「生まれ変わっても、また私の人生を生きたい」-野中小夏・マイミチストーリー
北海道・十勝の上士幌町で「遊ぶ・学ぶ・働く」を体験する1カ月間の滞在型プログラム、それが「MY MICHI プロジェクト」だ。2021年7月〜8月に第4期が開催され、全国から5人の若者が参加した。5人は何を思いこのプログラムに参加したのか。それぞれの「マイミチストーリー」がそこにある。
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MY MICHI 4期生
野中 小夏(こなつ)
|のなか・こなつ|1999年生まれ、愛知県出身。大学では建築学を専攻。好奇心旺盛で、笑うこと、笑ってもらうことが大好き。「0円食堂」にチャレンジしたいと「MY MICHI プロジェクト」に参加。ニックネームは「こなつ」。
就職活動中に襲われた
不安の中で出会ったプログラム
「生まれ変わっても、また私として生きたい。そんな人生を送りたい」
それが、こなつのモットーだ。好奇心旺盛で、何事にもチャレンジしてきたこなつは、これまでにも興味を持ったことや自分がやりたいと思ったことは何でもやってきた。大学では都市計画やまちづくりを学び、卒業後は不動産関係の企業に進路が決まっている。
2020年秋、こなつの就職活動が始まった。大学で学んだことを活かし、不動産や建築関係の企業を中心に選考を重ねていた。志望した業界に進みたい。その気持ちで就職活動を進めていたが、なぜかワクワクできない自分がいた。
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「MY MICHI プロジェクト」では、ダウンヒルサイクリングなどを体験できる
「社会人になったら、やりたいことができなくなるんじゃないだろうか?」
悔いのない人生を送りたいと、やりたいことをやってきたこなつ。社会人になる準備はできているつもりだったが、就職活動が進むにつれ、心の中にそんな不安を抱いていることに気づいた。
不安は連鎖する。思えば、周りの友人と比べて何か突出したものを持っているわけではない。自分の力で何かを成し遂げた経験もない。私には、いろいろなものが足りていない……。
こなつは、自分への自信を失いかけていた。「大学3年が終わる頃ですね。急にいろんな不安に襲われてしまって、押しつぶされそうでした」と、当時の心境を振り返る。
そんな状態の中で迎えた4月のある日、あるサイトで見つけたページがこなつの目に留まった。そこには「北海道・十勝の大自然で仲間と過ごす、1カ月間の体験プログラム」と書かれていた。
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プログラムの一つ、ネイチャーガイドによる糠平の自然散策
それを見た瞬間、こなつの心はワクワクした。大学1年と2年の夏休みに、北海道の別海町でファームステイをしたことを思い出した。酪農体験や広大な自然、清々しい空気……それは非日常の空間だった。
「また、北海道に行きたい!」
そのときまだ就職活動中だったが、迷わず参加を申し込んだ。
「MY MICHI プロジェクト」に。
上士幌町でやりたいことは「0円食堂」
参加を申し込んで間もなく、まちづくり会社でこのプログラムを担当する西村剛とオンラインミーティングを行った。そこでプログラムの詳細を説明してもらうとともに、「上士幌町に来たらやってみたいことはある?」と聞かれたこなつは、迷わず「0円食堂をやりたいです!」と答えた。
「テレビで観たこの企画にすごく共感していたんです。農家さんが丹精を込めて作った作物でも、廃棄されてしまうものがある。仕方がないけれど、すごく悲しかった。この企画はそんな廃棄作物を活かそうとしていて、素晴らしいなと思いました。それで、いつか私もどこかの地域で0円食堂をやってみたいと思っていました」
「MY MICHI プロジェクト」は、上士幌町での自然体験や地域で先進的な活動をしている人たちと触れ合うプログラムのほか、参加者がそれぞれに自分自身のテーマを決めて、滞在期間中にそれを実施することになっている。こなつのテーマは「0円食堂」に決まった。
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好奇心旺盛なこなつ。プログラム中、気になったものはどんどん記録していく
「生産者さんは、自分が育てた作物を消費者が口にするところは知らないと思うんです。だから私は生産者さんに、『美味しい』という生の声を届けたいと思っていました。それが廃棄食材であれば、なおさらに嬉しくて『ありがとう』って思ってくれるんじゃないかって。それを食料自給率の高い上士幌町でやれば、より意味のあるものになると思いました」と、こなつは話す。
