があってはじめて飛ぶことができるのだと感じました。皆さん、貴重な体験をありがとうございました!
上士幌町では、夏と冬に「北海道バルーンフェスティバル(冬は「上士幌町ウィンターバルーンミーティング」)」が開催されます。全国各地からバルーンニストが集まり、各自の技量をバルーンに託し、空の上で競い合います。いつかこの大会を見るために上士幌町に来たいと思います!
西原農場さんで農作業体験!〜後編・ゴボウの出荷作業とぼっこ抜き〜
2020年10月、海外派遣前訓練で上士幌町に滞在している私たちJICA訓練生4人は、西原農場さんにゴボウ収穫のお手伝いに行ってきました。今回、私たちは4日間西原農場さんでお世話になり、ゴボウ収穫以外にも長芋のツル下ろし、ぼっこ抜きなどさまざまなお仕事を体験させていただきました。今回は後編。では早速、作業の様子をお伝えします!前編はこちら
WRITER
中山 舞子
1992年生まれ。千葉県在住。青年海外協力隊としてインドに派遣予定。海外派遣の目途がたたない現在、上士幌町に5ヶ月間滞在中。外からの目線で上士幌の魅力を掘り下げて行きます!
ゴボウの出荷作業
午後、私は特別に正行さんにゴボウの出荷場所である農協の選果場へ連れていってもらいました。ゴボウのコンテナを荷台一杯に搭載したトラックに乗り込み、出発。
到着!ここが農協の選果場です。
受付と計量を済ませたら、荷下ろしをしていきます。
農協の職員さんがものすごいスピードで次々とコンテナを降ろしていきます。
指定の場所にフォークリフトで運び、あっという間に出荷は完了。せっかくなのでゴボウの選果の様子も見させてもらいました。選果は倉庫の中で行っており、農協がかみしほろ人材センターなどを通して募集した町民の方々が作業を行っていました。
まずはゴボウの茎の部分を切り取り、ベルトコンベアに乗せていきます。
これがゴボウの茎です。次にゴボウを選別していきます。
ベルトコンベアに乗って流れてきたゴボウを大きさや長さによって階級分けしていきます。階級はかなり細かく分かれており、大きい順に、3L、2L、L、M、2M、S、2S、3S、4S、そして規格外品です。それぞれを袋に詰めて商品の完成!
さっきまで土に埋もれてぬくぬくしていたゴボウたちがこうして綺麗に袋詰めされ、今から世に送り出されていくのかと思うと、ちょっと感慨深い気持ちになりますね。
畑に戻ると、長芋畑のツル下ろしがかなり進んでいました!
ちょうど良いタイミングで、西原さんから15時の休憩に呼ばれました。
休憩スペースに到着すると、お鍋にたっぷりのお芋が用意されていました!
西原さんがみんなのために煮てきてくれたのです。このジャガイモは西原農場さんで取れるキタアカリ。
「みっちゃん(西原さん)が煮る芋、本当に美味しいからみんなたくさん食べなよ!」
「え!?!?!?!これがジャガイモ!?!??!?」
それが一番初めに口に入れたときの素直な感想。完全に今までのジャガイモの概念が覆されました。あまりの甘さにジャガイモとは思えません!
西原さんにどうやって煮たのか聞いてみると「お水と少しのお砂糖で柔らかくなるまでじっくり煮るだけだよ」と言います。この絶妙なお砂糖と火加減がジャガイモの旨みを最大限に引き出しています。
「適当だよ」と西原さんは話すけれど、その絶妙な加減が真似できないんですよね。
西原さんも、みんなにたくさん食べてもらえてとても嬉しそう!
お腹も満たされたところで最後のひと踏ん張り、作業に戻ります。
ぼっこ抜き
長芋畑の準備は、ツルが下ろせたら、あとは地面に刺さっているぼっこを抜くのみ。ぼっこは地面に深く刺さっており、ツルが巻きついていることも多く、簡単には抜けません。
正行さん曰く、腕の力をつかわず体をぼっこに近づけて屈伸運動で全身の力で持ち上げるのがコツなんだとか。言われたようにやってみると確かに体に負担がなくスポっと抜けます。それでも何本か抜くだけで私たちはヘトヘトです。ただ「全力で頑張ります!」とお約束した手前、泣き言は言えません。無心でどんどん抜いていきます。
大分慣れてきてなんだか楽しくなってきました!コツをつかんでくるとぼっこがスポっと抜ける瞬間がたまらない。
「農業は地味な仕事の積み重ねさ」そう正行さんは言います。
確かに野菜の収穫に至るまでどれだけの労力が必要か、想像するのも容易くはありません。でもその一つひとつ一の地味な作業の何か一つでも手を抜くとと美味しい野菜はできないのでしょう。
この広大な農地を背負う正行さんが言うからこそ、その言葉は真実であり、そして真髄なんだと思います。
帰り際にゴボウ畑に目をやると、なんとも神秘的な光景が広がっていました。
最後まで自然の力を感じる1日でした。
今回、この日を含めて4日間お世話になりましたが、収穫作業だけでなく他のさまざまな体験もさせていただき、驚きと学びばかりの非常に勉強になった4日間でした。もちろん慣れない作業に毎日体はバキバキ、1日が終わると体はヘトヘトでしたが、それ以上にこの最高なロケーションでいろんな経験をさせていただき、毎日が新鮮でとにかく楽しかったです。
4日間のお手伝いだけでは、私たちが知れたことなどごく一部に過ぎないとは思いますが、それでもいかにこの上士幌が恵まれた土地であるか、この畑の景色が特別なものであるか。そんなことが少しでも皆さんに伝わったら嬉しいです。
西原さん、4日間ありがとうございました!
西原農場さんで農作業体験!〜前編・ゴボウ収穫と長芋ツル下ろし体験〜
2020年10月、海外派遣前訓練で上士幌町に滞在している私たちJICA訓練生4人は、西原農場さんにゴボウ収穫のお手伝いに行ってきました。今回私たちは4日間西原農場さんでお世話になり、ゴボウ収穫以外にも長芋のツル下ろし、ぼっこ抜きなどさまざまなお仕事を体験させていただきました。普段は土に触れる生活をしていないのですが、ここは農作物の一大産地。ぜひ体験しお手伝いをしたい!そして魅力も伝えたい!西原農場さんでの体験をレポートしていきたいと思います。1日でも密度の濃い体験でしたので、まずは前編として、ゴボウ収穫と長芋のツル下ろし体験をレポートします!
WRITER
中山 舞子
1992年生まれ。千葉県在住。青年海外協力隊としてインドに派遣予定。海外派遣の目途がたたない現在、上士幌町に5ヶ月間滞在中。外からの目線で上士幌の魅力を掘り下げて行きます!
キッカケはかあちゃんばーちゃん野菜市
ことの発端は、かあちゃんばーちゃん野菜市でのこと。
10月に入ってすぐのころ、いつも通り買い物をしながら野菜市の皆さんとお話していました。
実は私たち、農家さんのお仕事に興味があるんですが、今の時期何かお手伝いできることはありませんか?
もう少しでゴボウの収穫時期を迎えるわよ。ゴボウは繊細だし、作業はキツいけれど大丈夫?
ゴボウの収穫が始まるんですね。全力でやりますので、もし私たちでもご迷惑でなければやらせていただきたいです!
本当?後で泣いても知らないよ(笑)。
そう言いながらもお世話を焼いてくれる石川さん。
西原さん、今年のゴボウ収穫は人手は足りてる?この子たちが手伝いたいんだと。
もし来てくれるならありがたいけど、本当にいいのかい?
ぜひお願いします!しっかり働きますので!
そうして話が進み、4日間お手伝いをさせていただけることになりました。農業はすべてが天気次第。いつ開始できるかは、当日にならないと分かりません。
収穫をする日の朝に電話するね!
そして迎えた作業日。この日のために、ヤッケ・ゴム手袋・長靴すべて揃えてきました。準備は万端!
ゴボウ収穫に初挑戦
西原農場さんは上士幌町の市街地を少し抜けた高台にある農家さんで、十勝の主要4品目(小麦、ジャガイモ、てん菜、豆類)をはじめとしたさまざまな作物を栽培されています。家族経営ですが、その農地の広さはおよそ60ヘクタール。なんとディズニーランドをすっぽり入れてもまだ余りが出るくらいの大きさです。
今回農作業体験をさせていただいた西原さんご家族。
まずはじめは、今回の主作業であるゴボウ収穫です。
ゴボウ畑に到着。天気は快晴です!このゴボウ畑だけで3.2ヘクタールあるそうです。
作業の前に畑の下見に来ていたのですが、そのときに見た畑からの眺めが気に入ってしまい、天気が良い日にはこの辺りまでジョギングをしに来ていました。ここで4日間も作業できるなんてそれだけで幸せです。
収穫作業のメンバーは大体7〜8人ほど。普段から西原さんの畑で働いているメンバーも多く、和気あいあいと作業が進められています。時折、畑の中から笑い声が響いてきます。
ゴボウ収穫は、まず機械でゴボウの葉を刈り、その後にゴボウを土ごとトラクターで掘り起こしていきます。掘り出された土の中から機械でゴボウはつまみ上げられ、格子状の台の上へと落とされていきます。
私たちの仕事はそのゴボウを台から素早く回収し、並走しているコンテナに入れていくことです。トラクターの後ろに並んで列を作り、一人ずつ順番に作業を進めていきます。
自分の番がやってきました。
かなりのスピードでゴボウが落ちてきます。手に取るタイミングが難しい!
少なすぎてもダメですが、もたもたしていてもゴボウが堆積し重くて運べません。
今だ!
お、重い!!!!!!!!!ゴボウの重量を大分侮っていました。
ベテランの皆さんがものすごい量を1回で運ぶ姿に驚きを隠せません!
ふらふらしながら何とかコンテナに運びます。
ゴボウが傷つかないよう注意しながら向きを揃えて入れていくのもなかなか大変。
「無理してたくさん持たなくてもいいよ」
ベテランの皆さんがそんな優しい言葉をかけてくれます。しかし何といったって私たちが最年少。人一倍動きます!
コンテナが一杯になるまでひたすらゴボウを集めては入れ、集めては入れを繰り返します。
そうするとすぐに左手がパンパンに。上士幌町に来て運動を怠っていたツケがここでくるとは・・・。
休憩時間には、西原さんが用意してくれたお茶やお菓子をいただきながらみんなで団らん。今回一緒に働いているメンバーは、派遣会社から来ている方や仕事の合間に来ている方、すでに定年退職をされた方、ご夫婦、ママさんなど、多種多様。
驚くのは、皆さんが始終明るく元気なこと!
