幻の橋「タウシュベツ川橋梁」早朝ツアーに参加
北海道上士幌町にある人工ダム湖・糠平湖。この地で冬から夏までの間のみ姿を現すのが「タウシュベツ川橋梁」です。見える時期が限られることで「幻の橋」とも呼ばれるこの橋を一目見ようと、ひがし大雪自然ガイドセンター主催の早朝タウシュベツ橋ツアーに参加しました!
WRITER
瀬谷 友啓
JICA訓練生。栃木県出身。自然溢れる北の大地で景色を楽しみ、人と話し、美味しいものを食べる。様々な機会に触れて、町の魅力を感じて自分の言葉で伝えることができたらいいなと思っています。
INFO
タウシュベツ川橋梁
1939年(昭和14年)に、JRの前身である国鉄時代に士幌路線の開通(帯広・十勝三股)にあわせて作られた鉄道橋で、1937年(昭和12年)に完成したコンクリート製のアーチ型の橋梁。長さ130メートル、11 連のアーチが湖面に映る優美な姿から“めがね橋”の愛称で知られています。ダムの水位が上がる6月ごろから湖に沈み始め、10 月ごろには水没。結氷後、12~1月ごろに再び姿を見せ始めるため、「幻の橋」とも呼ばれます。1959 年(昭和34年)、北海道総合計画で糠平ダムが建設され、清水谷~幌加間の路線位置が変更。そのため旧糠平駅、旧糠平小学校などとともに旧路線部分も糠平湖に沈むことになり「タウシュベツ川橋梁」が生まれました。
ツアースタート!
朝6時15分開始の早朝ツアーに参加するため、朝5時に目を覚ましました。10月初め、上士幌町の最低気温は1度。滅多にマイナスにならない場所に住んでいる私の感覚だと、最低気温1度はもっとも寒い真冬と同じ気温です。
辺りは暗く、布団から出るのも億劫な日々が続いています。でも、今日はタウシュベツ川橋梁を観ることができる楽しみで、すぐに目を覚ますことができました。
上士幌町内から車で20分。集合場所のひがし大雪自然ガイドセンターに到着し、長靴に履き替えツアーの準備が完了しました。
準備を終え車に乗ってタウシュベツ川橋梁を目指しました。向かう道中でシカに遭遇。糠平では当たり前のように人の住む世界と同じ所にシカがいます。夜になると頻繁に町中に現われ、人よりもシカを多く見かけることもあるそうです。
ツアーではタウシュベツ展望台からさらに山奥の方まで入り、橋の真下にまでいくことができます。駐車場から少し歩みを進めていくと、辺りは色づいており、湖に生える植物も秋色に変わっていました。
ここは秋になると、一面が湖となる場所。今年は雪や雨が少なかった影響でまだまだ湖面に水が溜まっていないそうです。
また湖底の地で目についたのは、無数に残る切り株の姿でした。ダムを造る際に切り倒され、何十年と自然の猛威にさらされているにも関わらず、その姿は切り倒された当時のまま。時の流れを感じさせず、その地にとどまっていたのです。
「コンクリート橋の見るも無惨な姿を嘲笑っているようだった」
同じツアーに参加した訓練生メンバーの一人は、切り株を見てそんな言葉を残していました。
切り株に目を奪われながらも、歩き進めてまもなくタウシュベツ川橋梁に到着。このタウシュベツ川橋梁は当時、鉄道橋として使われていましたが、糠平ダムの完成と共に放棄され、65年の月日が経過しているのです。
タウシュベツ川橋梁が古代ローマの建築物のように劣化が進んでいるのには理由があります。それはこのタウシュベツ川橋梁が湖面に沈むこと。
毎年、秋頃には湖面に沈み、約半年ほどを水の中で過ごすのです。さらに、この地は真冬にもなるとマイナス20℃〜30℃にもなる寒冷地。糠平湖は完全結氷し、橋は厚さ 7cm の氷を被った湖に覆われるそう。
冬には発電に伴う放水で日に20cmほど放水されるのですが、水位が下がると同時に湖面を覆う氷が橋とぶつかり橋の表面を削り取りながら下がっていきます。
また、コンクリートに浸み込んだ水は内部で凍てつき膨張し、橋は内と外の両方から凍結 の害にさらされます。これらの要因が、橋の劣化の進行を通常の建造物より早くさせるのです。
同じ時間が経過しているにも関わらず、どんどん劣化していくタウシュベツ川橋梁姿と変わらない切り株。なんだか考えさせられる時間を過ごすことになりました。
ツアーに参加して
タウシュベツ川橋梁が建設当時の姿のアーチ橋として、形をとどめていられる時間はあとどれくらい残されているのでしょうか。
北海道といえば大自然をイメージしていました。ここタウシュベツ川橋梁がある大雪山国立公園はまさにその大自然が感じられる地です。しかし、白と黒が反対色であるように、ここには雄大な自然と人々の生活という交わりがたい二色が混在する不思議な場所があり、それがこの糠平であると実感しました。
林業とそれらや物資の運搬などで人々の生活を支えたタウシュベツ川橋梁。1年、あるいは10年先に朽ち果ててしまうのかは誰にも分かりません。
私は、写真では伝わらないタウシュベツ川橋梁の表情を見ることによって、自然と人間の営みの関係性について考えを正されることになりました。
自然の力は雄大です。硬く崩れないであろうと思っていたコンクリートと、簡単に朽ち果ててしまいそうな切り株の存在。対極に近い存在と思っていたものが自然の力の前ではその概念が意味を成さないこともあるのだということを目の前で見せつけられました。
ある一つのコンクリートが人間の限りある命と照らし合わされ、結末の見える姿に向かって行く不思議な橋の様子が、どこか自分事のように感じられたのでした。