7月、そんなイメージを持ってこなつは上士幌町を訪れた。だがプログラムが始まると、現実は甘くないことを知ることになる。
「廃棄野菜がない」理想と現実の狭間で
「8月は収穫の初期だから廃棄作物はほとんど出ませんよ」
プログラムが始まってすぐに、まずはJAに相談に行った。そこでこなつにとっては青天の霹靂とも言える言葉を担当者から告げられたのだ。
ジャガイモや豆類、ビート(甜菜)、トウモロコシなどの生産農家が多い上士幌町だが、一部の農家はトマトや玉ネギなどの野菜も生産している。だが規格外品が出たときは、肥料などに利活用されているケースが多いことを知った。
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上士幌来町初日。表情には緊張感が
「でも、作物はたくさん採れますから。余り物なら出ますよ」
そう言われたが、こなつは納得できなかった。「私が求めているのは廃棄される作物。余り物とは違う……」。こなつの葛藤が始まった。
0円食堂の実施日は8月7日。1日1日と時間が過ぎていく。心躍る気持ちで上士幌に来たこなつだが、プログラムがスタートして1週間が過ぎたころには、その顔から笑顔が消えていた。
「最初は余り物を受け入れることができなくて。変なプライドがあって、そこは絶対に妥協したくないと思っていました。今思えば頑固でしたね(笑)」
それを変えてくれたのは、同じ4期に参加した仲間たちであり、上士幌で出会った町の人たちだった。
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4期の仲間たち。左から、なわっちゃん(縄田柊二)、ひな(石井日奈子)、こなつ、あかりん(伊藤あかり)、りーたん(田中理紗子)
こなつは上士幌町での滞在中に町の人たちと積極的に関わりたいと「かあちゃんばあちゃんの野菜市」を訪ねていた。この野菜市は、毎週土曜日に農家のお母さんたちが採れたて野菜を販売しているコミュニティ市場だ。顔を重ねる中で、MY MICHI プロジェクトに参加した経緯や0円食堂をやりたい理由を伝えると、お母さんたちは「力を貸すよ。売れ残った野菜でよければ使って」と言ってくれていた。
「その言葉はすごく嬉しかったんです。私のように外から来た人間にも、皆さん優しく接してくれましたし。でも廃棄野菜へのこだわりと、提供してもらうことへの申し訳なさがあって、最初はお断りしようかとも考えていました」と、こなつは言う。
その間も食材の提供先を探し続け、JAで紹介された須田農場から廃棄野菜が出るとわかり、提供してもらえることになった。でも、それだけでは食材が足りない。本番まで残り1週間となった土曜日、こなつは再びかあちゃんばあちゃんの野菜市を訪れた。
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かあちゃんばあちゃん野菜市の皆さんと
「すごく迷っていたんですけど、お母さんたちに食材が足りないことを素直に伝えました。そしたら『私たちの野菜、使って』って。『気持ちもわかるけど、0円食堂をやることに意義があるから』って。何より『こなつちゃんを応援したいから!』って……」
その気持ちに心を打たれたこなつは、野菜を提供してもらうことを受け入れる。そしてもう一人、スパイス専門店「クラフトキッチン」のオーナーである齋藤肇さんからも、料理のアクセントとなるスパイスを提供してもらえることになった。
結果、集めることができた食材は18種類となった。
自分でできないことは、誰かに頼っていい
食材集めと並行して進めていたのが0円食堂で提供するメニュー決めだ。これには、同じ4期生の仲間が協力してくれた。だが、ここでも最初は素直に助けてもらうことができなかった。
「みんな自分たちの企画で忙しいから、手伝ってもらうのは申し訳ない気持ちでいっぱいでした。自分で何もかもやらなきゃいけないと思っていた。でも、開催日もだんだん迫ってきていて、気持ちは焦っていくばかりでした」
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「0円食堂」に向けてメンバーと打ち合わせ
そんな様子を見ていた、同じ4期生の一人であるりーたんから、あるときこなつはこう伝えられる。
「こなつ、何でそんなに何もかも自分でやろうとするの? 私たちもやりたくなかったら、やってないよ」
「えっ? って思いました。そうなんだって。私、みんなのことちゃんと見ていなかったって。それでみんなにも自分の気持ちを全部素直に伝えたんです」
そのこなつの気持ちを聞いたあかりんは、「申し訳ないと思わなくていいよ。頼ってもらえることが嬉しいから」と言った。