作業を終えるころには皆さんともかなり仲良くなり、いつも「また明日も来てね!」と言ってもらえることがすごく嬉しかったのを思い出します。
西原さんご夫妻との会話
私は男性陣がゴボウ収穫をしている間、西原さんと一緒にゴボウを入れるコンテナの袋掛けの作業もしていました。
このゴボウを入れる籠に黒い大きなビニール袋をかけ、ゴムで止めていきます。
この日は風が強く、ビニールをかけるのも一苦労。収穫したゴボウを入れるコンテナが足りなくなっては大変!西原さんと急いで作業を進めます。
「いや~、今日はぼわれるね!」
そんな言葉を何度かかけられました。あとで分かったのですが、どうやら「次々に作業に追われる」という意味の方言のようです。
「クァークァー」
突然空から大きな鳴き声が聞こえてきました!
見上げると大きな白い鳥がものすごいスピードで飛んでいきます。
「もう冬かい。あれは渡り鳥の白鳥だよ。冬になると寒いところからやってくるんだ」
西原さんは渡り鳥の到来で冬の訪れを感じるようです。ここ上士幌では暮らしの中で自然を感じる場面が本当に多いことが実感できます。
それにしても北海道の冬は早い。まだ10月中旬ですが、もう間もなく冬がやってきます。
「昔はこの時期でも霜が降りてたんだよ」
ご主人の竹一さんがそう話していたのを思い出します。竹一さんは機械がなかった時代、水道が通ってなかった時代からずっとここの畑を耕してきました。
「上士幌町の好きなところはどこですか?」
竹一さんにそんな質問を投げかけてみました。
「作物にとって環境が良いところだな。ここの野菜はほかの町に比べて質が高いんだ。
牛屋さんが多いから、たい肥が豊富で良い作物が育つんだよ」
竹一さんにとって野菜づくりは生活そのもの。考えるのはいつも作物のことばかり。会話の至るところから野菜中心に生活が回っているのが伝わってきます。毎年美味しい野菜をつくれることが、竹一さんにとってこの上ない幸せなんだとか。
長芋収穫作業
さて、場面は変わり、次は長芋畑に移ります。
西原農場さんでは今人気の高い「十勝太郎」という品種を種芋用に栽培しています。長芋の収穫は10月末から11月の初旬。収穫に向けて私たちも畑の準備をしていきます。
が、まずその前に!
正行さんが長芋を掘らせてくれるとのことで、長芋堀り体験をしてみることに!
まずは周りの土をシャベルで掘り起こします。長芋の土はかなり硬めです。正行さんが穴を掘ってくれました。
長芋が少し顔を出しています。土にかなり根深く埋もれているので、すぐには取り出せません。周りの土をどけて・・・
よいしょ!!
写真では分かりづらいですが、掘り出したときに先が折れてしまいました。強い力で少しでも曲がった方向に引っ張るとすぐ折れてしまうそうです。長芋が”超繊細”野菜と言われる理由が分かりますね。
その後も何本か収穫し、何とか折らずに掘り出すことができました。
さて、仕事に戻ります!まずは長芋のツル下ろしの作業から。
長芋のツルは等間隔に埋められた3mほどの高さのポール(北海道の言葉では「ぼっこ」と言います!)に這うようにして伸びています。ツルを繋ぎ止めるためのロープを解き、ぼっこからツルを下ろしていくのが作業の流れ。
ロープを外します。
竹一さん曰く、ロープを外すときにゴミが出ないよう結び目の中央部分に切り込みを入れるのがポイントなのだとか。細かなところまで工夫が凝らされていて、長年やってきたからこその知識と知恵の量に驚かされます。
そしてツルをぼっこから取り外していきます。
ツルがぼっこに引っかかっているため、なかなか外れません。簡単なように見えますが、気力と労力をつかう作業です。
まだまだツルが残っていますが、12時になったところでお昼休憩です!
この永遠に続きそうな長芋畑の一本道、大空の下でいただきます。この日は金亀亭さんの豚丼弁当でした。農家仕事×絶景×美味しいご飯のトリプルコンボがとにかく最高です!
ツル下ろしの作業で汗ばんだ体も太陽の下でゆっくり乾いていきます。
作業はキツいこともありますが、これからも畑で食べるお昼ご飯を楽しみに毎日頑張れそう!
ということで、前編はここまで!後編も楽しみにしてください!
上士幌の素晴らしき廃線跡巡り 美しいアーチ橋見学&幻の鉄道・拓鉄を探る!【18年間だけ存在した幻の鉄道】
上士幌町の見どころの一つで旅行者を惹きつけているのが、今も残っている国鉄士幌線の廃線跡。特に、鉄道ファンにとっては日本の数ある廃線跡の中でもかなり有名な存在です。しかし、「タウシュベツ川橋梁は知っているけれど、ほかにはどんなものがあるの?」と思っている方も多いはず。前回は士幌線跡でしたが、後編は70年も前に廃線となり地元でもほとんど忘れ去られている、北海道拓殖鉄道(拓鉄)の廃線跡も訪問してきました! 最後までお付き合いいただけますと幸いです。
前編はこちらから
WRITER
伊藤 卓巳
三重県出身。MYMICHIプログラム2期生。青年海外協力隊としてウズベキスタンで観光業に携わっていましたが、コロナの影響で一時帰国。初上士幌どころか初北海道ですが、壮大な景色と美味しい食事に日々感動中。
幻の鉄道、北海道拓殖鉄道跡へ!
さて、舞台を上士幌の市街地に戻します。
今回の「MY MICHIプロジェクト」の一環で、上士幌小学校の校長先生にお話を伺ったときのこと。鉄道に造詣のお深い校長先生から、士幌線のお話はもちろんのこと、「北海道拓殖鉄道」という聞きなれないワードを耳にしました。
「え、なんだこの鉄道?」
調べてみると、走っていた区間は上士幌から新得まで。しかし上士幌を走っていたのは1931年(昭和6年)から1949年(昭和24年)のたった18年間だけとのこと。つまり70年も前に走っていた列車ということになります。
詳しくお話を伺うと、「そもそも人が住んでいるところを通すのではなく『とりあえず線路を通して沿線に人が住んでくれたら』という感じで線路を敷いた」「当初は士幌を通って足寄まで達する予定だったけれど、士幌で線路敷設に反対されたので上士幌へ線路を通すことになった」「途中のトンネルが変形してしまい危険な状態になったので路線を廃止してしまった」などと、興味深い話が盛りだくさん。そこで私は知れば知るほど気になる鉄道、勝手に「幻の鉄道」と命名したこの拓鉄こと北海道拓殖鉄道を調べていくことにしました。
上士幌町内にはほとんど痕跡がないようですが、お隣の士幌町には橋の跡が残っているとのこと。拓鉄に興味を持った時点で何となくこの廃線跡に呼ばれているような気がしたので、一人で探索してみることにしました。
とはいえ場所はいまいちよく分からず、ネットで検索してもほとんど情報が出てこないので、もはや探検の域になりそう。しかしにわか廃線跡ファンとはいえ意地があります。何はともあれ行ってみることに。
やはりスタートは上士幌駅跡があった交通公園。この南から不自然に曲がっているこの道路が、かつての拓鉄路線跡ということです。
が、いきなり畑の中に消えていきます。これは追っても仕方ありません。
ここから一気に士幌町内にある廃線跡を目指します。いざ士幌町へ! 音更川に架かる西上橋の近くに橋の跡があるらしいので探索開始!
…が、土手を行ったり来たりしてもそれらしきものは見つからず。なんせ情報がほとんどないので、当てずっぽうで探してみるしかないのです。
とりあえず橋を渡りきり、左手に少し行くと広大な空き地があったので、ここからアタックしてみることにします。空き地の奥は笹を掻き分けて進まなければならず、若干ジャングル状態。
と、目の前に唐突に現れたのはコンクリート建造物。人の背丈の3倍ぐらいあるでしょうか。ジャングル状態の中に人工物が出現する不思議な光景です。
それらしき文字などは全く書かれていませんが、間違いなく拓鉄音更川橋梁跡です。こんなに自然と一体化しているなんて…。
橋桁や橋脚は全くありませんが、何となく見当を付けて対岸へ戻ってみると反対側の橋台を発見しました。こちらは特に笹に阻まれることもなく、土手沿いの道からすんなり行けました。
さらにこの周りにはもう一つの橋梁跡、ウオップ橋梁があるとのこと。それもぜひ伝えたい! との思いから次の橋梁を目指します。
いくつか牧場の前を通ってウオップ川橋梁があるらしき場所にたどり着きましたが、やはり確かな場所が分からないので川沿いをうろうろ。やはり笹で覆われた茂みもありましたがそこではなさそうで、最終的に川と畑の間の細い道を抜けていくことに。
すると見えてきました、しかも橋台だけではなく橋脚もある!
廃線になって以降は川の流れが変わってしまったようで、橋脚は荒地の中に突っ立っていました。スリムで頼りなさそうなこの橋脚ですが、列車が走らなくなっても川の流れが変わっても70年間耐えてきたのです。
この先の畑の中には上士幌の次の駅の中音更駅跡があるらしいのですが、冬は陽が傾くのが早いため、ここから上士幌へ戻りました。
ということで、玄人向きな北海道拓殖鉄道廃線跡めぐりはいかがでしたでしょうか?国鉄士幌線だけではなく、70年前に廃止された知られざる鉄道の痕跡もしっかり残っているなんて、ロマンを感じませんか? 貴重な遺産として、これからもずっと残っていてほしいものです。ありがとうございました!
「MY MICHI プロジェクト」~先人から学ぶ「十勝しんむら牧場」~
北海道・十勝の上士幌町で1カ月間の共同生活をしながら「遊ぶ」「学ぶ」「働く」を通じて、さまざまなモノゴトを体感する「MY MICHI プロジェクト」。
第0期モニター生として参加したJICA訓練生たちは、十勝しんむら牧場を訪れ、牧場主である新村浩隆さんの話を聞きます。
元ラガーマンの新村さんは「酪農をカッコよくしたい」という信念のもと、海外で学んだノウハウを生かし、北海道でもわずか7%といわれる放牧酪農をここ上士幌で実現しました。
「本質がわかっていないと、全く違う方向に行ってしまう」という新村さんは、土壌もイチから見直し、愚直なまでの努力によって現在の牧場をつくり上げました。
「MY MICHI プロジェクト」では、このように上士幌町で生きる先人たちから、生き方を学ぶプログラムがあります。
ハリボテの偽物ではない、“本物”を追求し続ける新村さんの姿に、彼らは何を思ったのか。この動画からそれを感じてください。
※「MY MICHI プロジェクト」の概要についてはこちらをご覧ください。
※「MY MICHI プロジェクト」企画担当者のインタビューはこちらをご覧ください。
※「MY MICHI プロジェクト」の参加募集については、下記のURLや各SNSで情報を公開しています!
【MY MICHI プロジェクト】
URL:http://kamishihoro-town.com/mymichi/
Twitter:https://twitter.com/MKamishihoro
Facebook:https://www.facebook.com/mymichikamishihoro
Instagram:https://www.instagram.com/mymichi_kamishihoro/
糠平にゆるキャラ!?ヌカビーを追い求めて、誕生秘話に迫る
そもそもの始まりは、ぬかびら源泉郷のホテルのパンフレットや上士幌町観光協会のウェブサイトに載っていたフクロウのキャラクターを見つけたことです。「上士幌町のゆるキャラなのかな?」と思い、インターネットで調べてみても「バルーンくん」「ほろんちゃん」は出てくるものの、フクロウについては、何の情報もありません。「気になる!町に滞在している間に知りたい!」そう思った私は、あのフクロウのマスコットキャラクターの謎を調べてみることにしました。
WRITER
田中 亮 (たなか りょう)
JICA訓練生。1982年生まれ。茨城県出身。自然が好きで、土や水の分析をしてきました。自然豊かな上士幌町に「個性」を感じています。もっともっとこの町の「個性」を発掘していきたいです。
ひがし大雪自然館にて調査開始
まずは、ひがし大雪自然館に足を運んでみました。ひがし大雪自然館ではフクロウなど多くの動物の剥製が保管されています。フクロウの情報をたくさん持っているのではないかという仮説のもと、学芸員の乙幡(おっぱた)さんにお話しを伺いました。
田中:上士幌町観光協会のウェブサイトで、フクロウのイラストを見かけたんですけど、何のキャラクターかご存知ですか?
乙幡さん:もしかしたら「ヌカビー」のことかもしれませんね。キンメフクロウをモデルにした糠平のマスコットなんです。キンメフクロウは、繁殖が確認できたのは糠平が初めてで、剥製はひがし大雪自然館と岐阜県博物館にあるだけ。国内産の剥製は、ひがし大雪自然館だけにしか保管されてないんです。
田中:ヌカビーっていうんですか!?しかも貴重なキンメフクロウがモチーフと!
「ヌカビー」初めて聞いた名前でした、なんとも可愛らしい名前。そして、資料館らしくモチーフとなったフクロウのことや属性まで説明してくれたうえに、ひがし大雪自然館で貴重な展示が見れることも教えてくださるなんて。さすが乙幡さん!
乙幡さんが登場する記事はこちら
さっそく貴重な情報を手に入れたと思い、インターネットで調べてみることに。
しかし…。
「ヌカビー」と検索しても、情報が出てくることはありませんでした…。そう簡単には行きません。
上士幌小学校で大きな収穫!
次は、2020年3月の閉校まで糠平小学校の校長先生を務められていた上士幌小学校の目黒校長先生にヌカビーについて聞いてみました。糠平のことについて詳しいはず!
目黒校長先生に町の歴史をお聞きした記事はこちら
田中:糠平に「ヌカビー」というマスコットキャラクターがいるらしいんですけど、何かご存じですか?
目黒校長先生:もちろん知っていますよ!糠平の婦人部の方々が作った糠平のキャラクターで、キンメフクロウをモデルにしたマスコットです。その昔、十勝工芸社さんが十勝石に彫ったヌカビーが糠平小学校にも置いてあったくらい身近な存在でした。実はヌカビーの原案を持っているので、差し上げますよ!
田中:いろいろご存知なのですね!ありがとうございます!!!
誕生秘話に迫れそうな話に原版のデータまでいただけるなんて。とってもテンションが上がってしまいました。
これはもう少し調べていけばさらなる真相にたどり着けるのでは!そう思った私は、このヌカビーについてもっと掘り下げてみることにしました。
図書館で当時の新聞記事を発見!
インターネットで「ヌカビー」ともう一度検索してみると、ぬかびら源泉郷開湯100周年記念サイト (nukabira100.com)の「100年史」というページが検索結果に表示されました。中身を読んでいくと2000年に「 マスコットキャラクター「ヌカビー」誕生 」とあります!
これはヌカビー誕生のヒントになる情報!!さらに調査を進めるべく、すぐに図書館に出向き、上士幌町に関する記事の切り抜きをピックアップすることにしました。
田中:糠平のマスコットキャラクターのヌカビーについて調べてるんですけど、1999年と2000年の上士幌町の新聞記事を閲覧させていただけますか?
司書さん:書庫にあるので、今持ってきますね。少々お待ちください。
(待つこと数分。記事と共に一冊の本を司書さんが持ってきました)
司書さん:この糠平温泉100年記念誌の中に、一行だけですが「ヌカビー」が載っていますね。
これは、100周年記念サイトの冊子バージョン。この情報がウェブサイトにアップされていたようです。しかも、司書さんまでヌカビー調査に協力してくださるなんて。上士幌町の皆さんの優しさに熱いものが込み上げてきてしまいました。ありがとうございます。
そんな皆さんの想いにも応えるたいと、使命感が湧き上がってきます。
1999年1月から順番に上士幌の新聞記事を見ていくと、2000年8月27日、9月26日にヌカビーに関する記事が見つかりました。
記事によると、
「2000年8月、糠平温泉婦人部すずらん会が、内部でプロジェクトチーム「ふくろう」(リーダー・中村里美子さん)を立ち上げ、糠平温泉活性化の取り組みの一環としてマスコットキャラクターを作製し、名前を公募したところ、十勝管内から232通の応募があり、その中から、「ヌカビー」の名前が採用された」ことがわかりました。(2000年9月)
改めてこれらの記事を見ていると、乙幡さんが教えてくれたように「このマスコットのキャラクターのもとになったキンメフクロウは、国内では大雪山系で繁殖が確認されているものの、その数は非常に少ない幻の鳥といわれている」ことが確認でき「キンメフクロウが住めるような自然に囲まれた糠平に」との願いが込められたキャラクターだということもわかりました。
なんとなんと、ヌカビー誕生までのストーリーまでもがわかりました。感無量です。ということで、再び誕生の舞台となった糠平を訪れることにしました。
糠平温泉ホテルで巡り会ったもの
糠平温泉ホテルのタオルにヌカビーのイラストが使われているという噂を聞きつけ、さっそく話を伺うことに!
田中:ヌカビーのことを調べていまして、糠平温泉ホテルさんのタオルにヌカビーが描いてあると聞いたんですが。
糠平温泉ホテル:そうですね。ヌカビーが誕生したときから20年、タオルに載せています。でも実はこのタオルを刷新するので、このヌカビーも最後になるんですよ。
田中:ええええええ!?最後ですか!?
それは悲しい。でもこの調査でタオルに巡り会えてそんな話が聞けるなんて、もしかしたらヌカビーに導かれていたのかもしれません。
そして、最後の思い出にと貴重なヌカビータオルを見せてもらうことに。思ったよりもカラフルなヌカビーが。
足湯に浸かったお客様向けに使っていたものだったらしいのですが、せっかくだからとヌカビータオルを譲っていただきました。ありがとうございます!
中村屋で素敵なストーリーを聞く
そして糠平でもう1件、中村屋さんを尋ねてみることに。
中村さんには以前に私がインタビューをさせてもらったことも。記事はこちら
田中:すみません、ヌカビーのこと調べていまして、何か知っていることはありませんか?
中村さん:ヌカビーですか。面白いものを調べていますね。その当時、温泉旅館を盛り上げるというので、前身の富士見観光ホテルにテレビ番組の取材が入ったんですよね。その番組の中で糠平にマスコットキャラクターを作りませんかという話になって、ヌカビーが生まれたんですよ。
田中:えっ。これは新情報!テレビ番組がきっかけだったんですか!?
後ほど、テレビ局に電話してみましたが、当時の番組は古すぎて情報がないとの返答をもらいました。誰か知っている人がいれば教えてください。
中村さん:ちなみに、宿で使っているお風呂バッグは、ヌカビーの気球から作られているんですよ。
田中:まさかのヌカビーの遺産!以前、気球の球皮から作られているとは聞いていましたが、ヌカビーの気球だったのですね。
ちなみに、糠平では2013年まで早朝に気球搭乗体験を実施していて、ヌカビーの気球を使用していたそうです。気球の布は安全のため、3年に1度は新調する必要があり、ここ中村屋では、使わなくなった球皮をお風呂バッグにリメイクしていたのです。そのストーリーも素敵です。
中村さん:実は、一部の部屋のお風呂バッグには、ヌカビーのイラストの部分も使用しているんですよ。
田中:本当ですか!ぜひ、見せてください!!
あのヌカビーが役目を終え、新たな人生を歩んでいたなんて。今回はその特別なバッグを見させていただけることになりました。
ほかのお風呂バッグは赤一色なのに対して、こちらには、黄色のポケットが。もしかして、この黄色い部分はヌカビーのクチバシでしょうか。
こっちの黒はヌカビーの目の部分でしょうか。想像していると、巨大なヌカビーが浮かび上がってきて楽しくなりますよね。心弾ませながら中村屋を後にしました。
森のふくろうで「あの人」に出会う!
さらに糠平の市街を歩いていたら、「…あれ?もしかしてあれは…ヌカビー?」と、なんとヌカビーのイラストが描かれた建物を発見!その場所は「ペンション森のふくろう」です。これはきっと何か話が聞けるに違いない!と、行ってみることにしました。
入口に入るととすぐにフクロウなどの置物が私たち出迎えてくれています。ますます期待が膨らみます。
そして、さりげなくキッチンを覗き、食品衛生責任者の名前を見てみると、
えっ!?中村里美子さん?
もしかして、図書館で調べた新聞記事に「プロジェクトリーダー」として名前が記載されていた中村里美子さんではないでしょうか??
さっそく聞いてみることに。
記事のコピーとともに「この中村さんですか?」と尋ねると、
「あら!この記事は私だね。ヌカビー!なつかしいわね」
やはり、プロジェクトリーダーの中村里美子さんで間違いありませんでした。まさか、こんなところで会えるなんて!しかも当時リーダーをしていた方が目の前にいるなんて、いきなり緊張してしまいました。質問考えていない!!
落ち着いて、ヌカビー誕生当時の様子を聞いてみると
「ヌカビーの図柄はみんなで考えたんですよ。かわいいでしょ。このペンションを立ち上げたときにヌカビーを建物に入れたらどうかという話がでて、玄関の上にヌカビーを入れたんですよ。夜になると光ってかわいいですよ」
確かに、玄関に何個かあるライトにはヌカビーが描かれています。そしてライトアップされていました。
かわいい…。その一言につきました。
ロビーにいくと、
これは、まさか…。
ヌカビー!!
かわいすぎる…。あの凛々しい眉毛?も再現されています。
田中:このヌカビーはどうしたんですか?
中村さん:関東から来たお客さんで、図柄を見せたらリオのサンババージョンを作ってくれたの。かわいいでしょ。すぐ売れちゃうんですよ。
田中:手づくりですか!?しかもリオとのコラボ。レアすぎる!!ほしい!
さっそく購入してしまいました。もう僕にはヌカビー愛が溢れているのです。
田中:そういえば、このペンションの名前は、なぜ森のふくろうなんですか。
中村さん:世界の至るところでフクロウは神様だといわれていて、そんなにたくさんの人を見守る「守り神」ならということで、糠平にもフクロウがいるし、森のふくろうという名前にしたんですよ。
田中:そんな素敵な意味が込められていたんですね。ヌカビーも守り神として糠平を見守ってくれていますね。
最後は、中村里美子さんとヌカビーと一緒に記念撮影。これからもヌカビーを盛り上げることを約束しました!