ひなは「私もこなつを手伝えて嬉しい。私がありがとうと言いたいよ」と話した。
こなつ自身も、自分の企画を進めながら、仲間の企画を手伝っていた。そのとき仲間は手伝ってくれている他のメンバーに対してずっと「ありがとう」と伝えていた。その言葉を聞いたこなつは嬉しく思っていた。思えば、こなつはいつも「手伝ってもらってごめんね」という気持ちだった。
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試行錯誤を繰り返しながらメニューを決めていく
そうだ、みんなはいつも「ありがとう」と言ってくれた。誰も「ごめんね」とは言わなかった。「ありがとう」は、伝えられると嬉しい言葉だ。
「そのとき気づいたんです。自分でできないことは誰かに頼っていいってことに。それは相手の力を活かすことにもなるんだって」
仲間を頼り、力を借りて実現した0円食堂。こなつはこのイベントを「ヒンナヒンナ食堂」と名付けることにした。「ヒンナヒンナ」はアイヌ語で食に対する感謝を伝える言葉だ。
8月7日、ヒンナヒンナ食堂当日。参加した町の人たちからは、笑顔があふれていた。
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参加してくれた町民の皆さんと
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当日提供したメニューは8品
夢は一人では叶えられない
こなつは、この「MY MICHI プロジェクト」を振り返ってこう思う。
「この4期で参加できて本当によかった。私の夢がこの上士幌で叶いました。でもそれは一人では絶対にできなかったことです。夢は一人では叶えられない。たくさんの方たちに協力してもらって、初めて実現することができる。私の夢の実現を手伝ってくれた、まちづくり会社の皆さん、上士幌町の皆さん、そして同じ4期の仲間たちには、心から感謝しています。上士幌で過ごした1カ月は、忘れられないし、絶対に忘れたくない思い出になりました」
こなつは、0円食堂を成功させたことで、自信と強さを得た。「私だってやればできるんだ。一人じゃない。絶対に、協力してくれる人がいる」。今、心からそう思う。
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最終日には、プログラムを振り返ってプレゼンを行った
生きるなら、日常をただ過ごすのではなく、自分で切り開いて、時には自分で非日常を作り出す。チャレンジしたいことがあれば、勇気を持って一歩を踏み出し、挑戦する。社会人になっても、その気持ちは決して忘れない。必要なのは「やりたい!」という情熱だ。
「生まれ変わっても、また私として生きたい。そんな人生を送りたい。そしてこれからも、自分のやりたいことを大切にして、その先にいる人たちを笑顔にしたい」
それが、私の人生。それが私の「マイミチ」。
こなつは、これからも野中小夏として生きていく。
TEXT:コジマノリユキ
2018年4月より上士幌町在住のライター。1976年生まれ、新潟県出身。普段は社内報の制作ディレクターとしてリモートワークをしています。写真も撮ります。マイブームはけん玉。モットーは「シンプルに生きる」。
「幼い頃の自分を迎えに行く」-田中理紗子・マイミチストーリー
北海道・十勝の上士幌町で「遊ぶ・学ぶ・働く」を体験する1カ月間の滞在型プログラム、それが「MY MICHI プロジェクト」だ。2021年7月〜8月に第4期が開催され、全国から5人の若者が参加した。5人は何を思いこのプログラムに参加したのか。それぞれの「マイミチストーリー」がそこにある。
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MY MICHI 4期生
田中 理紗子(りーたん)
|たなか・りさこ|1994年生まれ、神奈川県出身。「自分自身と向き合うこと」をテーマに「MY MICHI プロジェクト」に参加。プログラム参加中は、自身を見つめ直すためのマイドキュメンタリー映画の制作に着手。ニックネームは「りーたん」。
「自分らしく生きる」この言葉が胸を打つ
目の前が真っ暗になった。
完全に疲れ切っていた。何をしていても、勝手に涙だけが溢れてくる。
「このままでは、本当に壊れてしまう……」
彼女は、暗闇の中にいた。大きな影に、自分自身がどんどん飲み込まれてしまっていくのを感じていた。
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「MY MICHI プロジェクト」は、一つひとつのプログラムがかけがえのない体験に