ということでヌカビー調査は以上に。最初はどうなるかと思ったこのヌカビー取材も、想像以上にたくさんの方のお話を伺うことになり、そしてたくさんの秘話をご紹介できることになりました。皆さん楽しんでいただけましたでしょうか?
インターネット検索に慣れてしまっていた私ですが、聞き取り調査で得られたのは糠平に思いを馳せる人たちの生の声でした。今回の取材を機に、2020年に成人を迎えたヌカビーの歴史を後世にも残していきたいと思います!
「MY MICHI プロジェクト」~大自然を感じる~
北海道・十勝の上士幌町で1カ月間の共同生活をしながら「遊ぶ」「学ぶ」「働く」を通じて、さまざまなモノゴトを体感する「MY MICHI プロジェクト」。
2020年8月下旬からJICA海外協力隊の訓練生4名が、このプログラムのモニター生として参加しました。
参加初日、訓練生たちは三国峠からのサイクリングで大雪山国立公園の大自然を感じ、その後は日本一広い公共牧場であるナイタイ高原牧場の敷地内をウォーキング。北海道・十勝の広大な大地を体感しました。
夜は上士幌航空公園でのキャンプでそれぞれのことを語り合い、はじめて訪れた上士幌町の印象やここからはじまるプログラムへの思いを伝えました。
「MY MICHI プロジェクト」は、この上士幌町でしかできない体験を通じて、自分自身を見つめ直し、自分だけの道(=マイミチ)を見つけていくプログラムです。
この動画で、ぜひプログラムの一端を感じてください。
※「MY MICHI プロジェクト」の概要についてはこちらをご覧ください。
※「MY MICHI プロジェクト」企画担当者のインタビューはこちらをご覧ください。
※「MY MICHI プロジェクト」の参加募集については、下記のURLや各SNSで情報を公開しています!
【MY MICHI プロジェクト】
URL:http://kamishihoro-town.com/mymichi/
Twitter:https://twitter.com/MKamishihoro
Facebook:https://www.facebook.com/mymichikamishihoro
Instagram:https://www.instagram.com/mymichi_kamishihoro/
「MY MICHI プロジェクト」~仲間と過ごすシェアハウス~
北海道・十勝の上士幌町で1カ月間の共同生活をしながら「遊ぶ」「学ぶ」「働く」を通じて、さまざまなモノゴトを体感する「MY MICHI プロジェクト」。
参加者が滞在期間中に生活するのが、このシェアハウス「hareta」です。
室内は無料Wi-Fiが使えて、コワーキングスペースも完備。広々としたリビングは、日々のプログラムの後にリラックスした時間を与えてくれます。
キッチンには調理器具がそろっていますので、北海道のおいしい食材を使って自由に料理が可能。サニタリールームは男女別々となっていますので、安心して利用できます。
立地はまちなかの商店街にあって、日々の買い物や食事も便利。夜にはバルコニーから満点の星空を見ることもできます。
このシェアハウスで1カ月を共に過ごすことで、仲間同士の絆もきっと深まるはず。この動画を見て、ぜひシェアハウスでの生活を想像してください。
※「MY MICHI プロジェクト」の概要についてはこちらをご覧ください。
※「MY MICHI プロジェクト」企画担当者のインタビューはこちらをご覧ください。
※「MY MICHI プロジェクト」の参加募集については、下記のURLや各SNSで情報を公開しています!
【MY MICHI プロジェクト】
URL:http://kamishihoro-town.com/mymichi/
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Instagram:https://www.instagram.com/mymichi_kamishihoro/
上士幌の素晴らしき廃線跡巡り 美しいアーチ橋見学&幻の鉄道・拓鉄を探る!【士幌線篇】
上士幌町の見どころの一つで旅行者を惹きつけているのが、今も残っている国鉄士幌線の廃線跡。特に、鉄道ファンにとっては日本の数ある廃線跡の中でもかなり有名な存在です。しかし、「タウシュベツ川橋梁は知っているけれど、ほかにはどんなものがあるの?」と思っている方も多いはず。「MY MICHIプロジェクト」に参加して上士幌町に滞在していた私は、プログラムで士幌線の廃線跡を巡っているうちに子どもの頃の鉄ちゃん魂がよみがえり、にわか廃線跡ファンになってしまいました。今回、そんな私が上士幌町の素晴らしい廃線跡をご案内いたします。前編は士幌線です!
後編はこちらから
WRITER
伊藤 卓巳
三重県出身。MYMICHIプログラム2期生。青年海外協力隊としてウズベキスタンで観光業に携わっていましたが、コロナの影響で一時帰国。初上士幌どころか初北海道ですが、壮大な景色と美味しい食事に日々感動中。
まずは上士幌~糠平間のアーチ橋をめぐる!
帯広と十勝三股を結び、1987年(昭和62年)に廃線となった国鉄士幌線。上士幌町の市街地から北へは、国道273号に沿って線路が通っていました。
上士幌町の中心部にある広々とした交通公園が、かつての上士幌駅でした。町の中心駅だけあって、ホームが2線ある比較的大きな駅だったようですが、当時の面影は全くありません。ただ、駅があったことを知らせる看板が立っています。
交通公園は路線跡に沿って細長く広がっています。そして遊歩道に。
市街地を抜けると、土手のような地形になります。まさしく33年前までこの場所に列車が通っていた証です。
そしてこの地形は畑の中へと消えていきました。
さらに北上して、上士幌の次の萩ヶ岡駅があったであろう場所を訪れてみましたが、完全に草っ原。駅など見る影もありません。
続いては清水谷と黒石平。駅があった当時は活気あふれる場所で、特に清水谷は駅前に飲み屋街まであったそうです。
上士幌町は古くから林業が盛んだった地域で、士幌線は旅客のほか木材の輸送という重要な役割を担っていました。林業従事者の増加に伴って、士幌線沿線に街が形成されていったのです。また1950年代には糠平ダムの建設が始まり、工事関係者が移り住んだことで街がさらに発展を遂げました。
しかしダムが完成したことで工事関係者が去り、さらに木材の輸入自由化によって国内林業が衰退していくと鉄道の需要がなくなり、廃止に至ったのです。
上士幌町の歴史は、士幌線の歴史と密接に関わっていることがわかります。
さて、清水谷駅跡以北からは見ごたえのアーチ橋が出現してきます。士幌線では、建設費を安く上げるため現地で取れる砂や砂利を利用したアーチ橋が多く造られました。渓谷美と調和させるため、美しいアーチ橋を選んだともいわれています。国道から見える橋も多いので、一つひとつしっかりと見学していきます。
まずは国道と平行しているように架かっている第三音更川橋梁。鉄筋コンクリートアーチ橋では道内一の歴史と(1936年竣工)と大きさ(高さ32m)で、峡谷をまたぐ豪快な姿が見られます。
次に見えてくるのが、国道の鱒見トンネルに入る直前に見える第二音更川陸橋。かつてこの周辺のアーチ橋をほぼ制覇した私の友人の廃墟マニアがも一押しと言っていた橋です!
川を渡らない陸橋で、断崖絶壁にひっそりと同化しているような姿が印象に残ります。
一見すぐ近くまで行けそうに見えますが、一度川に下りなければならず、近くまで行くのはなかなか難しそう。
鱒見トンネルを出ると今度は第四音更川橋梁が見えます。中央の桁橋が撤去されてしまっていて、なかなか衝撃のビジュアルです。しかも残った橋の上には立派な木が生えています。このまま自然に同化してしまうのでしょうか…。
糠平ダムを右手に見て、トンネルをいくつか越えるとぬかびら源泉郷に入ります。糠平駅跡は現在上士幌鉄道資料館として公開されています。
私が行ったときはあいにく冬季休業中でしたが、士幌線に関する資料のほか、当時の運転席からの映像やトロッコ体験乗車もあり、盛りだくさんの資料館です。
敷地内には踏切や駅名標があり、
嬉しいことに線路の上を歩き、そのまま糠平川橋梁の上を渡ることができるのです!これはスタンドバイミーごっこをしたくなりますね。
糠平川橋梁は、橋の下の遊歩道から眺めることもできます。
橋を渡ると、封鎖されたトンネルが出現。糠平から北へ向かう、第7糠平トンネルです。
この糠平もまたダムと歴史を共にした地区です。かつての糠平駅や糠平の街は、現在はダム湖の底。通常だとダムや人工湖ができて街が移転すると反対運動が起こりますが、糠平の場合はなんと大歓迎だったそうです。なぜでしょうか?
糠平といえば温泉。しかしダム建設前は、駅と旅館街が離れた場所にあり、湯治客にしてみればアクセスが悪かったそうです。ところがダムができるおかげで駅が旅館街の近くに移転し、これは便利!となったのですね。しかも湖面の上を列車が走るのはなかなか絵になる風景だったそう。今も残っていれば、インスタ映えスポットになっていたかもしれませんね。
お待ちかねのタウシュベツ!そして終点の十勝三股へ・・・
糠平以北は、全線廃止となる9年前の1979年(昭和54年)に事実上廃止(正式には休止)してしまった区間。けれどもアーチ橋たちは美しい姿をとどめています。
まず見えるのが三の沢橋梁。ここも遊歩道として橋の上を歩くことができ、広大な糠平湖の眺めを楽しむこともできます。
夏季期間であればそ橋の近くで森の中を駆け抜けるトロッコ「エコレール」に乗ることもできます。
さらに北上すると、タウシュベツ展望台への入口が。駐車場から林の中を歩くこと200m。途中廃線跡とも交差します。
展望台に到着。湖の向こうにタウシュベツ川橋梁を望むことができます。
ただし、橋までは約750m。間近で橋を見たい場合は、ぬかびら源泉郷のひがし大雪自然ガイドセンターが主催するタウシュベツ橋ツアーに参加するか、上士幌市街にある十勝西部森林管理署東大雪支署(営林署)で林道通行許可証を取得すれば自力で行くことができます。
私は、橋を独占してじっくり見たい! ということで後者を選択。ちなみに私は「MY MICHIプロジェクト」参加中の1カ月間に3回行きました。行けば行くほど虜になるタウシュベツマジック!
このタウシュベツはダム湖に沈んだ旧線の唯一の痕跡なのです。1955年(昭和30年)から全く使われず、しかもダム湖に沈んで凍結してまた現れて…のサイクルが何十年も繰り返されてきたわけで、つまり今こうして見られるのが奇跡。
国道に戻ってアーチ橋探索を続けます。次に向かうは第五音更川橋梁。
長さ109mで、高さもある堂々とした橋! 川の美しさも目を引き、タウシュベツ以外では個人的に一番好きな橋です(タウシュベツはやっぱり別格)。
さらなる推しポイントは、廃線跡を歩いて行くと幌加駅跡があること。
ホームに上がれるのはもちろん、切り替えポイントを操作することも! 鉄道関係者の方以外で切り替えポイントを操作したことがある人ってどれくらいいるんでしょうか?