神奈川県川崎市に生まれた彼女は、幼少の頃に関西に転居し、学生時代まで過ごした。大阪の大学を卒業したあとは大手ECサイトを運営する企業に入社、出店店舗へのコンサルティング業務に従事する。その後プログラミングスクールに転職し、セールスの仕事を行ってきた。
いずれの仕事もやりがいはあったが、忙しすぎた。成果を上げたい一心で打ち込んできたが、頑張れば頑張るほどに仕事の量は多くなる。残業時間も増え、心身が疲れていくのを感じていた。だがどんなに疲れていても、仕事になればその姿を見せることはできない。
「残業が多いのは、仕事ができていないから。もっと頑張って効率良く仕事ができるようにならないと」。そう思い、さらに自分の体に鞭を打つ。仕事をしているときは笑顔で前向きな自分を演じているが、本当の自分は疲労とストレスでボロボロだった。
あるとき、目の前が真っ暗になるのを感じた。完全に疲れ切ってしまい、涙が溢れてくる。
「もう、疲れた。休みたい。このままでは本当に壊れてしまう……」
そんなある日、たまたま見ていたインターネットであるプログラムを見つけた。そのプログラムには「自分らしく生きる」という言葉が綴られていた。
そのキーワードが胸を打った。
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「MY MICHI プロジェクト」は、自分らしい生き方を見つけていくプログラム
今までの私は、自分らしく生きていたのだろうか? 幼い頃からの記憶がフラッシュバックした。私はいつも、自分の気持ちを素直に伝えられずにいた。わがままを言わずに、自分が我慢をすればいろいろなことが上手くいくと思っていた。そんな記憶を思い出すと、また涙が頬を濡らしていた。
「今、自分とちゃんと向き合わないと、本当に私は駄目になってしまう」
彼女――りーたんは、「MY MICHI プロジェクト」への参加を決めた。
自分が我慢すればいい。そう思って生きてきた
申し込んでから参加までの間、プログラムを主催するまちづくり会社のスタッフとリモートでの面談を繰り返した。今回の「MY MICHI プロジェクト」では、参加者一人ひとりが上士幌でやりたいことをテーマに掲げ、プログラム中にチャレンジする。何度かの面談を進める中で、りーたんは幼い頃からの話を伝えていた。
「小学校3年生のときに、両親が離婚しました。その何年か前から家の中で両親が口論になることがよくあって、家は私にとって安心できる環境ではなかったんです。両親が怒っているのは、私が生まれてきたからなのかな? とか、私は生まれてこなければよかったのかな? と考えたこともありました」
両親に甘えることができず、ずっと寂しさを抱えていた。だが、いつからかその寂しさも、自分の中に閉じ込めるようになっていた。
あるとき、友だちが楽しそうに両親と手をつないで一緒に歩いている姿を見て羨ましさを感じた。「いいな。私もパパとママと一緒に手をつないで歩きたい……」。そんな気持ちさえも、誰にも伝えることができなかった。
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糠平の大自然に触れて、彼女は何を思ったのか
自分が我慢すればいい。そうすれば、周りのみんなは笑顔でいられる。幼い頃からずっとそう思って生きてきた。学校に行けば友だちの前では笑顔を絶やさない。でも、それは笑顔の仮面を被っているだけだ。本当はそんな自分が嫌だった。
「小さい頃からずっと自分の気持ちに嘘をついてきました。感情を出すこともなくなって、笑っていても、その場を取り繕うために笑っていたこともあります。そうやって感情を置き去りにしてきたことで、いつからか自分の気持ちがわからなくなっていました。自分が何をしたいのか、何が本当の感情なのかもよくわからなくなっていたんです」
「あなたは、幸せにならないといけない」
「あなたは、幸せにならないといけない」
面談で自分の境遇を伝えたとき、まちづくり会社の西村から思いもかけない言葉をかけられた。その言葉に、思わず涙が溢れた。
「自分と向き合うということは、小さい頃の自分を迎えに行くことだよ。りーたん、無理しなくていいから、ゆっくりゆっくりやっていこう」
そう言われて、気持ちが楽になった。自分を受け入れることができず、ずっと我慢して生きてきた。そんな自分が嫌だったが、それさえも否定していた。その気持ちを全て伝えた上で、そんな自分に本気で向き合ってくれた。それが本当に嬉しかった。
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糠平湖畔で。都会にはないゆっくりとした時間を過ごす
事前のチームミーティングでは4期メンバーとオンラインで顔を合わせることになった。それぞれが上士幌でのテーマを決めるとき「自分と向き合うために、りーたんが主役の映画を作るのはどう?」というアイデアが出た。それはいいかもしれないと思った。
これまで必死に生きてきた自分を誇らしく思うと同時に、大切なものを置き忘れてきた。上士幌町で自分と正直に向き合う姿をストーリーにすることで、この映画がこれからの人生のお守りになると感じた。
「小さい頃から孤独で、寂しくて、誰に対しても本音を話すことができませんでした。だからこそ、この町での体験や気持ちの変化をしっかりと記録しておきたいと思いました。同時に、私と同じように生きづらさを感じている人に対してもエールを送れるような作品にできたらと思いました」と、りーたんは話す。
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プログラムで十勝しんむら牧場を訪問。放牧酪農について説明を受ける
少しずつ、素直な自分を表現できるように
7月、「MY MICHI プロジェクト」がスタートした。プログラム参加中、りーたんは自分自身に約束事を課していた。
「自分自身ときちんと向き合うこと。自分を大切にすること。無理はしないこと」。疲れたり、しんどいときは素直にメンバーにも伝えて、休む。何より、自分を労って大切にする。これを自分自身に約束した。
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プログラム初日、上士幌町に到着直後
来町してすぐに大きな出来事があった。プログラムの初回で、4期メンバーにまちづくり会社のスタッフも交えて「ペップトーク」というワークを行った。ペックトークとは、相手を励ましポジティブな感情を与えるワークだ。ここでももう一度、自分の過去と向き合い、記憶を紡いでいく。その場にいた全員が、一つひとつの言葉に真摯に耳を傾けてくれた。
「りーたん、よくここまで頑張ってきたね」
「生まれてきてくれてありがとう」
ワークを終えたとき、まちづくり会社のスタッフにぎゅっと抱きしめられた。その瞬間、今までに流したことがないほどの大粒の涙が出た。それは、自分がずっと求めていた言葉だった。りーたんは抱きしめられながら、温かいぬくもりと太陽のような愛を感じていた。同時に、今の自分が幼少の頃の自分を抱きしめているような、そんな感覚を覚えていた。
「振り返ると、私にとってすごく大きな転機となった出来事でした。自分自身を受け入れることができた最初の一歩だったように思います」と、りーたんは振り返る。
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本音を伝えられる仲間たちにも出会えた。手前から、りーたん、あかりん(伊藤あかり)、ひな(石井日奈子)こなつ(野中小夏)、なわっちゃん(縄田柊二)
それからはプログラムを体験しながらずっとカメラを回し続けた。サイクリングやネイチャートレッキングなどの自然体験、新しい酪農にチャレンジし続ける十勝しんむら牧場の話、町の人たちとのBBQや交流会……上士幌町は刺激的で魅力的な町だった。
仲間たちのテーマも積極的に手伝った。0円食堂に取り組むこなつ、マラサダカフェに挑戦するなわっちゃん、子どもたちのヒーロー企画を進めるあかりん。メンバーのテーマを真剣に応援した。
滞在中は4期メンバーともたくさん話をした。疲れた様子が見えたときには「りーたん、大丈夫? 話を聞くよ」と、声をかけてくれた。みんなには、本当に思っていることを素直に伝えた。仲間たちには、嘘偽りのない自分を伝えたかった。
仲間たちも、りーたんを受け入れてくれた。メンバーと過ごすことで、自分は何を考えているのか、何をしたいと思っているのか、少しずつ気持ちを表現できるようになっていった。
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自分を受け入れてくれる人がいる。それが何より嬉しかった
自分を受け入れなければ、他人を受け入れることはできない
来町して1カ月が経とうとしていた。プロジェクトの最終日には、上士幌町民に向けての活動報告会がある。りーたんのテーマである映画も、そこで上映する予定でギリギリまで編集作業を進めていた。だが、映画の上映は後日に延期することとなった。
「映画を作ることでみんなに認められたいと思っていて、最終日までに完成させなくちゃいけないと無理をしていたんです。最初にプロジェクトに参加したときに、無理をしないと自分に約束していたのに忘れてしまっていて。それで無理をしないことにしたんです」
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たくさん泣いて、たくさん笑った。そうして、少しずつ自分を取り戻していった