この幌加もかつては林業でにぎわっていた地区ですが、もはや人家はありません。ただここから6kmほどのところに幌加温泉「鹿の谷」があり、知る人ぞ知る秘湯になっています。
さて、士幌線の廃線をめぐる旅もあとは終点十勝三股を残すのみ。実は廃線跡ファンの間で士幌線が有名な理由は、この十勝三股駅は一時期廃止ではなく「休止」扱いとなっていたためと言われています。駅は一応営業中なのに列車が365日来ないという奇妙な状況になっていたことがファンの心を掴んだからなのです。
駅はこの宙ぶらり状況を経て1987年に廃止となり、最盛期には2,000人いたと言われる人口も今は2世帯のみ。そのうちの1世帯がカフェ「三股山荘」で、駅を再現した模型が展示されています。
そしてやはり駅跡には駅名標が。
士幌線跡をたどってみると、このように駅跡がしっかりと手入れされていたり、アーチ橋が美しい姿をとどめていたりします。他の地域だと廃線が朽ち果ててしまったり、そもそも痕跡すら残っていないことも多く、これは本当に驚くべきことだと感じました。特にアーチ橋は、地元団体が保存活動をしていることが市民活動のモデルとされ、道内で現在67件ある「北海道遺産」の一つに登録されています。
新しいものを作るのではなく古いものを残すこと、廃線跡を利用して観光客に注目される地域資源を作り上げていく姿勢は、町おこしや地域創生の良いお手本になると思います。
と、ここまでが士幌線のお話。後編は地元の人もあまり知らない北海道拓殖鉄道跡に迫っていきます。ぜひ乞うご期待!
「MY MICHI プロジェクト」~「遊ぶ」「学ぶ」「働く」を体験するプログラム~
北海道・十勝の上士幌町で1カ月間の共同生活をしながら「遊ぶ」「学ぶ」「働く」を通じて、さまざまなモノゴトを体感する「MY MICHI プロジェクト」。
自然豊かな上士幌町を舞台に、上士幌町の資源を活かし、上士幌町の人たちに触れ合うプログラムです。
「MY MICHI プロジェクト」では、広大な大自然の中で上士幌の楽しい「遊び」を満喫し、開拓や移住の先人たちから「学び」、地域の困りごとや課題を解決するための仕事をしたり町の産業に触れるなど、「働く」機会を提供します。
1カ月間の体験を通じて参加者がそれぞれの「自分の道=マイミチ」に出会ってほしい。そんな思いからプログラムを企画しました。
都市部と異なる上士幌町での体験は、これまでにない価値観に出合ったり、自分自身の生き方を見つめ直すきっかけを与えてくれるはず。
こちらの動画から、プログラムの一端に触れてください!
※「MY MICHI プロジェクト」の概要についてはこちらをご覧ください。
※「MY MICHI プロジェクト」企画担当者のインタビューはこちらをご覧ください。
※「MY MICHI プロジェクト」の参加募集については、下記のURLや各SNSで情報を公開しています!
【MY MICHI プロジェクト】
URL:http://kamishihoro-town.com/mymichi/
Twitter:https://twitter.com/MKamishihoro
Facebook:https://www.facebook.com/mymichikamishihoro
Instagram:https://www.instagram.com/mymichi_kamishihoro/
「MY MICHI プロジェクト」~仲間とともに過ごし、感じた1カ月~
2020年度からスタートした、滞在型体験プログラム「MY MICHI プロジェクト」。2020年11月には第2期メンバーとして5人の若者がプログラムに参加しました。
「たまたま時間があったから、いろいろな体験をしてみたかった」
「地域に密着した活動をしてみたかった」
「モヤモヤしている自分を変えるきっかけをつかみたかった」
参加した動機はそれぞれ異なりますが、参加者たちはお互い協力し合いながらともに時間を過ごし、1カ月間シェアハウスで共同生活を送りながら、このプログラムを体験しました。
ぬかびら源泉郷の大自然を感じるネイチャーツアー、上士幌町の歴史を学ぶ講義、アウトドアでのジビエ料理体験、牧場見学、薬草の選果体験、バイオガス発電の見学、そして町の人たちとの触れあい……それら一つひとつの体験は、参加者たちの琴線に触れ、心を動かすものでした。
「上士幌町の人たちは、自分たちが生きたいように暮らしている。その姿が素敵だった」
「利便性や効率よりも好きという動機で生きている人が多い。これまでにない価値観を学べて、これからの生き方を考えるきっかけになった」
「体験したプログラム、町の人たちとの交流、シェアハウスの生活、すべてが新鮮で感動的だった」
1カ月のプログラムを終えた参加者たちは、そんな感想を残してくれました。彼らの思いが詰まった動画です。ぜひご覧ください!
※「MY MICHI プロジェクト」の概要についてはこちらをご覧ください。
※「MY MICHI プロジェクト」企画担当者のインタビューはこちらをご覧ください。
※「MY MICHI プロジェクト」の参加募集については、下記のURLや各SNSで情報を公開しています!
【MY MICHI プロジェクト】
URL:http://kamishihoro-town.com/mymichi/
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上士幌高校の商品開発授業に密着(番外編)~選択科目『ライフデザイン』ってなに?~
今回、密着取材させていただいた上士幌高校×トカトカ×クラフトキッチンのコラボ企画。実は、3年生の選択科目『ライフデザイン』の授業として取り組まれていました。では、その『ライフデザイン』とはどのような授業なのでしょうか。担当されている田中裕子先生にお話を伺いました。
―ライフデザインとはどういった授業ですか?
(1)人の一生について考えながら、豊かで快適な生活を創造する能力を体験的な学習を通して身につける。
(2)人と人とがコミュニケーションを取るために大切となるマナーについて学習し、社会人として必要な礼儀作法を体験的に身につける。
この2点を目標にして授業のカリキュラムを組んでいる授業で、上士幌高校の学校設定科目となっています。私も上士幌高校に来て初めてこの授業を担当したということもあり、設定されている目標を達成するためのカリキュラムは常に手探りで考えながら授業をしています。
―これまでどのような授業をされてきたのでしょうか?
ペン字練習、社会人のマナーについて学ぶ、自立した生活に向けてお金のやりくりの仕方やネット契約などを学ぶ座学など、実際に体験しながら学ぶ授業が多いです。コロナで回数は限られながらも行った調理実習、あとは季節に合わせて、外部講師を呼んで着物の着付け講座や、暑中見舞いなどの手紙の書き方講座、認知症講座などをしました。この科目には教科書がないので、その都度考えながらやってきました。
―高校を卒業したら就職するという生徒もいると思うのですが、そのためにこのようなカリキュラムを取り入れられてるのですか?
就職する子たちのためだけというわけではないけれど、特に社会人として巣立っていく学生の役に立てばいいなと考えながらやっています。
―今回の上士幌高校×トカトカ×クラフトキッチンのコラボ企画の背景と、取り組もうと思った理由を聞かせてください。
とにかく2020年度は何もできなくて、行事も調理実習もできなくて。生徒たちに、ただマスクをして学校に淡々と来させてしまったという気持ちがあります。そんな中で、何かしてあげたいと思っていたところに、教育委員会の方から企画をいただいたのが今回のコラボ企画なんですよね。そこからは、あっという間に形になって実際に進めることになりました。
加えて、外部の方とつながる授業として、人とのコミュニケーションを高校生たちがどう取るのかも見てみたかったのもあります。あとは、とにかく実践をしないと身につかないので実践の場としていくという方針で授業を進めました。
―実際やってみて、感じたこと良かったことを聞かせてください。
最初は、もしかしたら面倒だと思ってる生徒もいたと思うんですよね。道の駅まで歩いて行って、パンを選んでって大変なこともあったので。でも試食をしたり、順位を決めたりする段階になると、本当に真剣に取り組みだしたんですよね。自分たちが決めたこのパンとスパイスの掛け合わせを本当に売るんだって実感したときに変わったと思います。商品紹介のポップと写真撮影はちょっといつもとは違う感じがありましたね。
―具体的にどんな変化がありましたか?
とりあえず写真撮ればいいんでしょとか、ポップもちょちょいってやればいいんでしょ。ということではなくて、みんな定型がある中にもオリジナリティーを出して作っていたり、何度も写真を撮り直していたりしました。放課後に残っている生徒も、持ち帰って作業を続ける生徒もいたんですよね。
―一生懸命に取り組んでいる姿が印象的でした。
オリジナルのパンができて、特にポップ制作ではすごく熱心にやっている姿が見られた気がします。調理実習を行ったときも、「時間が余ったら、またポップの続きやっていいの?」って言ってくる生徒がいて、すごい意欲を見せてくれていました。
―普通科の高校で、こうした商品開発ができる機会って滅多にないですよね。
そうですね。声をかけていただいてありがたかったなと思っています。毎回関係者の皆さんも、忙しい中、授業時間に合わせて来ていただいていて。そういう姿から高校生も、見てくださっているな、期待されているなというのは感じていたと思います。お話をすぐに引き受けたのは、前任校で商品開発の経験があったことも理由の一つですね。そして、毎年この授業ではこういうコラボ企画があるよっていう形づくりができるのではないかと思いました。
今回のこの経験を3年生のもっと早い段階でやってあげていたら、生徒の進路の活動にも、もしかしたら活かせたのかなと思います。こうやって外に出ていろんな大人の方たちと関わって活動できたことは、絶対に財産になると思います。生徒には、人とのつながり、そのときのドキドキワクワクっていう感覚を忘れずにいてほしいなと思います。
【あの人に会う】蜂蜜屋の父の思いを受け継ぐtobachiのお兄さん
上士幌市街地からやや離れた東居辺という地区に、廃校を利用したレストラン<tobachi>があります。そのレストランの店長 斉藤達也さん(以下:達也くん)は、ある習い事を一緒にしていた先輩です。強くて、優しくて、面白い達也くんの周りにはいつも人がいて、とても面倒見の良いお兄さんだった記憶があります。今回はそんな達也くんに、料理との出会いやレストランの話、今後の抱負などをお聞きしてきました。
WRITER
竹中 勇輔(たけなか ゆうすけ)
1994年生まれ。上士幌町出身。理学療法士。ホロロジーライターというチャンスを生かして会いたい人に会いに行きます。上士幌に帰ってきてけん玉にハマっています。よく聞かれますが町長と親族関係ではありません。
会いたい人を探していると
久しく会っていない地元の人を探すために小さいころの記憶を掘り返していると、小学校時代に嫌いな習い事があったことを思い出しました。妹がやりたいと言い出し、半強制的に一緒に入れられた柔道です。それでも、仲の良い同級生が多く通っていたこともあり、柔道は約5年間続けました。その道場には保育園児~高校生まで幅広い世代の町民が通っていて、今回の会いたい人は同じ習い事をしていた先輩です。そして幸運なことに、その先輩は今、上士幌町にいることがわかり、しかも上士幌の中でも人気の飲食店のシェフをしているといいます。
柔道少年団の先輩と後輩
達也くん、お久しぶりです。
久しぶり、元気だった?