りーたんは、「MY MICHI プロジェクト」終了後も、延長して町に滞在することを決めた。無理をせずに最後の編集作業を進めて、数日後、映画は完成する。
8月23日、これまでお世話になった町の人たちを招待して、ささやかな映画上映会が行われた。映画のタイトルは『小さな私』。
「今までよく頑張ったね。あなたは何も悪くないよ。これからも、よろしくね」
自分と向き合うということは、小さい頃の自分を迎えに行くこと。幼い頃の自分にそっと差し出したその手を、小さな手が握り返していた。
このプロジェクトを振り返って、りーたんは言う。
「私がこの上士幌で学んだこと、それは『自分を受け入れることができなければ、他人を受け入れることはできない』ということです。私はこの町で、たくさんの出会いと体験を通して、自分を受け入れられるようになりました。それは何よりも、町の皆さんが私を受け入れてくれたからです」
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上映会は4期の仲間たちも見守ってくれた
外から来た自分に対しても、町の人たちは「よく来たね」と声をかけてくれた。プログラムが終わったら町を離れるとわかっていても、「いつでも帰っておいで」と言ってくれた。町の人たちからのそんな言葉が、本当に心地よかった。
町の人たちには、心から感謝している。上士幌は、りーたんにとって、たくさんの愛に触れた場所になり、本当に大切な場所になった。そして彼女は決断する。「私の『マイミチ』の続きは、上士幌町から始まる」と。
「秋に移住します。実はプログラム参加中から、移住を視野に入れるようになりました。大好きな上士幌町を拠点に、これから何ができるかを考え、やりたいことをゆっくりと考えていきたいです」
田中理紗子の「マイミチ」は、上士幌町で続いていく。
田中理紗子マイドキュメンタリー『小さな私』
TEXT:コジマノリユキ
2018年4月より上士幌町在住のライター。1976年生まれ、新潟県出身。普段は社内報の制作ディレクターとしてリモートワークをしています。写真も撮ります。マイブームはけん玉。モットーは「シンプルに生きる」。
「自分の気持ちに、正直に生きる」-伊藤あかり・マイミチストーリー
北海道・十勝の上士幌町で「遊ぶ・学ぶ・働く」を体験する1カ月間の滞在型プログラム、それが「MY MICHI プロジェクト」だ。2021年7月〜8月に第4期が開催され、全国から5人の若者が参加した。5人は何を思いこのプログラムに参加したのか。それぞれの「マイミチストーリー」がそこにある。
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MY MICHI 4期生
伊藤 あかり(あかりん)
|いとう・あかり|1997年生まれ、千葉県出身。自分自身を見つめ直したいと「MY MICHI プロジェクト」に参加し、子どもたちが町の困りごとを解決する「まちの小さなヒーロー」を企画。ニックネームは「あかりん」。
疲れ切っていたときに差し込んだ一筋の光
「私は一体、何のために働いているんだろう……」
あかりんは、疲れていた。専門学校を卒業後、千葉県内の小児科病院で医療事務の仕事に従事していた。職場の人間関係も良好で、新卒で入職してから2年が経ったころには、任される仕事も増えて、充実した日々を過ごしていた。
しかし、3年目になると業務量はますます多くなっていく。平日は忙しく時間が流れていき、休日は体を休めるために部屋で寝ているだけ。いつしか働くことの意義がわからなくなっていた。2020年の年末には体調を崩してしまい、休職しなければならないほどに追い込まれていた。
なぜこうなるまでに働かなければならなかったのか。休職中、ずっと考えていたが、答えは出なかった。
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旧国鉄士幌線・幌加駅跡を散策
年が明けて職場に復帰したが、忙しい毎日は変わらなかった。余裕がなく、小さなことにもイライラしてしまう。そんな自分が嫌で仕方なかった。
「このままでは本当にダメになってしまう。何とかしないと……」。精神的にも追い詰められていたあかりんは、ある日、インターネットであるプログラムを見つけた。「自分らしく生きる」「自分自身を見つめ直す」。その言葉が、一筋の光としてあかりんの心を照らした。
「このプログラムなら、自分自身と向き合えるかもしれない」
直感的にそう思ったあかりんは、応募のボタンを押していた。それが「MY MICHI プロジェクト」だった。
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上士幌は熱気球が盛ん。プログラムでは熱気球搭乗も体験
「あかりんは、どう思う?」