元気にやってます。最後に会ったのは成人式のあと、ここ(tobachi)を使わせてもらったとき以来ですね。
そうだね、あのときはみんな楽しんでいたみたいで良かったよ。
久しぶりなのにこうやってかしこまらず会いに来れるのは、一緒に柔道をしていたからだと思うんですが、当時柔道を習っていたときのことって覚えていますか?
もちろん!あの古くて汗臭い道場でやってたよね。冬はめちゃめちゃ凍れるし。
寒すぎましたね。一緒にやっていた先輩の中でも達也くんは特に優しい先輩だった記憶があります。
後輩には優しいから。勇輔はあの学年の中で強いほうだったから覚えてるな。
町内ではそうだったかもしれないけど、大会では全然勝てた記憶がないですけどね。
父の想いで、廃校がレストランに生まれ変わる
まずは今仕事にしている料理との出会いからお聞きしたいです。小さいときから料理をすることは好きだったんですか?
そうだね。小学生のときから両親が家の外で仕事していることが多くて、それで昼ご飯を自分で作るようになったかな。そういうこともあって、当時の夢は調理師だったんだ。
へぇー、小学校のころの夢を叶えちゃったわけですね。
そうなのよ。でも中2のときに野球を始めてからは、料理のことを考える時間がなかったね。野球に夢中で将来何になろうとか全く考えてなかったな。でも高校を卒業するタイミングで進路をどうしようか考えて。
僕も部活漬けの高校時代だったのでわかります。
そのタイミングで小学校のころの夢を思い出したわけ。それで調理師の専門学校に進学したんだ。
どんな料理を作りたいとかはあったんですか?
今は洋食をやっているけど、元々は中華料理志望だったんだよね。
そうだったんですね、それはまたどうしてですか?
専門学校時代の尊敬する先生が中華料理の人で、その影響が大きかったな。
良い出会いがあったんですね。
その先生のもとで働きたいと思っていたから、先生が働いていたホテルでバイトもしていたよ。
最終的に先生のもとで働く夢は叶ったんですか?
それが思うようにはいかなくて、先生がホテルを辞めて独立することになるんだけど、新規オープンで人を雇う余裕がないから、申し訳ないけど雇ってあげられないって言われたんだ。そうしたら中華はもういいかなってなって。
中華へのこだわりというより、尊敬している先生のもとで勉強したい思いが強かったんですね。
そうそう、中華にこだわりはなかったってことだよね。それから企業実習先で今の師匠に当たる人と出会うんだけど、その人がフレンチの人だったんだ。
新たな出会いから、次は洋食の道に進むわけですね。
うん。それで帯広に戻ってきて就職したんだけど、その就職先がめちゃくちゃ厳しくて(笑)。
かなり厳しい世界なんですね。
毎日のように朝から夜中近くまで仕事をしていたよ。そんな生活を1年ほど過ごしたあと、親がやってる蜂蜜屋(十勝養蜂園)に人がほしいから上士幌に戻ってきてくれって話になって。それで調理師を辞めて、1年間は蜂蜜屋として働いてたんだ。
レストランのために帰ってきたわけではなかったんですね。
そうなんだよ。でも父は、以前から廃校になった場所をどうにか利用したいとずっと考えてたみたいなんだ。それであるとき、この東居辺小学校でレストランやらないかって話になって、tobachiを開くことになったわけ。
お父さんの中でレストランをやってもらおうという構想は、達也くんが蜂蜜屋として戻ってくる前からあったんですかね。
そうかもしれないね。あと父は廃校をレストランに変えることで、また人が集まる場所になってほしいという想いも持っていたんだ。
ここに通っていた人たちのたくさんの思い出を受け継いで、次の世代につなぐ意味でもすごく素敵なことだと思います。
厨房の理想は給湯室にあった
レストランとなっているこの部屋は、もともと何の教室だったんですか?
職員室だよ。
職員室!?それをレストランに変えるのってかなり大変な気がしますけど。
レストランとして作られたものではなかったから大変だったね。店内のレイアウトは厨房から考えたんだけど、排水、給水、ガスが揃ってたのが職員室の給湯室だったから、そこを厨房にできというところから始まって。ほかの教室だと家庭科室も候補に上がってたんだけど、入り口からちょっと遠くなるデメリットがあって職員室になったんだ。
給湯室を中心にするっていう発想は面白いですね。
そうだよね。工夫したところでいうと、学校だった空気感を残したかったから床はそのまま使ってるんだよ。先生たちが使ってた掲示板は黒板っぽく塗り替えたりしてる。
できる限り教室の雰囲気を残すことは、卒業生がここに訪れたときに懐かしむポイントにもなりますよね。廃校になった学校って東居辺以外にもあったと思うんですが、ここを選んだ理由ってありましたか?
最初に廃校になったのが東居辺だったからだね。それでうちが借りたいですって手を挙げたんだ。
ほかにも廃校を使いたいっていう方はいたんですか?
そのときはまだ誰もいなかった。でも今だと旧北居辺小学校は十勝製菓さんが借りてて、お菓子の工場として使っているし、旧豊岡小学校も豊岡ヴィレッジとして利用されてるよね。うちはレストラン、奥は養蜂の作業場として使っているよ。
tobachiといえばハンバーグ+キャンプ?
次は看板メニュー、ハンバーグのことを教えてもらっていいですか?
オリジナルのお肉を使っていて、ベースはナイタイ和牛を使っています。あとは企業秘密のブレンドでナイタイ和牛の美味しさを最大限に引き出せるように作っています。
ハンバーグの話では敬語になるんですね。
仕事モードに入っちゃった(笑)
付け合せにもこだわりはあるんですか?
付け合わせも十勝産で統一できるようにしてるね。でも時期によって手に入らないものがあるから、常に十勝産を使うのは難しいけど、基本的には十勝産の野菜でサラダなどのメニューも提供しているよ。
野菜は冬場はどうしても手に入らないですもんね。小学校の土地って広いから、店で使うものは自分たちで作ることも考えていたりしますか?
それができればいいんだけど、人が必要になるよね。それに農家さんに怒られちゃうかもしれない。中途半端なものを作るなって。だから信頼している農家さんが作った良いものを使わせていただくのがやっぱり理想的だよね。
生産者さんへの信頼なくしてレストランは成り立たないということですね。グラウンドはキャンプフィールドに一新するという話も聞いたことがあるんですが?
それは構想段階だね。キャンプは自分の趣味でもあるし、レストランの隣にキャンプフィールドがあったら面白くない?ということで、まずは自分で遊んで楽しんでる段階。自分が楽しめなきゃ人にもすすめられないからさ。
家族や友達と焚き火を囲みながらtobachiのハンバーグを食べる。想像するだけでワクワクしますね!
あのときに突きつけられた現実は人生の糧に
達也くんは学生時代、柔道と野球をやってましたけど、そのときの経験で今に生きてることや挫折ってありましたか?
柔道では礼儀、上下関係が勝手に身についたけど、挫折はなかったな。高学年になって体格差が出てくると負けるようになったけど、小学校3~4年生ぐらいまでは負けたことがほとんどなかったな。
小学校高学年って体格差が出やすいけど、中学校では体重で階級が分かれますよね。
そうそう。だから頑張れば勝てるぞって感じだったんだ。でも中学で野球を始めてからは経験のなさから生まれる挫折があったね。
それはどんなものでした?
小学生のときは野球少年団がなかったこともあって、ほかの中学校と比べると圧倒的に弱いチームだった。高校に入ってからは体格も能力もすごい人たちがたくさんいて、さらに現実を突きつけられたね。ベンチ入りが限界だった、でもそれが人生の糧になってるかな。
僕も同じく野球をやってたけど、高校に入ると上手な人たちがたくさんいました。それに加えて3年間怪我ばかりでベンチにも入れなかったのは大きな挫折だったけど、そのおかげで精神的に強くなれた気がします。
勇輔もそういう経験があったんだね。
はい。人生の中で役に立つ経験ってそのときはわからないけど、ステージが変わって昇華すべきときにふと蘇ってくる気がしてます。それは着実に経験値を積んでいる証拠だし、つまづいたときに支えてくれる自信になると思っています。
tobachiを入り口に、人が集まる上士幌へ
最後に、tobachiとして今後の抱負はありますか?
強いていうなら会社を大きくして、tobachiをもっと知ってもらうこと。あとは上士幌を人が集まる町にしたいっていう思いがあるね。最近は道の駅やナイタイテラスを始めとして、いろんな施設ができているけど、そういうところを上士幌に来る目的にしてもらえれば、町に人が来るようになって上士幌の良いところを宣伝できる。それって町としても自分としても良いことだし、上士幌はもっと活気のある町になるポテンシャルがあると思う。
そうですね。僕もこうして取材をしていると、上士幌町の魅力を再発見できて、自分の育った町って良いところだなと思えるきっかけになってます。それでも僕も含めてなんですが、ここで育って進学を機に町外で暮らし続ける人は少なくない気がします。同級生で上士幌に暮らしてる人ってどのぐらいいますか?
知ってるのは4人ぐらいかな。やっぱり町から出たら戻ってくるって難しいよね。
そうですよね。僕の同級生は10人くらい上士幌にいるみたいです。
結構いるね。俺らの同級生は実家が農家の人が少ないんだよね。そうするとこっちに帰ってくる必要もあまりないしね。
そうですね。帰ってくる理由がない限り戻ってくることは少ないですよね。同級生の中では帰ってきたいって言ってる人はいますか?