「MY MICHI プロジェクト」に申し込んだあかりんは、他の参加メンバーと一緒にリモートで事前ミーティングを繰り返していた。その場では、上士幌町で活動するための自身のテーマを決めたり、プログラムの意見交換などを行っていた。
あかりんは、そこで思わぬ壁にぶつかることになる。
「自分の意見をうまく伝えることができなかったんです。これまで、仕事でも意見を求められる機会は少なかったし、自分の考えを伝えても聞いてもらえることも少なかった。いつしか意見を言わない方が楽になっていたんですよね」と、あかりんは話す。
「あかりんは、どう思う?」
ミーティングでは何度も意見を求められた。でも、うまく伝えることができない。その歯痒さをずっと感じていた。
「自分の意見を言うことに恥ずかしさもありましたし、他のメンバーへの劣等感もありましたね。みんな、やりたいことがいっぱいあって、アイデアもたくさん持っていた。私はなかなかテーマも決まらなくて、気後れもしていました。今だから言えますが、参加しても意味がないんじゃないかとも思い始めていました」
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町の人たちとも触れ合う
あかりんは、ギリギリまで参加を悩んでいた。社会人の彼女は「MY MICHI プロジェクト」参加のため、職場に退職の意思を伝えていた。でも、これまで通り仕事を続けていた方がよいのではないか? 何度もそう考えた。
「もう、行きたくない……参加を取り止めよう……」
あかりんは、プログラムを主催するまちづくり会社のスタッフに相談した。すると、こんな言葉が返ってきた。
「あかりんは、経験がないだけ。経験なんていくらでも積めるから、今回をその機会にすればいい。何も持たずに来たらいいよ」
この言葉で、胸が軽くなった。行きたい。みんなに会いたい。あかりんは、上士幌へのチケットを手配した。
小さな自分でも誰かの役に立つ
上士幌でのあかりんのテーマは「まちの小さなヒーロー」に決まった。町の困りごとを小学生の子どもたちが解決するという企画だ。
子どもが好きというあかりんは、社会人になるときの進路を保育士か医療事務で考えていた。選んだのは医療事務だったが、勤務先の行院では院内学級も手伝っていた。
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プログラム初日のあかりん。表情には緊張感が
「上士幌町での活動テーマを決めるときに、自分に何ができるだろう? ということをずっと考えていました。ミーティングでみんなとブレストを重ねていく中で、『子どものころ、何になりたかった?』という話題になって、そのときまちづくり会社の方が『自分はヒーローになりたかった』と言ったのを聞いて、これだ! って思ったんです」
子どもについて考えるとき、あかりんは自分の幼少時代を思い出す。それは、地域の人たちに優しく接してもらった記憶だ。外で一緒に遊んでもらったり、親に怒られて家に帰りづらかったときに、うちにいればいいよと家に上げてもらったこともある。
あかりんは、地域の人たちが優しく見守ってくれていたことに安心感を抱いていた。子どもにとって、安心安全な環境で育っていることを実感できるのはすごく良いことだと、自身の経験を通して信じている。
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子どもたちと一緒に汗を流した
「子どもたちに、地域とつながっていることを感じてもらいたんです。それに、小さいころに誰かの役に立つ経験をすることは、すごく大きな財産になると思う。その経験が子どもたちの可能性を伸ばしていく気がするんです」と、あかりんは言う。
来町前にヒーロー企画のチラシを作成し、まちづくり会社を通じて小学校に配布していた。どれくらいの子どもたちが参加してくれるだろう。胸をワクワクさせながら、上士幌町へと旅立った。
意地を張っていた自分を受け入れてくれた仲間たち
7月14日、「MY MICHI プロジェクト」がスタートした。最初の1週間はサイクリングやネイチャートレッキングなどのプログラムを中心に日々が過ぎていく。都会で体験できないプログラムはどれも新鮮で刺激的だった。だがその一方で、ヒーロー企画への参加者は全く集まらなかった。
なぜ参加者が集まらないのだろう……? あかりんに余裕がなくなっていく。合わせて、仲間たちと過ごすシェアハウスの生活にもストレスを感じ始めていた。
「一人になれる時間がなかったことや、参加者が集まらない焦り、他のメンバーの企画が進んでいることなど、いろんなことが重なって、それがすごく辛かった。仲間たちがキラキラして見えて、企画が進まない自分に引け目を感じてしまった。みんなが一緒に夕食を取っているときに、私だけ部屋にこもっていたこともありました」