あんまりいないかな(笑)。帰ってきたとしても上士幌で何をする?って話になっちゃうから。
仕事の数は少ないですもんね。
そこはかなり大きいんじゃないかな。働き口は都会の方が圧倒的に多いわけだから。帰ってきたとしても上士幌で本当にやりたいことがない限り、大変なんじゃないかな。
うんうん。でも、このWEBメディアを通して上士幌出身の人たちに地元を懐かしんでもらったり、今まで知らなかった魅力を感じてもらえたら嬉しいです。その延長でやりたいことを見つけてUターンする人が増えたら、この町はもっと面白くなっていきそうですね。
おわりに
話を聞き終えたころには、身近な先輩のまだ見ぬ想いに触れることができ、どこからともなく力が湧いてくるような感覚がありました。
先輩は地元である上士幌を一度離れ、町の外の世界で経験を積み、小学生のころの夢を叶え、上士幌に再び根を下ろしています。そして、地元を盛り上げていきたいという強い気持ちを語り、その言葉の裏には高校時代に培った糧、父への尊敬の念が隠れていました。そして何よりも、自分の人生を思い切り楽しもうとする姿勢に、これからの時代を生きるヒントが隠されているような気がします。
達也くんが思い切り楽しんで拓く未来の先に、どんなtobachiが待っているのか。どんな上士幌があるのか。いつかまた未来の話を聞きに行ける日が楽しみです。
35年間、上士幌町で愛され続ける喫茶店『フォーシーズン』~夫婦で支え合う~
私、西村が上士幌に滞在していた3ヶ月の間、通い詰めていたお気に入りのお店「フォーシーズン」。35年間、愛され続ける理由に迫るべく、お店に立ち続けるご夫婦にお話を伺って来ました。普段、お店ではなかなか聞けない仲良しご夫婦の心の内、お店をやっていての想いなど、心温まるお話がたくさん聞けました。
WRITER
西村 奈々子
大阪出身。父が上士幌に移住。大学卒業まで、父が愛した上士幌に来ている大学生。私もこの町を愛したい。好きな場所は、フォーシーズンのカウンター席。
フォーシーズンの歴史・由来
フォーシーズンは上士幌育ちの髙橋恵子さんが35年前に始めたお店。お店に一緒に立ちウェイターをするのは、関西出身の旦那さまの一夫さん。早速いつもようにカウンターに座ると、一夫さんとのたわいもない会話が始まりました。
今日は、改まってなんですけど、お店のこととご夫婦の話をたくさん聞かせてもらいたくてきました。
話せることならなんなりと聞いてちょうだい。
フォーシーズンは恵子さんが35年前、25歳の時にこのお店を引き継いで始められたと伺いました。私の歳と変わらない時に、店を持つという決断をされたと思うと、すごいです。
本当、凄すぎるよなあ。
ここのフォーシーズンを始められたきっかけは何だったんですか?
昔、他の喫茶店で働いていたんだけど、この建物を売りたいという人がいて、それがきっかけで自分でやろうと思って、始めたんだよね。
それは上士幌にある他の喫茶店ですか?
そう、今はなくなっちゃったけどね。その喫茶店で4年くらい働いていたの。
自分の店を始めてみようって、思い切ったんですね。
貯金も何もなかったんだけど、失敗したらその借金払えばいい!って思ってやり始めたんだよね。
すごい勇気がありますね。かっこいい。
いや、今考えるとできないよね。若さだよね。
本当にすごいです。その時にこのお店を買って、ずっと続いているんですもんね。
そうだね。丸35年になるね。
フォーシーズンの名前の由来ってあるんですか?
フォーシーズンって四季って意味でしょう。1年中、流行るようにってつけてもらったの。
名前の通りですね!ところで気になることがあって、どうしてこんなにもたくさんのメニューが並んでいるんですか?
昔の喫茶店は本当になんでも出したんだよ。田舎の喫茶店はなんでもあるのが普通だから。
なんでもあって、美味しくて、お腹いっぱいになる!通わない理由がないんですよね。定食や大盛りを出してるのは昔からですか?
そうね。学生とか若い子が多かったから量を増やしたんやね。
今日、日替わりのチキンカツ定食いただいたんですけど、ご飯一合ありますよね(笑)
あるある。
毎日どれくらいお米炊いてるんですか?
大体二升(約3キロ)炊いてる。
二升!?10合で一升ですもんね。
そう。それでも足りなかったらまた追加で炊く感じやね。
ここに来られる人は、皆さん、大盛りを食べるんですか?
割とそう。一番すごかったのは、おかわりできますよって言うた途端に、ライス5杯食べられたことがある。それからは定食に限って「おかわり1杯までできます」に変えたんだよ(笑)
大盛りのサービスもやってますよね。
単品は大盛りは100円増でやってるよ。
でも、大盛りにしなくても多いですよね。
よその店に比べたら多いよ、全部(笑)
間違いないです。やっぱり定食が人気ですか?
全部人気だよ!
ですよね!!オムライスもすごい大きいし。
ちなみにお母さんが腱鞘炎になってしまったから、あの特別サイズの大きいオムライスは俺が作るんや。段取りだけは恵子さんにしてもらって、鍋を振るとこからは俺がやってる。
力を合わせて作る、素敵ですね。
片手でフライパン振ってるんだよ。4合の米入ってるから長いこと持ってたら手が震えてくるけど(笑)
何回見ても大きすぎますよね、、、
オムライス目当てに札幌や旭川からわざわざ食べにきてくれたりするもんね。
えー!それってどうやって見つけてるんでしょうね?
ネットかなんかで載ってるじゃないかな!フォーシーズンで多分出てくるんやろうと思うよ。
調べてみますね!わあ!お父さん紹介されてますよ!お父さんの写真とオムライス!
え?(笑)
記事になってますね!すごい!私もまた記事書いてお父さんもフォーシーズンも有名にしちゃいます(笑)
あはは(笑)頼むわ〜!こうやってお客さんがネットに載せてくれるから、みんな来てくれるんやわ。
いつ来ても、たくさんあるメニューの中から食べたいものを見つけられて、お腹いっぱいに食べられるのがフォーシーズンの魅力です!
一夫さんと恵子さんの出逢い
馴れ初めとか聞いてもいいですか?
俺がここで働き出したのは10年ほど前やね。
それまでは恵子さんが1人で切り盛りされてたんですか?
いや、それまではもう1人働いてもらっていたんだよ。それで俺が入って、追い出したような形やね(笑)
それはそれは(笑)2人は上士幌に来て、知り合ったんですか?
元々関西からこっちにきて、上士幌の企業で勤めてたんだわ。勤めていた時に、ここにお茶を飲みに来てて。それでなんとなーく、気になって…。
えー!それでどうなったんですか?
んで、ちょこっと付き合い出してな。
え、急展開!
店おって、何時やろなあ、12時近くまで1人でおったんや。
一緒にいたいからだ。
そうそう。それからまた会って、付き合い出したんやな。
それはこっちに来てすぐ?
いやいや、こっちに来たのが平成7年だから。25年前。
上士幌に来て、15年がたってから恵子さんに出会って、それから10年一緒にいるってことですね。
そうそう。
えー!素敵ですね。幾つになっても出逢えるっていいですね。
ほんと、いいよ。
だって、若いだけが楽しい時じゃないですもんね。
それは年齢関係なく。その年その年でいろんな楽しみ方があるから。
今は一緒に何してる時が楽しいですか?
店でこうして一緒に働いてる時やな。
そしたら毎日じゃないですか!
毎日やね。
えーほんと、いいですねえ。
毎日楽しいよ。
じゃあやれる限りは店続けられるんですか?
うん、やれる限りはね。
いいコンビですね本当に。料理もどれ頼んでも安定感ある美味しさですもんね。ハズレがない。
ありがとう。それたまにお客さんに言っていただいて嬉しいです。
お二人が喜びを感じる瞬間
お父さんにとってこのお仕事してて、何が一番の喜びですか?
やっぱりいろんな人と出会って、いろんな話聞けるのが楽しい。それが一番やね。
毎日ですもんね。飽きないんですか?
飽きない!!また、ここの店で出会いがあったり。何組かカップルができたりもしたんよ。
えー!素敵!恵子さんは、どうでしょう?喫茶店やっていく中での喜びとか、ずっと続けていく理由をお聞きしたいです。
やっぱり、昔来てくれたお客さんとかが来てくれたりするのが喜び。今年の夏も、こっちの牛屋さんで昔働いていた子がぽっと来てくれて、すごい嬉しかったんだよね。昔、すごい気球で賑わって忙しかった時期のお客さんも今でも来てくれる人もいたりして。「昔来てたんですよ。」とかって言って。
上士幌にはいろんなお店があるけど、ここにきたらガッツリなんでもお腹いっぱい食べられるから、最高ですよね。
お金がない時のフォーシーズンって言われとったんよ。牛屋さんで働いてる子たちがね、「やっぱりフォーシーズンだよな!お金のない時のフォーシーズン」って。
あはは(笑)牛屋さんの方たちもたくさんこられてたんですね。だって、安くでこれだけ食べれたら本当ありがたいですよね。
そうやな。
牛屋さんとか朝早くから力仕事したら、もうすっごい美味しく食べてくれそう。
そうそう、今でも牛屋さん来てくれるよ。いろんな人が来てくれるから嬉しいな。
本当に愛されてるお店なのが、通っていて伝わって来ます。
ありがたいことです。さあ、終わったから飲むか〜!
いやいやいや、今日飲んだらまた私へべれけになっちゃいます(笑)
また、いつでも食べにでも飲みにでもおいでや!
はい!本当いつもありがとうございます。
はーい!いつでも待ってるからな〜
楽しいのは「こうして一緒に働いていること」。生活と仕事が一緒になっていて、好きな人と毎日一緒にいることができる。なんて素敵なことなんだろうなとお2人の生活に憧れを抱いてしまいました。2人の関係性がこのフォーシーズンの雰囲気と味を作り出していることがお話を聞いていて改めて実感し、読んでいただいた皆さんにも私が通っていた理由をお分かりいただけたのではないかなと思います。私は上士幌町から少し離れてしまいますが、上士幌町にきたら、また必ずフォーシーズンにいく。それだけは決めています。
一夫さん、恵子さん、ありがとうございました。また行きます!