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シェアハウスでのミーティング。メンバーにもたくさんアイデアをもらった
メンバーと比べてしまう自分が嫌だった。何をしてよいかわからなくなり、何も行動できない自分を恥ずかしいと思っていた。それを変えてくれたのは、ほかでもない、同じ4期の仲間たちだ。
「みんなも心配してくれたのか、あるとき、ゆっくり話をしたんですよね。そこで自分の気持ちを素直に伝えました。みんなちゃんと私の話を聞いてくれて、私を受け入れてくれた。それがすごく嬉しかった。どこかで私自身が意地を張っていたんですよね。それに気づいたとき、気持ちがスッと楽になりました」と、あかりんは振り返る。
「私たちにもできることは手伝うから、どんどん任せて」
仲間たちもそう言ってくれた。その言葉が何より嬉しかった。意地を張らずに、素直に甘えようと決めた。現状を確認し、やらなければならないことを一つずつ整理していった。
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かけがえのない仲間たち。左から、こなつ(野中小夏)、なわっちゃん(縄田柊二)、ひな(石井日奈子)、りーたん(田中理紗子)、あかりん
ヒーロー企画を実現するには、町の人たちの困りごとも知らなければならない。メンバーにも手伝ってもらいながら、1軒1軒地道に町内を回った。参加者を集めるために、まちづくり会社スタッフを通じて、小学生を持つ親御さんを紹介してもらい、会いに行った。直接会って説明すると、「良い取り組みですね。それなら子どもを参加させたい」と言ってくれた。
結果、4件の困りごとが集まった。家具のペンキ塗り、敷地の雑草取り、庭の苔取り、店舗の窓拭き。子どもたちは14名が参加することとなった。
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参加した子どもたちは、みんな真剣に取り組んでいた
自分を好きになれたことが一番の変化
「楽しかった! またやりたい!」
ヒーロー企画に参加した子どもたちから、一様にそんな声が上がった。保護者の方からも「こういう機会をもっとつくってほしい」「終わって子どもが『すごく楽しかった』と話してくれたので、本当に楽しかったんだと思いました」という感想が聞かれた。この日、上士幌に、14名の小さなヒーローが誕生した。
あかりん自身も、子どもたちと一緒に過ごした時間が心地よかった。ある子は「私、このチームで参加できてよかった!」と言ってくれた。何よりも嬉しい言葉だった。
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ヒーロー企画に参加した子どもたち
「私はやっぱり子どもが好きだ」
プロジェクトを終えて、あかりんは改めてそう思った。
あかりんは、手伝ってくれた仲間たちにも素直に「ありがとう」と言葉を伝えた。私を受け入れてくれてありがとう。一緒に悩んでくれてありがとう。力を貸してくれてありがとう。気持ちを素直に伝えられるようになったことは、あかりんの大きな成長だった。
「自分という存在を受け入れられるようになったこと、それが私自身のもっとも大きな変化です。上士幌での経験を経て、自分を好きになることができました。仲間たちとの出会いはもちろん、上士幌の人たちとの出会いも大きかったです。温かくて優しい人たちが多くて、自分もそんな存在になりたいと思える人たちにたくさん出会いました」
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上士幌ではたくさんの出会いがあり、多くのことを学んだ
あかりんは「MY MICHI プロジェクト」に参加したことで、素直に生きることの大切さを学んだという。
「上士幌に来るために仕事を辞めてきましたが、後悔はありません。私はこれから何でもできるし、何にでもなれると思うから。これからは、自分がやりたいと思ったことは何でも挑戦していきたいです。例えば、食や子どもに関わるための子ども食堂や、高齢者と子どもたちが関われるコミュニティづくりもいいかもしれない」
誰とも比べる必要はない。私は私。自分を信じて生きていけばいい。未来を見つめる伊藤あかりの目は、キラキラと輝いていた。
「自分の気持ちに正直に生きること。それが私のマイミチです」
TEXT:コジマノリユキ
2018年4月より上士幌町在住のライター。1976年生まれ、新潟県出身。普段は社内報の制作ディレクターとしてリモートワークをしています。写真も撮ります。マイブームはけん玉。モットーは「シンプルに生きる」。