上士幌高校の商品開発授業に密着(9)~コラボ企画最後の授業!~
上士幌高校の科目「ライフデザイン」コラボ企画もいよいよ最後の授業です。店頭販売を終え、今日は企画に関わってくださった方々から感想をいただきました。
スパイスを提供してくださった「クラフトキッチン」の齊藤肇さん
「私がこの企画で楽しみにしていたのは、皆さんに “ワクワクしてほしかった”ことです。今後皆さんは、それぞれの進路に進んでいくと思いますが、今回感じたワクワクという気持ちは、自分が正しい道を歩んでるかどうかの判断材料になると思います。ワクワクしていることをやっていれば、自分は正しいところにいるって思えるので。もしちょっとでもワクワクを感じたなら、この感覚を心にとどめて、今後も頑張っていただければと思います」
パンを提供してくださった「トカトカ」の嘉藤貴之さん
「(早々に店頭でのパンが完売してしまい)せっかく皆さんが作ったものを、売りたい!説明したい!って思ってくれていたのに、そういう場をしっかり1時間作れなかったのが、すごく心残りです。あの日からずっと今日までぐっすり眠れていません(笑)。今でも想像以上の売れ行きで驚いています。スパイスも同じように売れているので、本当に皆さんがここまで頑張ってくれたおかげだと思っています。店頭ポップを見て買ってくださるお客様もいて、本当にありがたいことだし、すごいことだと思います。こんなに売上って伸びるんだなと驚いています。また来年以降も、皆さんの後輩たちとも一緒にこういうことに取り組んでいけたらなと思っています」
ポップの作り方を教えてくれた読書コーディネーターの森典子さん
「皆さんの取り組んでいる姿を見て感動しました。自分が予想もしていないようなポップ作りで、字体も色も文章もこだわっているし、商品名も私だったら絶対に思いつかないものをそれぞれ作っていました。皆さんが店頭販売する前日に、大人のメンバーでポップを飾ったんです。ここにパンが並んで、みんなが作ったポップも飾って、みんながここに立ってパンを販売する姿を想像したときに、関わった大人たちもみんな次の日がすごく楽しみでドキドキしました。当日はたくさんのお客さんが来てくれて、パンもたくさん売れたし、ポップの写真を撮ってる人もいて。大成功でした。高校生も大人も、そして地域の人たちもみんな一緒になってドキドキできる素晴らしい体験だったなと思っています」
ホロロジー取材班として密着させてもらっていた私、宮部も少しだけお話しさせてもらいました
「皆さんに密着ができてすごく楽しかったです。販売当日も自分が開発したわけではなかったのですが、みんなと同じくらい緊張しながらお客さんが来るのを待っていました。授業の回数を重ねるごとにだんだん本気になって、パンのこの部分にスパイスをかけたらいいんじゃないか、焼いた方がいいんじゃないか、冷やした方がいいんじゃないかって考えてる姿を見て、私が高校生のときにこんな授業があったら楽しかったのになって思っていました。誰かと何かを作り上げるという貴重な経験は、進学しても就職してもどこにいっても活かせると思います。ホロロジーにも記事を更新していくので、最後まで見てほしいなと思います」
今回のコラボ企画の火付け役であり、みんなのサポートをしてくださった、教育委員会の髙橋克磨さん
「すごく楽しかったです。僕は今29歳で、みんなと11歳くらい違います。でも年下の子に尊敬したのは初めてです。何に尊敬したかというと、みんなの人を動かす力です。地域の人がここに立って話をするということは、何かをしてあげると思ってこの場に立つと思うんです、最初は。でも途中から、皆さんと関わりたい、この企画を成功させたいという、“やりたい”気持ちに変わっていくんです。僕たちが持っていないものを皆さんは持ってるんですよ。こんなに人が動くってすごいなと思いました。あれだけの大人を動かせる力って、これからみんなが卒業していろんな進路があると思うんですけど、絶対に活きてくると思っています。『やりたくないな』と思うこともあると思うんですけど、やってみると意外に『あ、良かったな』って思えることって、きっとこの先もたくさんあると思います。ぜひそういうチャンスがあるときにはそのチャンスをしっかりと活かせるように、前向きに取り組んでほしいなと思います」
上士幌高校と大人の方々をつないでくださっていた、CSコーディネーターの明石穂乃香さん
「こういう貴重な経験を今できたっていうのは、実際にやってみたからかなと思っています。道の駅に町内の人がたくさん来て、それだけ地域の人からも応援されてるということがすごい良いなと思いました。この後も面倒だと思ったり億劫に感じることがいっぱいあるかもしれないけど、ちょっとやってみるだけでどんどん良い方向に変わっていくと思うので、この経験を次にまた活かしてもらえたらいいなと思います」
田中先生:ありがとうございました。皆さん、後ろを向いてお礼をしましょう!
みんな:ありがとうございました!
大人の方々からもらった言葉を受けて、みんなも「ライフデザイン」の授業を振り返ります。
クリームホーンとスパイスの組み合わせを考えた2人
「初めてこの企画を聞いたときは、どんなものになるのかわからなくて不安でした。でも、やっていくうちにどんどん楽しくなって、やる気も出てきました!」
「今日はこの授業があるから良い日だ!って思っていました。むしろ授業が入っていない日は、つまらないなって(笑)」
シフォンケーキとスパイスの組み合わせを考えた2人
「最初は正直、面倒だなって思ってました(笑)。でも、最後までやり切って楽しかったから、もっとやりたかったなって思ってます」
「もともとこういう企画を立てることが好きだったので、楽しかったです。でも、店頭販売した日にシフォンケーキを買えなかったのは残念でした(笑)」
全員に感想を聞くことはできませんでしたが、最後の授業を終え教室を出ていくときの表情からは「やり切った!」という感情が伝わってきました。
はじめてのことだらけだった今回のコラボ企画。上士幌高校の生徒とそれに関わった人たちが、一緒になって考え感動を共有した3カ月間。私たち取材班にとっても、とても貴重な体験となりました。これからもホロロジー取材班は、皆さんの活躍を応援しています!
上士幌高校の商品開発授業に密着(8)~待ちに待った店頭販売当日!~
さあいよいよ、1月20日の店頭販売日を迎えました!
これまでの授業の様子はこちら
みんなの表情からは緊張感が伝わってきます。パネルも持って、準備オッケー!お客様はどれだけ来てくれるのでしょうか……ドキドキです。
販売時間になりました!するとさっそくお客様が!
みんな初めての接客で、最初は自分たちからどう声をかけたらいいのか困ってしまいました。でも、だんだんやっていくうちに「こうやって言えばいいんだ!」ということがわかり、その後は自分たちから積極的に声をかけていきます。
「このパンにはこのスパイスをかけて食べてください!」
たくさんの人に来ていただき、あっという間に完売です!!慌てて追加のパンを並べていきます。
販売当日は私たちホロロジーの取材班だけではなく、十勝毎日新聞社さん、北海道新聞社さん、NHKさんが取材に来てくれました!
購入したパンをその場で食べてくれるお客様に、高校生が食べ方をレクチャーします。
「この、ちぎった部分にスパイスをかけて食べてみてください!」
「ん!? 美味しいです! ちょっとピリ辛で」
「あ、それ私の班で考えたんです!」
実際に目の前で食べていただいて感想をもらえるなんて!恥じらいながらも嬉しそうな顔をして話している様子に、こちらまでほっこりしました。
コラボパンは一瞬にして完売!来てくださったほとんどの方が全種類を購入してくださいました。
自分たちが考えた商品が目の前で売れていく経験をできたことは、この先の人生でかけがえのない財産となると思います。上士幌高校を卒業しても、今回の経験を糧にいろいろなことにチャレンジしていってほしいと思う取材班なのでした。
羊毛を刈って毛糸作りを体験!してみた
皆さん、こんにちは。JICA訓練生として上士幌町に5カ月間滞在をしたなかで、自然あふれる上士幌町ならではのさまざまな体験をさせていただきました。その中でも特のこの体験はなかなかできないなと感動し、楽しかった記憶があります。それが、羊毛刈りとその毛を使った毛糸作りです。上士幌町の皆さんでもほとんど経験したことがないというお声を聞いているので、ぜひ私からこの貴重な体験を紹介させてください!
WRITER
渡邉 史也 (わたなべ ふみや)
JICA訓練生。1997年生まれ。茨城県出身。上士幌町のあらゆる人、場所、生業に広く目を向け、自分の琴線に触れるものをどんどん紹介していきたいです。
まずは羊毛刈りから
こんにちは!JICA訓練生のふみやです。まずは羊と羊毛の話を。皆さんは上士幌町で羊が飼育されていることをご存知ですか?上士幌町には2009年に草野秀剛さんが始めた「ゴーシュ牧場」という羊の牧場があります。羊の繁殖から肥育までを草野さんご自身で行っており、1頭単位で仔羊の購入が可能です。
先日、ゴーシュ羊牧場さんの見学に伺った際、特別に毛刈りを体験させていただきました。羊は基本的に人が近づくと逃げてしまいますが、一度捕まえてコテンッ、とひっくり返せば大人しくなります。さすがは草野さん。いともたやすく毛刈りの態勢までもっていきます。
しっかりとお膳立てをしてもらい、いざ毛刈りに挑戦です!
暴れないかと不安でしたが、本当にされるがまま。多少抵抗されることはあっても、全然暴れません。あとは草野さんの指示通りにどんどん刈っていきます。
無事に刈り終わりました!少しわかりづらいですが、かなりの量があります。
1頭だけ肌寒そうになってしまいました…。彼女が寒空の下で凍える日々を送らないことを祈りつつ、刈り取った羊毛をいただくことができました。これで次は毛糸作りに挑戦します!
そして毛糸作り!
家に帰り、羊毛を新聞の上に並べてみると…?
ものすごい量!牧場で見たときよりも多いんじゃないというくらい大量です。しかし草野さん曰く、「これはまだ短いほうだから、毛糸にするには少し難しいかもしれないね」とのことでした。しかしやってみないとわかりません。どんな状況でもベストを尽くす、それが仕事の流儀。この毛もしっかりと紡いで見せましょう!
そう意気込んだはいいものの、この毛をどうしたら毛糸にできるんだ?草野さん曰く、「羊毛が乾燥したらカーディングをする」とのことでしたが、そもそもカーディングって…?
調べたところ、どうやら犬の毛をブラッシングするような感覚で、くるくるしている繊維を一定の向きに整える作業らしいです。なるほど、そうすることでやっと紡ぐ段階に進めるみたいですね。でもそんな道具を都合よく持っているわけ…
ん…?
ありました!!草野さんが羊毛と一緒に持たせてくれていたみたいです!
これを両手に持ち、片方に付けた羊毛を伸ばしていきます。一切の縮れ毛がなくなりフワフワの状態になるまで、アコーディオンを奏でるかのような動きをひたすら繰り返します。
これ、意外と力が必要です…。なかなかふわふわした状態に持っていくことができません。無事に紡げる段階までもってくるまで約2時間かかりました!
いただいた全ての羊毛をカーディングしていると、とんでもない時間を費やしてしまうので、今回は程よい量のカーディングをして実際に紡いでいきます。その際に使ったのが、草野さんからお借りしたこの糸撚り機!
完全手動なのでうまく使うにはかなりの慣れが必要ですが、どうなるのでしょうか?草野さんに使い方を教えていただき、実践してみます!
なんとなく予想はついていましたが、めちゃくちゃ難しい!草野さんはかなり細く規則的に動かしていたのに対し、実際にやってみると太くなるわテンポは悪いわで散々です。
一度コツを掴んでしまえばあとはひたすら繰り返すだけ。太さのバランスは悪いですがそこはご愛敬ということで、順調に紡いでいきます。そうして紡いだのがこちら!
実際に取り外してみるとかなりバランスの悪さに目が行きますが、初心者的には上々です!しかしこれだけでは毛糸玉にすることはできないので、どんどん紡いでいきます!
そうして1日2時間ほどの作業をコツコツと繰り返し、5日後についに毛糸玉にできる位の長さにすることができました!
たたんでいるのでわかりづらいですが、かなりの長さとなっています。多分10mくらい。そしてこれを毛糸玉に!これは糸撚り機の青い部分を使ってくるくる回転させると成形できます。そして出来上がったものがこちら!
想像している以上に、毛糸じゃないですか?
まさか本当に毛刈りから始まって毛糸まで作れるとは思っていませんでしたが、やろうと思えば作れるものなんですね~!大変でしたが、とっても楽しい貴重な体験でした。
太さのバランスに難がありますが、それでも何かを編むことはできると思います!定番のマフラーか、ニット帽にするにはちょっと足りないかな~、などと考えるだけで楽しいですね。
上士幌町でこのような体験ができるなんて(特別でしたが)、最高の場所だなと改めて実感しました。今回はこの辺で、ありがとうございました~!